旅の準備
「すまない」
朝露の恵み亭の2階の角部屋で、クレアは何度もアルダに頭を下げていた。
クレアの手には、今朝方ギルドから送られてきた手紙が握られていた。領都にいる父から、ギルドの魔道具を使った連絡が届いたのだ。
そこには、ハティを、すぐに領都へと送り出すように指示が書かれていた。
ハティを売却することで、アルダへの褒賞を渡そうと考えていたクレアは、それを見た瞬間途方にくれたのだった。
便宜上、クレアの出動は領軍扱いだったため、それを領主が持ち去ること自体はおかしな事ではない。
しかし、クレアにとってあれはアルダのものだという意識が強かった。だが、領主の依頼を受けた運び屋は、有無を言わさずハティに保存の魔法をかけて、そのまま領都へと運びだしてしまったのだ。
クレアはそれを茫然と見送ることしかできなかった。
これで、どう控えめに見ても、勲功1位であるはずのアルダに、報償を渡すことができなくなってしまったのだ。
「クレア様。エスクワイアにとって、あれは仕事の一環です。自発的に参加した冒険者とは扱いが違って当然ですよ」
「しかしな……」
「大体、僕はほとんど何もしてませんし」
おどけたようにそう言ったアルダは、パルプスを実体化した。
「お褒めの言葉は、パルプスにどうぞ」
「おお、パルプスもご苦労さま」
クレアは、ついニコニコしながら、パルプスを構い始めた。クレアをごまかすならこれが一番だ。アルダは学習したのである。
「それで、クレア様は領都にお戻りになられるのですか?」
「クアルタの30までには、学院に戻らなければならないが……ハティを討伐してしまった今、それまでは特に決まっていないな。どうせ領都には途中で寄ることになる」
ソーナスからスウィフトまでは、早馬で2日、スウィフトからケイまでは、同じく早馬で10日といったところだ。普通に馬車で移動するなら、その倍はかかるだろう。
「お戻りなるなら、僕も付いて行った方がよいでしょうか?」
アルダは一応クレアの正式なエスクワイアだ。
しかし、アルダはそれが本来どういうものなのかはよく知らなかった。
「いや、そうして貰えるなら助かるが……アルダは自由にしても――」
「なら、ご一緒させていただきます」
このままソーナスで冒険者をしたとしても、ホルダーを手に入れる前のようなことはないだろうし、この部屋に住み続けることだってできるだろう。
しかし、それまでのアルダをよく知っている人達にとって、今の行動は、逸脱しすぎている。
今はクレアの腰ぎんちゃくとして見られているからそれほどでもないが、一人になったら、それまでとは落差がありすぎて悪目立ちすることは確実だった。
それなら、クレアの従騎士として、誰もアルダのことを知らないところで、最初から従魔を持ったものとして行動した方がましなのかもしれなかった。
それに、学院はケイにある。つまり、ミスルの言っていたスプライトを従魔に加えるチャンスでもあるのだ。
ただそれ以上に、エスクワイアとして雇われたなら、エスクワイアとしての本分を全うするべきだと、まじめなアルダは考えていたのだ。
「そ、そうか。助かる」
冒険者ギルドに報償を渡した後、クレアの状況は、いろいろ大きく変わっていた。
まずソーナスでは言うまでもなく英雄扱いだ。
外を歩けば、皆が口々にお礼や賞賛の言葉がかけてくる。そうして、皆、彼女が領主になることを望んでいた。
そう言うのが苦手なクレアは、ついつい宿に引きこもった。特に今回は、嘘ではないにしても自分が討伐したと胸を張るのは少し憚られたのだ。
宿はと言えば、クレアは前の宿を引き払って、アルダの部屋に転がり込んでいた。単純にお金がなくなったからだ。
もっとも、この部屋は、クレアが支払いをすませていたわけだから、クレアの部屋にアルダが住み着いているというのが正しいのだが。
従騎士と同じ部屋で世話をして貰うというのは、特におかしなことではないのだが、成人前とは言え、嫁入り前の貴族の娘と男の従騎士では、少し話が違っていた。
本当にそれが許されるのかと言われると難しいところだろう。クレアは全然気にしていないようだったが。
クレアには、貴族の矜恃や正しさや、騎士としての実力や、ついでに男気はたっぷりとあったが、生活力はあまりなかった。
これは僕がなんとかしなければ、と、成人前のアルダが強く感じるくらいにはポンコツだったのだ。
それでもアルダは、なにも危機感を感じていなかった。
クレアは貴族と言っても、贅沢にはまるで興味がないようだったし、今ではアルダの所持金は金貨で60枚以上になっている。
お世話をすると言ったところで、宿を押さえている間はゆっくりしていただいて、クアルタ(第4期・7~8月にあたる)の適当な日になったら、領都にお送りすればいいか、と単純に考えていた。
馬車を借り切って仕立てたとしても充分間に合うと思っていた。
素材と言えば、ホルダー内の邪魔な素材も換金してこなければ、と思い立って、アルダはクレアに向かって言った。
「クレア様、僕、ちょっと出かけてきます」
「ん? どこへ?」
「領都に戻る準備と、ギルドで少し……昼食は宿に頼んでありますから、ライザさんが声をかけてくれると思います」
「手間をかける」
やや落ち込み加減のクレアを見て、アルダは魔法の言葉を口に出した。
「クレア様は、部屋でパルプスとゆっくりしていて下さい」
「パルプスと? そうか! ではそうさせて貰おうかな!」
にこにこと笑うクレアと対照的に、パルプスの額には汗が浮いて……いるようにみえた。
アルダは苦笑いしながら、ここは頑張ってクレアを上げてくれるように、パルプスに念を押すと、買っておいた毛並みを整えるブラシをクレアに渡した。クレアは益々嬉しそうだったが、パルプスの汗は二筋に……なったようにみえた。
「あとは何かありましたらこちらで」
そう言いながら、アルダは金貨が20枚入った小さな皮の袋をクレアに渡した。
「ああ、私が報償を渡さねばならない立場だというのに……」
それを見てクレアはまた落ち込んだ。
その様子を見て、可愛い方だなと不敬なことを考えながら、アルダは、後のことは任せたぞ、とパルプスに目配せをして部屋を出た。
∽━…‥・‥…━∽
「こりゃまた大量だな」
ギルドの買い取りカウンターで、ワイズ――実はギルド長だったのだが――が唸った。
大袋に入っていた、グレイウルフの素材は36頭分だった。
「相変わらずいい状態だから、1割り増しだな」
ギルド長はそう言って、64,800Fをトレイの上に置いた。
「ありがとうございます」
アルダがそれを受け取ると、素材を片付けながらワイズが訊いた。
「クレア様は、もう領都に帰られるのか?」
「はい。学院の休みも、あと半期しかないそうですから」
「そうか。ケイは遠いからな。ハティもさっそく引かれていったし、向こうでパレードでもするのかもな」
それを聞いてアルダは、クレア様は目立ちたくないんじゃないかなと心配したが、どうにもしようがなかった。
ギルド長は、あの素材はうちで取り扱いたかったんだがなぁとこぼしていた。
「じゃあ、後少しだが、よろしくな」
「はい」
買い取りカウンターを後にして、ギルドのホールへ戻ったが、討伐報酬を要求するわけには行かなかった。
なにしろパルプスのレベルが6つも上がっているのだ。一体何を倒したのか分かったものではない。
「ギルドカードの討伐記録って、どこかで確認できないのかな」
「できるよ?」
「うわっ!」
突然耳元で囁かれてアルダは大声を上げてしまった。ギルド内の視線が一瞬集まったが、何かふざけたのだろうと、すぐに散っていった。
「アルくんったら、そんなに驚かなくっても」
そこでは、コロコロと笑いながらニールが悪戯っぽく笑っていた。
「に、ニールさん?」
「はーい、ニールですよー。で、ギルドカードの討伐記録は、すぐに見られるよ? 時間がかかるのは集計の必要があるからだから。確認する?」
「あ、いえ。そうじゃなくって……」
「?」
ギルドで確認したくないから、他で確認したかったんですよとは、さすがのアルダでも言えなかった。
「あ、ほら、なんていうか……現場! 現場でですね。本当に記録されているのかどうかとか、ほら、気になりませんか?」
「ははぁ……」
どうやらよくある話のようで、ニールはすぐに定期的に行われる試験のことについて教えてくれた。
なんでも、討伐数を表示する機器は持ち運びできる大きさなので、定期的に記録されているのかどうかの確認が行われているのだそうだった。
「どうしても気になる人は、討伐証明部位を持ってくればいいんだけど……あれは、冒険者も戦闘後に集めるのが大変だし、ギルドも数えなくちゃいけないわ、カードの記録から討伐部位分を抹消する必要があるわで、大変だから、あんまり人気がないんだよね」
「あ、そうですよね。僕はもちろんカードを信じてますから。あ、あははは」
あまりに怪しいアルダの態度に、ニールは眉根を寄せて、訝しんだ。
「んー?」
「あ、そうだ。ちょっと買い物があるんでした。ニールさん、また今度!」
「んんー?」
さらに腕を組んで、なんだか怪しいぞといった顔をしたニールを尻目に、アルダは急いでギルドを後にした。
「はあ、心臓に悪いなぁ」
気を取り直したアルダは、旅をするために、まず馬車を手にれようと、馬車屋へと向かうことにした。
クレアは貴族の令嬢だ。移動には馬車を使うはずだが、それらしいものは用意されていなかった。
それを見て、立派なエスクワイアとしては、主の馬車くらいは用意しなければと思ったのだ。
∽━…‥・‥…━∽
「やあ、ポクポク馬車店へようこそ」
「ポクポク?」
「ああ、私の名前がポクポクなんだよ。あんまりらしいんで、店の名前にしたんだ。よろしくね」
ポクポクはどこかひょうひょうとした変な男で、歩くとポクポクと音のする靴底の厚い木の靴を履いていた。
不思議に思って、アルダが足下を見ていると。
「あ、いいでしょ、これ」
「ええ、まあ。それにはどういった意味が?」
「意味? ファッション……ううん。訓練?」
何故に疑問系? とアルダは首を傾げた。
「訓練? って、なんのですか?」
「さあ?」
「はい?」
「よくわからないんだな、これが」
「あ、そ、そうですか」
この男はヤバイ。深く関わるのは、やめておくべきだとアルダの本能が告げていた。
「そ、それで、なるべく安い箱馬車があれば」
「箱馬車はないなあ」
主に貴族が乗るような箱馬車は、そもそもが注文販売になるので、中古の存在が少ない上に、辺境まで流れてくることなどまずないらしかった。
何しろ遺跡山の向こうは暗黒の森。ソーナスは立派な辺境なのだ。
「もしもあったら、なにかいわく付きじゃないかと疑った方が良いよ」
「いわく?」
「呪われてるとか」
「は、はあ……じゃあ、幌馬車で」
さすがにクレアを雨に濡れるような馬車に乗せるわけにはいかない。幌は必須だ。
「なら、これが一番安い馬車かな」
そう言って見せて貰ったのは、壊れかけた板で囲まれた、引いたら軋んでそのまま分解しそうな荷馬車だった。幌は一応付いてはいたが、あちこち穴が空いているありさまだった。
「これは幌馬車と言うより、ボロ馬車ですね」
「うまいこと言うね!」
ポクポクは足をポクポクと勢いよくならして喜んだ。
その後も疲れるやりとりが続いたが、結局、魔物の皮で補強された黒っぽい丈夫な幌の付いた、程度の良さそうな荷馬車を見せてもらった。
「これはお勧めだよ! 最新の車軸懸架が使われていて、板バネもまだまだヘタってないからね!」
「幌馬車に乗り心地を求めてるんですか?」
「あまり揺らしたくないもの用の馬車なんだよ。凝りすぎて店の方がつぶれちゃったんだけどね!」
ポクポクは、やはり面白そうに、足をポクポクと勢いよくならした。
「はぁ」
そのやり取りはともかく、馬車の程度はよさそうだったし、価格もそれほどでもなかったため、アルダはそれを、予備の車輪や車軸と共に購入した。
ハーネスには地竜や大型の狼用なども存在していたので、大型の狼用を購入した。なんでも昔は戦車に使ったりしていたそうだ。
今は単なるデッドストックだったので、それを買ってもらったポクポクは、やはり嬉しそうにポクポクした。
馬車を購入したアルダは、その足で食料を初めとする様々なものも、まとめて購入していった。
どうせ袋に入れてカード化すれば時間は経過しないことが分かっているのだ。自重しないで片っ端から買い漁った。
同一のポケットに入れられることを確認した、パンチョンと呼ばれるサイズの樽を12樽用意して、水だのワインだのエールだのの液体と、そのほかにも果物や野菜をつめこんだ。
クレアに貰った、偽のポーチが大活躍だ。
凄い勢いで金貨が消えていったが、それがなんだかとても楽しかった。
∽━…‥・‥…━∽
購入した幌馬車を、宿まで届けて貰うと、それをクレアに見てもらった。
クレアは不思議そうにその馬車を見て、アルダに訊いた。
「なかなか良い幌馬車のようだが、どうするんだ?」
「え? 領都へ向かうということでしたから、乗り物を用意しないとと思ったのですが……」
領主の娘で英雄のクレアが乗合馬車というわけにはいかないだろう。
「それは嬉しいが、私は馬だぞ?」
「はへ?」
よく考えてみれば、クレアは『聖』が付いているとはいえ、れっきとした騎士なのだ。だから馬に乗っていて当たり前だった。
「そ、そうですよね。あは、あはははは」
アルダはあまりの間抜けさ加減に、全力で脱力しながら乾いた笑いを上げ、その様子を見たクレアが吹き出した。
出会ったときから、14らしからぬ、有能で頼りになるところばかりが目についたアルダにも、年相応に抜けたところがあることに、彼女はなんとなくほっとしていたのだ。
「まあ、荷物も沢山載せられるし、雨もしのげる。幌馬車も悪くないだろう。きっと必要になるさ」
クレアの慰めるようなフォローに、アルダは恐縮しきりだった。
「あ、それにパルプスやセイルと一緒に旅ができるな!」
クレアが、ぽんと手を叩いてそう言ったが、「もうなんでもいいです」と、アルダは珍しく肩を落としていた。
「ところで、これは何に引かせるつもりなのだ?」
クレアが馬に乗ると言うことも忘れていたくらいだから、クレアの馬というわけではないだろう。
「あー、うちの従魔に……」
「パルプスか? すこし小さい気もするが」
「いえ……」
そう言ってアルダは、テンペストウルフを実体化した。
「うぉっ、こ、これは……」
アルダにとっては見上げるほどの大きさを持った狼で、馬と同じくらいの体高は確実にあるだろう。
黒に近いダークグレイのマットな毛並みは、頭の2本の角を除けば、とびぬけて体格の良いグレイウルフに見えなくもなかった。
「カラーウルフにしては大きいな」
するりと立ち上がってクレアのまわりを回り、体をこすりつけてくる狼に、最初は驚きながら、そのうち相好を崩して、クレアがそう呟いた。
カラーウルフの体高は、大きくても1.5ミールほどだが、目の前の狼はそれより二回りは大きかった。
「拙いですかね?」
「うーん。私も見たことはない種類だが……額の角さえ隠せれば、立派な体格のグレイウルフと言っても……通るかな?」
疑問系がいかにも頼りないクレアだったが、この世界には、地竜もいれば走鳥もいる。昔は狼が引く戦車もあったようだし、特に問題視はされないだろうと考えていた。
「隠せますか、これ?」
テンペストウルフの2本の角はなかなか立派だ。
「そうだな。軍馬のメンコを加工して、なにかこう……飾りのように見せかければ、なんとかなるのではないか?」
なるほど、人間の兜と同じで、カッコイイ飾りにみせるわけだ。それなら多少目立っていてもおかしくない。
「それにしても……」
アルダは、新しく見せた従魔のことについてなにか言われるのではと覚悟した。
「結構可愛いな!」
すりすり体をこすりつけてくるテンペストウルフをモフりながら、犬派全開のクレアはとてもご満悦のようだった。
ただ、黒っぽい幌馬車に黒っぽい大型の狼を繋いだ様子は、どんなに好意的に見ても聖騎士にふさわしいとは言い難く、それは、地獄からやって来た魔王の、禍々しき乗り物にしか見えなかった。