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地方公務員になってみたら、配属されたのは流刑地と呼ばれる音楽ホールでした  作者: 雪うさこ
▶︎▶︎▶︎06 ヴァイオリン協奏曲 e moll Op.64
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第8話 夢の時間



 第一部が終了し、誰もいなくなったステージを見つめながら、蒼は拍動を早める心臓を持て余していた。休憩時間になると客席が明るくなるので、圭一郎は有田に引っ張られて退席させられた。星野と二人きりで座っていると、彼は愉快そうに声をかけてきた。


「感動覚めやらぬって感じか? 蒼」


 蒼は興奮気味に星野を見た。


「す、す——すごいです!」


 未だに耳の奥には音の洪水が響いていた。頭の処理が追いつかない。引き受けたその刺激を言葉に変換するのは時間がかかりそうだった。言葉を詰まらせている蒼は、星野からしたら面白いのだろうか。彼はニヤニヤとして、ただ蒼の横顔を見ていた。


「まだまだこれからだ。おい、ちゃんと見てやれよ。あいつのステージだ」


 第二部はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲一番。関口がソリストとして登壇するのだ。もう蒼のドキドキは治まる気配はない。蒼は、じっと押し黙ってステージを見つめていた。昨晩。圭一郎との邂逅を思い出される。


「近づきたくても近づけないのが、もどかしいのだ」


 圭一郎はそう言っていた。


「僕はね、あの子が可愛くて仕方がないんだ。本当だったら、僕の名前を使ってでも、世界に羽ばたかせたいと思っている。だが、そんなことをしたって、あの子は喜ぶわけがない。なんとかしてやりたい。そればかりだ」


 彼は関口のことを本当に大事しているのだということが理解できた。ただ関口にそれがうまく伝わっていないのだ。自分の時と一緒だ。お互いがお互いを理解していないのだ。


(ちゃんと話をしてみたら、分かり合えることってあると思う。なんとか。二人で話ができればいいのにな)


「君は蛍にとったら、とても素晴らしい存在だ。あの子はね。特定の誰かと懇意にしたことがない。君に蛍を託したい。なんとか支えてやって欲しい」


 圭一郎はそう言って、テーブルに両手をついて頭を下げた。


(おれになにができるんだろう。おれは関口のためになにかしたい。どうしたらいいんだろう……)


 休憩時間が終わり、第一部同様にメンバーたちがステージに戻って来た。メンバーたちが着座を終えた後、柴田と共に登場した関口は衣装を替えていた。関口は、柴田同様の燕尾服を纏っていたのだ。いつも関口ではないみたいだと蒼は思った。トレーナーのようなラフな格好をしているいつもの彼ではないのだ。


 すらっとした立ち姿。非日常のその出立ち。橙色のスポットライトに照らされている関口は堂々たる風格で、こんな田舎でくすぶっているには、もったいないくらいだった。彼はステージに立つべくして生まれてきた。彼が生きていくべき場所はステージの上なのだ、蒼は一瞬でそう理解した。


 心臓が更に高鳴る。隣に座っている女性に「この人、友達なんです」って言って回りたいくらい誇らしく思えた。


(関口。お父さんは関口のことを本当に大事に思っているよ。どうか、心を開いて)


 蒼は両手を握りしめてからステージに視線を向けた。



 関口蛍にとって星音堂は、特別な場所だ。音楽に挫折して、もう止めてしまおうかと思った時でも、この場所は彼を優しく受け入れてくれた。星野をはじめとする職員たちもそうだった。学校にもなじめず、家族とも上手くいかない自分が唯一、得た居場所はここだった。その星音堂で、こうして自分はソリストとしている。


 演奏の合間に寄越される柴田の視線に応えるように演奏をこなす。彼の気持ちは手に取るようにわかる。


(ここで静かに。ああ、ここで気持ち落とすんだ。練習とは全く違うけど、いい。気分がいい。先生の創り上げる音楽は面白いから好きだ。練習通り行ったことなんて一つもない。いつも同じではない先生の音楽は、僕を違った世界に連れ出してくれる)


 口元が緩む柴田の横顔は、彼もまた、今この瞬間を楽しんでくれているという証拠。オーケストラと自分の音がうまく絡み合って、このホールの全てが自分のものであると思ってしまうほど錯覚。いや、現実そうだ。今この時間。このホールにいる全ての人間が自分たちを注視していて、自分たちの作り出す音楽の世界に身を投じているのだ。


 そう自覚しただけで身震いがする。


(ああ、やっぱり好きだ。僕は音楽が好き)


 第一楽章の哀愁漂うメロディから第三楽章の軽快な華々しさへの昇華。ソロヴァイオリンとオーケストラの融合は、あっという間に観客を魅了した。


 最後の華々しいフィナーレを終え、会場からは割れんばかりの拍手が巻き起こった。あちらこちらから「ブラボー」という歓声と、立ち上がって拍手を送ってくれている人たちが見受けられた。


 残響時間の長いこのホールでは拍手も相乗的に響き渡るものだな、と変なことを考えて笑ってしまった。


 そう。ここにいる全ての人たちが、夢の時間を過ごしたということは言うまでもない。 自分を含めてだ。







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