帰還
「あんた! 生きてたのかい?!」
宿の入り口をまたぐと、ライザが驚いたようにそう言った。
ライザは、ここ、『朝露の恵み亭』の女将だ。旦那のバースと一緒にこのリリカルな名前の宿屋を切り盛りしている。
アルダは、キリークの依頼を受けた日に、砂の牙と一緒にこの宿に泊まった時(それまではもっと安い宿を転々としていた)この店の名前の由来が無類の風呂好きの旦那が作った2階の角の部屋のお風呂にあることを教えてもらえるくらいには親しくなっていた。
なんでも、このクラスの冒険者相手の宿で、部屋にお風呂なんて現実的じゃないと皆に言われて反対されたとき「これは朝露の恵みなんだよ!」とバースさんが言ったのが運の尽きだったとか。
ただ、結果は皆の言うとおり、稼働率は最低で、いつも空いているようなものだった。
なにしろ、使われている魔道具の関係上、宿泊費がこの辺りの同クラスの部屋の2倍はする。
そして、裕福な冒険者や商人はもっと立派な宿に流れるわけで、結果はご覧のありさまといったところだった。
それはともかく、ライザの話によると、どうやら砂の牙が戻ってきてから、すでに3日が経過しているらしかった。
エレンを実体化しようとして気を失ってから、3日も経っていたとは……アルダは、あのとき凄くお腹が空いていたのはそのせいだったのかと納得した。
「ええ、まあなんとか。それで僕の荷物は……」
「あんたの荷物? サリュートさんが部屋を引き払うときに、一緒に持って行っちまったよ」
「ええ?」
「いやね、私たちだって、あんたが死んだと聞かされたんで、特に疑問も持たなかったのさ。でも生きてて良かったねぇ!」
ライザはバンバンとアルダの背中を叩いて喜んでいる。
生きてて良かったのは確かだが、財産を全部持って行かれたのは、ちっとも良くないよと、アルダは内心憮然としていた。
「それで、どうするんだい。泊まっていくのかい?」
確かにゆっくりと休みたかったが、荷物を全部持って行かれたのでは、お金がなかった。財布はきっとあの地下通路か、上の家のどこかに落ちているはずだ。
まずはギルドに寄って、お金をおろさなければ何もできない。わびしいばかりの貯金とはいえ、まだ多少は残っていたはずだ。
もしかしたら、斥候の怪我の療養で休んでいたはずの砂の牙も、まだそこにいるかもしれない。
「ええ。でも、先にギルドへ行って報告してきます」
「ああ、それが良いね。死んだことにされたままじゃ、幽霊と変わりゃしないっての」
ライザは豪快に笑っているけれど、それは実際笑い事ではすまなかった。
ギルドカードが失効すれば、いままで預けておいた金や、稼いだきたポイントのすべてがなかったことにされるのだ。
ギルドカードは失われた技術――いわゆるアーティファクト――によって維持されている。だから一度失効してしまうと、新規に再発行する以外手段がなかった。
「とにかく行ってきます!」
「ああ、気をつけてね」
∽━…‥・‥…━∽
「え?! アルくん?!」
冒険者ギルドに赴いたアルダを待っていたのは、ニールの驚いたような声だった。
彼女は、アルダが初めて冒険者ギルドに来た2年前からの付き合いだ。街へ出て来たばかりのチビのアルダにいろいろな世話を焼いてくれた恩人で、14になった今でも彼を子ども扱いして、アルくんと呼んでいた。
ニールの様子に、ここでもか、とアルダは嘆息したが、意を決してギルドカードを取り出した。
「あの、すみません、お金をおろしたいのですが」
それを聞いたニールは、困ったような笑顔を浮かべた。
「ごめんね。アルくんのカード、失効扱いになってる……」
「え?! 失効したんですか?!」
「ううん。正確にはまだ失効していないんだけど……」
ギルドカードを取り巻く事情は、先の通りなので、扱いが難しい部分は運用でカバーされていた。
失効させる場合、失効扱いとして保留し、実際の失効は1年後と定められていたのだ。
「助かった……じゃ、失効扱いから復帰させて貰えるんでしょうか」
「もちろんだよ。死亡扱いになっていても、カードの利用テストにパスすれば、復帰できるから」
カードの利用テストは、幻惑の魔法などを利用して死亡した者になりすます犯罪を防ぐための措置だ。
どういう理屈か分からないが、魔力は個々人の間で区別することができ、それは魔紋とよばれていた。
ギルドカードを始めとするマジックアイテムには、この魔紋を認識することで使用者を限定する措置が施されているものも多く、それは本人確認にも利用されていた。
「ただ……」
「なんです?」
「アルくんの貯金は、もうないの」
ニールが済まなそうにそう告げる。それを聞いたアルダは、思わず大きな声を上げてしまった。
「なぜ?!」
ギルドのルールでは、パーティ所属中の死亡者の所有物や金銭は、そのパーティに帰属する。元々はギルドによって遺族へと引き渡されていたのだが、冒険者には、どこの誰とも知れないものも多く、遺族を調査する費用が冒険者の残す財産よりも圧倒的に大きくなったためにできたルールで、パーティメンバーなら適切にそれを行ってくれるだろうという性善説に基づいて決められたものだった。
このルールは、当初、パーティメンバーを殺害して財を得るものが出るのではないかと危惧された。
しかし、何しろパーティは、メンバー同士が命を預けあうグループだ。そういうことをしたのではないかと疑いをもたれるだけで、冒険者社会からはつまはじきにされ、事実上社会的な死を迎えることになる。
この淘汰が行き渡った結果、このルールは、当初考えられていたよりもずっと上手く運用されていた。
「でも、そのルールには、死亡が報告されてから3ヶ月の確認期間があるんじゃありませんでしたっけ?」
「よく知ってるね」
「冒険者の手引きに書いてありました」
登録の時に紹介される『冒険者の手引き』には様々なルールが書かれているが、読む者などほとんどいなかった。真面目なアルダならではだろう。
「あのね。そのルールには例外があるの」
「……信用のおけるパーティ外の第三者が、それを保証した場合、ですか」
「そう。その場合、保証時点で確認期間の終了とみなされちゃうの」
信用のおける第三者などというものは、滅多に現れない。
例えば護衛依頼における死亡者を、依頼した商人がそれだと保証しようにも、死亡した人間が本当にその人かどうかわからないために、これには該当しなかった。
何年も同じパーティに護衛を依頼していて、メンバーについてそれなりに詳しくなった商人が希に該当するくらいだ。
「……キリーク様?」
その問いかけに、ニールは頷いた。
確かにキリークはパーティのメンバーではないし、砂の牙やアルダに引き合わされたときも、ギルドを仲介して全員を紹介されている。つまり、アルダをアルダだと認識できたわけだ。
キリークはアルダの最後を見ていないはずだが、サリュートが一人で戻ってきて死んだと言えば、それを信じない理由はないだろう。
なにしろハティは本当にいて、一度は全員が死の淵に立ったのだ。レベル2の冒険者がそれを免れることは、事実上不可能だ。
「な、なら、砂の牙の人たちに会って、返してもらえれば――」
「彼らは、ハティの報告をした報酬をもらってすぐに、ソーナスから出て行ったの」
「ええ?」
「斥候の人の療養でここにいたんだけど、ハティが出ては療養どころではないって事らしかったよ」
アルダはがっくりと肩を落とすと、とりあえず失効扱いからの復帰だけでもと、彼女にカードを渡した。
現在アルダが持っている全財産は、ポケットの中に残されていた銅貨と賤貨が数枚だけだ。屋台で串焼きのひとつでも買えば、それで1フロリ無しになる。
今日をまともに過ごすお金すらなかった。
この世界では大陸共通貨として、商業国家フロリネスが後ろ盾となったフロリが流通していた。
各国は独自にフロリ貨幣と同じ比率や大きさの貨幣を、準フロリ貨幣として発行しているが扱いはフロリ貨幣と同じだ。
この制度のおかげで、各国がバラバラに独自貨幣を発行していたときと比べて、流通がスムーズに進むようになり、経済が発展した。
両替商は商売替えを余儀なくされたが。今でも各国間の準フロリ貨幣の品質監視は続けられているのだ。
個々の貨幣価値は、次のようになっている。(Fはフロリ)
∽∽∽∽∽∽∽∽∽
星金貨 10,000,000 F
白金貨 _1,000,000 F
金貨 __,_10,000 F
銀貨 __,__1,000 F
小銀貨 __,___,100 F
銅貨 __,___,_10 F
賤貨 __,___,__1 F
∽∽∽∽∽∽∽∽∽
幸いここは冒険者ギルドだ。
日が落ちるまでには、まだしばらくの時間があったし、短時間で終わりそうな依頼を受けて、今日の宿代をなんとかしよう。
アルダはそう考えて、足早に依頼掲示板へと向かった。だが、こんな時間だし、短時間で終わるまともな依頼は残って――
「なんでこんなに依頼が残ってるんだ?!」
彼は思わずそう呟いた。
そこには近場の森で採取できる、採取系の依頼が大量に貼られていたのだ。薬草・毒消し草・魔月草に麻痺衣、ほとんど全てが並んでいた。
とりあえず、勝手知ったる薬草の採取を選んで依頼票をはがした彼は、それを受付へと持って行った。
12で冒険者になったアルダは、1年くらいの間、薬草の採取ばかりやっていたのだ。一株10Fで20株も採取すれば1日暮らせたし、それは比較的安全な場所で達成可能な依頼だったからだ。
受付では、ニールがすまなそうな顔をしていた。
ルール通りに処理したとはいえ、アルダが困窮している責任の一端は自分にあると考えていたからだ。
「もう午後だし、もし困ってるんなら、私が――」
依頼票を眺めているアルダを見て、何かを察した彼女が、彼にお金を貸そうかと提案しようとした言葉は、アルダの勢い込んだ質問でかき消された。
2年前ならともかく、今では彼にも矜恃というものがあったのだ。
「すみません。なんでこの時間にあんなに採取依頼が残ってるんですか? 緊急に大量依頼が出たとか?」
そう尋ねたアルダに、ニールは顔を曇らせながら説明してくれた。
3日前に、ハティの出現が報告されたこと。
それに合わせてグレイウルフの群れがいくつも確認されたこと。
採取に向かった新米冒険者たちが、いつもより上位の魔物に襲われたこと。
その結果、採取がまるで支払いに見合わない依頼になってしまったこと。
「ハティの討伐依頼の物資調達もあって、今では採取品の値段は結構上がってるの。でも、全然足りていないわ」
高騰と言ったところで、所詮は元の値段が銅貨1枚のレベルの薬草だ。採取依頼の依頼価格がそうそう跳ね上がるはずもない。
それでいて危険性は、ずっと上の依頼と変わらないくらい増していると来れば、引き受ける者がいなくても仕方がなかった。
「ハティの討伐はいつなんです?」
「報告のあった日から8日後。テルセラ6節の10ね。ファーインレットの領主様が準備を整えられる期間で、冒険者もその間に募集されてるよ。報酬は――」
アルダは首を振ってそれを遮った。
「詳しいことは構いません。僕のレベルではどうせ参加できませんし」
アルダは、ちょっと自虐気味に肩をすくめてそう言った。
レベル2――今ではたぶん3だが――でハティ討伐にくっついていくのは、いくらなんでも無理だろう。
「そう。じゃこれ。採取、気をつけて――」
「案内はいるか!」
ギルドカードを返してきたニールの言葉が終わらないうちに、ギルドの扉が音を立てて開かれ、ハーフトップのブレストアーマーと革の鎧を組み合わせたような装備を身につけた、赤味がかかった金髪をきれいにまとめて頭に張り付けている気の強そうな美人が飛び込んできた。
「ソーナスの冒険者ギルドへようこそ。それで、どういったご用件ですか?」
「今すぐ、遺跡山の案内ができるものを紹介して欲しい!」
「い、今すぐですか?」
「そうだ、今すぐだ」
それを聞いたニールは、どこかでやったようなやりとりだなと思いながら、適任者を目の端に捕らえていた。
突然のことに呆然と立っていたアルダは、ニールに見つめられた瞬間、嫌な予感を感じて、すぐにきびすを返したが、それは少しだけ遅かった。
「アルくん?」
ニールの呼びかけに、逃げ出そうとしていたアルダは、凍り付いたように固まると、ギギギギと音を立てて引きつった笑いで振り返った。
「いや、あの、僕、さっき帰ってきたところで……」
「でも今から、森に行くんでしょ?」
「いや、あの、それはお金が必要なので仕方なく……」
そのやり取りを聞いて、今しがた飛び込んできた女性が嬉しそうな顔で振り返った。
「君が案内してくれるのか?」
ほとんどウェーブのないきれいな髪が、丁寧に編みこまれている様子は、上流階級の女性のように見えた。
(貴族の女性が、こんな格好で冒険者ギルドにやってくることなんてあるのかなぁ)
ぼんやりとそんなことを考えている間に、ニールとその女性――クレアと名乗った――の間で、アルダを貸し出す契約が結ばれていた。
「ちょ、僕の意志は……」
「ダメなのか?」
目が笑っているニールと、困ったように首をかしげるクレアに見つめられて、アルダは白旗を揚げた。
「わかりました、ご案内します。ただ僕は案内するだけで戦闘はできませんよ。今晩は?」
「戦闘については了承した。今晩は野営する。一刻も早く遺跡に行かなければならないんだ」
「野営の準備は――」
「簡易のテントや魔物よけなどはこちらで用意した。すぐに出られるだろうか?」
クレアがこれほど急いでいる理由がアルダには分からなかったが、準備に怠りはないようだ。
「わかりました。少し準備をしたいので、報酬を少しだけ前払いでいただけますか?」
アルダは、少し恥ずかし気にそう言ったが、クレアはまるで気にしていないように、金貨を1枚取り出して彼に差し出した。
「いいとも。では、ここで待っているぞ」
アルダは渡された金貨に内心驚いていたが、平然としているクレアを見て、ああ、もしかしたらこの人は、金貨以外の貨幣を使ったことがないのかもしれない、などと非常識なことを、ふと思った。
「ありがとうございます」
頭を下げたアルダは、そのお金を手に道具屋へと向かうと、同じ規格の大きな袋を24枚と、採取袋にするための袋を適当に十数枚購入した。
ひとつのポケットに同じものが12組入る言うことは、同じ大袋を用意すれば細かなものはその中に入れることでひとつのポケットに入れられるのではないかと考えたからだ。
カード化してみると、大袋24枚は12枚ずつ全部同じポケットに入れられた。
いくつかの食料や飲み物を、大袋に入れてみたが、それでも結果は変わらなかったので、ホッとした。
道具屋を出たアルダは、空を見上げた。
日が暮れるまでは、まだ多少の時間がありそうだ。うまくすれば森の野営ポイントまで進むこともできるだろう。
「お待たせしました!」
「では、行くか」
アルダが冒険者ギルドに戻って来て、クレアが腰を上げたとき、ニールがちゃっかり便乗してきた。
「ついでに採取もお願いねっ!」
それを聞いたアルダは、ふと従魔に採取させられるんではないだろうかと思いついた。
普通の従魔にそんなことは出来ないが、あれほど賢いクリムゾーナたちなら可能かもしれなかった。だが、草の名前を言っても分からないだろう。
アルダは、ニールに採取品のサンプルを貰えないか聞いてみた。
「それなら、念のために採取の必要がある草のサンプルを1株ずつ売っていただけますか?」
「? なんでいまさら?」
冒険者になった後、1年以上にわたって、ひたすら採取ばかりしていたアルダは、近隣の採取に関してはベテランと呼べる存在だったので、ニールは不思議に思った。
「えーっと。ちょっとブランクがあるから、念のためってことですよ」
アルダは苦しい言い訳でそれをごまかしたが、ニールは、相変わらず慎重な子だなと好感を抱きながら、近場の森でとれる植物を一通り渡してくれた。
「ありがとうございました」
「気を付けてね」
そう言ってニールは、アルダとクレアを見送った。
こうしてアルダはクレアと共に、もう一度森へと戻ることになったのだった。