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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

鳥と宿り木

作者: 金熊

 成人の日を終えた明くる日のことだった。父から呼び出しを受け客間へと向かうと、彼女の両親が膝をつき床に頭を擦り付けうずくまっていた。土下座である。


「カレナリエが里を出て行った」


 一切の表情を消した里の長の顔をして、父が淡々と事実を告げた。

 カレナリエとは幼い頃から約束されていた私の婚約者だった。菫色の瞳と赤茶けた髪がよく似合う少女で、狩りが大好き。性格はさばさばとして気が強く、独立独歩の気風がある。父に仕え、何かと苦労させられている彼女の両親とはちっとも似つかない、実にエルフらしい女の子であった。


「どうする? 婚約を破棄するか」


 彼女が残したという、申し訳程度に一言だけ添えられた謝罪の紙きれを見て内心笑っていると、父がそう尋ねてきた。

 彼女の両親の肩がびくりと震えた。気の毒に。気が気ではなかっただろう。なんせ本来なら成人の日を終えてすぐに、私たちの結婚という段取りをしていたのだから。

 どうも彼女の両親は、どうしても私たち一族と深い縁を結びたかったようだ。目当ては娘の幸せというよりも、私たち一族が歴代ずっと担ってきた里の長という地位だろう。自由気ままな生き方より、政治やら権力やらの面倒事を求めるとは。エルフらしからぬ実に奇特なエルフである。彼女が息苦しさを感じ、「居場所がないと」この里を出て行ったの要因の一つは、彼らが関係していたのかもしれない。


「婚約は破棄しません。僕は彼女を愛してますので。戻ってくるのを待ちますよ」

「いいのか」

「はい」


 ぶっちゃけ出ていくの知ってたし。

 そんな事実を隠して、私は頷いた。


 それから150年の年月が流れた。

 我らエルフにとって時間という概念は希薄なものでどうにも頓着がない。

 これはエルフが長寿だからもあるが、薄暗く距離感が掴みにくい森の中で暮らしているせいでもある。一つは朝から夜へと循環する時間を計りにくいがため。そうしてもう一つは、直線的時間概念と密接に関係する、空間を把握する経験が乏しいがため。遠い昔とか、近しい未来とか、そういった時間と距離が織り交ざった言葉を知ってはいるが、それをどうにも実感できないのが我らエルフなのだ。


 それでも150年とはやはり結構な年月である。

 里の様子も少しばかり様変わりをし、見交わす顔もやっぱり少しばかり変わった。この年月の中で亡くなった者もいれば、幸せを掴み新たな命が宿った者もいたりして。同じ年頃の仲間にも幼い子を抱く者が目立ち始めた。


 そんな中で私は、相も変わらず森やら山やら谷やら洞穴やら人々の間やらを奔走し、面倒事の解決に明け暮れていた。

「これも立派な里の長になるための努めだ」

 呑んだくれの現里の長が、からからと笑い無茶ぶりをする。しばくぞ。仕事しろ。昼間から酒を片手に趣味の文献漁りとはいいご身分だな。憂さ晴らしに「てめーこのやろー」と殴り合いを仕掛けてはボコられる。そんな日々を過ごしていた。


 ある日のことだ。

 近隣の朋友に何やら大きな問題が発生したようで、その様子を視察しに行った帰りである。

 うんざりするほどの血の匂いで身も心もやられ、ようやく里の大きな門扉の前まで帰ってきてみれば、そこには完全武装した幾人もの門番と共に、父の配下の者が待ち構えていた。

「おかえりなさいませ。長がお呼びです」

 出迎えの挨拶もそこそこに、有無も言わさず連れていかれる。そこは里の中ほどに造られた集会所で、父はその玄関先で、壁に背を預け佇んでいた。


「すべて任せる」


 なんの事情の説明もく、顔を合わすなりそんなことを言われた。父はただ集会所の扉を顎で指すと、私の肩を叩いてその場を去っていった。

 只事ではない。何か大きな問題が起こったのだと思った。酒に酔った何時ものにやけ面ではない、一切の感情を殺した冷徹なる長の顔。その顔で「すべて」と言った。

 すべてとはすべてだ。

 これまでやらされてきたような使い走りではない。自ら考え、判断し、里の者を手足として使い事を治めろということだ。


 これは次代の長の資格を示す試験。

 のぞむところだ。僕はそう意を決して集会所の扉を開いた。

 結論を言おう。扉の先には二人の男女がいた。

 一人は酷い傷を負った只人ヒュームの男。

 そしていま一人は涙に濡れた美しい同胞……僕の幼馴染であり婚約者であるカレナリエだった。





 只人ヒュームは我らエルフを森の妖精と評する。華奢な身体に老若男女問わず優れた容姿をしていて、自分たちと同じ高度な文明を持ちながら、しかし深い森の奥底に隠れ住んでいるがために交流することもままならない。だからこそ伝説上の生物である妖精と例えたのだろう。


 このことは只人ヒュームの愚劣さを如実に表した良い例だと思う。妖精という言葉が美しさと神秘性を表すのであれば、我らエルフにはあたらない。まったくもって似つかわしくない。そう例えるには我らは余りにも中途半端で歪すぎるのだ。むしろ私がその言葉を贈るのなら、ゴブリンやコボルトやトロルといった、まつろわぬ者たちを選ぶ。只人は物を知らぬから仕方がないが、見てくればかりを追い求めて物事の本質を掴もうとしないから、何時までたって同じ過ちを繰り返すのだ。

 だがしかしだ。


「サリオン! お願い、彼を助けて!」


 カレナリエ。私の下へと駆け寄って来る彼女の姿を見た時、不覚にも美しいと思ってしまった。

 薄紅の果実を思わせる赤茶けた髪、涙で滲んだ菫色の瞳、白い肌、心配になるほどの細く柔らかな手、鼻孔をくすぐる甘い香り……。何もかもが磨かれ、見目よく装飾が施され、それは何かまるで一つの芸術品であるかのように彼女は華美に彩られていた。


 私は激しいショックを受けた。

 私の記憶に何時もあった、あの幼くも凛々しい彼女。いつも弓を担いでいて、長い髪は邪魔くさそうに無造作にまとめられていて、肌は泥と血に汚れ、手のひらは固く豆だらけで。そしてそれが誇らしそうで。

 あの眩い姿はもう何処にもない。あるのは飾り付けられた艶やかな大人の女性。そして悲しいことに、その華美に彩られた装いが決して私に向けられたものではないことを、その一瞬で理解してしまった。


 悲しさと怒りが湧いた。胸が痛み、心が苦しさで激発しそうになった。しかし無理にそれを押し込めて、笑顔を作ってみせた。私は果たしてうまく笑えていただろうか。落ち着けと彼女の肩を抱き、久しぶりだねと言葉を交わして、すぐに治療に取り掛かるよう配下に手配させた。


 それから、深い傷を負い意識を失った男につきっきりで看病する彼女を見ていた。手を握り、必死に呼びかけ神に祈るその姿を見ていた。

 血反吐を吐く思いだった。

 そんな彼女の献身が身を結び、男は意識を取り戻した。次第に傷がよくなり、仲睦まじくやり取りをする二人。私は心にもない笑顔を貼り付けながら、二人に近づき情報を引き出す。手に入れた情報は配下に指図し裏どりをさせ、そこから何が起こったのかを推測する。


 徐々に洗い出される事実は、すべてが最悪の方向へと向かっていった。

 決断を迫られていた。里の長として然るべき処断を。

 誰もが私を見ていた。長としての資格があるか否かを。

 逃げ出したい。誰かにこの立場を代わって欲しい。

 しかし、そんなことが許されるはずもなかった。



 二人が里にやって来て三月みつきが過ぎた。

 男はすこぶるよくなり、立って歩けるほどに回復していた。瀕死であったのが嘘であったかのように「いつまでも寝ているのは性に合わん」とよく喚く。頃合いだろう。覚悟を決めた私は、二人をその場所へと誘い出した。


「これがエルフの至宝か。なんという大きさだ」


 眼前にそそり立つ巨大な樹木を見上げ、男が感嘆の声を上げた。

 世界樹。空を覆い尽くす森を遥かに高く突き破り、神々が住む天にさえ届くといわれる巨木。この星の創世からあるとされ、我々エルフはこれより生れ落ちたのだと言われている。まあ、眉唾であるが。しかし、そんな伝承がまるきり嘘だとは思えないほどに、この大樹は色々と奇怪だった。


「本当に噂通りこの木には影がないんだな。しかもこんなに巨大なのに、誰もここにあると気付けなかったとは……。もしかしてこいつはこの場所でしか目にすることができないのか?」

「それはね――」


 男の隣に立つカレナリエが説明を始めた。身振り手振りを交えながら、なぜか得意げに胸を反らして。その様子を離れた所から眺めていた私は、内心呆れかえっていた。よくも里の秘事を平然とばらしてくれるものだと。事は安全保障に関わる重大事項なのに。我らエルフの生存と独立をなんだと思っているのか。


 その懸念の通り、男の目の色ががらりと変わった。カレナリエの話に食い入るように耳を傾けるその表情は鋭く野心的で、非常に危険な香りがした。もっとも、ここが機密まみれの重要な場所だと分かっていながら連れてきたのは私だ。文句を言うつもりなどない。問題があったとすれば、ともすれば眉間に立とうとする我が皺であっただろう。私は表情に出ぬよう気を払いながら沈黙を守り、二人の様子を伺い続けた。


 やがて話に一区切りをつけた二人は振り返り、私へと顔を向けた。その顔には期待と欲望が伺えた。私は努めて貼り付けていた笑顔を引き締める。これから重要な話をするぞというサインを送る。


「さて、カレナリエの説明から分かってもらえたように、ここは我らエルフにとって特別な場所だ。我らは此処より生まれ落ちたとされ、そして事実いずれ還る聖地でもある。然るに、ここでは嘘偽ることは許されない」


 重々しい言葉に二人は神妙に頷く。

 私は深く静かに息をつき、煩い程に鳴る胸の鼓動を落ち着かせた。なに、なんてことはない。やるのはただの事実確認だ。そう言い聞かせて話を切り出した。


 バルゼ・デュマ・ウィノスという男の名。

 ウィノス王家の嫡子であり、王太子という地位にあること。

 三ヶ月前、一軍を率いて森の中で戦いを行ったこと。

 相手ゴブリンたちを壊滅させたこと。

 しかし、その際に手酷い傷を負い、カレナリエによって此処へと運ばれたこと。


 それらの事実を二人はあっさりと認めた。男に至ってはこれっぽっちも隠す様子もなく、むしろよく調べたものだと豪快に笑ってさえみせた。その様子は何故か誇らしげで、手酷い傷を負ったことさえも今ではまるでいい思い出だとでも言うかのようだった。


 怒りが湧いた。

 知らず握りしめていた手が震えた。

 ふざけるな。お前らが殺し尽くしたゴブリンたちが一体何をしたというんだ。

 近隣の村にとって脅威?

 違うだろう、お前たちはあの土地が欲しかったんだろう?

 近年発見された大きな岩塩層。そこへ至る運搬道として、あの場所を開拓したかったんだろう。

 だったら話し合いをすればよかったんだ。

 彼らはまつろわぬ者たち。何かを持ち続けることを良しとしない。

 交渉すれば揉めることなく、その場所をあっさりと明け渡してくれただろう。

 それなのに問答無用に襲い掛かり、女子供を人質にするような真似をして。

 そんなことをすれば彼らだって、武器を手に取り戦わざるを得ないじゃないか!


「いやしかしサリオン殿。知ってはいたがやはりエルフとは素晴らしい種族だな。可憐で知的。それでいて逞しく情も深い。何より文明的だ。あの忌々しいゴブリンどもとはまるで違う」

「バルゼ、その比較は誉め言葉としてどうなのかしら」

「うん? 確かに! あんな薄汚い小鬼と比べるのは失礼だったな!」


 ヒトの皮を被った獣が不快な歌を囀り煽る。

 サリオン殿。ぜひ我らと盟を結ばぬか。これほど理知的で素晴らしい文明を持つ者はそうはおらん。我らは喜んで貴殿らを歓迎するぞ。

 そうよサリオン。これはとても良いお話よ。エルフはいつまでもこんな森に捉われているべきじゃないわ。外の広さを知らなきゃいけないのよ。あなただって言ってたじゃない。こんな薄暗い森の中は気が滅入るって。きっと今がチャンスなんだわ。私たちきっと手を取り合うべきなのよ。

 盟を結べば様々な利点があるぞ。麦などどうだ。この森の中では穀物を育てるのは至難であろう。主食があるのは良いものだぞ。

 そうね、麦があればパンができるわね。あれはとても素晴らしいもよ。ふっくらとして薫り高くて香ばしくて。きっとあたなたも気に入ると思うわ。

 塩やスパイスもいいな。ここの食事は少々味気ないからな。料理の幅も広がるだろう。

 そうね、岩塩の発見もできたし、需要先としても……


 うんざりだった。彼も彼女も、そして私も。


 なるほど。いいですね。興味深いですね。それは知りませんでした。そんなことが? 本当に? さすがですね。面白そうですね。素晴らしい! もっと話を聴かせてください……

 なんだこれは。我ながら吐き気がする。

 無感動にそんな言葉を操って、さも感心があるかのように振舞って、二人の交渉に熱を入れさせて、期待を極限にまで高めて。

 度し難い。でもやる。吐き気がしようがやる。

 なんのために? 決まっている。爆弾を投下するためだ。


「ところで、互いの友誼をもっと深く結ぶ前に確認しておかなければならないことがあるんですが、貴方たち二人は愛し合っているんですか?」


 その狙い通り、一瞬にして場の空気が凍った。

 男は思わず息を呑み、カレナリエは顔を引きつらせる。

 先ほどまでのはしゃぎっぷりが嘘のように、風の通らない薄暗い森は何時ものように静まり返ってしまった。

 私は黙って二人を見守った。

 やがて覚悟を決めた男が、気まずげに目を逸らす彼女を抱き寄せ言った。


「そうだ、愛し合ってるとも」


 カレナリアが驚きで男の顔を見上げる。互いの視線が絡み合い、彼女の顔からは怯えの色が消えた。変わって現れたのは覚悟を決めた強い眼差し。その眼差しが私を貫く。

 これは人をも殺せるな。

 私はたまらず天を仰ぎ「ああ」と声を零した。

 この二人がやってきてから、泣きたくなるような思いを幾度となくしてきたが、今回ばかりは格別だった。

 今や私は物語の悪役のようだ。愛し合う二人を引き裂こうとする極悪人。あるいは魔王と呼ばれる存在にでもなったのかもしれない。二人の強い眼差しは挑むかのようで、肩を抱き支え合う姿は運命に抗う勇者のようで。ならばきっと私は打ち滅ぼされるべき存在なのだろう。


 ズタズタに切り裂かれ悲鳴を上げる私の心。

 だが同時に、得も言われる解放感も味わっていた。

 そうだ。ずっとその答えが聞きたかったんだ。

 ようやくたどり着いた結末に頬が緩む。歓喜が沸き起こる。

 この空が塞がれてなければもっと――。そんな他愛もないことを思いながら、私は高く右手を上げた。


「正直に答えてくれてありがとう。おかげで躊躇いなく殺れる」


 上げた手を振り下ろす。刹那、どぱんと腹に響く二つの破裂音が辺りに響き渡った。爆発と回転。物理法則によって恐るべき速度に達した弾丸が二人の身体を射抜く。血反吐を撒き散らし地に倒れる。


 なにが。どうして。なぜ。

 胸の奥から込み上げる血に溺れながら、二人は苦悶の声を上げた。

 恐らく身に着けていただろう抗魔術結界やら弓矢除けなどの宝飾の類は、旧世界の武器の前には何の役にも立たなかった。致命的な一撃。それは目の前に広がる惨状によって疑う余地すらなかった。


 二人は死に行く。最早どうにもならない。その様を虫けらを見つめる思いで眺めた。じたばたと手足を動かし、遠ざかる生にしがみ付こうと足掻く、あのいじましくも無様な有り様を重ね合わせた。そうやり過ごすことで、些かの感情も漏らしはすまいと考えていた。だが、「なぜ」と尋ねる彼女の目が、その表情が、私の心を酷く揺さぶった。


 なぜ? むしろ僕こそ尋ねたい。どうしてそんな男を里へ連れてきたのかと。よりにもよって只人を。しかも王族なんかを。

 君は知っていたはずだ。この新世界に至る歴史を。旧世界で起こった忌まわしい惨劇を。かつてこの世界に君臨した始祖種ハイエルフが、如何にして自らを喰らい合う獣と成り果て滅んでいったかを。


 その滅びの歴史から学んだものたちがいる。ゴブリンやコボルト、トロルやオークといったまつろわぬ者たちだ。

 彼らは考えた。国家とはなんなのかと。搾取と管理による発展、人口増加、それによって起こる生産不足。その解消のための環境破壊、あるいは侵略戦争……。一体これはなんなのかと。バカではなかろうかと。延々と繰り返す拡大と繁栄の営み。これこそが文明だ、文化的だと誇っていたそのものが大きな間違いなのではなかろうかと。


 だから彼らは定住することを辞めた。土地を棄て、文字を棄て、主義主張を棄て、ついには衣服さえも棄てて、森や山といった不便を強いられる所に好んで移り住むようになった。そして二度と国家を誕生させないために、自分たちの中から支配者を生み出さないために、様々な工夫を編み出していった。


 只人どもはそんな彼らを未開な蛮族と侮辱する。価値のない者たちだと、同じヒト種ではないと蔑視する。愚かなことだ。実際には彼らの方がずっと遥か先を歩んでいるのに。そして自分たちこそが始祖種と同じ滅びの道を歩んでいるとも知らずに。


 いや、流石にこれは始祖種ハイエルフに失礼だろう。少なくとも彼らは繁栄の終局へと行き着いた。悪意の塊のような自然災害の詰め合わせがなければ(もっともその大半は環境破壊によって引き起こされたものだったが)、人口爆発による食料不足をどうにか乗り越え、今頃はこの星さえも飛び出して、天にまで繁栄の手を伸ばしていたかもしれない。


 だがお前ら只人はなんだ。一体いつになったら始祖種のような繁栄の道を歩き出せるのだ。一体幾つの国家を作り、一体幾度滅びればまともに歩けるようになるんだ。血と炎と増悪しか愛せない破壊者どもめ。いつまでたってもそんな有り様だから、お前たちはズタズタに寸断された都合のいい歴史しか知らないのだ。


 ねえ、カレナリエ。

 そんなどうしようもない愚か者たちと我らエルフが手を結ぶだなんて、そんなのあり得ると思うかい?

 自分たちを顧みもせず、他者を蔑み平然と攻撃を仕掛けるような者たちと、まともな交渉が成り立つと思うかい?

 そんな蛮族にも劣る奴を連れてきて、君はこの里から生きて帰れると思ったのかい?

 カレナリエ。君はこのエルフの里で一体何を学んだ?

 カレナリエ。君は外の世界で何を知った?

 カレナリエ。君はどうしてよりにもよってそんな奴を愛してしまったんだ?

 カレナリエ。どうして、どうして君は僕を裏切ったんだ!


 ……ああ、埋め尽くされる激情のままに思いを吐き出せたらどんなに良かっただろう。だが、死に行く者にそんな言葉を贈って何になるというのか。せめて安らかに送ってやればいいじゃないか。

 いいや、これは矛盾だ。きっと単なる言い訳でしかない。

 結局のところ、最早すでに私は私だった。あの頃の僕には戻れなかった。150年の修練を経て、何時の間にかこの身に染み付いていた里の長としての自覚が、そうあることを許さなかった。

 だから私はこと更に笑みを深めて、彼女に冷たい別れの言葉を告げた。


「最早君に語る言葉など何一つない。精々私を恨み死んでゆけ」




 それから四半刻が過ぎた。

 身じろぎもせず二人の行く末を眺めていた私の下に、父がひょっこりと顔を出した。二人の供を連れて。

「死んだか」

 顔を合わせるや否や、父はそんな言葉を投げつけてきた。あまりの言い草に私は些か眉を顰めた。なんせ父が供として引き連れてきたのは、カレナリエの両親だったからだ。

 血だまりの中に倒れ伏す娘の姿を見て思うところもあるだろうに。人の心がないのか。

 父の配慮の無さに沸々と負の感情が沸き上がる。しかしそれを感じ取った私は、内心で慌てて首を振り鬱蒼とした思いを追い散らした。そうではない、むしろ今はその配慮の無さを見習わなければならないのだと。


 私は父の尋ねに淡々と応じることにした。右手を上げ影に合図を送る。再びの破裂音。血だまりに倒れ伏した二人の身体がびくりと跳ねる。だがそれだけ。その後はなんの反応も示さない。


「どうやらそのようで」

「死体はどうする」


 鋭く問い掛けが迫った。

 何処までも無感情な目が私を見つめていた。

 私はにっこりと微笑んで応えた。


「不浄の谷に投げ捨てます。後はこの森がすべての痕跡を消し去ってくれるでしょう」


 どうやらその回答をお気に召してくれたらしい。父の目に光が宿った。唇が捻じ曲り、目尻にシワが寄る。父は一頻り声を上げて笑うと、満足そうに私の肩を叩いた。


「よし。儂はこれにて役目を退く。里は任せたぞ」


 晴れ晴れとした顔で父が立ち去る。その後をカレナリエの両親が追う。

 二人は立ち去る間際、ちらりと物言わぬ娘に目を向けた。その顔は少し悲し気だったが、しかしすぐに普段の顔に戻ると、何事もなかったかのように父の後を追っていった。未練などまったく感じさせない薄情なまでのその行動は、皮肉にもらしからぬところなど一切ない、実にエルフらしい姿だった。


「どうしてこんなことになってしまったんだろうな」


 影たちに撤収の合図を送り、ようやく一人になった私は、倒れた伏した二人に近づき膝をついた。

 痛みと恐怖に凍り付いたカレナリエ。彼女の開いた瞼を閉ざしそう語り掛ける。

 もちろん答えなどない。だから独り言ちる。


 誰かが、かつて起こった悲惨な結末を語り継いでいかなければならなかった。誰かが、危険極まりない過去の遺産を管理せねばならなかった。その役目を背負わされたのが我らエルフであり、私たち一族だった。


 我らエルフは中途半端で歪だ。役目があるがために、まつろわぬ者たちのように何もかもを捨て去ることができない。かといって只人ヒュームのように創意工夫をして新たな何かを生み出すこともできない。頭上を覆い尽くす木々が、我々から移ろいゆく時の流れを奪った。多くのエルフにとって過去とは恐ろしく振り返り難いもので、未来とはただの言葉でしかない。あるのは今だけ。この刹那にしか生きられない。


 私は、この何者にもなれない哀れな同胞を愛していた。今だけを見つめ、心底楽しそうに生きる彼らを捨て去ることなどできなかった。だからあの日、成人の日を終えたあの夜、君からの出奔の誘いを断った。「僕は行けない。だから代わりに広い世界を見てきてくれ」と。


 カレナリエ。君は捕らわれた籠の鳥だった。

 息苦しい、空が見たい、広い世界を知りたいと、いつも綺麗な声で呟いていた。

 本当は君の誘いに乗りたかった。共にこの森から羽ばたきたかった。離れ離れになどなりたくなかった。だが私は役目を棄てることは出来ず、また閉ざされた空を悲し気に見つめて自由を願う君を、この森の中に永遠に閉じ込めておくだなんて、そんな酷なこともしたくはなかった。


 だからあの時、私は君に言葉を贈ったのだ。

 僕の代わりに世界を見てきてくれと。そして何時か十分に世界を回って満足したら、僕の下へ戻ってきてくれと。僕はこの大樹のような立派な長になって、君を迎え入れるからと。そう世界樹の下で誓い合い、君を送り出したのだ。


 私はその約束を守った。ついに父を認めさせ立派な里の長となった。君も約束を守った。私の下へと帰って来てくれた。

「なのに、どうしてこんなことになってしまうんだろうな」

 震える声と共に涙が零れ落ちる。答えはない。最早此処には誰もいない。

 私は声を殺して、少しばかり泣いた。






◇参考動画


・時間は空間から作られる 熱帯雨林気候が時間の概念を破壊する

  by地理の雑学ゆっくり解説


・「国民を上手に搾取する方法」が学べる本。作らせるべき穀物は○○【ゾミア1】

・山の民はなぜ自らを野蛮化するのか?【ゾミア2】

・日常の全てがゾミアに見える。派閥に属さない会社員も、あのSFも。【ゾミア3】

   byゆる言語学ラジオ


素晴らしいインスピレーションを与えてくれたことに深く感謝申し上げます。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 選ぶ言葉、単語、表現がことごとく美しいです。 語り手の自己嫌悪、同族嫌悪を明確に伝えつつ、同時にエルフという種族の高潔さが伝わってきました。
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