終劇
ソーナスの冒険者達は、ライデルやギルド長を先頭に、野営地へと足を踏み入れた。
「今日中にケリを付けるつもりだったか」
クレア達が野営地にいないことを確認したギルド長が、顔をしかめながらそう言った瞬間、17番の方向で、一条の雷が轟いた。
「ちっ、すでに始まってやがる!」
ライデルが舌打ちすると、前方の森がざわめき始めた。
「魔物、来ます!」
斥候職の何人かが、前方から凄い勢いで走ってくる魔物を感知して注意を促した。
「ゴブリンやウルフ……だけど、数が多い!」
それを聞いて前衛職が前方で盾を構え、槍持ちがそのすぐ後ろに陣取った。
魔物達が、野営地の森の切れ目から現れると、弓手や魔法使いが、一斉にそれを攻撃した。
「この先何があるかわからん! 魔力はなるべく節約しろ!」
「そんな余裕があると、いいなぁ!」
アイスアローを打ち出しながら、魔法使いが言葉を吐き出した。
冒険者達は全員が本能で理解していた。今を越えなければこの先はないのだと。
時折、前方から落雷の音が聞こえる。なにかが激しく争っているようにも思えた。
沸き上がった黒雲は、ますます高くその厚みを増していた。落ちていく日と共に、まるで、世界を暗黒に染めようとしているかのようだった。
「これって、襲撃ってより、何かから逃げてるって感じじゃないですか?」
「そうだな。種族もバラバラだし、一緒に行動してるって感じじゃねえよな」
ぶつかってきた魔物達は、まとまって冒険者達に攻撃をしかけるわけでもなく、バラバラに拡散していった。
その分、前衛への負担は少なかったが、拡散した魔物が戻ってきたりしないかと、後衛職たちは気が休まらなかった。
何度か落雷の音が響くと、出てくる魔物の数が急激に減ってまばらになった。
「やはり、向こうの戦闘から逃げ出した連中だったか。よし、すぐに17番に向かうぞ!」
ギルド長がそう言った瞬間、通り過ぎた魔物たちがやってきた方、戦闘が行われているらしい方角の森の奧から、それまでにない圧力が沸き上がった。
「なにかいるぞ!」
ぱらぱらと散発的に走り出てくる魔物達を、その盾でたたき落としながら、ライデルが注意を促した。
そこにいる何かは、いままで向かってきていた魔物達とは一線を画す、強烈な存在感を放っていた。
「なんか、結構な数がいそうなんですけど」
「Dじゃ無理だな。Cでも危ない」
気配察知に優れた冒険者の台詞をうけて、各パーティは、自分達のフォーメーションを築き始めた。
そうして、不気味なうなり声がきこえはじめ、今まさに戦闘が始まらんとしたとき、その気配に向かっていこうとした冒険者達を押しとどめるように、重槍のミーナが叫び声を上げた。
「待って!」
何人かの魔力の気配に敏感な冒険者達が、その言葉の意味を正しく察して、ミーナと同様、おびえるように空を見上げた。
「なんだ?」
ライデルは、こんな時にといぶかしげに思いながら、ミーナの方を振り返った。
上空では、次々とわき上がっていた黒雲が、凄い勢いで渦巻き状に天を覆っていた。
そのうち、普段魔力をほとんど感じない者達にすら、ぴりぴりと肌を刺すような刺激が感じられはじめた。
「なんだ?! このバカみたいな魔力は!?」
あまりのことに、その場の誰もが動くことさえできなかった。冒険者も魔物も、あまねく森の生き物たちが等しく硬直していた。
その魔力の高まりが、ふっと嘘のように消えた瞬間、クレア達が闘っていると思われる方向に、落雷の嵐が巻き起こった。
パンデモニウム。
それは地獄の悪魔の集う場所。強力な嵐に倒れ、激しい落雷に貫かれ、何人といえども許可無くそこへ到達することはできはしない。
もはや目も開けていられない程の閃光の連続に、誰もが死を覚悟した。
そして、永遠にも感じられた僅かな時間の終わりに、神の御業と見まがうような、光の柱にも似た巨大な雷がまっすぐに落ちてきて、轟音と共に、辺りを白に包み込んだ。
そこに立っているものは誰もいなかった。全てが等しくひれ伏していた。
そうしてどのくらいの時間が経っただろうか。黒雲も雷光も、その全てが飛び散って、やがて、再び人の世界が戻ってきた。
微かに空に残る残照が失われ、静かな虫の音が聞こえ始めたとき、冒険者達は我に返って、ゆっくりと立ち上がった。
そこには争いの音も魔物の気配も、全てが嘘のように消え去って、美しくも、もの悲しい、夏を夜の訪れを告げる虫の音だけが響いていた
「いまのが、災害級か……」
誰かが呟く。
「あんなの相手にどうしろってんだ?」
ライデルがギルド長に問いかけた。
ギルド長は首を横に振りながら、「それでもどうなったのか、確認にだけは行かなきゃな」と、答えた。
∽━…‥・‥…━∽
「終わったのか?」
耳と目をふさいでいたクレアが、そっと目を開けてそう聞いた。
目の前の暗黒の森は、落雷の嵐のせいで、数百ミールの範囲にわたって、地面は掘りおこされ、木々は千切れ飛び、さんざんな有様だった。
「さあ、みんなが来る前に、あの中央辺りに急ぎましょう」
アルダはクレアを促して移動すると、惨劇の中央付近で、ハティの死体を取り出した。
「なっ!」
急に現れた巨大な狼の死体――体高は4ミール以上あるだろう。体長も10ミールは下らない――に驚いたクレアは声を上げた。
「これが、ハティか」
「はい。クレア様、その剣で首の辺りを一刺しお願いできますか」
今のハティは、雷撃と、クリムゾーナの攻撃で首の骨を砕かれている。剣の傷がないと説明が面倒になるのだ。
「あ、ああ。しかしすでに死んでいるものに剣を振るうのはどうも……」
「お願いします!」
真剣に頭を下げるアルダを見て、クレアは黙ってその剣をハティの体に突き刺した。
死体のハティでは、魔力を込めるわけにもいかず、剣は抵抗なくその体に埋まって行った。
すると、まさに今死んだかのように、ハティの体からは血がこぼれだした。どうやらカード化してホルダーに入っているものには、時間がその力を及ぼさないようだった。それで、なぜ従魔の怪我が治るかは謎だったが。
「それから――ちょっと失礼しますね」
「え? おい、一体なにを?!」
アルダがクレアの手を引っ張って座らせた。その瞬間、アルダに押されたクレアは、バランスを崩して後ろ向きに倒れた。
「あ、おい、まさか、ここで?! いや、ちょっとまて、確かに感謝はしているが、いくらなんでも、ここでは……」
「な、何を言っているんですか、クレア様!? もうすぐギルド長達がやってきますから。ほら、戦闘した後ちょっとくらいは汚れてないと拙いでしょう?!」
「あ、なるほど」
ふーっと息を吐いて、クレアが落ち着いた。
そのまま転んで見上げる夜空には、いくつもの星がきらめいていた。
「アルダ」
「はい?」
「私のエスクワイアになってくれてありがとう」
「それ、前にも聞きました」
そう言ったアルダの顔は赤かった。
そのとき、遠くから驚きや不安が混じった冒険者達の声が聞こえてきた。
「ほら、クレア様。立って手でも振って下さいよ」
「いや、まて、そんな。照れるだろ」
「今更何を言ってるんですか。もうクレア様はソーナスの英雄なんですよ」
「……いや、本当の英雄は、街を護るために損得も考えずに追いかけてきたバカどもだろう?」
そう言うってクレアは立ち上がると、愛すべきバカどもに向かって、大きく手を振った。
大きな歓声がとどろいたのは、そのすぐ後のことだった。