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第三章―不問会➁―

 ふと気が付くと俺はソファーに寝かされていた。どうやら気を失っていたようで、舞風が心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。

「大丈夫?」

「大丈夫と言いたいが、大丈夫じゃ無さそうだ。寒気はするし冷汗は流れてるし、何より頭が重たい」

「顔色が真っ青だもの、暫くそのまま休んでいて」

 鈍く痛む頭を押さえながら、何があったのか、事の顛末を舞風に尋ねる。

「倒れたのよ、いきなり。あの毛に触ってすぐに」

「結局俺は狐アレルギーだったってことか」

「だとしたら相当重度の、ね。けれど御当主様はこうなることを予想されていたみたいよ。気絶くらいはするだろうって、そう仰られていたから」

「爺さんめ、どうなるか想像がつくなら先に言えってんだ」

「それで、何か感想は?」

「……矢鱈と寒かった気がする。何だか触れた指先からゆっくりと凍てついていくような、何かに飲み込まれていくような、そんな感じだった」

「九尾の狐は亡者では無いけれど、現世と幽界と、どちらに近しいのかって言えば幽界の側の存在なのよね。その九尾の狐の体毛ですもの、らいせー、貴方向こうに引きずり込まれそうになったんじゃないかしら?」

 底なし沼に片足を突っ込んでしまったような、そんな漠然とした不安を感じながらよろよろと上半身を起こそうとすると、舞風が慌てて止めに入った。

「あ、ちょっと待ってらいせー。未だ動いちゃ駄目よ」

「怪我してるわけじゃないんだし、問題ないよ」

「そうじゃないの。そうじゃないんだけど、何から説明したらいいのか……」

「……身体が怠い」

「えぇ、わかってるわ。でもじっとしていて頂戴。御当主様が戻られたら一緒に話してあげるから」

 いい子だからと、幼子をあやすかのように舞風に諭されて、俺はそのまま身体を横たえた。

「目は覚めたかね」

 あの木箱を戻しに行っていたらしい当主が姿を見せると、舞風は静かに頷いた。

「やはり以前御当主様が仰られていた通りでした。実際に発現するまで信じられませんでしたけれど、いいえ、信じたくありませんでしたけれど、でも現実に浮かび上がってきたのは、間違いなく御当主様の予想された通りの文様でした」

「そのようだったな。然し気絶だけで済むとは、愛されているのか憎まれているのか」

「彼には未だ話していません。私も冷静では無いですし、出来れば御当主様から御話下さると非常に助かります」

「左様か。では、語るとしよう」

 当主は俺の側まで歩み寄ってきて、俺の右腕を掴んだ。

「痛むかね」

「……言われてみれば少しひりひりというか、じりじりというか。疼痛ってやつですかね」

「君の言う所のアナフィラキシーショックだ、それこそ。ならばもう見たのかね」

「見たって、何を」

「腕だよ。さぁ、見ていないのなら御覧なさい」

 右腕を、見た。

 普段からあまり日差しに当たらない所為か、一般的な男性よりも白い肌がある。体毛も薄い。

 けれどそれだけなら、あまりにも見慣れた腕でしかない。

「別に普通の腕ですけど」

「そうか、では裏側を見てみなさい。手を右に傾けて、そう、手を裏返すんだ」

 右腕の裏を、見た。

「……何だ、これ」

 手首の付け根というのだろうか、太い血管が走る辺りに、それは色濃く浮かび上がっていた。

「歯形……? いや、噛み痕……?」

 文様のような文化的なものではない、もっと原始的で野性的な、何かに噛みつかれた傷痕のようなものが、そこに浮かび上がっていた。

 当主は人差し指でその傷痕の上をつつと撫でると、痛むかねと、改めて問うた。

「触られたから痛むとか、そういったことは無さそう……です」

「そうか。やはり表面的な痛みでは無いのだな。奥深く根を張って、最早君の一部だ」

 当主は一人合点がいったようで頷きながら。そっと俺の手を離した。

「陸奥さん、あんたは俺で何を試したんだ? 九尾の狐の体毛とやらに俺が触れれば気絶するくらいの反応が出るのは薄々勘付いてたって、そう聞いた。だがそれだとあんたや舞風が触れても大して問題は無いように思える。何故俺にだけ反応するんだ。それにだな、この噛み痕は一体全体何だ? 俺は犬とか猫に噛まれたことなんかないし、あるとしたってこんなに大きい傷痕が有れば気が付かない筈がない。だったらこの傷痕は今出来たものだ。俺が気を失ってる間に、陸奥さん、俺に何かを噛みつかせたのか?」

「ちょ、ちょっとらいせー。御当主に向かってなんて言い草なの」

「いやいや構わんよ舞風君。寧ろ下手な言い回しをされて本意が伝わらないのではあまりにも御粗末に過ぎる。それに、彼の怒りと不信は至極当然のものだ。なればこそ、私と君にはそれに応える義務もある」

 当主は再び葉巻を取り出して、深々と煙を吸い込んだ。

「疑問点は二つだったな。然し二つでありながら結局は同じことを指している。何故九尾の狐の体毛が君にだけ反応するのか、いやこの場合は寧ろ逆か、何故君だけが九尾の狐の体毛に反応するのか、こう言った方が正しいな」

「俺は望んでなんかいない」

「無論そんなことは百も承知している。君の意思に無関係だからこそのアレルギー反応なのだ」

「すると、あんたや舞風には九尾の狐の対する耐性みたいなものがあるけれど、俺にはそれが無いってことになるのか」

「……いや、厳密に言うと少し違うな。そもそも我々は九尾の狐に対する耐性など、構造的に持てないのだよ」

「どういうことだ?」

「あれは神にあらずとも神に近しい存在であって我々とは存在としての格が違う。相手にならないのだよ、本来は。だから抗するまでも無く、襲われれば容易く死ぬ。抗体を得る隙さえも与えられぬまま、な」

「……つまるところ俺は、例外中の、例外」

「左様。そして君が過去に九尾の狐に襲われた証拠こそが、右腕に浮かび上がったあの傷痕、狐の噛み痕だ」

 腕を裏返して、浮かび上がったその傷痕を見た。時間が経ったからだろうか、先程よりも色は薄くなっている気がする。

「恐らくはこの現世において、君だけが唯一九尾の狐に襲われながらも生還した。奇跡と呼んで差し支えないだろう。だがその生還の代償として、消えることのない傷を付けられた」

「……だとして。だとして、だ。俺は九尾の狐の何に反応しているんだ? 体毛に何か未知の成分が含まれているとか、そういった科学的な要因じゃあなさそうだが」

「全く以て。然し確証はない。だからこれは私の、延いては不問会の推測だ。つまりだな、推察するに、君のそれは九尾の狐という存在に対しての存在感、或いは九尾の狐が有しているであろう執着心そのものに対する拒絶反応ではないだろうか」

「九尾の狐は俺に対して執着心を抱いているのか? たかだか殺せなかっただけで?」

「あれは本質的に気位の高い存在だ。一つでもなし得なかったことがあれば、それに執着するとしても不思議はない」

「……要するに、俺は未練の対象ってわけか」

「敢えて繰り返しておくが、これは現時点で得られている情報から推察したものに過ぎない。純粋に君が恐怖心からアレルギー反応を起こしているだけなのかも知れぬし、或いは何か別の所以があるのやも知れぬ。何れにしても、真相を探るためには君達の故郷で起きたという事件が如何なるものだったのか、それと九尾の狐が如何に関与しているのか、という謎を解き明かさなければならないだろう。舞風君もそれを望んでいるようだしな」

 当主が水を向けると、舞風は俯いたまま硬く拳を握った。

「……私は、私はただ昔みたいに、彼と共に過ごしたいだけなんです。全てが元通りにはもうなりませんけれど、それでもあの事件が起きる前の、懐かしい日々に戻りたいだけなんです」

「君もその事件の当事者、被害者だそうじゃないか」

「はい。御当主は私のあの姿、御存じでしょう? あの事件以前は、あんなことにはならなかったのに」

「あぁ、見せて貰ったよ。こう言ってはなんだが、実に興味深い。まさに狐憑きだ」

「……どのように思われても構いませんけれど、真相解明のために、お力をお貸しください」

 そう言って舞風は深々と頭を下げた。

「無論だよ舞風君。不問会としても、何とかして九尾の狐を確保し連れ戻したい。あれが不在となってから、東京領域は極めて不安定だ。現にこうして不問会の構成員は休みも碌に取れないで日々亡者討伐に出払っている。そこで、最後の本題だ」

「えぇ。私とらいせーは東京領域に染み出した亡者を他の構成員と共に討伐する。対して不問会は、得られた情報の全てと報酬を提供する。それで異論は御座いませんか?」

「全く以て。全く以て同意だ。亡者討伐に必要なものがあれば可能な限り全て用意させよう」

「御配慮痛み入ります」

「流鏑馬君もそれで問題ないだろうか」

「……事ここに至って場を荒らす必要もないし、何より俺も真相を知りたい」

「実に結構。では、契約形式上、改めて命じておこう」

 当主は立ち上がって、襟を正した。

「流鏑馬頼政並びに波止場舞風の両者に命ずる。不問会と共に東京領域の亡者を討伐せよ」

 舞風に倣って立ち上がり、並んで一つ、礼をした。



「もう気怠さとか頭痛とか、そういうのは大丈夫かしら?」

 不問会本部を後にして帰路に就いた時、舞風にそう聞かれた。

「体調面は問題ない。だが処理するべき情報量が多すぎて頭が破裂しそうだ」

「昨日今日と立て続けだものね。若し可能ならこのまま亡者と遭遇するまでふらふらしようかと思ったけれど、その様子だと流石に家に戻った方が良さそうね」

「……だな、申し訳ないが」

「別に貴方が謝ること無いわ。寧ろ謝るのなら私の方よ。色々ちゃんと説明したつもりではいたけれど、実際俄かには信じがたいことばかりだし、それなのに逃げ出したりしないで一緒に来てくれて、ありがとう」

「謝罪と感謝を同時にされるとはな」

「じゃあ感謝の意を表して、帰ったら膝枕でもしてあげましょうか」

「……後が怖いから遠慮するよ」

「あらそ、いいの、こんな機会滅多にないのよ」

「非モテ前提で断言するな。まぁ非モテだけど」

「知ってるわよ。貴方の事は何でも知ってるから」

「そうだ今更思い出したけどこいつストーカーなんだった」

「ほんっとに失礼ね。ストーカーじゃないっての。幼馴染よ」

 ぷりぷりと怒りながら、彼女は前を行く。

「あ、そうそう。貴方の中に溜まってる穢れって、あの狐の噛み痕のことだったのね」

「だったのねって、そうとは知らなかったのか」

「御当主様に言われて薄々気が付いてはいたけれど、確信を持てたって感じかしら」

「禊をして穢れを洗い流す。じゃあ具体的にはどうすればいいんだろうな。あの噛み痕は俺の一部だみたいなこと、爺さんは言ってたし」

「毒を以て毒を制すなんて言葉があるけれど、この場合は、そうね、穢れを以て穢れを清める、みたいなことかしらね」

「……要するに、穢れを祓うために穢れを得るってことか」

「だから穢れている亡者を狩って狩って狩りまくって、噛み痕と同量の穢れを得られたら、きっと洗い流せるんじゃないかしら」

「そんな小学生の算数みたいな簡単な問題なのかねぇ」

「けれどじっと膝を抱えていたって何も始まらないわけだし、やれることはやってみましょ」

「さぁ、そうだな」

 吹く風はもう冬のそれだった。

 そろそろ外套なしで出歩くのも厳しいかと、そんなことを想う。

「……そうだ、それは別として、聞こうと思ってたことがあるんだけど」

「何よ、改まって」

 先を歩く舞風が、くるりと振り返る。

「昔の俺って、どんな奴だったんだ?」

 抜け落ちた記憶、或いは俺が意図的に消した記憶。

 舞風と共に過ごしていたらしい日々の事を、少しでも知りたかった。

 過去の俺の事なんか、正直に言えばどうでもよかった。

 それでも舞風は過去の俺のことを慕ってくれて、態々探しに来てくれたのだ。

 だからこそ、彼女に問いたかった。その人情が嬉しかったから。

 彼女を失望させたくはなかったし、絶望させたくもなかった。

 ……惚れっぽいのか、実は。

 願わくば少しでもいい思い出がありますようにと、そう思う。

「そうねぇ」

 舞風は電灯に照らされながら人差し指をあざとく顎に押し当てながら、考える素振りをして。

「今も昔も、貴方は貴方のままだわ」

 そう言ってくすりと微笑んだ。


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