キリスト教の街宣車
スーパー帰りの交差点。
拡声器を使った車がこちらに向かってくる。
どこの右翼団体だ?と思ったらキリスト云々言っている。
キリストが我々の罪を肩代わりしてくれただの、
キリスト教を信じなければ、天国には行けず、地獄に落ちるだの。
イエスは罪深きお前らの罪を肩代わりしてやったんだから、信じろって、他人を勝手に罪人と決めつけるアンタの罪はどうなんだ?(罪人であることを自覚しているアンタは、人類がみな自分と同じ罪人に見えるのかもしれないが)
キリストを信じれば罪が免除されるって、罪を犯したのならちゃんと対象に向き合って謝れ。そもそも自らの罪を誰かに帳消しにしてもらおうなんて、どんな歪んだ根性してるの?
キリスト教は、キリストの生前には存在しない。
死後に弟子たちが勝手に彼を神格化し、造り出した宗教でしかない。
弟子の数だけ解釈も変わり、分派に分派を重ね、誰が正統かと未だに争い続けている。そんな君らの姿をキリスト本人が見たら、いったいどう考えるもんかね?
そもそも「原罪」という考え方自体が、罪の捏造に他ならない。
個々人の罪悪感につけこみ、洗脳を施すためには「罪の設定」が必要となってくるわけだが、罪のない善良なひとびとにすら「無理やり罪を背負わせる」ために生みだしたのが原罪理論である、と私は考えている。
こどもに「お前は不出来だ」といい、劣等感を植え付け、自分では物事をまともに判断できない人間へと洗脳する毒親のそれと非常に似たことを、街宣車まで使って、自己陶酔的な声で述べているオッサンに出くわし、不愉快になった夜。
別にどの宗教でも「教え」自体には聞くべきところもある。
不愉快なのは、その教えを使い、自分が権威の代行者にでもなったみたいに偉そうに、他人の理論を述べているだけの腹話術人形たちの存在である。何かを語るなら、自分自身の名前で語れ。