プロローグ第四話 ≪三本柱≫との別れ
≪アビス≫
ミッドガルド大陸中央部に突然出現した、次元の裂け目。
異界。
異界は瞬く間に現実を塗りつぶし、変質させていく。木も、草も、動物たちもみな、見たこともない禍々しい物へと変わり果て、≪アビス≫になっていく。
だがこれら世界汚染よりも人類にとっての脅威となったのが、≪アビス≫から現れた≪悪魔≫と呼ばれる生き物の存在だ。
≪悪魔≫達は人間とは比較にならないほど強大な力と、軍隊のような確かな意思を感じさせる統率を以て、瞬く間にミッドガルド大陸に存在するオーレリア以外の国家を滅ぼしつくした。
オーレリアだけは≪三本柱≫の力により善戦したが、どれだけ強くても彼らは僅か三人の精鋭。広い範囲はカバーできず、≪アビス≫出現から一週間としないうちに、ミッドガルドにおける人類の生存圏はオーレリア王都のみとなった。
そして……≪アビス≫出現から10日がたった日。
ドラクマ帝国とヨークシャン帝国を滅ぼした≪悪魔≫の軍勢が、オーレリアに集結。
大攻勢をかけてきたのだ。
天に昇る血のように赤い月。
紅に染まる大地と空を埋め尽くす、異形の化け物の群。
それらはまるで津波のようにオーレリア王都に迫り、瞬く間に城下町を守る城壁を破壊、大陸中から避難してきている避難民ひしめく城下町になだれ込んできた。
黒い濁流に何もかもが飲み込まれていく。
そしてついに≪悪魔≫の攻勢は、ジークの預けられていた王城の避難所にすら及んだ。
「キャアアァアアアアアア!!!!」
「≪悪魔≫だ! ≪悪魔≫がもうこんなところにまで……!」
「おかあさーん! おかあーさん!」
王城の壁が壊され、蝙蝠のような翼と二本の巨大な角を持つ、身の丈5mはあろう牛と人間の合いの子のような≪悪魔≫が、避難所に押し入ってくる。
牛の顔に人間のような体を持つ≪悪魔≫は、逃げ惑う幼い子供たちに手を伸ばし、捕らえようとする。
喰おうとしているのだろう。
その≪悪魔≫の口元は、滴るほどに人間の血で湿っていた。
「≪疾風突き≫ッ!!」
それを見たジークは迅速な行動をとる。
≪疾≫と≪烈≫を同時に発動し、神速の突きを放つ≪疾風突き≫で、牛の顔の額を穿つ。
だが、
(なんて硬さだ。刃が通らない……!)
≪疾風突き≫は表皮ではじき返され、わずかに≪悪魔≫をのけぞらせた程度だった。
しかしジークは諦めない。
(大丈夫だ! 今日までずっと、皆に鍛えられてきたんだから……!)
ここは幼い子供や母親が集められた場所だ。
ここに戦えるような人間は、自分を置いて他にいない。
だから自分が戦わないと。
あの三人のような、人を守れる強い人間になりたい。
そう思って、夢見て、訓練してきたのだから!
ジークは訓練の日々を思い出し、自らを奮い立たせる。
そして、
「≪アナライズ≫……ッ!」
まずは定石。敵の力を教わった魔法で測って――
名前:ビッグホーン
年齢:130歳
性別:雄
ATK:6666
DEF:4444
DEX:678
SPD:955
INT:1028
「ぇ…………」
絶句した。
表示されたステータス。
そこに示される、人間とはあまりに隔絶した力に。
こんなもの、勝てるわけが、ない。
でも、
「みんな! 奥に逃げるんだッ!!」
せめて自分より弱い者は逃がさなくては。
ジークはそう自らを叱咤し、≪悪魔≫の前に立ちふさがる。
そんな小さな子供の姿を見て、
『ギギギギギ、――ギャギャギャ!!』
牛面の悪魔は嘲笑う様な鳴き声を発し、血に濡れた巨大な戦斧を振りぬいた。
速い。鋭い。
だが――いつも打ち込み稽古しているソルの剣ほどじゃない。
ジークはこれを跳躍で躱し、そのまま、
「≪爆砕剣≫ッ!!」
自分の剣術の中で一番威力のある、体ごと前転させる斬り下ろしで、牛面の悪魔の肩口を攻撃する。
このジーク渾身の一撃は牛面の悪魔の肉体に深々と食い込んだ。
だが、丁度鎖骨を割り断ったところで、刃が止まってしまう。
ジークの力では斬りきれなかったのだ。
刃が止まり、ジークの動きも止まる。
牛面の悪魔はこれを逃さなかった。
憤怒を感じさせる咆哮をあげ、巨大な手でジークの身体を掴むと、力任せに床に叩きつける。
「か、は――、」
ジークの軽くて小さな体が、石造りの床を砕き散らした。
ベキベキと全身の骨がへし折れ、口から血反吐が噴き零れる。
≪硬≫で守らなければ、トマトのように体が弾けていただろう。
だが、かろうじて命は繋げど、もはや戦える状態ではない。
でもジークの背後には自分よりも幼い子供達が。
「っう! ≪ファイアストーム≫!!」
体が動かずとも左手だけで反撃する。
唱えるは黒の第三階梯魔法≪ファイアストーム≫。
火炎の竜巻を放ち敵を焼き尽くす魔法だ。
だがその魔法を牛面の悪魔は戦斧を横一線に振り払う風圧だけでかき消してしまった。
「ぁ、ぁぁあ……っ」
絶句するジークに、牛面の悪魔は戦斧を振り下ろす。
とどめだ。ジークの足は折れている。当然躱せない。
戦斧が肉を斬り裂き、血が迸る。
だが、――それはジークの血ではなかった。
「無茶するんじゃねえよ。ジーク」
「ソル……!」
彼は寸でのところで駆けつけたソルによって助けられていたから。
しかし、本当に寸で、ぎりぎりだった。故に、
「ソル! うで、うでがッ!!」
代償は大きかった。
ジークの代わりに、ソルの右腕が牛面の悪魔によって断ち切られてしまったのだ。
その事実にジークは自分が死にかけていたときよりも真っ青になる。
だが当のソル本人は笑顔すら浮かべて、胸に抱いたジークの頭を撫でた。
「大したこたぁねえさ。お前さえ無事ならな」
それから、今まで聞いたことがないほどに優しい声で、続ける。
「よく聞けジーク。もう自分でわかっていると思うが、今のお前はこの場所じゃ足手まといにしかならねえ。
だけどそれは今の話だ。お前にはオレ達三人の最強を叩き込んだ。あと五年もすれば身体もデカくなって、お前はもっともっと強くなる。こんな牛みたいな奴、すぐに相手にならなくなるさ。
だから――今は逃げろ」
「え――」
「ミスティ! やってくれえッッ!!」
ソルがジークの胸を押し飛ばす。
瞬間、ジークの足元に白い魔法陣が展開。
陣の外周から吹き上がる光の壁がジークを包んだ。
その魔法をジークは知っている。
「これ、≪ディバインゲート≫……ッ!」
この世でただ一人≪大賢者≫ミスティア・マクスウェルだけが扱える第六階梯魔法の一つ。超大規模の――長距離転移魔法だ。
見ればジークだけでなく、避難所の子供たちの足元にも同じ輝きがある。
だが、ソルの足元にはない。
これをみて、ジークはソル達が何をしようとしているのかを悟った。
彼らは殿となって、オーレリアの人々を、そして自分を逃がすつもりなのだと。
「いやだ! ソル、俺も戦う!! 一緒に戦わせてよ!!」
「ああ。いいぜ!」
「ッ!?」
「だから最高速で強くなって戻ってこい!! あんまチンタラしてると、オレ様達だけで≪悪魔≫どもを皆殺しにしちまうからな! ハハハッ!!」
失くした利き腕を手早く止血しながらソルは笑う。
状況を見ればそれがあまりに出来の悪い強がりであることは、ジークにもわかった。
ジークは必死にソルに手を伸ばす。
喰らいついてでも彼の下に留まろうと。
だが魔法陣の光によって、その指先は阻まれて、
「いやだあ! 出して! 俺だって戦える! 戦えるんだ! だから、俺を一人にしないでよぉぉ!!」
そう血を吐くように叫ぶジークに、ソルは力強く言った。
「一人じゃねえさ。お前はジーク・トリニティ。オレ様達は、いつだってお前と一緒だ」
瞬間、ジークをはじめとするオーレリア王国民約100万人が、ミッドガルド大陸から海を挟んだ東のウラル大陸へと転送された。
≪三本柱≫の三人を除いて――
「さあて、と。――そんなかすり傷でずいぶんと苦しそうじゃねえの」
ソルは利き腕といっしょに落とした剣を拾い上げ、片膝をつき苦しむ牛面の悪魔を嘲笑する。
これにソルによって脇腹を深々と斬り裂かれた牛面の悪魔は、飛び出しそうになる内臓を押さえつけながら言葉を発した。
『ギギ、ギ、……よくも、よくも猿風情が、オレの身体に傷を……!』
「あぁん? なんだ言葉がわかるのか。賢いじゃないかホルモン君」
『……図に乗るなよ猿が! 一緒に逃げればよかったものを、そんな片腕で何が出来る!!』
これをソルは鼻で笑った。
「逃げる? オレ様が? 逃げるかよ。庇うモンがなくなれば……テメェら程度片腕で十分だぜ!」
『殺してやるゥゥゥウッッ!!!!』
「出来るもんならやってみろッ!!!!」
超常の膂力が激突し、大気が爆発する。
だが、その戟音ももうジークには聞こえない。
これが、ジークと≪三本柱≫の別れだった。
次でプロローグは最後になります。
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