日常
その日、アルダが遺跡山へと出かけるために、ソーナスの門をくぐろうとすると、そこに立っていた男が親し気に話しかけてきた。
「よう、早いな」
「おはよう、ミスル、お疲れ様」
「まったくだよ。やっぱ夜勤はきついよな」
首をゴキゴキ言わせながら、ミスルが言った。
「じゃあ、もう上がりなの?」
「ああ、まあな。そろそろ交代の連中が来るはずだ。アルダは採取か? 随分と早いが」
「うん。なんでも魔月草が足りないらしくって」
「魔月草だぁ? そんなの上級の冒険者に任せとけばいいだろ? 今の状況じゃ、Fランクが行くような場所じゃないぜ」
魔月草が、魔素の濃い場所に生えるのは常識だ。
今の遺跡山の状況で、そんな場所に行くのは、大きな危険が付きまとうはずだった。
「そうかもしれないんけどさ。まあ、なんとかなるよ」
「お前のその、まるで根拠のなさそうな自信は、どこからくるんだよ」
「2年の経験?」
「はあ? お前な。2年くらいじゃ、まだまだケツの青いガキだろうが。例の従者の件で無理してるんじゃないだろうな?」
「それはないよ。そもそもクレア様には何も言われてないし」
「なんだそれ。わっかんねー関係だな。どこらへんが『従』なんだ?」
「さあ?」
ミスルは呆れたようにアルダを見ると、やってきた交代の連中の方へ向かいながら、片手をあげた。
「まあ、気をつけてな」
「うん、ありがとう」
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門を出てしばらくすると、ファントム3から報告があった。
(ファントム3:後方50ミール 4)
どうやら例の4人組が、こっそりとアルダの後を付けているようだった。
お風呂の最中に報告のあった4人組は、朝露の恵み亭に泊まろうとしたらしいが、部屋は一杯で、結局朝まで表の路地で交代で見張っていたようだ。中々気合いが入っている。
「どうしようかな」
(ベリア:殲滅?)
アルダの影から、ベリアが物騒な提案をした。
(待って待って。別にルール違反ってわけでもないし、そこまでしちゃだめだよ)
一応止めてはみたものの、なにしろ力量が違いすぎる。クリムゾーナにとっては、撫でたつもりでも、撫でられた相手は死にかねないのだ。
尾行は、マナー違反ではあるけれど、ルール違反と言うほどのことはない行いだ。
狩り場は誰のものでもないのだから、偶然同じ場所で狩りをしていたとしても、それを非難することは誰にもできはしないだろう。こちらが一人だと思って、襲ってくると言うのなら、また別の話なのだけれど。
「とりあえず、採取するふりをしながら、適当に散歩でもしよう。今日も良い天気だし」
ポコに話しかけるように言うと、『さんせー』と言われたような気がした。
とりあえず視界が届いていないところで、ファントムウルフ12体を実体化して、いままでのものと交代するように指示した。
クリムゾーナを実体化しようとしたところで、森チームのリーダー、カウンから連絡が来た。
(カウン:俺達、主護る)
(ありがとう。後ろから冒険者が近づいてきてるから、見つからないようにね)
(カウン:了解)
どうやら、カウンたちが近くにいるらしい。これなら、よほどのことがない限り大丈夫だろう。
「さて、ポコ。人のいない方へ行こう」
冒険者との鉢合わせは避けたい、アルダであった。
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「おいおい、アットマー。あいつ、あのままで森に入っていっちゃったぜ?」
斥候のルーが呆れたようにそう言った。
「うん。大した装備も用意していなかったし、ポイントは思ったよりも、森の浅いところにあるのかもな」
「なるほど、みんな森の深いところを目指して探しに行くもんな。浅場が穴場か」
アットマーの考察に、ピピンが答え、自分で踏んだ韻が面白かったのか、くくくと笑っている。
一人寡黙なクアップは、ピピンを、何を言ってるんだこいつと冷めた目で見ていた。
4人は、『緑の石』というEランクパーティで、ソーナスでは遺跡山の森での狩り+採取で活動していた。
そのため、今回のハティ騒動では、もろに活動が制限されて困っていたところだったのだ。
比較的安全に入れそうな場所の薬草類は、すでに取り尽くされていて、森に入ってもまともな稼ぎにならなかった。途方に暮れていたところに、大量の採取素材を持ち込んだ子供がいたのだ。
装備を見ても初心者だし、聞けばスライム1匹を従魔にしている従魔師で、討伐依頼などは受けていないという。見た目も成人しているとは思えなかった。
そんな子供が森の深い場所に入れるはずがない。だから採取場所は絶対深部ではない。それなら俺たちだって行けるはずだ。
彼らはそう考えて、ちょっと情けないと思いながらも、背に腹はかえられず、その場所までついていくことにしたのだった。
前を行くアルダは、森の浅く歩きやすい場所を散歩するみたいに歩いている。
「しかし、どうもさっきから何かに見られているようで落ち着かないんだよな」
ルーが気味悪そうに周囲を見回してそう言った。
別に魔物の気配があるわけでなし、明るい昼の陽射しが木々の隙間から射し込んでいて、いたって平和な森の中に見える。
だが、なにかが微かに纏わりつくような、そんな気分がぬぐえなかった。彼は思ったよりも才能がある斥候だったのかも知れなかった。
「おいおい、こんなに明かるい真っ昼間から、怪談めいた話をするのはよせよ」
そういう話が苦手なピピンは、まわりの薬草を手慰みに採取しながら、ルーの方を振り返って首をすくめた。
「しかし、おかしくないか?」
普段なら会話に割り込んできたりしないクアップが、まわりに注意を払いながらそう言った。
「なにが?」
「俺たちが、森の中に入って、すでに結構な時間が経っているが、まだ一度も魔物にも獣にも遭遇していない」
「そう言われれば……」
ハティ騒動が起こる前の森でも、これだけうろうろしていれば、キツネやボアなどの動物や、ゴブリンなどの弱い魔物に遭遇していた。
ハティ騒動以降は、フォレストウルフや、悪くすればグレイウルフに出会ったりして、慌てて逃げ出したりしたものだ。それが、まったく現れない。
4人は立ち止まって耳を澄ましてみたが、木々の間を渡る風と、遠くで無く鳥の声以外はなんの気配もなかった。
平和だ――
平和で平和で……ものすごく違和感があった。
「うわっ!」
突然ピピンの叫び声があがった。
「な、なんだよ!!」
微妙な緊張が高まっていたので、アットマーが避難めいた声を上げた。
「いや、ほら見てよこれ」
ピピンが拾い上げて見せたのは、形は毒消し草にみえるけれど、緑と紫が斑に配色された、なんとも毒々しい植物だった。
「な、なんだそれ?」
気味悪そうに、アットマーが聞くと、ピピンは首を振って答えた。
「わかんない。毒消し草だと思って折ってみたんだけど、突然こんな風に色が変わっちゃってさ。なんだか凄くやばそうじゃない?」
二人でそれを気味悪く眺めていると、先からルーの押さえた声が聞こえた。
「おいなにやってるんだよ。見失っちゃうぞ」
その声で我に返った二人は、急いでルーの後を追いかけた。気味の悪い草は、ピピンが癖で採取袋に投げ込んでいた。
その日の彼らは最後まで報われずに終わったが、少しでもと提出した薬草の中に混じっていた毒々草が、20,000Fで買い取られることになる。
4人にとって、最悪だった1日の最後に、神さまは少しだけ希望の光を用意していたのだった。
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「ア、アルくん?」
最後まで森の中をブラブラしていたアルダは、まだ夕方と言うには早い時間にソーナスへと戻ってきた。
そして提出された採取物の多さに驚いたニールが、震える手で、トレイに明細を乗せていた。
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魔月草 1151株 414,300 F
麻痺衣 521株 31,200 F
毒消し草 490株 29,400 F
薬草 1241株 29,700 F
計 504,600 F
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「アルくん、一体どうしちゃったの? クレア様と関係してから大活躍よ」
「ニールさん、そういう誤解を招きそうな表現は、やめて下さい」
「もーう、固いんだから。お姉さん、アルくんになにか驕って貰っちゃおうかなー」
そういって、スリスリとほほをこすりつけてくる。2年前と変わらず、いまだに子供扱いだ。
成人した男にこんな事をすれば、ギルド内の冒険者も殺気立つところだが、成人前の子供に見えるアルダが相手だと生暖かい目で見られるだけだった。時には例外もあるようだが。
「たまにはいいですよ。お世話になっていますから」
「え? ほんと? じゃ、今日でもいい?」
「ええ、まあ」
「今、朝露でしょ? じゃあ後で行くから。あそこ、ご飯も美味しいって言うし」
「わかりました」
そう言って、小さな革袋に入れられてトレイに乗せられた報酬をしまうと、一体アルダが、それをいつ採取したのかわからずに、呆然とした顔をしている4人を尻目に、宿へと戻っていった。
世界で一番売れなかった4人組じゃあ仕方がないよね。