表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

第二章―彼女の言葉には霧がかかっている。―

 大変な事態になった。

 酒と煙草と友人とさえあれば世は事も無し、それを信条として生きてきた俺だったが、はてさてどうしたことか、厄介ごとを腹の中に抱えることになった。

 まずは無理やりに引っ越しをさせられたこと。

 波止場舞風と出会った翌朝、目を覚ましてみると何故か部屋から物が消えていた。

 ソファーだったり本棚だったりそれまでそこにあったものが忽然と姿を消していたのである。

 状況がわからずに茫然としているとインターホンが鳴り、どかどかと引っ越し屋の業者が部屋に入ってきて、その後から彼女、波止場舞風も姿を見せたのであった。

「あ、やっと起きたのね。そのベッドも運ぶから早くどいて頂戴」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ。何が起きてるんだ?」

「見ての通り、引っ越しよ。あ、このベッドはそのまま運んじゃって大丈夫です」

「おいおい引っ越しって、何処に」

「決まってるでしょ、そんなの。私のとこよ」

 そう告げられたのが、早数時間前。

 またしても引きずられるようにして連れていかれたのは彼女の家らしい立派な一軒家だった。

「実際問題一緒に暮らしている方が都合がいいのよね。貴方は目を離すとすぐにサボる悪い癖が昔からあるし、そもそも逃げ出されても困るし。あ、家事は分担だからね」

「……ここまで唖然とし過ぎて無抵抗だった俺にも問題はあるんだけどさ、なにこれ」

「何か変なことしてるかしら?」

「してるよ! 十分に!」

 きょとんと小首を傾げた彼女を前に、大きく溜息をついて頭を抱えているのが、現在。

「どうしてこうなったんだ……」

 憂さ晴らしに煙草でも吸おうとしたら、室内禁煙とベランダへ追い出された。

 そもそも昨晩、俺に東京を祓わせるだのという世迷言を言うや否や、彼女はどこかへ姿を消したのである。連絡先を聞くのさえ忘れていた俺は妙なことになってしまったと頭を悩ませながら、家に残っていた酒を飲みながら何か考え事をしていた気もするが、もう覚えていない。

 次に目が覚めると、これだ。

 日はとうに昇り、それどころか西へ西へと急いでいるようにも見えた。

「……あ、四限だった」

 慌てて時刻を確認すると既に午後二時半を過ぎている。ここが何処だかよくわかっていないが、どう見積もっても間に合いそうもない。諦めて煙草を吹かしていると、取り敢えず荷物を全て運び終えたらしい波止場舞風がこつこつとベランダの窓を叩いて、中に戻るように促してきた。

「大丈夫大丈夫、別に家賃払ってとか言わないから。らいせーが住んでたとこの大家さんには違約金も払ってあるし、お金のことは万事心配しないでね」

「俺は君の行動力が怖いよ……」

「あ、そうそう、言おうと思っていたんだけれど、何時まで君って呼び続ける気なのかしら。何だか他人行儀で嫌なのよね、それ」

「他人行儀って、そりゃあだって仕方が無いじゃないか。俺は昨日君と出会うまで、君の事を知りもしなかったわけだし、君から色々話を聞いて尚、俺の過去の中に君はいないわけだし。寧ろ急に親しげにしたら薄気味悪くないかね、お互いに」

「貴方の過去の中に私はいたわよ、ずっと。ただ貴方が思い出せないだけ。思い出せないからと言って何もかもが虚ろになってしまうなんて、そんな馬鹿げたことを言うつもりも無いんでしょう?」

「まぁ、そりゃあね。知らないことは存在しない、なんて極論を言うつもりはないよ」

「だったらいいじゃない、親しげになったって。というか、元々は大の仲良しだったのよ。小さい頃は結婚しましょ、なんて約束もしていたくらいなのだし」

「俺が憶えていないのをいいことにあることないこと言ってたら許さんぞ」

「……まぁ、結婚しましょって言いだしたのは私だったかもしれないわね」

 何だか呆れてしまって何も言わずに黙っていると、でもでも、と慌てた様子で彼女は弁明を始めた。

「いいじゃないの! こんなに見目麗しい幼馴染が、貴方を探して態々会いに来てるのよ⁉ 普通の男の子なら泣いて喜ぶはずなのに、全く、貴方って贅沢なのね」

「弁明するのかと思ったら逆ギレしてくるのか、ちょっと予想外」

 そう言うと彼女は少しばかり寂しそうに笑いながら、ぐにぐにと手の指を弄んだ。

「……あんまり意地悪しないで。でも本当に、私はずっと貴方に会いたかったのよ。五年前に貴方がいなくなってしまってから、ずっと機会を窺っていたんだから」

 こういう時、なんと声を掛けてやるべきなのか、俺にはわからなかった。

 欠けてしまった記憶が、若しも仮に取り戻せたのならば、俺は彼女を、波止場舞風を本当の意味で受け入れられるのだろうか。

 ずるずるとなし崩し的に始まってしまった彼女との爛れた関係が、元来あるべき姿に戻り、そこからまた、始めることが出来るのだろうか。

 ……なんて、似つかわしくも無いセンチメンタルに自己陶酔しながら、俺は彼女を見ていた。

「有難いことだとは思ってるよ、実際な。ただ急に同意なく引っ越しさせられたのには不平を言わせて貰うけれど、でも寧ろそれの御蔭で御前さんの本気度がわかったというか」

「……御前さん?」

「あ、いや、えっと……波止場、さん」

 慌てて訂正すると、彼女はぷくりとあざとく頬を膨らませた。

「舞風」

「いや流石にそれは……」

「舞風って呼びなさい」

「……わーったよ」

「舞風。ほら復唱」

「……舞風」

「宜しい」

 付き合いたての馬鹿カップルみたいな言葉のやり取りに恥ずかしくて腹を切りたくなったが、呼び方を変えるだけで彼女の機嫌が採れるのなら、それはそれでいい。

 事実として彼女の行動力には目を見張るものがある。下手に抵抗すれば、今度は何をされるか、わかったものではない。

「恐怖政治だ……」

「何か言ったかしら?」

 ぼそりと聞こえないように漏らしたつもりでも、彼女の耳にはしっかりと届いてしまっていた。恐怖政治か、はたまた尻に敷かれつつあるのか。どちらにせよ、当面の間俺に主導権が無いことは明白だった。

「さて、荷物の搬入も粗方終わったところだし、昨晩の続きと行きましょうか」

 そう言うと舞風は、側に置かれていた段ボール箱の中をがさごそと漁りはじめた。

 手持無沙汰になった俺は、ぐるりと部屋を見渡して、はたと思い当たる。

「というか今更気が付いたんだが、舞風、君の家にはほとんど物が無いじゃないか。物が無いというよりか、荷解きをしていないだけにも見えるけれど」

「あらご明察。実は私もつい最近越してきたばかりなのよね。前の借家よりもこちらの方が、大学にも、それに仕事場にも近いの」

「職場に近いって、何だ、普通の大学生みたいにアルバイトでもしているのか」

「……貴方が私をどういう目で見ているのか、何となくわかってきた気がするわね。まぁ確かにバイトはしているけれど、でもそれこそ普通の大学生がしているような塾講師とかファミレスの店員とか、そういったものじゃないわ」

「へぇ、それじゃ巷で噂の闇バイトでもしているのかね」

「……ま、強ち間違ってはいないかしら」

 冗談で言ったつもりだったが、舞風は事も無さげにそう応じた。

「おいおい、法に触れるようなことはしてないだろうな」

「当たり前でしょ、そんなの。あのね、貴方は忘れていると思うけど私たちの故郷だって立派に日本国憲法が適用されている場所だし、司法権も及んでいるの。田舎者で法を知らないだなんて思ってるなら勘違いも甚だしいわ」

「そこまで言ってないだろ……」

「でも闇バイトって表現は中らずと雖も遠からずって感じかしら。私は、私が持っている個性を存分に活かした仕事を請け負って、その対価として報酬を得ているだけ。ちょっぴり世間とずれがあるだけで、何もおかしなことはしてないもの」

「へぇ……」

「へぇって、恰も他人事のような呆けた顔をして聞いているけれど、これからは貴方も一緒に働くのよ? それこそ昨晩伝えた禊の件と大いに関係しているから」

「そうそう、それだよ思い出した。結局昨日は大まかな方向性として俺に東京を祓え、だなんて訳の分からないことを言ってから君は姿をくらましたけど、舞風が狐っ娘であることがどんな枷となっているのかってこととか、未知のことだらけのままなんだ」

「承知してるわよ、勿論。それをちゃんと話してあげるために、これを探してたんじゃない」

 そう言って彼女は、段ボール箱の中から一冊のキャンパスノートを取り出した。

 表紙には某重大事件調査報告書と仰々しく題が付されていて、あちこちのページに色とりどりの付箋が張られていた。

「らいせー、貴方の御家が代々名も無き神社の神主を務めてきたってことは、昨日話したわよね? その神社に祀られているのは九尾の狐で、あれは神では無いけれど神にも似た存在なの。では、何故そもそも九尾の狐なんかが祀られていたのか、気にならない?」

「そりゃ気になるよ、俺の生家のことらしいしな。ちょっと調べただけだけど確か、狐信仰って舶来の物なんだろ? もとは豊穣の神様として崇拝されていたとか」

「よく知ってるわね、まさしくその通り。所謂お稲荷様みたいな神格はそれに該当するわね」

「その言い草だと、例の九尾の狐はそれには当たらないってことか」

「えぇ。でもそれを説明する前に、この世界について話しておかないと」

「えらいスケールがでかくなってきたな……」

「大事なことだもの、ちゃんと理解して頂戴。そうそう、こんなこともあろうかとホワイトボードを買っておいたのよね、ちょっと持ってきて貰える?」

 舞風が顎で示した先には布が掛けられたホワイトボードが置かれていて、俺はからからとそれを引きずって、彼女の前へ連れてきた。

「まずね、らいせー。この世界は私達の言葉だと現世、それに対して死後の世界、所謂あの世って呼ばれる世界を、幽界と呼ぶの」

 そう言って彼女はぐるりと大きな二つの円をホワイトボードに描いてから、両者の交わる箇所をとんとんと指先で叩いた。

「現世と幽界とが交わる箇所、ここは忌むべき場所だから敢えて名前は付けられてないの。見てわかる通りそこは生きているものと死んでいるものとが共に存在する場所。けれどお互いにお互いの存在を認められないから、っていうのはつまり、生と死というものが根本的に二項対立として存在しているから、両者が鬩ぎあっているのよ」

「鬩ぎあっているってのは、簡単に言えばバチバチに揉めているってことか?」

「簡単に言えば、ね。要するにね、陣取り合戦なのよ。私達生者の側は亡者が現世に侵食してくるのを防ぎたい。対して亡者の側としては、暗くじめじめとした幽界から逃げ出したい。ね、平行線でしょ、こんなの」

「理屈自体は通ってるな、とはいえ実感は全く無いが」

「逆に普通に生きていながら幽界の存在を知覚したり亡者と遭遇する方が稀だし、難しいのよ。基本的に亡者は不可視だし、生を帯びた存在は幽界へは近づけない。反対は可能なのにね」

「つまり現世側は構造的に不利、ハンデを負っているってことになるわけか」

「えぇ。そして亡者は染み出すようにして現世に現れて災厄を齎す。例えるなら、そうね、アスファルトの間から次から次へと雑草が生えてきてしまうような、そんな感じかしら」

「……それじゃあキリがなくないか? 除草剤を撒いたって生えてくるような奴らだぞ」

「あら、良い例えをするわね。そう、除草剤。言葉は悪いかもしれないけれど、祓うっていうのは、生えてきた雑草に除草剤を撒いて駆除することに近いと思うわ」

 舞風は二つの円の重なり合う所を赤いペンでぐりぐりと塗りつぶしながら、言葉を継いだ。

「従って亡者は何処にでも出現し得るし、その都度対処が必要になるの。特に人間が集まる場所は生の気配が強いからね、猶更集まって来ちゃうのよ。東京なんか亡者の温床よ、そこら中に溢れてる」

「そう聞くとぞっとしないな……」

「けれどそれだってここ、名も無き場所に比べたら大したことは無いわ。そこは最も現世と幽界とが接近している場所で、亡者の出現数も尋常じゃなければ、霊的にも極めて不安定。そう、勘がいい貴方なら気が付いているかも知れないけれど、私たちの故郷はまさにこうした名も無き場所の一つだった」

「何となく嫌な予感はしてたし、文脈からしてそういうオチだろうなとは思った」

 赤く染まった場所に視線を投げながら、であるなら、と考えを巡らせた。

「そんな不安定な場所で態々九尾の狐さんを祀るってことは、九尾の狐には何らかの抑制効果があるって、そういう認識で良いんだろうか」

「多分、それで間違って無いと思う。……ごめんなさい、何もかも確証が無くて。でもね、九尾の狐に関しては例の事件が起こる以前から触れてはならないものだったのよ、あそこでは」

「禁忌って奴か」

「うん。私の身体の一部が狐化しているのだってそれと深い関係があるんだわ、きっと。けどそれによって得た恩恵というか、個性みたいなものもあるのよ」

「だけどさ舞風、君は昨日その状態を課せられたものって表現を使ったんだ。その言い回しにポジティブな意味は含まれていないと思うんだけど」

「そうね、確かにこれは課せられたものだわ。ポジティブな意味じゃなく、明らかにネガティブな意味合いで私はそう言ったわ」

「何れにしても、その課せられたものってのが恩恵だったり個性だったり、或いは義務めいたものなのかも知れないけれど、それはどんなものなんだ?」

 そう問いかけると、舞風は小さく息を吸ってから、意を決したように宣言した。

「私ね、視えるの、亡者が。んーん、私だけじゃない。故郷にいた人達は皆視えるの」

「……ほう?」

「視えてしまうから、私達は亡者と戦える。いいえ、戦わなければならないんだわ。それこそが課せられたもの、視えて仕舞うが故に戦わなければならないというその定めこそが、課せられた義務なのよ」

「……頭が追い付いていないような気もするが、纏めると、だ。故郷には九尾の狐が祀られていて、そこに暮らす君達には何故か亡者が視えて仕舞い、更には身体の一部が狐化するという不思議な状態が発生していて、どうやら両者には何らかの因果関係があるらしいけれど、禁忌ということで詳しいことはわからない、と」

「……貴方、要点を掴むのが上手ね」

「お褒めに与り光栄だよ姫君。ところで、俺もその故郷の出身らしいけれど、生憎と亡者らしきものを見たことは無いんだよな。これは何故だと思う?」

「思い当たるのは例の事件への関与くらいだけれど、それだったら私も当事者だし……」

「それを知るためにもやっぱり一度事件現場へ行ってみなければならないってことか」

「そうね、そうなってしまうわね」

「そしてそこへ行くためには俺が穢れを洗い流さないといけないと、そういうことになるのか」

「えぇ。けれど穢れを雪ぐ手段というのははっきりしているのよ」

「……闇バイトの手伝いをしろと?」

「ふふ、その通りだわね。闇バイトって言うと聞こえが非常に悪いけれど、要するに染み出した亡者を祓うだけでいいの」

「祓うだけでいいって、おいおい、俺は神官でもなければお祓いの作法すら知らないぞ」

「大丈夫よ、そう早合点しないで頂戴。いきなりやれっていうのも無理があるから、少しずつ段階を踏んで、ね」

「……出来るもんかね、普通の大学生に」

「安心して頂戴、貴方は普通ではないから」

 舞風は楽しげに笑うと、優しく俺の手を握った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ