襲来
テルセラ6節の2。
アルダたちは遺跡山のさらに奥深い場所へと移動していた。
(この先は17番。その向こうはもう暗黒の森だ)
遺跡山の遺跡には、それぞれ番号が付いていた。この方向で先にあるのは17番遺跡で、それは完全な暗黒の森との境界付近にある遺跡だった。
そうして、今、向かっている先にいる何かを、最後尾で荷物を背負っているにも関わらず、アルダは真っ先に感じ取っていた。
(なにかいるな。このまま進むと鉢合わせ――)
「待て」
先頭を進んでいたベッセルが小さく声を掛けると、後続を手で制した。
「なんだ?」
サリュートがベッセルに近づいて尋ねたが、ベッセルはそれに応えず、真剣な顔つきで西の方を見つめていた。
しばらくそのままでじっとしていると、鳥の声も虫の声も聞こえず、ただ風が木の葉を通り過ぎる音だけが全てに思えた世界に、西の方から下草を踏みつぶして急ぐような音が聞こえ始めた。
「どうやら、小さな魔物が、集団でこの先を横切りそうだ」
「ゴブリンか?」
「おそらく」
「数は?」
「数十ってところか」
「で、どうするんだ?」
思案しているサリュートにパルクリが大盾を担ぎながら尋ねた。目がやるのか? と聞いている。
「もちろん殲滅だ」
それを聞いていたキリークが、勢い込んでそう言った。彼には実績が必要だったのだ。しかしサリュートは、嫌そうな顔をしながら、それを否定した。
「我々の仕事は調査のはずです。無駄に魔物と戦う必要はないでしょう」
「なんだと?」
「むしろ、そのゴブリン達が、なぜ移動しているのか、どこから来たのかを調べる方が重要です」
かんしゃくを起こしそうなキリークをなだめながら、西方へと目を向ける。その時、少し先の草むらから、草をかき分ける音と共に緑色の2匹の小人が飛び出してきた。
さすがにCランクのパーティだけあって、砂の牙は、その時点で、すでに迎撃の態勢を整えていた。
斥候に見つかってしまえば、後ろには何十匹もの集団が控えているのだ。ゴブリンは集団でパーティを狩りに来るはずだ。キリークと側付きの騎士以外の誰もがそう考えて、戦闘の覚悟を固めた。
その2匹は確かに砂の牙のメンバーを認識した。
だが、目が合った瞬間だけ固まった後、すぐに彼らを無視して、草むらに飛び込むと東へと向かって走り出していた。西の本体へ戻るどころか、振り返りもせずに。
その様子にベッセルは目を丸くして、頭をガシガシとかいた。
「おいおい、いつから俺たちは知性のない魔物に恐れられるほど、凄いオーラを出せるようになったんだ?」
その科白にサリュートは苦笑した。
「オーラはともかく、ゴブリンの集団が冒険者を認識して、何もせずに無視するなんて話は聞いたことがない。一体何が……」
「もしかしたら何かに追いかけられていて、逃げるのに精一杯なんだったりして」
パーラーがおちゃらけたようにそう言ったとたん、全員が沈黙した。
「や、やだなあ。冗談だ……よ?」
その声を無視して、サリュートが考え込む。
「集団のゴブリンを追い散らせるほどの何か、か」
「ドラゴンみたいな規格外に巨大なやつかな?」
「そういう奴が追いかけてきていたら、すぐにわかるだろ」
「じゃあ、なんだ?」
皆が思い思いに想像をたくましくしている中、キリークが手を叩いて皆の注意を惹きつけた。
「ここで妄想ばかり膨らませても意味はないだろう。確認しに西へ向かうべきだと思うが?」
そうは言っても、サリュートはパーティリーダーとして、パーティをむやみに危険な場所へと誘うわけにはいかなかった。
とはいえ、現実問題として、まだ誰も消耗していないし、その危険を現実として認識できたわけでもない。嫌な予感がすることは確かだが、言ってみればその予感以外に調査を継続しない理由がないのだ。
サリュートは冒険者として、その予感を大切にするべきであることを知っていたが、それで依頼人が納得するとは思えなかった。
「わかった。ベッセル、今まで以上に注意して西の方向、通り過ぎたゴブリンどもの足跡を逆にたどってくれ」
「了解。あいつら闇雲に走ってきたみたいだからな、例え斥候じゃなくても、これをたどれない奴はいないさ」
そうしてパーティは西へ向かって進み始めた。
∽━…‥・‥…━∽
「おいおい、こりゃあ……」
ゴブリン達の足跡を逆にたどってたどり着いたのは、遺跡山では珍しくない、石造りの廃墟だった。ただし、街の至る所に血の後が残されていなければ、だが。
サリュートが足下にあった、肉片のようなものをつま先でつつく。
「こりゃ、足の先だな。ゴブリンの」
「それって、つまり」
「何かがここでゴブリンをバラバラにして、おそらく食っちまったんじゃねーの」
皆が周囲を気味悪そうに見回したが、特に音も聞こえなければ気配もなかった。惨劇は過ぎ去った後だったようだ。
「い、一体相手は、何だというのだ?!」
「さあ。廃墟に新しく壊れている場所が少ないですから、ドラゴンみたいな巨大な魔物じゃない事だけは確かでしょう」
キリークの問いにサリュートが答えた。
「ハカセはどう思う?」
パーラーがアルダに向かって尋ねる。
アルダはレベルこそ低かったが、従魔師だけあって魔物についてとても詳しかったので、パーラーは時々からかうように、彼をハカセと呼んでいた。
「そうですね。どんな魔物にしろ結構な数だと思いますよ」
惨劇は廃墟の至る所で行われている。もし、捕食者の数が少ないとするなら、こんな惨劇が行われているうちに、みな逃げてしまうはずだ。
「同族か近い種族同士の争いか?」
「可能性はあると思いますが、死体がほとんど無いっていうところが説明できません」
「じゃあなんだよ?」
「おそらくビースト系の魔物の集団じゃないでしょうか」
アルダが指さした先には、廃墟の石塀に獣の毛のようなものが挟まっていた。
「この辺りでビースト系といえば、ウルフか?」
サリュートがその毛をつまんで確認しながら呟くと、ベッセルが、安心するように言った。
「なんだ、それなら多少集まったところで、俺たちの敵じゃないな」
ウルフはビースト系では最も低レベルの魔物だ。ヒューマヌス系のゴブリンや、スライム系のスライムのように種レベルは1~2とされている。
魔物の種レベルは、討伐するための目安のようなものだ。種レベルが2のゴブリンは、レベル2の冒険者と1:1で戦って勝利できる可能性があるという意味だと考えて良い。
「いや、ゴブリンがあれだけ慌てて逃げ出してたんだ、フォレストウルフかもしれん。油断は禁物だ」
フォレストウルフは、ウルフよりも一回り大きな種類で、種レベルは5になる。とはいえ、砂の牙はCランク、メンバーもレベル16~21はあるんだから大丈夫だろうとアルダは安心していた。
それにしても――
アルダはこすりつけられている獣の毛を見て少し気になっていた。問題はそれが付いている位置だ。
フォレストウルフの体高よりもずっと高い位置、アルダの頭くらいの位置にその毛は付いていた。
もちろん飛び上がった時に付いたものかも知れないが、もしこれが普通に歩いているときの体高だとしたら、全長は……3mを越えるかもしれない。
そんなサイズのフォレストウルフはいない。どう考えてもカラーウルフ(*1)サイズだ。
毛の色は灰色。もしもグレイウルフだったら、種レベルは12。集団になるとCランク1パーティでは危ないかもしれない。
ただ、遺跡山に通常グレイウルフはいない。いたとしてもハグレが1匹とか、その程度の脅威に過ぎなかった。今までは。
∽━…‥・‥…━∽
「とにかく、何か異常なことが起こっていることだけはわかった」
サリュートは、リーダー然として居住まいを正すと、キリークに向かって尋ねた。
「調査を終了して戻りたいのですが、同意していただけますか?」
その言葉に眉を寄せたキリークは、逡巡する。
「いや、まだ、なにも……」
「待て!」
手柄を立てていないと言おうとしたキリークの声は、鋭く叫ぶベッセルの声に遮られた。
「何か……来るぞ」
風が木々を揺らす音に混じって、地面を叩くような音が微かに聞こえてくる。
「北だ!」
集中していたベッセルが、そういうと同時に、街路の北の端にある廃墟の角を曲がって、灰色の犬のような生き物が姿を現した。その生き物は、体高が人と同じくらいありそうだった。
「え? あれは……グレイウルフ?!」
それを見たアルダが、思わず叫んだ。
角を曲がって姿を現すグレイウルフは、一秒ごとに数を増していく。
「な、なんでこんなところにグレイウルフが?」
「そんな考察は後だ! 急げ! どこか囲まれない場所で迎え撃つぞ!」
ウルフ系の魔物との戦いで、絶対に避けなければならないのは、囲まれて削られることだ。
それを熟知している砂の牙のメンバーは、すぐさま壁を背にしながら、なるべく襲われる方向がひとつになるような場所を求めて移動した。
「ふんっ!」
ベッセルが巨大な剣を力強く振って、飛び込んで来たグレイウルフの胴体を払う。
無防備に飛び込んできたグレイウルフは、その攻撃をまともにくらって、地面にたたきつけられるが、すぐに立ち上がり、後ろの個体と入れ替わる。
「さすがにグレイウルフともなると、一撃じゃ倒せねぇな!」
パルクルが、ベッセルの前に出て向かって来ようとするグレイウルフのヘイトを一身いに引き受けながら、軽口をたたいた。
パーラーは、主にパルクルに回復を施しながら、パーティの全員に補助魔法を重ねている。
そして、詠唱が完成するたび、サリュートのストーンアローがばらまかれ、何匹かのグレイウフルを瀕死にしていた。
さすがにベテランCランクパーティだ。
アルダは後方で荷物を背負って短剣を構え、時折周囲の壁や後方の隙間に注意しながら、安定した戦闘の様子を見てそう思った。
このまま削っていれば、なんとかなりそうだ。皆がそう考え始めたとき、それは起こった。
ずっとワンパターンな攻撃を繰り返していたグレイウフルが、一斉に攻撃を辞めて、少し引いた位置でアルダたちを囲むように隊列を整えた。
「なんだ?」
嫌な予感がしたサリュートが、追撃の魔法を詠唱しようとしたそのとき、心胆を寒からしめる大きな遠吠えが聞こえた。
「ひっ」
キリークがなにかの状態異常に囚われたように、震える足で数歩後ずさった。
「あ、ありゃあ?!」
パルクルがひっくり返ったような声をあげた。
その視線の先、グレイウルフの群れの奧に姿を現したのは、巨大と言っていい狼だった。体高1.5ミールはありそうなグレイウルフが足元をうろつく子供にしか見えなかった。
そうして、誰かが絶望したように呟いた。
「は、ハティ……か?」
ハティはカラーウルフの上位種に見えるユニーク個体の一般名称だ。滅多に発生しないが、発生した際は大抵下位のカラーウルフを数多く従えて大騒動を巻き起こしていた。
「拙い、これは俺たちの手に余る」
サリュートはそれを見てすぐ、何かのサインをメンバーに送った。メンバーは一瞬顔色を変えたが素直にそれに頷いた。
「な、なんだ?」
その意味が分からなかったキリークが尋ねる。
「いや、ここはどう考えても撤退だが、あれらから逃れるのは相当難しい」
敬語を使うのも忘れて、サリュートが口早に説明する。
「だから、俺が残って時間を稼ぐ。俺がアースウォールを唱えたら、その隙に撤退してくれ」
「しかし!」
「これはリーダー命令だ」
キリークはその言葉に反発しそうな顔をしたが、ハティの方をちらりと見ると、すぐに頷いた。
「じゃ、頼むぜ」
サリュートがそういって、アースウォールを唱え始めると同時に、パーラーが素早さを増加させる補助魔法を彼にかけた。
「アースウォール!」
サリュートの魔法が完成すると同時に、グレイウルフの群れの前に5ミールはある土の壁が立ち上がった。
メンバーはその隙に後ろに向かって掛けだした。
「おっと、お前は残ってくれ」
そう言ってサリュートは、廃墟の脇にアルダを引っ張り込んでいた。
∽━…‥・‥…━∽
キリークは逃げながら、時折後ろを振り返っていた。
「キリーク様! 急いで!!」
「いや、しかし、荷物が……」
今回の遠征の成果物は、ほとんどアルダが背負っている荷物の中に入っていた。それがないと、成果が主張できないかもしれないことに気がついたのだ。
パーラーは、こんな時に荷物の心配をしているキリークに呆れていたが、このまま後方を気にされると、サリュートがやろうとしていることを知られてしまうかもしれない。それは避けたかった。
キリーク以外のメンバーは、サリュートがやろうとしていることを知っていたが、部外者のキリークにそれを知られるのは拙いのだ。
「大丈夫、きっとサリュートがなんとかしてくれますから。今は全力で離脱して、この脅威をソーナスに伝えるべきでしょう?」
パーラーはそういうと、キリークの腕を引っ張った。
考えるまでもなく、パーラーの言うことはもっともだった。
せっかくサリュートが自分を犠牲にしてまで時間を稼いでくれているのだから、ここは逃げることに全力を尽くして、ハティの発生をソーナスに伝えることをが最優先事項だ。それでも一定の評価は得られるだろう。
キリークはパーラーに向かって頷くと、すぐに全力で走り始めた。
パルクルやベッセルも、むっつりと押し黙って走っている。何度やってもこの手の作戦は気分が悪かったが、ハティが相手では他に方法が無いこともよく分かっていた。
∽━…‥・‥…━∽
「ちょっ! なにをするんです!!」
グレイウルフ達の視界を遮ったタイミングで逃げ出すはずが、サリュートに肩を掴んで止められたアルダはそう叫んだ。
今でこそ警戒して様子見をしているが、そのうち回り込むなり飛び越えるなりして、あいつ等がこちら側に出てくることは間違いないのだ。
サリュートは、アルダから申し訳なさそうに目をそらした。
「俺たちは、レベル檄低のお前をパーティに入れてやったろ?」
「え?」
「たった2日とはいえ、まあまあうまくいってたよな、俺たち」
この緊急時に、一体何が言いたいのかわからなかったアルダは、ただ、茫然としていただけだった。
「だからここいらで、その恩を返してくれ――」
「は?」
「――よ、なっ!!」
サリュートが、突然、狂気に彩られたような笑顔を浮かべてアルダを突き飛ばした。
不意を打たれたアルダは、勢いよく突き出された見晴らしの良い広場でたたらを踏んで倒れ、追い打ちに切り裂かれたゴブリンの死体までぶつけられた。
「なっ!」
自分がゴブリンの血臭にまみれた囮にされたことに気がついたアルダは、驚いてサリュートの方を見たが、彼はすでにそこにはいなかった。全力で逃げ出したに違いない。
呆然として座っていたアルダの顔に、何かがぺたんとぶつかって、頭の上へと移動した。
「ぽ、ポコ?」
ポコは逃げなきゃと言った感じでアルダの髪を引っ張っていた。
こんな広場で座り込んでいたら、確実に助からない。ここは遺跡の廃墟で、今いる広場以外は、割と込み入った構造をしている。可能性は低くても、逃げ出した方がずっとマシだった。
「そうだね。とりあえず、逃げよう」
そう言って立ち上がった瞬間、後ろから壁を砕く音と、低く恐ろしげなうなり声が轟いた。
∽━…‥・‥…━∽
アルダは後ろを振り返ることすらせず、反射的に近くの廃墟に飛び込んだ。
グレイウルフですら、人より遥かに巨大なのだ、いわんやハティに到っては、家の扉をくぐれるかどうかすら怪しかった。
巨大な質量が廃墟の壁に当たる音が聞こえ、天上から、石のかけらが降り注ぐ。
(あいつ、無理矢理突っ込んできたのか! 無茶苦茶だ!!)
アルダは急いで奥の部屋へ向かった。裏口があればいいが、それを探している余裕はなさそうだった。
幸い入り口はハティが塞いでしまったらしく、後続のグレイウルフは、家の周囲を回っているのか、部屋に入っては来なかった。
扉を開ける度に、後ろの扉にハティの鼻面が突っ込まれ、家中が振動してあちこちが崩れてくる。
その部屋には3つの入り口があった。
どれが裏口に続いているのか、一瞬逡巡した瞬間、今入ってきた入り口から太い前足が突き出され、部屋の入り口付近をかき回した。
アルダは、それに巻き込まれないよう、自分から一番近い入り口に飛び込むしかなかった。
その部屋は少し下がった位置に作られた、半地下の倉庫のような部屋だった。
どこにも繋がる出口はなく、見えない扉があるとしたら、それは只々死へと繋がっているだけだった。
アルダは急いできびすを返すが、その瞬間ハティの鼻が前にいた部屋にねじ込まれ、その巨体が家を壊しながら入ってきた。
アルダが逃げ込める場所は、今出てきた半地下の倉庫以外、どこにもなかった。
(くそっ、どこかに地下室への階段でもないのか!)
アルダは急いで床を調べてみるが、石でできた床のどこにもそんなものがある気配はなかった。
ドンと大きな音が背中で鳴り響く。
うなり声と共に、ハティの頭が、扉に突っ込まれた。家がまるで藁でできているかのように、入り口に亀裂が走り、まわりの壁が崩れていく。
それから逃れるように、部屋の奥の壁に力一杯体を押しつけながら、恐怖に引きつった顔で、入り口から入ってこようとしているハティの顔をにらみつけること以外、アルダにできることはなかった。
ここはすでにデッドエンド。窓も扉も、そして希望のひとかけらも、この部屋の奥には何もなかった。
「……ポコだけでも逃がしてやりたかったけど、ごめんな」
アルダが思わずポコに向かって言った、最後の言葉は謝罪だった。
ハティが大きく吠えると同時に、入り口が完全に破壊され、その体がこの部屋へと滑り込んだ。
世界を流れる時間が、だんだん遅くなって、鋭く大きな牙がならんだ口が、ゆっくりと最後の時を刻みながら近づいてくる。
魔物の口の中の熱さが頬に感じられ、命を刈り取る音が聞こえそうな距離になった時、突然アルダの体は宙に放り出された。
*1) カラーウルフ
色の名前が付いた、ウルフよりも体が大きくて強い狼型魔物の総称。
代表的なものは、グレイ・ホワイト・ブラックの3種類がいる。