天翔ける悪役令嬢と死の接吻
『私、ブライアン・ハイランドは、マルガリア・フォン・アンベルクとの婚約を破棄する!』
画面の中では美丈夫が婚約破棄を叫んでいる。
それに続いてマルガリア嬢の罪の数々を並べ立てる。最初は同級生のコーンウォール男爵令嬢への虐めの数々だったが、最後は王国に対する謀反という壮大な話になった。
「何を観ているんですか?」
副長のヴァネッサ・ヘルネが隣から俺のコンソールを覗き込んできた。
「王国の宣伝放送だよ。しかし内容に一貫性がないな。最初は子供同士の虐めの話だったのに、最後は謀反ときた。帝国は王国の属国じゃないんだから謀反なんて起こしようがないんだが……こんなのが王太子って、王国は本当に大丈夫なのか?」
「艦長が心配することではないでしょう」
「王国じゃなくて姫様の心配をしているんだよ。この王太子がトチ狂って帝国の姫様に手を出さないとは限らないだろう」
「さすがにそこまでのバカではないのでは」
「バカじゃなかったら、この政略結婚の意味を理解できないはずはないんだがね」
「いくら王太子といえど、独断で軍は動かせないでしょう」
「あれ、知らないの? ゴードン国王は急病で入院して、今は王太子が摂政を務めているんだ」
「それってつまり……」
「うん、今は王太子が代理で王命を出せるんだよ」
「……さすがに周囲がお諌めするのでは?」
「じゃあなんで婚約破棄なんて暴挙をしたんだ」
「……」
「我々は軍人だからな。最悪の事態を想定して、それに備えるしかない」
俺がそう言ったせいじゃないだろうが、船務長が最悪の報告を上げてきた。
「〈ブリュンヒルデ〉を捕捉、王国の軍艦の追跡を受けています!」
ハイランド王国とアンベルク帝国の仲は、昔からそれほど良くはなかった。そこで両国の緊張緩和のためにハイランド王国のブライアン王太子とアンベルク帝国のマルガリア第一皇女の政略結婚が決まり、マルガリア皇女がハイランド王国の王立学院へ留学した。ブライアン王太子の同級生となって、関係を深めるはずだった。
ところがアホ王太子は婚約者を放置して、国内の貴族令嬢に入れ込んだらしい。そして学院の卒業式のサプライズで、婚約破棄を宣言した。
そこでマルガリア皇女は政府専用船の〈ブリュンヒルデ〉でハイランド王国を脱出し、アンベルク帝国へ帰国することになった。俺たちの乗る帝国海軍高速巡洋艦〈ロスバッハ〉は〈ブリュンヒルデ〉が公海に出たところで護衛に就くことになった。
そして王国の領海のギリギリ外側で〈ブリュンヒルデ〉を待っていたら、王国の軍艦が姫様のケツをつけてきたというわけだ。
「〈ブリュンヒルデ〉と王国軍艦は交戦状態にあるのか?」
「いいえ、追跡されているだけです」
「まだ照準レーダーは照射するなよ。牽引ビームを準備しろ。目標は〈ブリュンヒルデ〉」
コンソールで状況を確認する。〈ブリュンヒルデ〉を追跡しているのは王国宇宙軍のランカスター級駆逐艦二隻だ。まともに撃ち合えば巡洋艦に勝てる相手ではない。〈ロスバッハ〉の姿を見て引き返してくれればいいのだが。
「王国軍駆逐艦、発砲! 標的は〈ブリュンヒルデ〉!」
とうとう一線を越えたか。コンソールで確認したが、〈ブリュンヒルデ〉はまだ王国の領海内だ。
「牽引ビームを照射、〈ブリュンヒルデ〉を公海まで引っ張り出せ」
「艦長、攻撃許可を!」
そう言ったのは砲雷長だが、艦橋にいる全員が目線で同じことを訴えている。
「〈ブリュンヒルデ〉を本艦の防御力場に引っ張り込むのが先だ」
駆逐艦は艦砲が〈ロスバッハ〉に当たりそうになる直前で攻撃を止めた。
〈ロスバッハ〉は〈ブリュンヒルデ〉を自身の防御力場の中に引き込むと、人工重力場を展開して最大加速度で離脱した。二隻の王国駆逐艦は領海を出ることなく、Uターンして引き返した。
「何なのだ! 貴官の指揮は?」
〈ブリュンヒルデ〉から移乗したマルガリア皇女は俺を罵倒する。
「妾の船が撃たれているのに、一発も撃ち返さず逃げるとは!?」
「小官には交戦許可は与えられていません。殿下の護衛が小官と〈ロスバッハ〉の任務です」
「妾が撃ち殺されてもよかったというのか?」
「小官の独断で王国との戦争を始めるわけにはいきません」
「妾の命より命令が大事か?」
「帝国の命運の方が大事であります」
ゴホンとヴァネッサが咳払いをする。
「殿下、王国の駆逐艦が本気なら、〈ブリュンヒルデ〉は第一射で撃沈していました」
「なっ!」
「王国は帝国が引き金を引いたという事実を作りたいのです」
「……では婚約破棄もそのためだというのか?」
「そう考えても矛盾はありませんが、そこまではわかりません。私たちは一介の軍艦乗りの軍人ですから」
「だ、だが先に引き金を引いたのは王国ではないか!」
「不審船に対する警告射撃ということで済ませるつもりだったのでしょう。〈ロスバッハ〉には当てないようにしていましたし、領海の外には出てきませんでした」
「そんな屁理屈が国際社会で通用するものか!」
「おそらく国内向けのプロパガンダでしょう。つい先日、王国では政変があったばかりですし」
ヴァネッサにそう言われて、皇女はようやく静かになった。しかしヴァネッサのアドリブ力は凄い。ついさっきまで王国の政変なんて知らなかったくせに。
俺は〈ブリュンヒルデ〉の船長に問いかけた。
「船長、〈ブリュンヒルデ〉の航行に問題はありませんか?」
政府専用船(実質的には皇族専用船)の〈ブリュンヒルデ〉は帝国海軍の所属で、船長は俺より年齢も階級も上の軍人だ。だが〈ロスバッハ〉艦内なので艦長という俺の地位に敬意を払ってくれた。
「被弾していませんし問題ありません」
「本艦の重力エンジンを使って重力カタパルトで〈ブリュンヒルデ〉を本国に向けて打ち出すのは可能ですか?」
「得られる速度次第ですな。問題となるのは減速が間に合うかどうかですが、燃料は十分残っているのでまず問題ないでしょう。それより重力カタパルトを使う恩恵が十分にあるのかが問題でしょう」
「双方の航海長同士で検討させた方が良さそうですね」
「ぜひそうすべきですな」
俺たちは部下の航海長たちに指示を出した。
航海長たちがコンソールを見ながら検討を始めた傍らで、皇女殿下は艦橋の中を見回していた。
「この艦の乗組員はずいぶん若いのう。そなたは何歳じゃ?」
「二十八です」
「階級は?」
「大尉です」
「巡洋艦の艦長は大佐を充てるのが通常じゃな。艦長の年齢は任命時は五十歳前後が普通じゃ」
「ずいぶんお詳しいですね」
「妾は帝国海軍元帥じゃぞ」
マルガリア殿下は十八とは思えないぺたんこな胸を反らして威張った。
「存じております」
皇室の統帥権を確立するため、皇族は帝国軍の将官の階級を得ている。マルガリア皇女の場合は帝国海軍元帥だが、もちろん形式的なものだ。
「なぜこの艦の乗組員は若いのだ?」
今乗っている人間で一番若いのは皇女本人なのだが。
「……人事局にお問い合わせください」
「つまらんやつじゃ。ところで妾の部屋はどこじゃ?」
俺は氷点下の視線を殿下に向けるが、肝心の殿下は気づかない。見かねたのか、船長が発言した。
「〈ブリュンヒルデ〉より〈ロスバッハ〉に乗艦された方が、殿下は安全でしょう」
年齢も階級も上の人間に正論を言われたら、従うしかない。
「ヘルネ副長、君の部屋に殿下を案内してくれ」
「私のですか!?」
「乗員で個室が与えられているのは自分と君だけだ。男と相部屋というわけにはいかない」
ヴァネッサは嫌そうな表情を隠さなかったが、それはマルガリア殿下も同じだったようだ。
「この生意気な巨乳女と同室じゃと!」
ヴァネッサのは平均以上だが『巨』というほどではないと思う。どうやら殿下はコンプレックスを抱えているようだ。
「本艦は御召艦ではありません。ご不満なら営倉をご用意するしかありません」
「……妾は寛大じゃ」
ヴァネッサを自分の替わりに営倉に入れろと言わないだけマシか。
「殿下、ご案内します」
ヴァネッサはそう言い殿下の案内を始めたが、俺の方を一瞬振り向き、舌を出して見せた。
艦橋に戻ってきたヴァネッサは機嫌が悪かった。
「副長、勤務時間ではないのだから休みたまえ」
軍艦の乗員は通常は三交代制だ。だが艦長と副長は合計二人しかいないので二交代制だ。責任は重く勤務はきつい。割に合わない職務だ。
「皇女殿下のお相手は休まりません。さっさとカタパルトで打ち出してください」
「航海長に検討させたが、大して日程の短縮にならないから止めることになった」
「全く短縮しないよりマシだと思いますが」
「カタパルトで打ち出したら護衛艦のやり繰りがつかない。それならこのまま〈ロスバッハ〉で護衛した方が良いということになった」
重力カタパルトを使えば〈ブリュンヒルデ〉を加速することはできるが、〈ロスバッハ〉は逆に減速する。後から追いかけても〈ロスバッハ〉が〈ブリュンヒルデ〉に追いつくことはできなくなる。
「俺じゃなくて艦隊司令部の判断だ。文句ならマンシュタイン長官に言ってくれ」
非軍用船の〈ブリュンヒルデ〉は速度と燃費のバランスがとれた経済速度しか出せない。なので燃費を無視した戦闘速度が出せる〈ロスバッハ〉で〈ブリュンヒルデ〉を曳航した状態で航行を続けている。どこかで燃料補給を受けなければならないが、それは艦隊司令部が考えて決めることで、〈ロスバッハ〉の指揮権しか持たない艦長の俺が今考えても仕方がない。
「私の労働環境の文句は誰に言えばよいのですか?」
「王国軍に言ってくれ。殿下のお相手は気が休まらないとは思うが、艦橋にいる方がマシなのか?」
「殿下は王国のプロパガンダ放送を観て荒れるんです。『妾は悪役令嬢か!』って叫ぶんです」
「『悪役令嬢』?」
「王国で流行っている恋愛物語の定番だそうです。王子と平民の女が『真実の愛』に目覚めて、王子の婚約者の貴族の令嬢を断罪するストーリーだとか」
「なんだ、そりゃ? 王国はいつから王家がお飾りの民主国家になったんだ? 王子が平民と恋愛結婚できるわけがないし、悪いのは婚約をないがしろにした王子の方じゃないか。王侯貴族のことを何も知らない自由恋愛至上主義の平民の妄想か?」
「たぶんそうじゃないですか。殿下も同じことを言ってましたから」
「平民はともかく、王太子まで便乗するとは……王国は何を考えているんだ?」
「最新の流行は『白い結婚』だそうです。結婚式の後の初夜で、新郎が『おまえを愛することはない!』と新婦に言い放って夫婦の務めを放棄するのだとか」
「……ひょっとして『真実の愛』の相手の愛人とだけ励むというストーリーなのか?」
「殿下によるとそうらしいです。『白い結婚よりはマシじゃった』と言ってました」
ブーブー言っているが、ヴァネッサはちゃんと殿下とコミュニケーションがとれているようだ。
「世継ぎを作るのも王侯貴族の大切な務めなんだが、嫡子をボイコットして庶子だけなんて許されるわけないだろう」
「艦長は貴族ですから、さすがに詳しいですね」
「爵位しか財産がない貧乏貴族だがな」
帝国海軍は実力主義だ。人事に爵位は全く考慮されない。自分が貴族であることを公表していない軍人も少なくない。
「それに家は弟が継ぐことになっているから、弟が継いだら俺は平民落ちだ」
「なぜ艦長が継がないんです?」
「継いだら軍を退役しないといけない。俺の家の家計は俺の給料で支えているんだ」
『搾取子とは、そなたも存外苦労しているようだのう』
コンソールから呼びかけられて、俺はびっくりした。情報共有のため、艦長席のコンソールと副長の個室のコンソールの間にはチャンネルが設けられていることを、遅まきながら思い出した。
「盗み聞きとは、殿下も良い趣味をお持ちのようで」
『きちんとコンソールにロックを掛けていない方が悪いとは思わんか』
「道義的には同意できませんが、軍務的には仰るとおりです」
ヴァネッサの方を見ると、テヘペロをしていた。それが許されるのは十代までだ。アラサー女がすることじゃない。
『条件をつけるのかえ』
「殿下がご自身を善悪の区別がつかない子供だとお認めになるのなら、全面的に同意いたします」
『そなたのようにズケズケと物言う者は初めてじゃ』
「諫言を捧げる者を側に置かれた方がよろしいかと」
『それも諫言のつもりか? 考えておこう』
おや、意外と素直なところもあるようだ。
『そう言えば、そなたの名前をまだ聞いてなかったの』
「オスカー・フォン・ハウゼンです」
『ハウゼン? 建国の十二家のハウゼン伯爵家か?』
気づかれたか。ハウゼンという姓は珍しくないんだがな。
「そうであります」
「名門じゃないですか!」
ヴァネッサが驚きの声をあげる。
『なんじゃ、知らなかったのか』
「軍内では爵位の話はしないのが普通ですから」
『そう言えば帝国海軍は実力主義じゃったの』
家門で階級を得ているのは殿下だけです。
「名門だったのは昔の話です。今は財産もなく、貴族としての見栄を張ることもできません」
『金、金、金の御時世とは、世知辛いのう』
帝国で一番の金持ち一家の一員には言われたくないです。
『もう一度訊くが、なぜそなたが艦長を務めているのだ? さすがに妾でもおかしいと気づくぞ。本当に人事局に問い合わせてもよいのだぞ』
自分についている護衛の質が気になるのは当然か。俺は観念して答えた。
〈ロスバッハ〉は建造されてから三十年近く経っている。軍艦としては老嬢だ。何度か近代化改修を受けているが、老朽化の進行に伴い改修費用が高くなってきて、遂に艦を新造した方が安上がりになってしまった。そのため解体処分にするか練習艦に転用するかが検討されていた。
そんな〈ロスバッハ〉の運命が変わったきっかけは、クルーガー重工業による新型重力エンジンの開発だった。新型エンジンの試験台に〈ロスバッハ〉が選ばれたのだ。万一事故が発生しても惜しくない艦として〈ロスバッハ〉が選ばれた。だがまさか本当に事故が起こるとは、誰も思っていなかった。
事故により全乗組員の命が失われたが、〈ロスバッハ〉は無傷だった。新型エンジンは特定の条件下で人体のみに有害な放射線のようなもの(物理学には詳しくないので俺には理解できなかった)を放射するらしい。そうならないようにエンジンは制御されていたはずだが、制御プログラムに欠陥があって有害放射線モドキが艦内にばら撒かれる事故が発生した。
プログラムは修正されて新型エンジンのテストが再開されたが、新しい乗組員は事故が発生しても惜しくない者たちが選ばれた。
『酷い話じゃのう』
初めて殿下が共感できる言葉を言ってくれた。
『そのような欠陥品に妾を乗せるとは!』
うん、ちょっと前の自分を叱ってやりたい。
「〈ブリュンヒルデ〉と合流できるのが、たまたま本艦だけだったのです。〈ブリュンヒルデ〉への移乗をご希望されますか?」
そう言ったらコンソールの画面の中の殿下は「ぐぬぬ」という台詞が聞こえてきそうな顔をした。王国の駆逐艦に追い回され撃たれた経験がトラウマになっているのかもしれない。少し酷な質問だったかもしれない。
だが現実は無情だ。王国は殿下に配慮などしない。
「王国軍の艦隊を捕捉、本艦へのランデヴー軌道を取っています!」
俺は船務長に怒鳴り返す。
「詳細を確認しろ!」
そしてヴァネッサに指示を出す。
「総員第一級戦闘配備、艦内に状況報せ」
ヴァネッサは指示通り艦内に状況をアナウンスする。その間に船務長から王国艦隊の情報がコンソールに送られてくる。
「単縦陣で十隻、先頭艦はキング・ゴードン級戦艦か」
編成から見て王国宇宙軍の第一戦隊か第二戦隊だ。確か第一戦隊は定期整備のため、ほとんどの艦がドック入りしているはずだ。
「王国宇宙軍の第二戦隊と思われます。交戦可能距離まであと三百分」
船務長が俺の推測を裏付けてくれた。
俺は殿下に呼びかける。
「殿下、〈ブリュンヒルデ〉に移乗するのなら、今が最後のチャンスです。万一の事態になったら本艦は戦闘機動をとるため、〈ブリュンヒルデ〉の曳航を続けられなくなります」
万一と言ったが、ほぼ確実にそうなるだろう。プロパガンダ放送でさんざん殿下を悪役令嬢に仕立て上げたのだ。まずは殿下の身柄引き渡しを要求し、拒んだらそれを口実に開戦するつもりだろう。
婚約破棄宣言があったときから、こうなることは艦隊司令部も予想していた。開戦を前提として帝国艦隊も動いていた。だが我々の増援に駆けつけられる友軍の艦はいない。宇宙はあまりにも広いのだ。
本当は〈ブリュンヒルデ〉を早々に放棄して戦闘機動で本国に逃げ込むのが最善だったのだが、宮内省と財務省が反対した。皇族専用船の〈ブリュンヒルデ〉は宮内省が所有する備品であり、帝国海軍が管理と運用を委託されているという形になっている。指揮系統の問題があるので帝国海軍の所属になっているが、所有権は宮内省のままという歪な体制が仇になった。また〈ブリュンヒルデ〉はコルベット艦程度の大きさしかないが、皇族が乗るのに相応しい船にするため軽巡洋艦並みの予算が注ぎ込まれている。財務省が反対した理由はこれだ。
ひょっとしたら王国宇宙軍はやって来ないかもしれないという宮内省と財務省の甘い見通しのツケを払わされるのは現場だ。俺たち軍人はまだいい。気の毒なのは殿下だ。
『そなたから気の毒と言われるとは思わなんだ』
コンソールにそう言われて、俺は戸惑った。
「途中から考えが口から漏れてましたよ」
ヴァネッサが横から教えてくれた。
『そなたの見立てでは、どちらに乗っていた方が助かる確率が高いかの?』
「五分五分ですな」
正確に言えば、どっちに乗っていても、ほぼ助からない。相手が巡洋艦と駆逐艦のみの少数艦隊だったら助かる可能性はあったんだが、〈ブリュンヒルデ〉を曳航していたから戦艦に追いつかれてしまった。
『では妾はこのまま〈ロスバッハ〉に座乗する。第二戦隊ということは、敵の旗艦は〈プリンス・ブライアン〉なのじゃろう。どうせなら旗艦が沈むところを見届けたい』
「名前がブライアンでも、王太子が座乗しているわけではありませんよ」
旗艦を沈められる可能性はほとんどないが、それを口にしてわざわざ士気を下げる必要はない。
『わかっておるわい。悪役令嬢としての、せめてもの意地じゃ』
予想通り王国艦隊から通信があった。内容は殿下の身柄の引き渡しの要求と予想通りだったが、王太子と愛人の男爵令嬢が出演していたのは予想外だった。
『わがハイランド王国は、犯罪者であるマルガリア・フォン・アンベルクの引き渡しを要求する!』
画面の中の美丈夫は、プロパガンダと変わらない高圧的な態度で要求を突きつけてきた。
「中身は悪そうですけど、表面は抜群に良いですね」
ヴァネッサがため息を吐きながら、見当違いな感想を漏らす。
「ナノマシンによる整形じゃよ」
艦橋に上がって来た殿下が衝撃のネタバラシをした。
「それ、帝国に輸入できませんかね」
ヴァネッサの言葉が冗談に聞こえない。
「脳に副作用があったらどうする気じゃ」
『俺を愚弄する気か!?』
うっかり忘れそうになったけど、これは双方向通信だった。
「王太子殿下、小官は〈ロスバッハ〉艦長のオスカー・フォン・ハウゼン大尉です。マルガリア・フォン・アンベルク皇女殿下は国際法によって貴国の国内法から保護されています。貴国の法律でマルガリア殿下を裁くことはできません」
『そのような詭弁が俺に通用すると思っているのか』
「詭弁ではありません。そちらの法務官にご確認ください」
王太子の視線が動いた。おおかた側近が書いたカンペでも読んでいるのだろう。
『えっ! 本当にダメなの?』
王太子は本当に驚いたらしく、思わず声に出していた。自分がやっていることが無理筋だと理解していなかったらしい。
「まさか王太子が座乗しているとは思いませんでした」
ヴァネッサがまた無駄口を叩く。
「妾もじゃ。あやつにこのような度胸があるとは思わなんだ」
「艦橋風の背景はCGによる合成ですよ。いくらなんでも軍艦に愛人は連れ込まないでしょう」
俺は二人の勘違いを正そうとしたのだが──
『酷い! 私のことを愛人だなんて!!』
──画面の向こうから想定外の抗議が飛んできた。
『貴様、メアリーを侮辱する気か!』
王太子と同乗している男爵令嬢のファーストネームはメアリーらしい。今初めて知った。
「殿下、貴国の法律では王族と婚姻できるのは他国の王族か伯爵家以上の貴族と定められています。そちらの令嬢ではご実家の爵位が足りず、愛妾にしかなれません。小官は事実を述べたに過ぎません」
なんで外国人の俺が王太子に王国の国内法の解説をせにゃならんのだ。誰が政変の黒幕かは知らないが、ここまでバカだと傀儡にしやすそうだな。
『殿下、そうなのですか? 私は愛人にしかなれないんですか!』
画面の向こうで勝手に修羅場が始まりそうだ。泳いでいた王太子の視線があさっての方向で定まった。またカンペを読んでいるようだ。
『えーっと、メアリーを高位貴族の養女にすれば妃にできるそうだ。そうだ、宰相のエジンバル侯に頼んでみよう。彼なら頼りになるし、メアリーのコーンウォール男爵家の寄親だ。嫌とは言わないだろう』
見るに耐えない茶番劇だが、殿下はここからひらめいたようだ。
「王国宰相のエジンバル侯爵は強行派でな。政略結婚を決めた穏健派の国王とは、外交政策で対立しておったのじゃ」
「では政変の黒幕は宰相でしょうか?」
「断定はできんが、その可能性は高そうじゃな」
この通信の内容はそのまま本国にも送信している。本国でも二人と同じ感想を持つだろう。
「しかし悪役令嬢というのは、やってみると存外に良いものじゃな。王子の理不尽な断罪を逆にはね返すざまぁ返しは痛快じゃ」
そのざまぁ返しとやらをやっているのは俺なんですけど。
「妾の場合はオスカーがやってくれるので、楽ちんじゃ」
いきなりファーストネーム呼びですか!?
「さすがは腐っても名門貴族ですね」
落ちぶれたけど、腐ってはねえぞ!
『これが最後通牒だ! マルガリアを引き渡せ。さもなくば戦争だ!!』
ああ、これでやっと話が先に進む。
「小官は事前に本国から指示を受けています。マルガリア殿下の御身を守るためなら開戦もやむなし。これが帝国政府の意志です。今の最後通牒は王国による宣戦布告と受け取りました」
『ふん、愚かな。こっちは新造の戦艦だぞ。アラサーババアの巡洋艦など一捻りだ』
その捨て台詞を残して、カンペ王太子は通信を切った。
「アラサーはババアですって!」
ヴァネッサさん、人間じゃなくて軍艦の話だから。
「艦橋より全艦に達す。王国は帝国に宣戦布告をした。本艦はこれより戦闘行動に入る。これは訓練ではない。繰り返す、これは訓練ではない」
俺に命じられる前にヴァネッサが全艦にアナウンスを流した。切り替え早っ!
「本艦は予定通りM作戦に従って交戦を行う」
M作戦とはついさっき本国から送信されてきた、マンシュタイン艦隊司令長官が直々に立案した作戦だ。帝国海軍最高の頭脳と謳われる人物が考えただけあって、うまく行けば殿下も〈ロスバッハ〉も助かる。その代わり失敗したら目も当てられない結末を迎える。
「副長、艦首ブロックの乗員の退避は?」
「すでに完了しています。艦首ブロックは無人です」
「機関長、制御プログラムのアップデートは?」
「すでに完了。KOD砲、いつでもいけます……バグが無ければ」
それなんだよなあ。バグが無ければ『行ける』んだが、あったら俺たちが『逝く』ことになる。
「トリガーを砲雷長へ移譲しろ」
「了解。トリガーを砲雷長のコンソールへ接続します」
「接続完了を確認」
砲雷長の声が震えている。無理もない。
『こちら〈ブリュンヒルデ〉、これより本船は独自に本国への帰還を目指します』
船長からの通信だ。〈ブリュンヒルデ〉は囮となって王国の軍艦の一部を引きつけようというのだ。
「航海の無事を祈ります」
無事なわけがないとわかっていても、そう言わざるを得ない。
『〈ロスバッハ〉こそご武運を』
コンソールで〈ブリュンヒルデ〉が〈ロスバッハ〉の後方から離脱するのを確認する。〈ロスバッハ〉が戦闘機動をしても〈ブリュンヒルデ〉に影響がない距離まで離れたところで、命令を出す。
「敵艦隊へ突撃せよ」
敵艦隊にも動きがあった。艦列から二隻の駆逐艦が離脱して〈ブリュンヒルデ〉の進行方向へ転舵した。殿下は〈ロスバッハ〉に座乗しているのだが、王国軍はそんなことは知らない。戦場から離脱しようとしている〈ブリュンヒルデ〉に殿下が乗っていると考えるのは当然だろう。もちろん王国の領海のときとは違い、一撃で沈めにくるはずだ。その代わり〈ロスバッハ〉が相手にしなければならない敵艦は一時的に八隻に減ったというわけだ。
「砲雷長、離脱した敵駆逐艦を最優先攻撃目標に設定」
気休めにしかならないだろうが、やらないよりマシだ。
「了解。トラックナンバー07、08を最優先」
「KOD砲は残り八隻を射程圏に捉え次第、自動的に発砲するように設定せよ」
「……了解、自動発砲に設定します」
砲雷長の声に少し安堵の色が交じる。自分でトリガーを引くよりはマシだろう。
「全兵器使用自由」
「全兵器使用自由」
砲雷長が復唱する。これで敵艦が射程距離に入り次第、〈ロスバッハ〉は持てる全ての火力を敵に叩きつけることになる。
敵艦隊の動きは駆逐艦の分離だけではなかった。真っ直ぐ〈ロスバッハ〉に向かってきた艦列が転舵して、その横腹を〈ロスバッハ〉に見せようとしていた。相手の針路を妨害しつつ、複数の艦から集中砲火を浴びせる丁字戦法だ。古典的だが最も効果的な戦術だ。さすがに王太子も自分で艦隊の指揮はとらず、専門家に任せたようだ。
こういう場合は、教本には突撃して敵の艦列に潜り込めと書かれている。敵艦の間に潜り込めば敵は同士討ちを恐れて思うように攻撃できなくなる。もっともそうなる前に高確率で撃沈されるのだが。だが今の〈ロスバッハ〉の戦術は教本ではなくM作戦だ。
「船務長、防御力場を艦首に集中展開」
「了解、防御力場を艦首に集中展開」
「航海長、〈プリンス・ブライアン〉の正面に回り込め」
「了解」
現代の軍艦は、自分の周囲に重力場を作って自由落下で加速する重力推進だ。後ろに何かを噴射する昔のロケットなら、艦首の向きを変えないと進行方向を変えられない。だが噴射をしない重力推進だと横滑りができる。〈ロスバッハ〉は艦首を敵艦隊に向けたまま、弧を描くようにして〈プリンス・ブライアン〉の進行方向へと移動を開始した。移動距離が大きいので、進行方向に近づくだけで立ち塞がることはできないが。
「トラックナンバー07、08、撃ち方始め」
あらかじめ全兵器使用自由を宣言していたので、砲雷長は独自の判断で駆逐艦への攻撃を開始した。艦列が戦艦の速度に合わせて移動しているのに対し、最大戦速で移動している駆逐艦の方が先に〈ロスバッハ〉の射程圏に入ってきたのだ。〈ロスバッハ〉の艦砲射撃を浴びて、駆逐艦のシールドが激しく発光する。だが駆逐艦は沈まずに保ちこたえている。
そのとき〈ロスバッハ〉の艦体に衝撃が走った。
「敵戦艦から砲撃を受けています。シールド残量が減少!」
船務長の報告を受けてコンソールで確認する。シールドの減り方が半端ない。さすがは王国自慢の戦艦だ。
「散乱砂を前方に散布」
散乱砂とはレーザーやビームを乱反射する砂粒だ。敵の砲撃を減衰してくれるのではないかと期待されているが、自分の砲撃も減衰したり、電磁レーダーを妨害したりするので、使い所が難しい。
「光圧で吹き飛ばされますよ」
「やってみなきゃわからん。ないよりマシだ」
「了解、散乱砂を前方に散布」
シールドが減る速度はほとんど変わらない。船務長が言った通り、敵の砲撃の威力が大きすぎてほとんど効果がないようだ。
「シールド、一分も保ちません!」
船務長が悲鳴に近い警告をあげる。
「それだけあれば十分だ」
コンソールを睨んでいた俺がそう答えるのと同時に、体に違和感を感じた。久しぶりの体験だったので、それが無重力だと気づくのに数秒ほど時間がかかった。
「KOD砲、発砲」「重力エンジン、一時停止」
砲雷長と機関長の報告が重なる。
「前方の敵艦隊沈黙、慣性飛行に遷移しています」
船務長が待望の報告をあげてくれた。
KOD砲とは新型エンジンの欠陥を逆手に取った新兵器だ。クルーガー重工業のエンジニアは、有害放射線モドキは抑制するだけでなく制御することも可能なことを発見した。つまり放射線モドキを特定の方向にのみ放射できるのだ。それを兵器として応用したのがKOD砲だ。放射線モドキはモドキであって放射線ではない。だから既存の装甲やシールドで防ぐことができない。KOD砲を撃たれた敵艦は損傷することはないが、中にいる人間はほぼ確実に死亡する。いずれはKOD砲を防ぐ手段も開発されるだろうが、現時点では防御不可能だ。
艦内に人工重力が戻ってきた。
「重力エンジン、再起動成功」
機関長の報告に艦橋にいた乗組員たちはホッとする。重力エンジンが動かなければ〈ロスバッハ〉は航行できない。
「船務長、残りの敵駆逐艦と〈ブリュンヒルデ〉は?」
「敵駆逐艦一隻は撃沈。残りの一隻は射程圏外に逃げられました。〈ブリュンヒルデ〉はその一隻によって撃沈されました」
艦橋が沈痛な雰囲気で満たされる。
「敵駆逐艦は逃走を開始しました」
「追撃する。弔い合戦だ」
緒戦での戦果を見た艦隊司令部は、〈ロスバッハ〉に本国への帰還ではなく作戦続行を命じた。〈ロスバッハ〉が本国に帰還できたのは一年後、戦争が終結した直後だった。一年間の間に〈ロスバッハ〉は補給艦から補給を受けながら四度の会戦に参加し、その全てで勝利を収めた。
マルガリア殿下は最後まで〈ロスバッハ〉に座乗し続けた。その気になれば補給艦に移乗してもっと早く帰国することもできたのだが、そうはしなかった。
本国に帰還したとき、異例なことに〈ロスバッハ〉は地上基地への着陸を命じられた。軌道港が十分に整備されていなかった頃に建造された〈ロスバッハ〉は、地上への離着陸が可能だった。
基地に詰めかけた大勢の群衆が見守る中、〈ロスバッハ〉は無事に着陸した。殿下は下艦する際のエスコート役を俺に命じた。艦長で落ちぶれたとはいえ伯爵令息なのだから、そのときは当然の人選だと思った。
姿を現した俺たちを群衆は熱狂的に出迎えた。
「どうじゃ、なかなか気分が良いものだろう」
「殿下を無事に帰国させることができてホッとしていますよ」
「ふむ。そなたは謙虚なのか、それとも鈍感なのか、どちらなのじゃろうな」
「は?」
基地で殿下を出迎えたのはマンシュタイン長官だった。長官は殿下に臣下の礼をとった。殿下と腕を組んで隣に立っていた俺は、妙な気分になった。マンシュタイン長官は建国の十二家のひとつのマンシュタイン侯爵家の当主でもある。俺のハウゼン伯爵家と違って国の中枢に常に関わってきた本物の名門だ。
「出迎えご苦労」
「殿下もお元気そうで何よりです。大佐、ご苦労だった」
長官は俺に右手を差し出した。俺はそれを握り返す。俺は戦時昇進を繰り返して大佐になっていた。
皇室専用のリムジンが無音で目の前に移動してきた。車輪ではなく重力制御で浮上走行する特注品だ。貧乏貴族の俺だと燃費を想像するだけでぞっとできる超高級車だ。
まず殿下が、続いて長官がリムジンに乗り込む。俺はそのまま見送りかと思ったら、長官から声をかけられた。
「何をしている。大佐も乗りたまえ」
長官の命令とあれば仕方がない。俺もリムジンに乗り込む。
リムジンが走り出したところで、長官から紙袋を渡された。
「これに着替えたまえ」
紙袋の中身は大佐の階級章がついた軍服の上着だった。俺はくたびれた大尉の上着を脱いで新品に袖を通した。
「これから皇宮で陛下に謁見する。戦場帰りとはいえ、みっともない格好は困る」
「小官がですか!」
「そなたは鈍感系じゃったか。自分の立場が分かっておらんようじゃな」
「大佐は殿下をお護りしただけでなく、五度の会戦に参加し、合計二十隻以上の敵艦を無力化した。しかも部下を一人も戦死させていない。間違いなく勲功第一位の英雄だ」
基地で長官が敬礼ではなく握手を求めた時点で察するべきだった。元帥が大佐に親愛の情を示すというのは異例なのだ。
「サイズは合っているようだな。一度しか着ないからそれで十分だろう」
頭に疑問符が浮かんでいる俺に、殿下はとんでもないことを告げた。
「謁見後はそなたは准将に昇進する。元帥の配偶者が佐官では釣り合いが取れぬからな」
「……長官、謁見は延期できませんか。医者に診てもらいたいので」
「どこか具合が悪いのか?」
「戦場で耳をやられたようです。殿下がまるで自分と結婚するかのようなことを仰っているように聞こえるのです」
「なら医者は必要ない。その耳は正常だ。大佐も伯爵なら政略結婚ぐらい受け入れたまえ」
「やはり耳がおかしいです。伯爵は自分の父です」
「ハウゼン伯爵は陛下の御意向を受け入れて、今日大佐に家督を譲ることになっている」
「妾の夫が平民というわけにはいかぬが、建国の十二家の当主なら申し分ない」
「名門ハウゼン家の復活だ。殿下に感謝したまえ」
外堀も内堀も埋められているのか。しかし急展開すぎるだろう。
「殿下は『吊り橋効果』というのをご存知ですか?」
「あれは迷信じゃ。好感度が上がるというのは相手が美形のときだけじゃ。ブサイクだと逆に嫌悪感が上がるのじゃ」
「……それは知りませんでした」
待てよ、殿下には俺はどっちに見えているのだろうか。美形、ブサイク、それともフツメン? さすがに本人に訊く勇気はない。
「悪役令嬢モノにはざまぁ返しというパターンがある。悪役令嬢が逆に主役になるパターンじゃ」
「最初の会戦のときに仰ってましたね」
「そのパターンの悪役令嬢は、自分をふった王子の上位互換の伴侶を得て幸せになるのじゃ」
「伯爵は王太子の上位互換ではありません」
「身分以外は上位互換じゃ」
「あれの下位互換は探すのも難しいでしょう」
「そうでもないぞ。社交界ではよく見かける。そなたは実力主義の世界にいて上を目指していたから、世間とは基準が違うのじゃ」
ヴァネッサのようなアドリブ力がない俺では、口では殿下にかないそうもない。俺は長官に話を振った。
「長官は『悪役令嬢』というのをご存知なのですか?」
「王国の情報は仕入れていたから知っている。王国軍は殿下と〈ロスバッハ〉のことを『天翔ける悪役令嬢』、新兵器のことを『悪役令嬢の死の接吻』と呼んで恐れていたからな」
わけもわからないまま軍艦の乗組員がバタバタと死ぬんだから、そりゃ王国軍にとっては大変な恐怖だろう。
「謁見の後は宮中晩餐会に出席してもらう。そのまま皇宮で一泊して、明日には出港してもらう」
帝国海軍の人使いが荒いのは今日に始まったことではないが、終戦を迎えても事情は変わらないようだ。皇宮に泊めてもらえるだけでも御の字だろう。
「目的地はどこですか?」
「惑星サザーランド(王国の本土がある惑星)の衛星軌道だ。降伏文書の調印は〈ロスバッハ〉の艦上で行う予定だ。調印式には皇室を代表して殿下にも出席していただく」
敗戦国に対する最大級の嫌がらせだな。
「サザーランドには〈ロスバッハ〉単独で向かうのですか?」
「第一艦隊を護衛につける」
純粋に護衛なら駆逐艦数隻で足りるのに、帝国海軍最大最強の戦力を動員とは……護衛じゃなくて示威行動が目的だろう。
「どうした、不服かね?」
「いいえ。ついでに観艦式でもやるのかと思いました」
「実現できたら面白そうじゃが、陛下は戦後処理でご多忙じゃ。サザーランドまでご足労願えるのはかなり先じゃろうな」
殿下はいずれはやりたそうだな。
「殿下も〈ロスバッハ〉に座乗されるのですか?」
「そうだ。〈ブリュンヒルデ〉の代替船はまだ用意できていないし、殿下ご本人の希望だ」
「調印式が終わったらそのまま新婚旅行と行きたいところじゃが、本国に逆戻りじゃ。そなたは〈ロスバッハ〉の艦長を解任されるのじゃから」
知らないうちに感情が顔に出たらしい。
「仕方あるまい。皇女の配偶者となれば色々と公務がある。本国で後方勤務をしてもらわないと都合が悪いのじゃ。一年戦争の英雄じゃから、艦隊司令部でも参謀本部でも転属先は引く手数多じゃ」
「それに〈ロスバッハ〉は退役させる。いくら武勲艦とはいえ、これ以上運用し続けるのはコスト面で無理がある」
そう言われて俺の心は騒いだ。乗艦勤務を命じられたときは命懸けの貧乏くじだと思ったが、今では我が家のような愛着があの艦にはある。
「解体処分ですか?」
「記念艦として保存する予定だ。エンジンモジュールは取り外すことになるが」
「それを聞いて少し安心しました」
そうこうしているうちにリムジンは皇宮に到着した。皇宮周辺にも大勢の群衆が集まっていたが、近衛兵によって皇宮に近づけないように規制されていた。
リムジンが皇宮の正面玄関で停車する。まず俺が降りる。続いて長官が降りた。俺はエスコートのため車内の殿下に手を差し伸べた。
殿下は俺の手を取ると優雅にリムジンから降り、自然に左腕を俺の右腕に組んだ。そして俺たちは並んで皇宮へと歩みを進める。
群衆は帝国の新たな英雄のカップルの誕生を祝福するかのように、無数のカメラのフラッシュを殿下と俺に浴びせた……群衆には相思相愛に見えているんだろうな。そうなるように努力しないと。某王太子の二の舞いだけはご免だ。
シリーズで外伝(連載・全3話)を書きました。気が向いたらお読みください。