第一章・第六話 ≪三本柱(トリニティ)≫の教え
「これ以上は待てない」
俺は切り株から立ち上がり、崖に向かった。
「止まれ! お前の試験はまだだと言っただろう」
「ダメだ。これ以上待てば四人ほど死ぬ」
「…………!? まさか、この距離から『観て』いたのか」
「そうだ。早く助けないと死人が出る。俺は往く」
しかしベイズは俺の前に立ちふさがる。
「この入試は命を賭けて行うものだ。死の危険があることは募集時点で告知している。勝手な正義感で試験を妨害するなら失格になるぞ」
「かまわない」
兵より士官のほうが権力が強いのは魅力的だ。
だからベイズの指示に従ったが、それは人の命を秤にかけるほどの価値じゃない。
「別に俺は≪アビス≫に行ければそれでいい。士官の席に興味はない。それになにより――俺は目の前で死にかけている人間を見捨てていいなんていう教育を、親から受けてきていない」
「……!」
言うと俺はもうベイズには構わなかった。
風を足場にする魔法≪レビテーション≫で彼を飛び越し、そのまま魔法陣をも飛び越して、窪地の上空に出る。
(ここで俺が助けた奴は失格になるのか?)
……まあ構うまい。
彼らも目的があっての受験だろうが、死ぬよりはいいだろう。
下手に仕留めそこなうと死人が出るかもしれない。
ここは、雑にいく。
「唸れ。吼えろ。――怒りの権能」
都合三小節の圧縮詠唱。
それに呼応するよう、俺の上空に黒雲が滲みだす。
発動するのは黒の第五階梯、
「≪ラグナブレイド≫ッッ!!!!」
発動と共に、黒雲から窪地の樹海へまっすぐ、無数の雷の剣が落ちた。
黒の第五階梯は別名対要塞魔法とも呼ばれる魔法群で、広い効果範囲と、堅牢な要塞すら破壊する攻撃力が特徴だ。
ミスティがいなくなった今、人類が扱える最高級の魔法。
『第一深度』程度の悪魔に使うには余計すぎる火力。
しかし万一仕留め損なっても面倒だ。ここはこれでいい。
樹海に落ちた雷の剣は受験生を追い回し取り囲んでいた、ゴブリンを、スライムを、ゾンビを、一瞬にして炭化させ、吹き飛ばす。
断末魔を上げる暇すら与えない。
先ほど馬車で隣り合わせた女騎士と対峙していたオークも同様だ。
俺は炭化したオークの死骸を頭から踏み砕き、窪地に降り立つ。
そして倒れ込む女騎士に尋ねた。
「大丈夫か?」
「ぁ、ぁ…………」
「オークの雄たけびで鼓膜をやられたか。待ってろ」
一番危険だったのは彼女だったが、間に合ったようだ。
すぐに白の第二階梯≪ヒール≫で傷を治してやる。
女騎士は愕然とした表情で、俺を見上げて言った。
「……今の魔法、貴方が?」
「ああ」
「あ、貴方……何者なの? 黒魔法も、白魔法も使える人間なんて、聞いたことありませんわ……」
「ホントだねぇ。不思議だねぇ」
「!」
ふと、別の方向からねちっこい声が聞こえてきた。
見やると、木々の間からあのぶかぶかローブの女、アリアダスト・クロウリーがこちらに近づいてくる。
「少年。その両手の腕輪を見たときからまさかとは思っていたけど、本当に白と黒の両方が使えるなんて、……興味深いなぁ。キミは」
そう言って目を細めるアリアダストの右手は、今俺が消し炭にした奴よりも一回り大きなオークの死体を引き摺っていた。
今回、窪地で『第一深度』ではそれなりに強い部類に入るオークと鉢合わせた運の悪い人間は、女騎士だけじゃなかった。
もう一人、アリアダストもだ。
だがアリアダストのほうはこれを危なげなく一方的に殺害した。
それがどういう手段で行われたのかは、あくまでも朧げな位置関係と心身の状態を抽象的に把握するだけの≪サーチアイ≫では確認できなかったが、死体を見れば、殺害方法はすぐにわかった。
(撲殺だ。それも素手で)
オークの側頭部にクッキリと拳の後が残っている。
頭蓋骨が拳の形に陥没しているのだ。
オークは馬鹿でウスノロだが怪力だ。
力だけなら『第二深度』の≪悪魔≫にも劣らない。
それを素手で殴り殺すとは……。
この女、ただの変な女ではない。
「帰りの魔法陣の場所がわからなくなっちゃってさぁ。一緒につれて帰ってくれないかい。ボクってかなりの方向音痴なんだ」
「かまわない。……だが死体を丸ごと持って帰る必要はないだろう」
「いやぁ。いらないなら貰えないかなって思ってね。新鮮な死体なんて、めったに手に入るものじゃないからさぁ。あれこれバラして調べまわしたいのさぁ」
「……」
ただの変な女ではない。かなり変な女だと俺は思った。
×××
こうして俺の≪特待入試≫は始まる前に終わった。
俺が助けた四人は、受験生以外から手を借りたということで失格となった。
その誰もが俺に恨み言は言わなかったが。
一方、意外なことに俺には失格は言い渡されなかった。
後日連絡する。
ベイズからそれだけ言われて俺は馬車で街に帰らされたのだった。




