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第三話

 昼休み、千尋は生徒会室で書類を整理していた。外から聞こえるざわめきに、ふと手を止める。


 「玲奈、転校するんだって?」


 耳に飛び込んできたその言葉に、千尋の手が一瞬止まる。


 「本当らしいよ。親の仕事の都合で、来月にはもう……」


 書類を挟んでいたペンが、かすかに揺れた。


 ——玲奈が転校?


 驚きよりも先に、胸の奥が締めつけられる。なぜ、何も言わなかったのか。


 授業が終わると、千尋はまっすぐ玲奈を探し、人気のない廊下で呼び止めた。


 「……どうして、黙ってたの?」


 玲奈は一瞬、驚いたように目を瞬かせ、それから静かに微笑んだ。


 「言っても、先輩には関係ないと思って……」


 その言葉に、千尋の中で何かが弾けた。


 「関係ない? そんなわけ、あるわけないでしょ!」


 思わず声を荒げる。玲奈が戸惑うように千尋を見つめる。


 「私、知らないまま玲奈がいなくなるなんて……そんなの、嫌だ」


 思わずこぼれた言葉に、自分自身が驚く。


 玲奈は一瞬、何かを言いかけたが、ただ小さく笑った。


 「……やっぱり、先輩は優しいですね」


 その笑顔が、どこか寂しく見えた。


 屋上の扉を開けた瞬間、冷たい風が頬をかすめた。


 千尋は静かに歩みを進め、フェンスの前で立ち止まる。いつもならそこにいるはずの玲奈の姿はなかった。


 雨が降り始めていた。コンクリートに落ちる雨粒が、小さな音を奏でる。千尋は傘を持っていなかったが、そのまま立ち尽くした。


 ——玲奈は、来ないのか。


 屋上はふたりの秘密の場所だった。何かあれば、ここに来ればよかった。玲奈が待っていると、いつも思っていた。けれど今日は違う。


 ポケットの中のスマートフォンを取り出す。玲奈の名前を呼ぶように、指が画面の上をなぞる。だが、送るべき言葉が見つからない。


 「……なんで」


 小さくつぶやいた声は、雨にかき消された。


 玲奈が転校すると知ってから、ずっと胸がざわついていた。確かめたいことがあったのに、まだ何も聞けていない。


 それなのに、今夜、玲奈は来なかった。


 雨が強くなる。制服の袖がじっとりと濡れ、頬に冷たい雫が落ちる。


 どれくらい時間が経っただろう。結局、千尋は玲奈に会えぬまま、静かに屋上を後にした。


 足元に響く水音が、ひとりぼっちの夜を際立たせていた。


 部屋の窓を叩く雨音が、夜の静寂を埋めていた。


 千尋は机に肘をつき、ぼんやりとスマートフォンの画面を見つめる。玲奈の名前が並ぶメッセージ履歴。最後のやり取りは、たわいもない会話のまま止まっていた。


 ——玲奈が、いなくなる。


 その事実を改めて突きつけられると、胸の奥が締めつけられる。


 「どうして、こんなに……」


 ポツリと呟いた声が、空間に溶ける。玲奈の笑顔、からかうような声、少し寂しげな瞳——それらすべてが頭の中を巡る。


 考えれば考えるほど、玲奈の存在が大きくなっていく。


 (ただの後輩なら、こんな気持ちにはならない)


 ——あの子じゃなきゃ、ダメなんだ。


 気づいた瞬間、千尋は立ち上がっていた。


 スマートフォンを握りしめ、迷いなくドアを開ける。


 「……玲奈に会わなきゃ」


 理由はもう考えない。会わなければ、すべてが終わってしまう気がする。


 雨がまだ降り続く夜の中、千尋は駆け出した。


 夜の街は雨の匂いを纏い、静まり返っていた。千尋は震える指先をポケットに押し込みながら、玲奈の家の近くの街灯の下に立っていた。


 何を言うべきかなんて考えられなかった。ただ、玲奈に会いたかった。


 やがて、家のドアが静かに開く。


 「……玲奈」


 呼ぶつもりはなかったのに、自然と名前がこぼれる。


 玲奈が驚いたようにこちらを見た。


 「先輩……? どうして——」


 言葉を遮るように、千尋は玲奈を強く抱きしめた。玲奈の細い体が腕の中で少し強ばる。


 「行かないで……」


 必死に抑えていた想いが、とうとう溢れた。


 玲奈は千尋の背中にそっと手を添え、ふっと小さく笑う。


 「先輩がそんな顔をするなんて……ずるいですよ」


 「……本気なんだ」


 玲奈は千尋の胸に顔を埋めるようにして、小さく囁いた。


 「だったら、もっと早く言ってほしかった」


 千尋の腕の中で、玲奈の体温がじんわりと伝わってくる。


 この温もりを、もう離したくなかった。

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