第一章・第十二話 探求心という執着 憎悪という執着
「ダメだ。危険だ」
アリアダストを『第三深度』まで連れていく。
もちろん俺はそんなこと了承しない。
はっきりと突っぱねてやる。
「それはダメ」
「……なにが?」
「ダメなのは、ダメ」
何を言っているんだコイツは。
「いいじゃないかぁ。ボクも連れて行っておくれよ少年~。『第三深度』の素材を採集できるチャンスを一人占めなんてずるいずるい! ずるいぞー!」
「だから俺は採集にいくわけじゃない。観測所の安否確認に行くんだ。場合によっては≪悪魔≫との戦闘にもなりかねない。足手まといだ。大人しく帰れ」
「やだやだー! ちゃんと危なくなったら自分でなんとかするからぁ~!」
「それが出来てなかったからさっき死にかけていたんだろう」
親におもちゃをねだる駄々っ子のように縋りついてくる女に、俺はほとほと呆れてしまう。
だが女は俺の苦言もお構いなしに開き直った。
「うん決めた。もうボクは少年がなんと言おうとついていくから。止めたって無駄だからね。だから諦めてさっさと行こうよ。『第三深度』にさぁ」
「……付き合ってられん」
まじめに説得するのも馬鹿らしくなってきた。
こうなれば手段は一つだ。
「ついてくるなら好きにしろ。もうめんどくさいから止めない」
「いいの!? やったー!」
「ただしついてこられるのならな」
「ぇ?」
瞬間、俺は≪疾≫を使用。
取り込んだ酸素を足に集約し、神速を以て身体を前に飛ばす。
「うわ!? はやっ!」
驚く女を置き去りに、最高速で白骨の斜面を駆け下り森へ飛び込む。
そのまま木々の枝と枝を≪疾≫の連続使用で飛び移りながら、俺は森を駆け抜けた。
『第三深度』までついて来られるくらいなら、『第二深度』で置き去りにしたほうがまだ安全だ。
口での説得に応じないなら速度で千切ってやる。
だが、女の諦めは悪かった。
「うなーーーーっ!」
森の藪を突っ切りながら、女もまた俺についてくる。
着ぶくれした外見からは想像できないものすごいスピード。
これは――魔法か。
「≪ヘイスト≫で限界一杯までSPDを引き上げているのか」
「へ、へーんだ! 置いていこうとしても、そうはいかないからねーっ!」
不敵に笑う女。
……なんて浅はかな。
≪ヘイスト≫は確かに自分の移動速度を底上げすることが出来るが、それは極めて雑な、本人の肉体スペックに何ら配慮のない等倍の加速だ。
≪疾≫は鍛錬の末身に着ける肉体操作法だから、細かなコントロールも聞くが、≪ヘイスト≫はそうではない。
だからこんな見通しも足場も悪い森で使おうものなら……
「ぎゃぶっ!」
このように、木の根に足をとられてすっ転ぶことになる。
しかも≪ヘイスト≫の加速付きでだ。
女はものすごい勢いで地面に顔面を強打した。
――が、
「なんのこれしきっ!」
顔を泥だらけにしながらもめげない。
すぐに身体を起こすと、俺を追いかけてくる。
そのあとも、何度避けきれず木に顔からぶつかろうが、
「負けないぞーっ!」
と叫び、鼻血を垂らしながら俺を追いかけ、
≪悪魔≫に遭遇し喰われそうになろうが、
「催眠ポーション!」
身体に下げている大量のサイフォンをぶん投げ、≪悪魔≫を眠らせて逃げ切り、
「まだまだーっ!」
藪に突っ込んで切り傷だらけになりながらも、どこまでもどこまでも追いかけてくる。
なんてしつこい女なんだ。
何があの女にここまでさせる。
≪アビス≫の『第三深度』なんて、ろくなところじゃないのに。
「でも――、さすがにここまでだな」
俺は渾身の力を足に込め、跳躍。
森を抜けたところにある巨大な峡谷を飛び越える。
その幅、実に30m。
≪ヘイスト≫を使おうが、彼女の身体能力で飛び越えられる距離じゃない。
流石に止まらざるを得ないだろう。
そのはずだ。
なのに、
振り返ると、女は崖が見える距離になっても足を止めず突っ込んできていた。
いや、止まるどころか加速している気さえする。
まさか、――本気か?
ものすごく嫌な予感。
そして、それは的中した。
女は一切減速しないまま、崖から飛んだのだ。
「うなぁぁーーーーーーーーっ!!!!」
「馬鹿っ! なにやってるんだッ!」
俺は慌てて引き返す。
しくじった。
あの女の頭のおかしさを甘く見ていた。
自分に出来ることと出来ないことの区別もつかないのか。
30mという距離の跳躍は、剣術の体技を叩きこまれた俺だからこそこなせるものだ。
≪ヘイスト≫で突入速度をどれだけ稼ごうと、大量の荷物を抱えている女の脚力では当然飛びきれない。
案の定、女の身体が峡谷の中頃で落下を始める。
峡谷の深さは目算100m強。
落ちれば絶対に助からない。
――間に合うか!?
助けるために駆け出す。
その時だ。
峡谷に飲まれそうになる寸前、女が妙な動きをした。
弓を引くような動き――あれは、
「スリングショット!?」
「爆発ポーション!」
女がスリングショットでこぶし大のサイフォンを谷底に打ち放つ。
その瞬間だった。
谷底で、地面を揺らすほどの大爆発が起きたのは。
谷底から吹き上がる火炎と爆風が、落下しつつあった女の身体を掬い上げる。
そして、
「ぎゃんっ!!」
女は顔面から俺の足元に着地した。
つまり、峡谷を飛びきったのだ。
爆弾の爆風で自分の身体を吹っ飛ばすという、とんでもない力技で。
「いだだだ……っ、流石にきいたァ。でもこれで……おやぁ? 少年。ボクを助けに戻ってきてくれたのかい? 優しいなぁキミは。げほっ、げほっ……!」
「……なんなんだアンタは」
「うへぇ?」
「なにがアンタにそこまでさせるんだ。正気の沙汰じゃないぞ」
「それを五年も≪アビス≫で暮らしてたキミがいっちゃう?」
俺の問いかけに女はクスクスと笑う。
それから、泥と血で汚れに汚れた顔でも、その美しさを微塵も損なわないダイヤモンドの瞳を輝かせながら、言った。
「命を賭けてでもやりたいことがある。それをやると決めたなら、諦めと失望のなかでグズグズしていたくない。人生がもったいない」
「っ……!」
「未踏の世界。未知の法則。正体不明の侵略者。そのすべてが興味深い。そのすべてをボクは知りたい。そう、ボクは≪アビス≫に恋をしたんだ。このトキメキは誰にも止められないよ。キミもそうなんじゃないのかい?」
「…………全く違う」
「え? そうなのかい?」
そうだ。全然違う。
俺は≪アビス≫に対して憎しみしか感じていない。
でも……
執着、という言葉に置き換えれば、確かに俺と彼女は極めて近い感情を共有しているのかもしれない。
俺には≪アビス≫に挑む理由がある。
もう一度、あの三人に逢うこと。
俺たちを守るために≪アビス≫に残り、帰ってこなかったあの三人の顛末を知ること。
そして、≪悪魔≫たちに復讐することだ。
そのためなら、命だって惜しくない。
彼女にも……そういう執着があるのだ。
だとしたら、
「はぁ……」
折れない。
俺と同じように、自分の生き方を定めているのなら、他人に何を言われようと、彼女は折れない。曲げない。貫き通す。
俺がそうであるように。
きっと無理矢理引き離したところで、匂いを追ってでも『第三深度』までついてくるに違いない。
……俺の、負けだな。
「さっさと立て。アリアダスト」
「ふえ?」
「日が落ち切るまでに≪β34観測所≫にたどり着きたいんだ。グズグズするな」
「……ついていってもいいのかい?」
「そこまで覚悟が決まっている奴の生き方をどうこう言おうとは思わない。ただし自分の命は自分で守れ。俺も自分の命以上にはアリアダストを守らない。それでいいな」
「……へへへ。おうともさー! ありがとう、ジーク!」
×××
そのあと、俺とアリアダストは休みなしの全力疾走で『第二深度』を突破。遠くで夕日が沈みはじめる頃、『第三深度』の≪イカロスの手≫と呼ばれる地点に到着した。
イカロスの手は、まるで太陽に向かって伸びる人間の手のように地盤が隆起した奇形の山だ。
通常の地殻変動ではない。
その形状も、重力の作用に逆らっている。
普通なら、人間の手のような形のまま、山と形容できるほどの土砂が起立していられるはずがない。
≪アビス≫の異界化の影響を受けた結果だろう。
イカロスの手の親指の部分には、隆起の際に巻き込まれたのであろう朽ちた風車小屋が、ポツンと建っている。
そこが≪β34観測所≫だ。
観測所の前にたどり着くと同時に、アリアダストが膝から崩れた。
「じー、ジーク、キミは、本当にすごいなぁ……! 白魔法も、ポーションもつかわないで、こんなに速く、長く、走れる、なんて……! ハア! ハアッ!」
「アリアダストは何か薬を使っていたのか」
休みなしでよくついてきているとは思っていたが。
「きょ、強壮、ポーションをね、これを呑むと、疲れを、感じなくなる、んだ。それでも、キミのペースに合わせたら、このザマだけど、さ……! ゼエ、ゼェッ!」
「……なにか変な副作用とかはないだろうな」
「うん、こっちは、だいじょうぶ、なヤツ、だから」
こっちは?
「うぷっ」
「……オレは中を見てくる。その間に済ませてこい」
わ゛がっだ、と口元を抑えながら親指の端に歩いていくアリアダスト。
その先は見たくもないので俺は視線を切って、風車小屋の扉に向かう。
そして、ドアノブに手を伸ばし――
「――――」
気付いた。
血の匂い……いや腐臭がする。
「臭いな……」
「うぇぇ!?」
「お前のゲロじゃない。アリアダスト、武器を構えてろ」
警告してから俺も自分の剣を抜く。
そして、扉を体当たりで破ると同時に中へ滑り込んだ。
剣を構えながら素早くに風車小屋の中に目を走らせる。
状況把握。
風車小屋――≪β34観測所≫は、壊滅していた。
ギャスパーから聞いた観測所に詰めていた人間の数は10人。
中にはきっちりその人数分の、内臓だけを喰われた死体が転がっている。
表側からは見えない裏側の屋根には大きな穴。
おそらく、ここから奇襲を受けたのだろう。
「一応、応戦した後もあるが、そう長い戦闘じゃないな。不意を突かれて一気に壊滅したか」
室内には巨大な刃物で薙ぎ払われたような斬痕がいくつも残っている。
死体が持っている武器に、そんな痕をつけられそうなものはない。
ということは……≪悪魔≫の武装か。
察するにバカバカしほどに巨大な剣か、――斧。
「――――――」
そのときだった。
現場検証をする俺の視界の端に、あるものが映る。
黒い毛だ。
床に黒い毛が散らばっている。
死体のものか?
いや違う。
拾い上げると、その毛は太く、硬い。
獣の体毛のような手ざわりだった。
「……まさか」
脳の、古い記憶がじくりと疼く。
その瞬間、アリアダストが大慌てで部屋の中に転がり込んできた。
「うひゃあぁぁ~!」
「アリアダスト!? どうした!」
「た、たたたいへんだよ少年!」
彼女は慌てふためきながら言う。
「なんかものすごくヤバそうなのが空から降りてきたんだよっ。牛の顔みたいなのに、蝙蝠の羽根をはやしたでっかい奴が――」
瞬間、俺は弾かれた様に駆け出した。
アリアダストを押しのけ、観測所の外へ飛び出す。
そして空を見上げ、
『ギャギャギャ! 今度のバカはガキとメスか……。これはツイテル。ハラワタくらいしか食えない不味いオスと違って、ガキとメスは頭から足の先マデ美味いからナァァ……!』
見つけた。
夕焼けに染まる朱の空。
節くれだった翼を広げ、ゆっくりと降りてくる牛面の悪魔を。
巨大な二本の角は片方が欠け小さくなっていたが、間違いない。
脳髄が、発火したように熱くなる。
「お前……、オマエェーーーーッッ!!!!」
そいつは、五年前のあの夜に俺が戦った≪悪魔≫ビッグホーンだった。




