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都市伝説 星を見る少女

作者: 恵梨奈孝彦

星を見る少女


 この作品は、作者がある知人から伝え聞いた話をそのまま小説にしたものである。すでに都市伝説となっており、このタイトルでネット検索すると数件ヒットした。作者はこの事件が架空のものか、実際に起きたことかを知らない。


 あるところに一人の青年がいた。

 青年はひきこもりだった。

 ずいぶん長い間、三階から降りていない。

 用は三階のトイレで足している。食事は朝昼晩、母親が運んできてくれる。

 青年の名は…、いや、彼のことはただ単にひきこもりと呼ぼう。

 ひきこもりがこの部屋からほとんど出なくなってからどれくらい経つのか、彼自身もわからなくなっていた。

 高校を中退して、最初の一ヵ月くらいは真面目にアルバイトをしていたが、それも面倒になってやめた。いや、面倒になったというより、毎日客に頭を下げ、店長に怒られるのがいやになったにすぎない。

 今日もひきこもりは、午後四時ころに目を覚ました。まずトイレに行き、パソコンに向かう。あるアニメの二次創作小説の続きを書く。発表はしない。以前あるネットの掲示板に投稿してひどく叩かれたからだ。それ以来ネット自体が嫌いになった。しかし小説の世界に入っている間は、もうすぐ父親が定年を迎えること、父親がこの家のローンを払い終わっていないこと、このまま自分が両親に寄生していたら、彼らの老後の生活の邪魔になることを忘れることができた。

「ご飯だよ…」

 ドアの外から母親の声がした。一気に創作世界から現実に引き戻された。

「………」

「あんたの好きなハンバーグとアサリの味噌汁だよ…」

「………」

「今日はお父さんは遅いから、ダイニングにはいないよ…」

「………」

 ひきこもりが何の返事もしないので母親はあきらめて階段を下りて行った。足音が消えるのを確認してひきこもりはドアを開けた。廊下に、ラップに包まれた夕食があった。部屋に持っていって食べた。

 おいしい。ハンバーグの肉汁とアサリのしっかりとした出汁が舌の上にしみわたる。ほかほかの白米が体を温めてくれる。

 このひき肉もアサリも米も、もともとここにあったわけではない。誰かが作って、誰かが運んで、母親が買ってきて、母親が調理して、ここまで持ってきてくれたものだ。

 おれは一体何をしているのだろうか。生きていても価値がないんじゃないだろうか。

 しかしひきこもりはそんなことを誰にも言うことができなかった。

 なぜなら「そんなことはないよ。おまえにも価値がある」と言ってくれそうな人が誰もいなかったから。

「甘ったれたことを言うな。そう思ったら働け。働けないなら死ね。そのほうがずっとおまえの家族のためになる」

 誰にそんなことを言われたわけでもないが、そんな声が聞こえてきたような気がした。

 これは彼自身の声だったのかもしれない。

ひきこもりは自分の声に耐えられなくなった。箸を置いてパソコンに向かった。しかしさっきのように創作に熱中することがどうしてもできない。左を向くとカーテンがあった。乱暴に開けた。サッシに無精ひげが生え、ボサボサ髪の自分の姿が映る。たまらず鍵を開けてサッシを開いた。

 冬の冷気が一気に部屋に侵入した。思わず閉めようとした時、満天の星が輝いているのが目にとびこんできた。

 オリオンの二つの四角がくっきりと見える。ベランダに出てみた。その上下左右に彼の手足を見つけ、夜空に浮かぶ大男の姿を見ることができた。

 星空など見上げたのはいつ以来だろう。かつてひきこもりは、星というものが、いやでも永遠だの、遠い世界だのを思い起こさせるので好きではなかった。

 しかし今はそうでもない。人間が小さく見えれば見えるほど、自分の小ささが気にならなくなった。

 オリオン座は誰でも簡単に見つけることができる。もうそんな季節だったのか。以前この星座を見た時は自分はひきこもりではなかったはずだ…。

 ふとそんなことを考えてしまった。急に星を見ることもつらくなった。

 部屋にもどろう…。そう思った時、三軒くらい西のベランダに、顔を上げている人の姿が見えた。

 体の大きさや着ている服から、少女のように見えた。

 少女は、星を見上げているようだった。

 ひきこもりもまた星を見上げた。

 誰かと一緒に同じことをするなどいつ以来だろうか。

 もちろんあの少女は自分のことなど知らない。しかし「俺たち」はまぎれもなく星を見上げている。「俺たち」「私たち」「我々」という言葉をひきこもりは心の中でじっくりと噛みしめた。

 ひきこもりは涙ぐみながら部屋にもどった。

 次の日は雨だった。ひきこもりはずっと部屋の中でマンガを読んで過ごした。

 その次の日は曇りだった。ゲームをしながらずっと部屋の中で過ごした。

 その次の日は、部屋の中でパソコンで小説を書いた。それが一段落ついた時、少し前に星を見上げたことを思いだした。天気予報によれば今日は雲は出ていないはずだ。ひきこもりはベランダに出てみることにした。

 いつかのような満天の星空だった。オリオン座も簡単にみつけることができた。しかしいつかのような感動はなかった。弱弱しい電飾のように見えた。ふといつかの家のベランダを見てみた。するとそこに…。

 あの少女がいた!

 少女はいつかと同じように天を仰いでいた。

 自分が気まぐれを起こしてベランダに出た時と、少女が星を見るために外に出る時とが重なる確率はいったいどれくらいなのか、ひきこもりにはわからない。しかし彼は、自分と彼女に何かの運命があるような気がした。

 ひきこもりは、少し変わった。もちろん部屋から一歩も出ることはなかったけれど、小説を書くのに張りが出てきたような気がした。小説といっても、登場人物も世界観も借り物にすぎない。しかしそれらを知っている人ならば楽しんでもらえるかもしれない。

 数日かけて小説が完成した。自分が読んでも面白い。むろん作者などというものは必ず自分が読みたいものを書く。自分が面白いからといってひとが読みたがるとは限らない。それでも自分には才能があるのではないかという気がした。

 何度も推敲をくり返した後、久しぶりにネットに投稿した。ネットに載った自分の文章を読んでみた。気分が高揚してきた。しかしまた叩かれるかもしれない。この作品は今までよりもはるかに自信がある。今度叩かれたらもう立ち直れないかもしれない。

 ふとあの少女のことを思いだした。自分がベランダに出た時、二度も少女が星を見上げていた。

 もし今サッシを開けてあの少女が星を見上げていたら…。

 今のこの時間と、二回少女を見た時刻はそれぞれ違っている。こんな強運の持ち主はめったにいないのではないか。もし少女がいたら…、たとえネットでいくら叩かれようが自分は生きていける。彼女があそこにいたら、自分はあの子と運命をともにしよう。彼女が自分を知らないなんてことは関係ない。突然だろうが何だろうが、明日になったら彼女の家を訪ねてみよう。これは神様が自分に与えてくれた最後の贈り物なんだ。たとえどんな過酷な運命であろうと、きっと受け入れることができる。

 彼女と同じ運命をたどるのが自分の運命ならば、神様、どうかあの子をベランダの上にいさせて下さい!

 勢いよくサッシを開けた。

 星ではなくベランダを見た。


彼女は…、いた!


 少女は初めて見た時と同じく、ひっそりと顔を上げていた。

 ひきこもりは空を見上げた。今日も雲がない。降るような星空だった。

 部屋にもどって蒲団の中に入った。自分が眠れないのはいつも寝る時間ではないからではなく、興奮しているからだと気がついた。

 母親が起きる時間になった。

 彼はもうひきこもりではなかった。部屋のドアをゆっくりと開け、階段を降りて行った。

 この木目を見るのはどれくらいぶりだろうか。母親が彼がいつ降りてきてもいいようにと思ってか、階段には塵ひとつ落ちていない。

 階段を降りてガラス戸を開ける。たてつけのよいガラス戸は彼を歓迎するかのようにするすると開いた。

 一階のキッチンではすでに母親が朝食の支度をしていた。

「おはよう」

 挨拶をした。

「おはよう…」

 母親が涙ぐんでいるのがわかった。青年も涙ぐみそうになった。母親の様子に気づかないふりをしながらキッチンに入った。

 キッチンも、彼の部屋とちがってきれいに整頓されている。トースターの位置もパンかごのある棚も記憶と寸分も違わない。これも母親の心づかいだろうか。

「パンは自分で焼くよ」

「そう、ちょっと待ってね。目玉焼きとサラダができるから」

 青年は母親が調理をしている間にコーヒーを淹れ、できあがった朝食を自分でテーブルまで運んだ。父親はすでに会社に行っていない。テーブルにつくと、母親が座るのを待った。

 母親が席に着くと両手を合わせて母親に向かって言った。

「いただきます」

「いただきます」

 おいしい。いつもの食事よりはるかにおいしい。だれかとテーブルを囲んで食事をするのはいつ以来だろうか。

 しかしつい、互いに黙ってしまった。

 さっきまでひきこもっていた青年と主婦との共通の話題を見つけるのは難しい。母親は当たり障りのないことを言おうとしているようだが、なかなか話題が思いつかないようだ。

 青年もまた、母親にアニメの話をするわけにもいかず、何を話したらいいのかわからない。

 今日、あの家に行ってみるつもりだということを話すことにした。突然で相手には迷惑だろうが、母親は自分が外に出ることを止めようとはしないだろう。その時、母親が口を開いた。


「あんた知ってる? あんたは近所のことにはもともと無関心だったけど…、うちから三軒向うの××さんの御嬢さんが首を吊ったんだって。なんでもご両親の離婚騒ぎで家族が別に住んでいたから、今朝発見されるまで、二週間以上もベランダにぶらさがっていたそうよ…」


おしまい


「星を見る少女」という都市伝説は実在しますし、結末はこれと同じです。ただし、ひきこもりがそれを見ていたという設定は私の創作であり、「彼女と同じ運命をたどる」つまりいつかは「ベランダにぶら下がる」というのも私が創作しました。自作の戯曲「昨日と同じ今日が来る」「怪鳥は闇を切り裂く」にもこのエピソードを使いました。


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