第一章・第四話 アリアダスト・クロウリー
変な女だった。
顔をみれば二十歳前くらいの年齢だろうが、生まれてこの方一度も櫛をいれたことがないような纏まりのない菫色の長髪と、腰の曲がった姿勢で異様に着ぶくれしたローブを纏う姿は老婆のようにさえ見える。
歩くたびにガシャガシャと音がするのは、なにか大量の道具を身体に括り付けているのだろう。
(姿勢が悪いのも装備の重さに筋力が負けているからか)
この場に居る人間は男も女も、皆刀剣を手に鎧を纏う、いかにも戦士然とした風体なのに、この女だけが違った。
獣の群に魚が入ってきたような場違い感。
そして、それは続く彼女の行動で一層増した。
「くんくん。くんくん」
「な、なんだよ!」
女は突然、馬車にいた他の受験生に顔を近づけ、匂いを嗅ぎ始めたのだ。
「うん。キミじゃないなぁ。じゃあキミかなぁ?」
「ひ、人の匂いを嗅ぐんじゃありませんわよ無礼者!」
「うん。キミでもない。じゃあこっち?」
場違いを通り越して変人としか言えない行動に、受験生たちは動揺する。
だが女はそんな周囲の視線なんて見えていないように匂いを嗅ぎ続け、俺の目の前で『にやぁ』とねちっこい笑みを浮かべた。
「んふ~。みぃつけたぁ~」
途端、女は俺の両肩を鷲掴み、鼻先が擦れるほど近くに顔を近づけてきた。
……近づかれて気付いた。
女の瞳が、とても美しいことに。
色素の薄い瞳の中に虹が散っている。
まるでダイヤモンドのようだ。
一つ美しい部分が見つかると、印象ががらりと変わる。
遠目からは垂れ下がった髪でわかりにくかったが、近くで見れば目鼻立ちや、ぷっくりとした唇、顔の輪郭がどれもゾッとするほどに整っている。ローブの合間から見えた胸も厚手の生地をもちあげるほどに主張していて、スタイルもかなりよさそうだ。
ちゃんとした服を着せ、髪を梳けば、国を傾けるほどの美女になるんじゃないだろうか。
俺がそんなことを考えていると、女は俺の後ろで結わえた髪をひと房手に取り、鼻を近づけ、恍惚とした表情を浮かべた。
「少年。キミからはとってもいい香りがするねぇ。他の人にはわからないかもしれないけど、僅かな残り香でもボクにはわかるよ。これはそう、……≪悪魔≫の血と臓物の匂いだ。ボクの大好きな匂いだ」
その女の言葉に周囲が目を剥く。
俺も、すこし驚いた。
世の中にこんな変わった趣向の人間がいるとは。
「ねぇねぇ少年。キミの身体はどうしてそんなにも≪悪魔≫の匂いがするんだい? キミは今まで何をしてきたんだろう? ボクに教えておくれよ」
「……名前も知らない人間に話すようなことじゃない」
「ボクはアリアダスト・クロウリー。これで少年はボクのことを知ったわけだ。だから教えておくれ。知りたいんだよボクは。キミのことが知りたくて仕方がない。このままじゃあボクは今夜眠れないよ。ボクの知的好奇心を満たしておくれよぉ」
「ちょっと貴女! 初対面の相手に向かってズケズケと失礼にもほどが……!」
隣の女騎士が俺を助けようとしてくれる。
でも流石に他人に面倒をかけるのは忍びない。
俺はかまわないと彼女を手で制して、追及に折れた。
「……俺は五年ほど≪アビス≫の『第三深度』で修行していた。匂いはその時についたものだろう」
「「「――――ッ!?」」」
「≪アビス≫の『第三深度』だって?」
「ありえねえ。入試前にライバルにハッタリかましてんだよ」
「『第三深度』なんて、≪レギオン≫ですらまだ前線基地を作れてないのにな」
俺の一言に周囲がざわつく。
いや、どちらかというと失笑に近いか?
「貴方ね、つくならもう少しましな嘘をつきなさいよ」
たぶん心情的には俺に味方してくれている女騎士も鼻白んだ様子。
まあミッドガルドはずいぶん前から封鎖されているらしいので、無理もないことだが。
俺としても別に信じてもらおうとは思っていない。
そんな必要もないし。
ただ追及されたから答えた。それだけだ。
これで満足かと正面の変な女を見やる。
「…………!」
少し、驚いた。
先ほどまでヘラヘラしていたあの女が、とても真剣な表情をしていたから。
「いくつか質問していいかい?」
「手短になら」
「『第三深度』には赤い月の夜に紫に光る茸が生えている。これは食べられるか?」
「紫に光っているときは食える。赤い月が出ていないときは食えない。状況によって毒性の変化する厄介な茸だ。一度死にかけたことがある」
「『第三深度』の透き通った泉の水は飲めるか?」
「無理だ。『第三深度』からの湧き水はどれだけ綺麗に見えても猛毒だ。雨水で湿った土を絞って飲むか、≪悪魔≫の血を呑む方が安全性が高い」
「なぜ動物ではなく≪悪魔≫の?」
「『第三深度』の動物は『第三深度』の水を啜って生きている。だから身体に毒を蓄えている場合が多い。≪悪魔≫は泉の水を飲まない」
「なんで? なんで? なんで? なんで? なんで?」
女――アリアダストが俺を飲み込まんばかりに目をいっぱいに見開いて、疑問を口にする。
「なんでキミがそんなことを知っているの? それはボクの古巣――≪国際錬金研究機構(アルス=マグナ)≫が≪レギオン≫の調査隊からもらったサンプルを元に暴いた、最新の『第三深度』の情報だよ? なんで? どうして?」
そうか。
ずいぶんと≪アビス≫に詳しいと思ったら、この女は≪アビス≫の生態系調査を行う≪国際錬金研究機構≫の≪錬金術士≫だったのか。
「そこで暮らしていたと言っただろう。生き残るため地道に自分で調べただけだ」
「どうやって?」
「ゴブリンを使った」
その方法も俺はアリアダストに教えてやる。
『第一深度』にはゴブリンという≪悪魔≫がいる。
俺は解剖によって、そいつらの身体は人間の物と構造が殆ど一緒であり、胃や腸の残留物から、食生活も似通っていることを突き止めた。
つまり――
「ゴブリンの食えるものは人間も食える」
だから俺はゴブリンを攫ってきては毒見をさせていたのだ。
人型の≪悪魔≫は知性が高いぶん、暴力で屈服させれば扱いやすい。
そうやって、俺が『第三深度』での生活基盤を確立した方法を話してやると、アリアダストは「アハッ」としゃくり上げるように笑った。
そして肩に置いていた両手を俺の両頬に添えて、愛でるように撫でながら言う。
「キミいいなぁ。たった一人であの死の大陸に残って、≪悪魔≫の死体を解剖しながら泥水を啜って生きる。まだ子供なのに何がキミにそこまでさせるのかな。
キミはとても興味深い。キミはとても面白いよ。
うん。ボクはね、どうやらキミのことが大層好きになってしまったようだ。少年。名前を教えてくれないかい?」
「……ジーク」
「ジーク。≪特待入試≫お互い頑張ろうね。まあ『第三深度』で五年暮らしたキミなら間違いはないだろうけど。ボクはキミと一緒に≪アビス≫に挑みたい。
キミと一緒なら、ボクは誰よりも≪アビス≫の深層に迫れる。そんな気がするからさ。フヒヒ……」
それがこれから長い付き合いになる≪錬金術士≫アリアダスト・クロウリーとの出会いだった。
本作品のヒロインちゃん。アリアダスト・クロウリー登場です。
好奇心の獣。気になったことは気が済むまで調べつくさないと気が済まないかなりマッドな学者肌ヒロイン。
目をつけられてしまったジーク少年はどうなってしまうのか!
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