ふたりだけの討伐軍
「ん……んん?」
まだ暗いうちに目を覚ましたアルダは、目を開けた瞬間見えたものが信じられなかった。そこにはクレアの顔があったのだ。
焦ったアルダが後ずさると、なにか柔らかいものが背中に当たった。慌ててそちらを振り返ると、今度はニールの顔があった。
(こ、これが前門のオーガ、後門のドラゴンってやつ?)
アルダは額にびっしりと汗をかきながら、カチコチに緊張していた。一体、昨日、あれから何が……
「んー……あ、おはよ?」
ニールが、目を覚ましてそう言った。
「お、おはようございます」
「おはよう」
クレアも同時に目を覚ますと、アルダの目の前で伸びをした。
「あーあ、昨日と同じ服で出勤なんて、ちょーっとヤバいかな?」
ニールが椅子にかけてある自分の服を見ながらそう言った。
普通の冒険者なら、着た切り雀など普通だったが、ギルドの受付嬢ともなるとそうはいかないらしかった。
「せめて風呂にでも入っていったらどうだ? ここのお湯は最高だぞ」
クレアが自分でも一押しの、朝露の恵みをアピールすると、ニールも興味を惹かれたように聞き返した。
「最高、ですか?」
「ああ、小さな傷は全部治るし、ぴかぴかにリフレッシュするんだ。言ってみれば『聖なる癒しの湯』、だな」
あまりの過大な表現に、ニールは眉に唾をつけそうになったが、クレアがそんなことをする意味はない。
もしかしたら本当なのかもと、湯殿の方を振り返った。
「タオルは脱衣場に備え付けのものがあるし、そういえば昨日は上等な石鹸もあったな。アルダが買っておいてくれたのか?」
「は、はひっ」
アルダはまだ、カチコチだった。いろんな意味で。
ポコはちゃっかりと湯船に浮かんでいるらしく、近くにはいなかった。
「そっかー。どうせ着替えに帰る暇はないから、ちょっとだけ入っていこうかな」
まだ夜明け前で暗いとはいえ、街は夜明けと同時に動き出す。ギルド職員の朝は早いのだった。
「なら、私も一緒にはいろう」
そういうとふたりは仲良く脱衣場に向かっていった。
その時になっても、アルダはまだカチコチだった。
∽━…‥・‥…━∽
山の稜線が明るくなり始めた頃、出勤するニールと宿の前で別れた二人は、門に向かって並んで歩いていた。
すると、門のところで、以前買い取りカウンターにいた男が、ごつい男と一緒に立っていた。
「クレア様」
「ギルド長、それにライデル殿まで、どうされた?」
それを聞いたアルダは、買い取りカウンターにいた男が、ギルド長だと知って驚いた。
「なあ、クレア様。俺に依頼を出さないか?」
その言葉を聞いたクレアは、アルダの方を見た後、ライデルに向かって首を横に振った。
「ライデル殿の気持ちはありがたいが、あなたたちには後のことを頼みたい」
「後のこと、だと?」
いぶかしげな顔をしたライデルの問いに、クレアは静かに頷いた。
「もしも私が失敗したら、あなたたちが中心になって、街の人達を護ってほしい。私が失敗することで、無理を利かせることができるようになることもあるだろう」
「……死ぬつもりですか?」
ギルド長が真剣な顔で問いただす。
「まさか。そんなつもりはない」
クレアは軽く笑ってそう答えた。
そこには何の気負いも見られなかった。ワイズはこんな時にもかかわらず、思わず感心していた。
そうして隣に立っていたアルダに目を向けると、彼にも尋ねた。
「お前も行くのか?」
「僕はクレア様のエスクワイアですから」
まるで当たり前のことでしょうと言わんばかりの返事を聞いたギルド長は、そうかとだけ言って目を伏せた。
「場所はわかっているのか?」
「大体は。17番でしょう?」
アルダの言葉にライデルは頷いた。17番とは遺跡につけられた識別番号で、以前アルダが襲われた場所だった。
ライデルの調査でも、17番周辺に最も多くの痕跡が残されていた。
「もしも、明日の夜までに戻ってこなければ……あとはよろしくお願いします」
「ああ、任せておけ」
そうして、二人は、ライデル達に見送られながら、17番遺跡に向かって歩き始めた。二人は一度も振り返らなかった。
「どう思う?」
小さくなっていくふたりの背中を見ながら、ギルド長はライデルに訊いた。
「ひとつだけはっきりしていることがある」
ライデルは、小さくなっていく二人の背中から一瞬も目を離さずに言った。
「なんだ?」
「これでクレア様が戻ってきたら――彼女は本物の英雄になるんだ」
「そうか。そうだな」
レッドリーフ家の確執をよく知っているワイズは、感情を込めずにそう言った。
「領民は、皆彼女に付いていくだろう」
「――お前も?」
ライデルはそれには答えずに、街の門と壁を見上げた。
「じゃあ、特等席としゃれ込むか」
そう言って、懐から強い酒と金属のカップを2つ取り出しすと、ギルド長に背を向けて、門の上へと登っていった。
「明日まで飲み続けるつもりかよ……」
そう呟いたギルド長は、肩をすくめてライデルの後を追いかけた。
∽━…‥・‥…━∽
アルダとクレアは、6時間ほどで、以前に訪れた野営地の近くまでやってきていた。
戦闘がまるで起こらないので、移動はとてもスムーズだった。
森に入る前までは、ちらちらと感じていた魔物の気配が、森に入ったとたんに、ほとんど感じられなくなったことを、クレアは不思議に思っていた。
なにしろ、ここまでに遭遇した魔物はゼロ。異常にも程があるのだ。
「あー、うちの従魔たちが巧くやってるみたいです」
そのことをアルダに尋ねると、なんともコメントしづらい答えが返ってきて、クレアは苦笑するしかなかった。
今回、露骨に護衛は出していなかったが、アルダの森チームが、主の訪れに気がつかないはずがない。
カウンが前回同様、アルダを中心に森の掃除をしているに違いなかった。
(カウン:500ミール以内の敵は殲滅中)
(ありがとう)
「アルダの従魔は、ものすごく頼りになるのだな」
クレアに満面の笑顔でそう言われたアルダは、言葉を濁して少し顔を上気させながら、少し誇らしげに歩き続けた。
父からの手紙を受け取った時は死を覚悟したクレアだったが、今は心も足取りも軽かった。なにしろ向かった先にハティがいないことは分かっているのだ。
脅威のない森の中は、緑の光が踊る美しい場所だった。ふたりが踏む下草や落ち葉の音が、さくさくと響く。
風が緑の光を揺らし、間を抜けてきた陽射しが宗教的な光の帯を作りだしていた。
「暗黒の森などといっても、こうしてみると美しいものだな」
その後すぐに到着した野営地で、アルダが昼食を作るのを横目に見ながら、クレアは森の中を眺めていた。
「そうですね。今日は特に気持ちが良いです。もう明日は夏至ですが、森の中には涼しい風が吹きますからね」
ふたりはゆっくりとくつろぎながら、たっぷりとした昼食を食べた。
涼しい風が吹いている、夏の森の中で。