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第13話 親子



 緊張で足元が浮ついていた。ふわふわと雲の上を歩いているような感覚だった。関口に「いってきます」をした蒼は、まっすぐに病院の正面玄関へと歩みを進めた。土曜日でも診療が行われているのだろう。正面玄関の自動ドアが開いたり閉まったりして、出入りしている人たちが見受けられた。


 蒼は振り向くことなく、そこに足を踏み入れた。目の前にある受付の周囲には、座るところがないくらいの人だった。若い人から高齢者まで様々な人たちがそこにはいたのだ。彼らは一斉に蒼を見た。


 蒼は戸惑い、入院患者の面会受付はどこだろうか、と視線を巡らせた。すると、不意に後ろから肩を掴まれた。どっきりとした。挙動不審で咎められると思ったのだが——。 振り返るとそこには義父である熊谷栄一郎が立っていたのだ。


「蒼じゃない。本当に? 夢じゃないよね?」


 彼は困惑したような、それでも笑顔で蒼を見下ろしていた。まさかここで、彼に出くわすとは思っていなかった蒼は、余計に気が動転した。唇が強張り、言葉がうまく出てこない。


「嬉しいな。うみ、待っているよ」


「あ、あの。っていうか。えっと……」


 大した返答もしていないのに、彼は蒼の腕を掴まえると、慣れた様子で颯爽と待合室を横切る。目の前がぐるぐると歪んで思考が混乱している蒼はなされるがままだった。

待合室を過ぎ、左に折れたところの突き当りの階段を、栄一郎は二階に上がる。


「こんな厳重な場所にいる必要はないくらい軽快しているんだけどね。なにせ古い病院だ。全ての病棟が閉鎖病棟なもので。面会するのにもひと手間が必要なんだよね」


 軽い口調で説明を加える栄一郎だが、蒼に取ったらそれはとてつもなく重く感じられた。


(閉鎖病棟……)


 慣れた様子の栄一郎に心に浮かんだ疑問を投げかけてみる。


「あの。何度もここに?」


「入院当初、海は自責の念が強くてね。自殺念慮が酷かった」


 階段を登りながら栄一郎は説明を続けた。


「数年は僕も面会禁止だったよ。やっと許可された後も蒼にはまだ面会させられない状態が続いたものだから、ごめんね。君には黙って会いにきていたんだ。落ち着いたら連れて行こうってずっと思っていたんだけど……。君は、海のことに触れたがらなかったからね。僕は、どこか臆病だったのかも知れない。君を誘うことがなかなかできなかった」


 それは多分。蒼が放つ「拒否」のオーラがあったからだ。ずっと海には嫌われていると思っていたから。いや、いまでもそんな気持ちがある。触れられたくなかった。それが事実だ。


 だから、海との面会が制限解除になったことを知っていたのに。一度も会いにこようとは思っていなかった。栄一郎のせいではない。蒼自身の問題だったのだ。 

 

「恥ずかしい話だろ? 妻恋しさに毎週土曜日の午後は、こうしてここに通っているんだから」


 正直、栄一郎に対する気持ちは複雑だ。母が大変だった時、彼がどのくら彼女をかばってくれていたのだろうか。蒼は幼く、当時のことは覚えていない。

 栄一郎は海が入院した後も、蒼のことを実子同様に可愛がってくれた。その恩はあるが、やはり自分たち親子の人生が狂ったのは、彼との出会いだったのではないかという思いが払拭できずにいる。蒼の中には、栄一郎に対してのアンビバレントな感情が、常に渦巻いているのだった。


 しかし。蒼は誤解していたのかも知れない。当時の自分は幼過ぎた。大人の事情など、何一つわかっていなかったのかも知れないということを、初めて知らされたのだ。自分が母親から逃げ出している間も、彼は彼女に向き合おうと努力していたというのだ。蒼に向けられる彼の笑顔は、昔から何一つ変わることはない。いつも優しい、温かな笑顔。蒼は、自分が惨めに思えた。一人で抱え込んで。もっと早くに彼と対話すべきだったのだ。


「最初はね。もう怒られて怒られてね。僕の顔見ると『()()()()()()人生を返せ』って何時間もなじられて。ドクターストップで面会終了なんて毎回の事でね。でもそれは僕じゃないとできない役だ。この責任は全て僕にあるから。しつこく通っていたらね、彼女の方が根負けしてくれたみたい」


 二階に到着すると、防火シャッターのように強固な金属製の扉が目の前に立ち塞がる。扉の隣に据えられているインターフォンを押すと、機械を通して女性の声が響いた。


「熊谷海の家族です。面会できますでしょうか」


 ジリジリとしたスピーカーの機械音の後、『どうぞ』という声とともに、カチリと開錠される音が小さく聞こえた。それを確認して、栄一郎はノブを回して扉を開けた。 出入口の施錠は看護師が遠隔操作をしているらしい。


 中は薄暗い廊下だ。廊下の両脇に病室が並んでおり、廊下自体に光が差し込まないのだ。まだ昼下がりの時間だというのに、薄暗い廊下には萌黄色の非常灯ランプだけが点灯していた。彼は慣れた様子でその廊下を進む。そして、途中にある看護師の詰所に顔を出した。


「熊谷です」


 彼の声に初老の女性看護師が顔を出した。白衣はどこの病院でも同じだと蒼は思った。病院で育ったおかげで彼女たちの姿は目新しいものではない。しかし、実家の熊谷医院と違っているのは、彼女たちの腰に鍵が括りつけてあることだ。


(全ての扉に施錠がされているんだ。こんな囲われている世界で母さんは過ごしてきたのか。知らなかった)


 自分せいで辛い思いをさせた。そう思うと心が痛む。胸の辺りのシャツをぎゅっと握りしめていると、看護師の声が耳に入ってきた。


「退院の件、考えてくださいましたか?」


「ええ。もちろんです。我々はいつでも受け入れる準備はできているのです」と栄一郎は軽快に答えた。


(退院だって?)


 蒼は、はっとして栄一郎を見つめる。蒼の視線に気がついた彼はにこっと優しく笑みを見せた。


「ただ、海さんが首を縦に振らないんですよね。やっぱり息子さんに会えていないから、帰ることに自信が持てないんじゃないかしら——」


 看護師の言葉に栄一郎は困った顔をした。


「説得してみます。今日は強力な助っ人がいますから」


 そこで看護師は初めて蒼を認識したようだ。


「あら——。息子さん、ですか」


「似ているでしょう?」


「ええ、一目でわかりますね。あらやだ」


 彼女は嬉しそうに蒼を見た。


(似ている? 自分は母さんに似ているのか?)


 もう何年も彼女とは会っていない。顔もうろ覚えだ。栄一郎が写真を見せてくれると言っても、それは全部拒否した。見てしまったら、会いたくなるに決まっているからだ。だけどそれも今日で終わりだ。実際に彼女に再会するのだから。


「いつものところ?」


「そうですよ。いつものところです」


 看護師に礼を述べて栄一郎は歩き出した。蒼もその後を着いていった。






過去との対峙! 背中を押してくれたのは関口だけど、蒼が踏ん張る番ですね。お母さん、どんな人かな!?

明日に続きます!

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