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第三章―不問会➀―

 世界というものは本当に広くて、俺が知っている程度のことなどこの世界を構成する要素の本当に一部に過ぎないのだと、改めて思い知らされる。

 現世とか幽界とか亡者とか、穢れとか九尾の狐とか、そんなオカルティズムに本腰を入れて向き合う日が来ようとは、文字通り夢にも思わなかった。

 波止場舞風は狐っ娘である。別にケモナーのつもりも無いけれど、あれはあれで良さがあると思う。まぁ彼女は死ぬほど嫌がっているようなのであまり揶揄うと後が怖い。機会があるのならぜひ再び拝ませてほしいと願うくらいなら、まぁ大丈夫だろうか。

 何れにしても現状把握と今後の方向性が固まったところで、俺は彼女に命じられるがまま、買い出しに付き合わされている。こんだけのんびりしていて大丈夫なのかと一抹の不安はあるが、まぁ俺よりも事情に詳しい彼女が問題ないと言っているのだ、気にしても仕方が無い。

「ねぇらいせー。貴方、お酒かなり強いわよね?」

「よくご存じで。酒自慢をするつもりは無いが、常人よりは遥かに強いな」

「そう、まぁ私もそれなりに飲めるけどね? ピーチウーロンとか大好きだし」

「別にこんなことで張り合う必要も無いだろ……。というか、どうして酒の事なんぞ聞くんだ。若しかして奢ってくれるのか?」

「……まぁ福利厚生の一環としてなら吝かでは無いけれど」

「え、俺別に君に雇われてるわけじゃないよね? 対等だよね?」

「冗談よ、冗談」

 そう言いながら彼女は次々と酒瓶を、そう、日本酒ばかりを俺の持つ籠に放り込んでいく。

「ピーチウーロン好きですって子がいきなり日本酒はハードルが高いと思うんだけど」

「……飲めるわよ」

「……本当か?」

「…………」

 無言できっと睨みつけられたので、大人しく引き下がることにした。

「これとこれと、あとあれね、油揚げ」

「油揚げ」

「そ。必要なのよ、油揚げが。美味しいわよ、食べたことある?」

「そりゃ勿論。なんだ、油揚げ好きなのか?」

「好きか嫌いかと言われれば好きだけれど……でもこれ、一応供物なのよね」

「供物って、お狐様に捧げるのか」

「ま、そゆことね」

 会計を済ませ彼女の家までのろのろと戻ると、時刻は既に午後五時を少しばかり過ぎていた。

 舞風は御丁寧に日本酒専用の酒棚まで用意していて、買い込んだ日本酒の酒瓶を丁寧に並べると、ちょっとならいいわよと、俺に早めの晩酌を許してくれた。

「あんまり飲み過ぎないでね、これから出かけるのだから」

「闇バイトか?」

「それ気に入ってるのね……。そうよ、闇バイト。でもこれからは貴方も一緒に働くのだから、まずはその登録に行かなくちゃ」

「なんだかよくあるファンタジーアニメのギルド登録みたいだな」

「言い得て妙ね。でも残念、この世界にダンジョンなんてものは無いし、ダンジョンに出会いを求めるのは間違ってるわ」

「若しかして意外と詳しいのか?」

「……だって好きでしょ貴方、そういうの」

 何だか気恥ずかしくなってそれ以上は何も言わずに、照れ隠しにごくりと一口含んだ。

 舞風曰く、亡者とかいうものが出てくるのは夜の事で、それに合わせて仕事も始まるということらしかった。妖怪とか幽霊とか、俺のイメージする亡者ってのはその類のものだったから特に違和感は無いけれど、若い女の子を連れ立って夜の街を闊歩するというのは、何とも気後れすることではある。

「因みにだけどさ、舞風。闇バイトの登録先ってなんか危ない組織とかじゃないよな?」

「疑うのは自由だけれど、少なくとも後から金銭を要求されるなんてことにはならないわよ。一応向こうも歴史と格式ある機関だし、常に人手不足だから歓迎してくれると思うわ」

「その機関ってのはあれか、舞風みたいに亡者が視える人々が集まってるのか?」

「そゆこと。そこを経由して亡者を討伐する限り報酬が貰えるし、何より亡者関連の貴重な情報を一手に管理しているから、調べ物をするのにも丁度いいのよ」

「へぇ、世の中は知らないことばかりだな」

 そうこうしていると時は流れていき、もうそろそろ出発するから、と声を掛けられて、俺の晩酌は閉会となった。

「ちゃんと持ってきてくれた?」

「俺が荷物持ちにされることには一言申したいが、まぁそれはいい。日本酒の酒瓶一本と油揚げ、それさえあればいいんだろう?」

「えぇ。取り敢えず今日の所は亡者がどんなものなのか知って貰えれば十分だから、何もしなくていいわよ。さ、行きましょ」

 不問会という謎めいた組織の本部は舞風の家のすぐ側にあるということだった。

 昨晩よりも風が冷たくて吹き抜ける風に頬がひりひりするのを感じながら歩くこと、少し。

 昨晩の所とは別の都立公園の最深部、とでも言えばいいのだろうか。

 丘なのかそれとも小さい山なのか、何れにしろ土が堆く積みあがっている傾斜の中に、厳めしい鉄製の扉が置かれていた。

「ここはね、旧陸軍将校倶楽部跡なの。大丈夫、有名な心霊スポットになっているから普通の人は気味悪がって近づかないわ」

「確かに木々が鬱蒼と茂っていて薄気味悪いな。昼間でも暗いんじゃないのか、ここ」

「そうかも。昼に来たことが無いからわからないけれど」

 そういうと舞風は、その鉄製の扉をかんかんと軽く叩いた。けれど応答はない。

「……誰もいないのか?」

「叩いただけじゃ開けないことになってるのよ、安全上の理由でね。だから、合言葉を言わないと」

 こほんと恥ずかしそうに咳払いしてから、舞風は言う。

「―――死人に口なし」

 じじじと鈍い金属音が響きながら、ゆっくりとその扉が開いていく。

「……なんていうか、その」

「何も言わないで頂戴」

「……だってさ」

「いいから、何も言わないで」

 死人に口なし、ねぇ。何というかこう、そこはかとなく香ばしいセンスというか、よりにもよってそれかよというツッコミ待ちというか。

 然しまぁ亡者の殲滅を目的とする秘密組織なら、初志貫徹とでも言いたげに、一風変わった合言葉を設定するのだろうか。にしたってちょっとあれだけれど……。

 ゆっくりと開いた鉄扉の奥には古びた階段が地下へと伸びていて、天井から吊るされた時代遅れの豆電球が幾つか、ゆらゆらとそれを照らしている。

「さ、行きましょ」

 こつこつと階段を下りていく舞風に続いて暫く進んでいくと、あの小さな鉄扉からは想像もできないくらいに地下は広く掘り抜かれていた。粗く削られた壁を見るに、地下室というよりかは地下壕と表現する方がしっくりとくる気がする。

「地下だからか、嫌にじめじめしてるんだな」

「そうね。換気口があの出入口しかないってこともあるのだけれど、それよりも彼の趣味というか思想というか、そっちの方が問題かしらね」

「じめじめしてるのが趣味ってことか?」

「……まぁ、会えばわかるわよ」

 そう言いながら舞風ははぁと小さく溜息をついて広場の奥にある小部屋の前に立つと、たんたんと軽くその扉を叩いた。

「どうぞ」

 部屋の中から応じる声がして、俺は舞風に促されるままにゆっくりと扉を開く。

「……失礼、します」

 中には一人、和服を着た男性が椅子に腰かけていた。黒髪の中に白髪が混じってはいるが、老いている、という印象はあまりない。

「久しいな、舞風君」

「御無沙汰しております、御当主殿」

 舞風が丁寧に頭を下げると、その男性は視線の俺に投げて、ほう、と呟いた。

「彼が以前話していた、君がストーキングしているという子かね?」

「……若干というか、大いに訂正したいところですけれど、まぁそうです」

「そうか。君、名前は?」

「流鏑馬頼政です、初めまして」

「あぁ初めまして、初めましてだな。不問会当主の陸奥古鷹という者だ、どうぞ宜しく頼む。……さて、流鏑馬君。君が彼女にここへ連れてこられたわけは、もう知っているのかね」

「一応舞風から概要は聞いています。実感もあまりないですが、何やら面倒事の当事者みたいなので」

 そう言うと、まぁ掛けたまえよ、と当主は俺と舞風に椅子を勧めた。

「正直なことを言うとだな、この不問会はあくまでも東京領域を管轄する組織であって、他所で起きていることに関してはあまり詳しくは無いんだよ」

 当主は葉巻を取り出すと火を点けて、その煙を深々と吸い込んでから続ける。

「だから流鏑馬君と舞風君の故郷で起きたという事件についても直接的には何も知らないし、恐らく不問会で何か手伝えることも無いだろうと、そう考えていたんだがな」

「……何やら含みがある仰り様ですが」

「問題は君達の調査している事案にどうやら九尾の狐が関係しているらしいことだ。然も聞いたところによると流鏑馬君、君の生家はあれを代々祀っていたそうじゃないか」

「そう、舞風からは聞いています」

 当主は大きく嘆息すると、じっと俺の目を見据えた。

「……あれはな、流鏑馬君。九尾の狐ってのは、本来的には厄災を齎すような存在じゃあ無いんだよ。そして本来的には君達の故郷に在るべき存在でもない。あれは奪われたものだ」

「奪われた?」

「そうだ、奪われたんだ。古くは鎌倉時代末期頃から、あれが不問会の管轄下にあったことが史料により判明している。江戸を守護する鎮守の存在として、あれは崇拝を受けていた。だが明治維新以後に民衆化した廃仏毀釈運動に不運にも巻き込まれる形であれを祀っていた御社が破壊されてしまってね、以降行方知れずとなっているのだ」

「逃げられた、ということですか」

「平たく言えばそうなるのかも知れん。だが、我々と九尾の狐との間には友好関係が築かれていたとされている。だからこそ不自然なのだ、あれを祀る祠が消失したとしても、再建されればそこに戻ってくるものと、そう思われていた」

「然し実際には九尾の狐が帰ってくることはないままであると」

「あぁ。よって不問会はその事態に対して、二つの可能性を想定した。一つはそれが九尾の狐の意思によるものであること。友好関係にあったとて、そもそも存在の格が異なるのだ、我々の道理が必ずしも通用するとも思えん。もう一つは、九尾の狐が何者かによって簒奪された、という可能性だ。あれはあまりにも絶対的な存在だ、神では無いながらも、神に近しい存在だ。故に誰かがそれを手中に収めたいと邪な願望を抱き、不敬にもそれを実行したとて不思議ではない。……そしてあれの失踪から百五十年ばかりが経った現在に至り、その消息が掴めた」

「私とらいせーの故郷に、あれはいたんですもの」

「そうだ。結論としては二番目に想定されていた可能性が正しかったというわけだ。であるからして、不問会当主の私から見れば、流鏑馬君、君は簒奪者の末裔という事になる」

「若しかしなくても滅茶苦茶敵じゃないですか⁉」

「らいせー、落ち着いて。殺そうと思えば幾らでも殺す機会が御当主にはあったのよ。けれど貴方はまだ生きているじゃないの」

「殺される危険があるところに平然と連れてくるんじゃないよ馬鹿者!」

「馬鹿者? 馬鹿者ですって?」

「あぁ馬鹿者だよ御前さんは。事前に説明くらいはしておくべきだろ!」

「ちゃんと話したら素直についてきたのかしら? 貴方の手足を縛らないで、私はちゃんと貴方をここへ連れてこれたのかしら?」

「知るか、そんなこと」

 今更ながらに身の危険を感じて、ぞっと鳥肌が立つ。

「はは、若者は元気で宜しい。だがな流鏑馬君、舞風君の言った通りだ。私は何時だって君を殺そうと思えば殺せた。だが現実として君を殺さないという選択をし続けている。それは何故か、わかるかね」

「……何かに使えるからとか、そんな感じじゃないですかね」

「実に結構。そう、不問会からして、君には利用価値がある。実に有意義な利用価値が。舞風君、彼にあのことは伝えてあるのかね?」

「いえ、未だ話せていません。そもそも彼と接触できたのも昨晩の事なんです。色々と最低限のことは伝えたつもりですけれど、御存じの通り彼には記憶がありませんし実感も無いでしょうから、一度に全部を理解できるとは思えませんでしたので」

「そうか、それも正しい判断だ。彼が何を以て君の話を信ずるつもりになったのかは敢えて聞かないが、何れにしても不問会としては、彼に手を貸して貰わなければならぬ」

「えぇ。私としても、不問会には御助力を願いたいものです」

「で、あるならば舞風君。私は彼により一層の実感と、より一層の当事者意識を持って貰いたいものだよ。……あれを試したいと思うのだが」

「問題有りません。万が一の場合は、私がどうにかしますので」

「そうか、それならば少し待っていてくれたまえ」

 当主はそう言うと何か探し物を取りに行くようで部屋を後にした。

 残された俺は、隣に座っている舞風を小突きながら尋ねる。

「おい舞風。何がどうなってる? 俺はモルモットになるために一緒に来たわけじゃないぞ。亡者がどんなものかを見ればいいって言うからついてきたんだ」

「いいから、素直に従っておきなさい。実際問題東京で亡者を祓うってことになれば不問会と友好関係にある方が何かと都合がいいのよ。それに私達の目的と不問会の目的とは、少なくとも九尾の狐の居場所を特定する、という時点までは共通している」

「だがな、舞風。あの爺様曰く、俺は不問会の仇の末裔ってことらしい。最低限価値がある間は生かされておいて、用済みになったら殺される、なんてのは大いに有り得ると思うんだが」

「でもそれで言ったら私だって、広義では簒奪者の末裔よ。大丈夫、見ての通り、私それなりに戦えるのよ? 少なくとも貴方を守ってあげられるくらいには」

「確かに出るとこ出てスタイルは抜群だけれど、とても武闘家には見えないんだが……」

「……褒めてるの? それともセクハラがしたかっただけ?」

「違う違うよ。俺はただ、女の子に守ってあげるよなんて言われても、そう容易く信じられないってだけだ」

「ふん、あらそ。信じられないのならすぐにでも証明してあげたいけれど、御当主様がお戻りになられたわね。また近い内に」

「待たせて申し訳ないな。これを取りに行っておってな」

 当主が持ってきたものは小さい木箱で、ぐるぐると幾重にも鎖が巻かれていた。

「……見るからに禍々しいんですが」

「君にはそう見えるか。だがな、禍々しさと神聖さとは紙一重だ、捉え方の相違と言ってもいいかもしれん」

「それで、この中には何が入っているんですか?」な

「―――九尾の狐の、体毛だ」

 当主はじゃらじゃらと鎖を解きながら、噛み締めるようにして続けた。

「御社が倒壊した現場に唯一残されていたあれの痕跡だ。私の予想では君に反応が出ると思うんだが」

「別にアナフィラキシーショックなんか無いと思いますよ、犬アレルギーでもなさそうなので」

「アレルギー反応か、中々に秀逸な例えだな」

 蓋が開かれる。白い布が敷き詰められた中に、微かに金色に輝く体毛のようなものが見えた。

「ただの狐の毛、ってことはないんですかね」

「そう思うのなら触れてみるがいい。だがくれぐれも失くしてくれるなよ」

 言われて、ゆっくりと手を伸ばす。

 触れた瞬間、時間が、止まった。

 少なくともその瞬間が酷く冷たいもののように思われた。

「あなたは、だれ」

 背後から、知らない女の声がした。


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