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地方公務員になってみたら、配属されたのは流刑地と呼ばれる音楽ホールでした  作者: 雪うさこ
▶︎▶︎▶︎08 無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ 第一番
80/80

エピローグ そして……、それから。



 その場所は梅沢駅の東口側、15階建ての建物の最上階にあった。遠方から見てもすぐにその施設がどんな機能を持っているか一目瞭然だ。


 銀色の半円型の大きなドームがガラスでおおわれている。太陽の光を浴び、輝くようなその物体を地上から見上げていると、「蒼」と声がかかった。 墨色のコートに瑠璃紺色と黒色のチェック柄マフラーをした関口が、蒼の名前を呼んだのだ。


「ほら。上映時間に遅刻する」


「あ。うん」


 あれから——。関口はコンクールで無事に一位を獲得した。梅沢市制百周年記念の一環として、来年度に開催される予定のリサイタルへの出場権を手に入れ、ヴァイオリニストとしての小さな、それでいて彼にとったら大きな一歩を踏み出したのだった。


 あのキス以来。関口はそのことには触れてこない。蒼もどうしたらいいのかわからずに黙っていた。

 今日は約束のプラネタリウム。コンクールで優勝したら来る約束をしていた場所だ。友達と出かけるということに馴染んでいない蒼からしたら、女の子とデートをする時くらいドキドキするイベントだった。二人はエレベーターに乗って最上階を目指す。


「帰りにラプソディに寄っていい?」


「いいけど。——ねえ、コンクール終わっちゃったし。もうラプソディで弾かないの?」


「そうだね。どうだろうね……」


「これからどうするの?」


 平日のこの場所は人が少ない。二人きりのエレベーターは静かだった。


「今まで通りだよ。市民オケに行って、ヴァイオリン協会の講師に復帰でしょう。それから東京の明星オケにも戻るけど……。春からは正式採用になると思うから、そっちが忙しくなるかもね」


「その明星オケはコンマスなの?」


「んなわけないでしょ。ペーペーだよ。コンマスになるには、また試験受けなくちゃいけないけど……。僕にはまだまだ経験が足りないかな」


「じゃあ、まだいる? 梅沢にいるの?」


「蒼を一人にはできないでしょう?」


「——でも、収入も戻るわけだし。おれ、出て行ったほうがいいかな……」


(一緒にいる意味が無くなっちゃう……)


 関口の長い腕が、すっと伸びてきたかと思うと、蒼の腰に回った。それから一気に引き寄せられる。


「ねえ、蒼さ。気が付いていないと思うけど、僕の家に来てから荷物増えたでしょう?」


「へ?」


「本買いこんでいるもんね」


「そ、そうだけど……」


 はっとして顔を上げると、関口の眼鏡の奥の瞳は優しい色を帯びていた。


「引越し、大変じゃない。実家に帰るなら話は別だけど——。新しいアパート契約するにも大きなお金が必要だ。僕は東京との行き来も増えるかも知れないし。なにも気兼ねしないでいればいい。僕も誰かが留守番をしてくれると思うと安心できるし。それに。僕は、蒼がこうしていてくれると嬉しい」


「そ、そっか。わかった。いいよ。そんなに頼み込まれちゃうと、断るわけにはいかないな~」


 蒼は顔が熱くなり、視線を伏せた。しかし、耳元に寄せられた関口の唇からは、甘い声が聞こえてきた。


「蒼。そばにいてくれる? こんな僕だけど」


 あのホールで堂々たるソロを響かせた彼は、彼であって彼ではなく見えた。だから気恥ずかしい気持ちでいっぱいだ。だがやはり、関口は関口だ。「ピン」とチャイムの音が響いて扉が開くと、関口の体は離れていった。恥ずかしかいはずなのに、名残惜しく感じてしまうのはどういうことなのだろうか。


 蒼は照れている気持ちを隠すように、眼前に広がった銀色の半円の建造物を見上げてから蒼は「うん」と頷いた。


「仕方ないね。おれがいないと駄目なんだから。一緒にいてあげるよ。関口」


「本当。蒼は生意気」


「うるさいね」


 いつものように軽いテンポで言葉を交わしながら二人はプラネタリウムに向かった。



「蒼ちゃ~ん」


 事務室に響く女性の声に、蒼はぎょっとして、身を屈めようとするが遅かった。やって来たのは、梅沢市民オーケストラの橘と秋元だ。彼女たちは凝りもせずに蒼のところにやってくる。


「ねえねえ、今日は早めに練習終わるんだから。一緒に夕飯行きましょうよ」


「行きませんよ。おれ、忙しいんです」


「嘘だ~」


「いいじゃないの」


 カウンター越しに蒼を誘う女性二人の元に星野がやってくる。


「おいおい。姉ちゃんたち。おれが付き合ってやろうか?」


「え~。星野さんじゃ、ヤダー」


「え~。そんなストレートに言わなくてもいいじゃん」


 星野は秋元の声色を真似て体を揺らす。


「だって~。気持ち悪いし。星野さん。じゃあ、いいや。バイバイ」


「またね! 星野さん」


 さっさと退散していく二人を見て、星野は「ちぇ」っと言ったかと思うと蒼の頬をつねり上げた。


「いだだだだ……っ、な、なんなんれすか!」


「お前ばっかモテてつまんねーし」


「別に、おれはいい迷惑ですよ」


 星野の腕をつかんで引きはがすと、彼はふんと踵を返した。


「今日は蒼のおごりな~。夕飯」


「え! そんなのとばっちりじゃないですか」


「いいの。新人野郎は先輩に奉仕しなさいよ」


「課長みたいな口調したって駄目ですからね。パワハラで人事に訴えます」


「きー。生意気言っちゃって。最初の可愛さはどこにいっちゃったんだろねえ。——ほらほら。さっさとラウンド行ってこいっつーの」


 星野に足蹴りをされて事務室から追い出される。橙色の淡い光の廊下に出ると、なんだか心が落ち着いた。


 蒼が星音堂に来て一年が経とうとしていた。最初はどうなることかと思った。周囲に哀れみの目で見られ、流刑地と言われて、不安しかなかった。


 この場所に来てから蒼の人生は、様変わりをした。


 そう、今まさに。熊谷蒼は自分らしく人生を歩み出しているのだった。地方公務員になって配属されたのは、流刑地と呼ばれる音楽ホールだったが、そこは蒼にとったら掛けがえのない大切な場所になったのだ。


「よっし! 頑張るもんね」


 蒼は懐中電灯を手に持ち、中庭を横目に施設内を歩いた。蒼の星音堂人生はまだ始まったばかりだった——。





— 了 —


スタートラインに立てた関口と蒼です。

この先、まだまだ色々な困難があります!

ですが、とりあえず今回はここまでです。

コンテストが終わって落ち着いたら続編も公開するかもしれません。その時はどうぞよろしくお願いいたします。

長い間お付き合いいただきまして、感謝しかありません。本当にありがとうございました!


雪うさこ

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