八話:誘惑
「ばあさんや、今日のお昼は何を食べるんじゃぁ?」
学校の昼休みが始まるやいなや、奈緒は優子のところへと真っ先に向かってきた。
「……」
「って無視すんのかーい!」
「……え、奈緒?ごめんね、ちょっと考え事してて」
「ちょっと、また?優子、最近変だよ?」
河川敷での一戦があってから、優子は自分の能力で、どうやったら花梨に勝てるのかを考えていた。透明化の能力と毒の能力がバレており、その対策もされているのだ。今後再び遭遇したとしても、勝てるビジョンが見えない。
花梨だけではない。今後、花梨並みに戦い慣れた巫女と遭遇する可能性もある。そうなったときに、今の戦術だけでは厳しいのではないか、そう考え始めていたのだ。
(退屈に感じ始めていたけど、考えれば考えるほど不安が出てきたわね)
「もしもーし、優子さーん?」
眼の前で手を振る奈緒を放置して、再び考えに耽る優子であった。
「あ、おったおった。優子はん、ちょっとええか?」
ふと、聞き覚えのある声が優子の耳に入った。考えから意識を戻し声の方へ顔を向けると、見覚えのある女性が立っている。
「あら、あなたは確か、鈴鹿さんでしたっけ?そういえば、同じ学校だったのね」
「覚えとってくれたんか、うれしいなぁ!」
美波はニッコリと笑顔を浮かべると、優子の顔をまっすぐに見据えた。
「ちょっと、ウチと話さへんか?せやなぁ、校舎裏がええかな?」
「……ええ、いいわよ。それじゃあ行きましょうか」
「優子はんは飯でも食ってからゆっくり来たらええで。うちは先に行って待っとるでな」
そう言うと、美波は踵を返して教室から出ていった。
「優子、あの人知り合い?」
「ええ、そんなところね。鈴鹿美波さんって言う、ちょっと変わった人よ」
「知ってるよ。だってあの人、有名だもん」
奈緒は心配そうな顔で、優子の顔を見る。
「あの人、『金の亡者の鈴鹿』とか言われててさ、何をするにしても金銭を要求してくるって黒い噂があるのよ」
「まあ、そんな感じの人っぽいわよね」
「優子、そんな人と何の話をするの?先日の河川敷でのこともあるし、私心配だよ……」
奈緒は、泣きそうな顔をし始めた。優子を心配しているという言葉は本音のようだ。
そんな奈緒の頬に、優子はそっと手を添える。
「安心して、奈緒。決して危ないことをしているわけではないから。だから、そんな顔をしないで」
「でも……」
「ほら、お弁当食べましょ?お昼休み終わっちゃうわ」
奈緒をあやすように語りかけると、優子は鞄を探り始める。
「……うん、わかったよ。優子のこと信じるよ。でも、絶対に変なことに首突っ込んじゃだめだからね?」
「ええ、大丈夫よ。ほら、奈緒もお弁当出して」
「うん!今日はおかずなにかなー?」
奈緒は笑顔を取り戻すと、弁当を取り出すべく鞄に手を突っ込んだ。そんな奈緒の様子を、優子は笑顔で見守る。
(奈緒には素肌で触ったりしてるけど、毒の能力は発動しないのよね。巫女以外には効かないとか、何か知らないルールがあるのかしら)
その心は、別のところにありながら。
※※※
「で、私に話って何かしら?」
「優子はんにはバレとるみたいやし、率直に言うで。ウチから鈴買わへんか?」
人気のない校舎裏の、更に人目の付かない様な物陰。優子と美波は、向かい合って座っていた。
美波は背負っていたリュックを下ろすと、そのジッパーを開けた。中には、数え切れないほどの鈴が入っている。
「バレてるって、何の話?」
「とぼけんでもええ、バレとる前提で話し進めるで。優子はん、自分の戦い方に悩んどるやろ?」
自分の悩みをズバリ言い当てられ、優子が抱いていた考えは、さらなる確信へと繋がった。
「なるほどね……でも、それがなんで鈴を買う話になるのかしら?」
「ウチが思うに、今の優子はんが持っている能力だと、あのスポーツバカに勝つのは難しいと思うで」
「あのジャージの人のこと、知ってるの?」
美波はケタケタと笑う。
「あいつな、身体能力強化系の能力だけで戦ってるちゅうことで、一部の巫女の間で有名なんや。たまに勝っても鈴奪わんで終わらすこともあるから、なおさら変な奴ってな」
「たしかに、変な人ではあったわね……」
「だが、変なやつやけど、実力は本物や。現にほぼ無敵の能力持っていて、負けとるやろ?」
「……」
その通りだと、優子は内心悔しく思った。
「でな、そんな優子はんのために、ウチが力になれたらと思ってな。どや?今の鈴の能力に相性のいいもの、買っていかへんか?」
そう言うと、美波はリュックに手を入れ、鈴を一つ取り出した。鈴には付箋が付けられており、何やら文字が書かれている。
「この鈴は?」
「ウチが思う、今の優子はんに必要そうな鈴や。お代はそうやなぁ、負けに負けて千円でええで」
優子は鈴に付けられている付箋を読んだ。そこには、その鈴の能力らしき内容が書かれている。
「……前にも言ったけど、私は」
「そうは言っても、悔しいんやろ?あのスポーツバカに負けて。それなら、今ある力だけで考えるよりも、相性のいい力を手っ取り早く、確実に手に入れたほうがええと思うで」
美波は、優子の眼をまっすぐに見据えてきた。そんな美波の誘いの言葉に、優子は負けそうになる。
「……わかったわ。これ以上強くなるとさらにつまらなくなるかもしれないけど、そうでもしなきゃ、この悔しさは解消できないものね」
「毎度あり!あ、お代は後でもええで。優子はんなら、持ち逃げするようなことはせえへんやろからなぁ」
結局、優子は誘惑に負けてみることにした。
美波はケタケタと笑いながら、鈴を優子に手渡した。鈴を受け取った優子は、その手を強く握りしめる。
「ありがとう。あともう一つ、ほしい鈴があるのだけれど、持っているかしら?」
「ほう、それならあるで。珍しくない能力でいくらでも手に入るから、こっちも千円でええで」
「話が早くて助かるわ。便利ね、その能力」
「おおきに!こいつのお陰で、今のウチがあると言っても過言ではないからなぁ」
再び、美波はケタケタと笑った。
(なんだか、いけないことをしているみたい……でも)
妙な背徳感に襲われつつも、優子は財布に手を伸ばした。
(私の願いと、戦神楽のためだもの。こんなこと、どうってことないわ)
※※※
茜色に染まる、夕方の廃ビル。その中で、優子は一人の女性と対峙していた。
女性は優子と同じデザインの制服を着ており、その右手には一振りの刀が握られている。
「さあ、始めようか。痛い目見たくなかったら、さっさと降伏して鈴を差しだすことをオススメするよ」
「お断りしますわ。一戦始める前に、あなたに聞きたいことがあります」
「聞きたいこと?なんだ?」
「あなたの願いはなんですか?鈴に込めた願いは」
女性は刀を構え、その切っ先を優子へと向ける。
「残念だが、それは教えられない。教えたところで、どうせ覚えていられることはできないだろうだがな」
「そう、それは本当に残念です」
そう言うと、優子はおもむろにしゃがみ込み、床に手をついた。すると、優子を覆い隠すように、無数に百合の花が生えてきた。
「む、そういう能力か!だが逃がすか!」
女性は踏み込み、百合の群生へと勢いよく近づくと、刀で斬り裂いた。しかし、手応えはない。
「くっ、どこにいった!」
女性の問いかけに応えるものはいない。女性はあたりを見回すと、刀を構え直し、静かに耳を澄ませた。
(おそらく、複数の鈴の能力を持った相手だ。集中すれば、いる場所から鈴の音が聞こえてくるはず)
静寂が訪れる。風の音以外、何の音も聞こえない。
だが、その静寂の中、女性の頬を暖かいものが触れた。
「えっ……うっ……」
途端、女性は倒れる。倒れゆくその直ぐ側で、優子が姿を現した。
「なるほど、これなら確かに戦い慣れた相手にも効果的ね」
泡を吹いている女性の体を探り、複数個の鈴を取り出した優子は、その手を強く握りしめた。
「『音を消す』能力、か。これでもう、私を捉えることができる人はいなくなったわね」