第3話 悪霊退散
「マエストロは、蛍くんの演奏を心待ちにしておりまして、すべての予定をキャンセルして来日いたしました。しかし、蛍くんに見つかると大事故になりますからね。どうか彼に見つからないように配慮していただけないでしょうか」
二人を会議室に連れて行った星野に対し、有田はそういって頭を下げた。星野は「わかっています」と頷いた。
「市民オケのスケジュールは事前にお知らせしましょう」
「それは助かります」
有田は星野に頭を下げる。その様子を眺めている蒼を、圭一郎が眺める。先ほどから、圭一郎は蒼から目を逸らすことはないのだ。なんだか恥ずかしくなって、目のやり場に困ってしまった。話が途切れると、圭一郎はすかさず蒼に尋ねた。
「我が息子との同居生活はどうか。困っていることはないか」
まだ一緒に暮らし始めて数日だというのに。一体、どこからそんな情報が洩れるのだろうか。蒼は言葉に窮する。圭一郎の言葉に星野が「ほらみろ」という顔をした。もしかしたら、情報源は星野なのではないのか、と思った。ここに吉田がいなくてよかった。そんなことを思いながら、蒼はペコペコと頭を下げた。
「すみません。あの。ご挨拶もせずに申し訳ありません」
「そんなことはどうでもいいのだ。コンクールに出るにあたり、無職になった蛍がを君が養ってくれてくれるそうだな。親として、きちんとご挨拶しなければならないのは僕のほうだ」
結婚前提の恋人と父親の会話みたいで首を傾げたくなるが仕方がない。蒼は、笑うしかなった。その内、愉快そうに事の成り行きを見ていた星野が腕時計に視線を落として、「タイムアップですね」と言った。
「そろそろ、練習が終わりますよ。関口はいつも事務所に顔を出すから。先にお帰りになられたほうがよさそうですけど」
有田は「そのようですね」と腰を上げる。しかし圭一郎は蒼を見た。
「9時なら君たちも終わりなのだろう? 蒼、君とじっくり話がしてみたい。星野くん、いいでしょう? 蒼を借りても」
星野は「どうぞ」と両手を差し出した。なんだか人身売買された気分だ。蒼は困った顔をして星野に助けを求めるが、彼は「諦めろ」という顔をしていた。マエストロの願いは絶対、ということなのだろうか。
「おれが代わりに遅番の仕事やっておいてやるから」
星野と吉田に見送られて、蒼は圭一郎と有田に連れられて星音堂を後にした。
*
「ただいま~……」
玄関をそっと開けると、そこには関口が立っていた。
「蒼、どこ行ってたの? 遅くない? 帰りに事務所に寄ったら先に帰ったって星野さんが言っていたのに。こんな夜にどこ行っていたんだよ? 心配したんだから——」
腰に手を当てて少々怒り気味の関口は、蒼の後ろにいる男を見て表情を険しくした。
「あんた……っ」
「蛍! 元気そうだな! お父さんは嬉しいぞ!」
圭一郎はそう叫んだかと思うと、突然に関口に抱き着いた。
「ええい! うざい! 離れろ。この変態野郎」
「お父さんに向かってなんてことを……!」
「誰が父親だ!」
関口は圭一郎を蹴り飛ばそうとした。しかし、彼は軽々とそれを避けた。蒼は驚いて、二人の間に入ろうとする。しかし、この騒動は有田の一声で収束を迎える。
「蛍くん、乱暴はいけません。例え、どんなに頭にきても、です」
関口は「ち」と舌打ちをすると、視線を背ける。それを見ている圭一郎は寂しそうな顔をしていた。
「なんでこんな時に帰ってくるんだよ。よりにもよって」
「それは、もちろん! お前の演奏を聴きたくて……」
「誰が聴かせるか! 蒼、こいつ、星音堂出禁にしてよ」
「でも、関口……」
「おお、なんて子だ。蒼にまで迷惑をかけるとは」
「蒼とか呼ぶなよ! お前が! 馴れ馴れしい!」
関口は圭一郎と有田を強引に外に押し出すと、玄関を締めて鍵をかけた。
「おい! 蛍!」
「うるさい。近所迷惑だ。さっさと帰れ! 悪霊め!」
彼はそう言い放つと、台所から塩を持ち出して玄関にまいた。しばらく肩で息をしていた関口だが、ぽかんとしている蒼を見てバツの悪い顔をした。
「ごめん。蒼。僕の父親だ。あいつに捕まっていたんだな。怒ってすまなかった」
「ううん。ううん。気にしていないよ。気にしない」
関口は大きく息を吐くと、なにも言わずに奥に入っていった。
「食事、台所にある。好きに食べて。悪いけど、僕寝るから」
彼はいつもよりも蒼白な顔色を浮かべ、そのまま自室に入っていった。
「関口……」
圭一郎たちは、しばらくそこにいたようだったが、諦めたように帰っていった。蒼はそれを確認してから、関口が寝ている仏間を眺めてため息を吐いた。
あーあ。やばいお父さんがやってきました。
これじゃあ、関口も嫌になりますね。
グレずにいただけ、よしとします笑




