七話:柔道の花梨
「それじゃあね、奈緒。用事が済んだらまっすぐ帰りなさいね」
「また明日ね!! まるでお母さんだなおい!」
夕方の駅前、優子は奈緒と別れ、自宅への道へと歩き始めた。目的地は自宅ではなく、シロガネのいる神社であるが。
「……なんか、順調に集まっちゃってるなぁ。これはこれでつまらないかも」
優子はこっそりと、鞄の中を確認した。中には、十個程度の鈴が入っている。
指から鉄球を放つ女性との一戦後、優子は鈴を奪う戦いを繰り返していた。ある時は、水を自由に操る隣のクラスの女子と、またある時は、炎と冷気を操る二人組と。他にも、様々な能力を持つ巫女たちと戦ってきた。
しかし、いずれもつまらない戦いであった。姿を隠した優子が相手に近づき、毒を流し込む。展開も結末も、毎回ほぼ同じであった。
「もっと、刺激的な展開が欲しかった気もするけど、どうしようかしら……」
いっそ、透明化の鈴は奉納してしまおうか、そのようなことすら考えていた。優子は願いを叶えるのと同じくらい、戦神楽での刺激を重要視していたのだ。
ため息をつきつつ、カバンのジッパーを閉じた。
「そこの君!ちょっといいかな!?」
突如、優子に声をかける者が現れた。優子が声の方へと振り向くと、ジャージ姿の女性が立っている。
「私かしら?何のご用?」
「君、巫女だろう?私と一戦交えていただきたい!」
ジャージの女性は、拳を突き出した。その手からは、一つの鈴がぶら下がっている。
「……どうして私が巫女だと?」
「実はたまたま昨日、君が戦っているところを見てしまってな!いやぁ、姿を消すとはなんと強い能力か!」
ジャージの女性は大きく笑った。その様子に、怪訝な顔で見てくる通行人が少なからずいた。
「はぁ、見られていたなんて……場所を変えましょう、そのほうが話が早いわ」
※※※
人気のない河川敷の高架下。優子はジャージ姿の女性と対峙していた。
「自己紹介しておこう!私は藤堂花梨と申す!見ての通り、柔道で世界を目指す武闘家だ!」
「……佐藤優子です。珍しいですね、自己紹介してくる巫女は」
「私は巫女だけど、それ以前にスポーツマンシップに則った柔道家だからな!礼節は一番よ!」
「は、はあ……」
優子は、花梨の勢いに若干引いていた。ここまで情熱的に戦いを挑んできた巫女は初めてであったからだ。
「おそらく君は、姿を消した上で何かする能力なのだろう!だがしかし、私の身体能力増強の能力とどちらが上か、白黒付けねばならないな!力が全てということを、知らしめねばならない!」
「そ、そうですか……すいません、一つ聞いても良いですか?」
「む、なんだい?作戦を聞き出そうとしても無駄だぞ?私は全力でまっすぐ戦うしかないからな!」
優子は一つため息をつくと、言葉を発した。
「あなたの願いはなんですか?」
それは、優子がほぼ毎回、戦う相手に聞いている質問である。この質問を聞けなかった相手は、少ししかいない。
「なんだ、そんなことか!ずばり、名トレーナーに会うことだ!」
「名、トレーナー?」
花梨はグッと、拳を握った。
「そうとも!私は鍛錬の末の実力で、柔道の世界のトップに立ちたい!だが、トップに立つこと自体を願いにしては、私の実力ではなくなってしまう!そこで、私の実力を全て引き出してくれる名トレーナーに出会うこと!それが、私の願いだ!!」
「……そう」
優子は若干、圧に押され気味になりつつも、その願いには多少は感銘を受けた。
「あなたの願い、これまで出会ってきた巫女たちの中では、随分とまともかも知れないわね」
「おお、褒めてくれるとはありがたい!では逆に聞くが、君の願いも教えてれるかな!?」
「私の願い?そうね……」
優子は少し、ためらった。しかし、キッと花梨の目を見つめた。
「煉獄よ」
そう一言発すると、優子は姿を消した。
「む、始まったな!さあ、何処からでもかかってくるが良い!」
身構える花梨を見張りつつ、優子は密かに、花梨の後方へと移動した。
(柔道家で、身体能力増強の能力と言ってた。でも、嘘かも知れないし油断はできない)
優子はじっくりと、花梨の様子を観察する。花梨は構えたまま微動だにせず、時折首左右に振り、辺りを伺っているようだ。
(探知能力は持っていないようだし、本当に力技一本でやるつもりなのかしら……)
例えそうだとしたら、今回もあっけない終わり方になりそうだ。優子は落胆しつつ、スタスタと花梨の背後へと近寄った。
(今回も、これで終わり。やっぱり、透明化は奉納しても良いかもな)
手段も一つの目的になっていることに気づきつつも、優子は花梨の首筋に手を伸ばした。
「そこかぁ!!」
「えっ……!」
突如、花梨が振り返り、優子の制服の胸ぐらを掴んだ。そしてそのまま、地面へと優子は投げ飛ばされた。肩に掛けた鞄が、明後日の方に飛んでいく。
「まずは一本!!」
「ぐぁっ……!な、なぜ……!?」
うまく受け身をとれず、背に強い痛みが走る。
「ぐっ……がっ……」
「鈴の音だ。君、たくさん鈴を持っているだろう?鈴同士がぶつかる音が聞こえてきたんだよ。私は鈴の能力で、聴力も強化されているからな!」
(しまった……音か……!)
優子は痛みが強く、うまく立ち上がることができない。
(まずい……このままだと鈴を……)
鈴は、制服のポケットの中に隠してある。しかし、動けない今、漁られて奪われてしまう。
(つまらないと言った、バチが当たったのかしら……)
優子は後悔した。毒と透明化の能力の組み合わせが強すぎて、油断しきっていた。相手が自分の能力を明かしていたため、なおさらだ。
「さて、それじゃあ……」
倒れている優子に向かい、花梨がしゃがみこんでくる。もはやここまでか、優子は覚悟を決めた。
「第二ラウンドだ! さあ、この手を掴んで立ち上がりなさい!!」
「……」
花梨は、優子に手を差し出した。その手は手袋など付けられておらず、素肌である。
(前言撤回、こいつはアホだ)
油断しきっている花梨の素肌に向かい、優子は思い切り手を伸ばす。
「……すまないが、ラウンド区切りの握手はなしだ」
「なっ……!」
しかし、優子が触れるか否かのタイミングで、花梨はその手を引っ込めた。
優子はバランスを崩し、更に倒れ込む。
「どうやら君は、直接触れることで何かをする能力だな?それならば、近寄らないことが正解だろう」
「……一瞬で見抜くだなんて。私は何度、あなたのことを考え直さなければならないのかしら」
優子は立ち上がり、花梨に向き合う。花梨は少しずつ、だがすぐにでも飛びかかれそうな距離を保ちつつ離れていく。
こうなると、優子は劣勢となる。透明化の能力が割れている上で、素肌に触れることが能力発動の条件であることもバレるとなると、為す術がなくなるのだ。
(いくら強いとはいえ、所詮は初見殺しの戦術か)
しかし、為す術がないのは、花梨も同じである。素肌に触ることができない以上、得意の柔術は封じられたも同然だ。
「うーむ、これはどうしたものか。手はない訳では無いが、それをやっては私の名を落とすことになる」
「あら、手があるなら使えばいいじゃないの。全力を出さないのは相手に失礼じゃないのかしら?」
挑発しつつも、優子は花梨の隙を探ろうとする。が、花梨には一切の隙が見えない。こちらこそ何か手はないか、必死に考える。
(そうだ、こっちには鈴がいくつもあるじゃないの。この状況を打開する鈴がきっと……)
優子はそう考えて、自分の鞄が落ちている場所を確認する。鞄は花梨をはさみ、反対側に横たわっていた。しかし、身体に痛みがある現状では、走って取りに行くことは現実的ではない。
(……手持ちの鈴は、毒と透明化とバリアと……)
「うむ!やはり、私は正々堂々と行くことにするよ!二本目もいただくよ!」
優子が考えを張り巡らせている間に、花梨は一気に距離を詰めてくる。
(これ以上私には……)
「おーい!ゆーこー!」
突如、聞き慣れた声が優子の耳に入った。慌てて振り返ると、はるか後方に奈緒の姿が見える。
「奈緒!?どうしてここに!?」
「おっと、邪魔が入ってしまったか!今日はここまでのようだな!」
そう言うと、花梨は勢いをとめ、優子に背を向けた。釣られて優子は、その場に座り込んでしまう。
「勝負はお預けだな、佐藤さん!巫女のままであったなら、また戦おう!」
花梨は大きく笑うと、背中越しに手を振り、その場から立ち去った。
残された優子は、あ然と遠ざかる背中を見つめる。
「借りてた本、返し忘れ……って優子!?どうしたの、喧嘩でもしたの!?」
「……いえ、なんでもないわ、気にしないで」
奈緒の手を借り、ようやく立ち上がった優子は、遠くの花梨に目を向ける。
「……完敗ね」
「優子?ねえ、大丈夫?」
心配そうに見つめる奈緒に向き直ると、優子はニッコリと笑った。
「ええ、大丈夫よ。心配しないで、奈緒」
そう言うと、優子は落ちている鞄に向かって足を進める。
(完敗だけど、あなたのおかげで弱点が分かったし、目も覚めたわ)
落ちている鞄を持ち上げると、強く握りしめた。
(強いけど、完璧な戦法ではない。ならば、更に考えるまでよ)