2119年のこじれた恋愛模様
「彼女と別れようと思うんです」
タツミは長いまつげを震わせ、絞り出すような声で言った。
「まあ待て。落ち着け」
マルトは読んでいたレポートを閉じ、スレートを畳んでポケットに入れた。
「どうしたんだ。アケミちゃんとはうまくやっているんだろう」
「……」
タツミは顔を伏せる。
「おいおい。昨日だって、あんなに仲良しだったじゃないか」
はぁ、とマルトはため息をつく。耳の下をとんとん、とたたいて秘書AIを呼ぶ。
(タツミとアケミちゃん、なんかあったのか?)
(アケミのメモリーログを確認。異常は検出されていません)
(となるとタツミが何か誤解したいつものパターンだな。よし)
秘書AIとの会話を切って、マルトはタツミに聞く。
「おまえ、彼女がPロイドだから別れるってんじゃないだろうな」
「そんなことはしません! 生まれがPロイドだとしても、彼女は素晴らしい女性です」
Pロイド、パーソナルドロイドは人間型アンドロイドの総称だ。
22世紀の日本において、Pロイドは社会のさまざまな場所で活躍している。
サービス業をはじめ、福祉、教育、医療の現場でPロイドはなくてはならない存在だ。
最新モデルのPロイドは情緒回路を充実させており、アケミもそのうちの一体だ。
「たしか、育子所で出会ったんだよな」
「はい」
この100年間、日本の人口は緩やかに減少を続け、今の人口は6000万人規模となっている。
それでも、最近10年に限れば人口増に転じており、その背景には育子所と呼ばれる福祉施設の充実がある。
「子供たちの世話をするアケミは、まさに聖母……いえ、女神でした。常に優しく、忍耐強く、決して仕事に手を抜くことはない」
「そりゃPロイドだからな。手は抜けないだろ」
育子所は介護現場と並んでPロイドが重点的に配備される職場だ。人間と違い、どれだけ理不尽な目にあおうが、長時間労働させられようが、疲弊も摩耗もしないPロイドは、子育てにうってつけである。
むしろ人間の方が22世紀の子育てには向いていない。法律の改正により、子供の親に対するメンタルチェックは年々、厳しくなっている。子供を持つ親は常時精神状態がモニタリングされており、鬱などの症状が出れば子育てを停止させられる。心理検査で子育て適性の低い親は、カウンセリングの上で最初から親権を放棄することもある。
親から離された子供は、公共の育子所で世話をされ、教育を受ける。2119年現在、一ヶ月以内の一時利用を含めると12歳以下の子供の3割が、育子所で生活している。情緒回路を持つPロイドなくしては成り立たない子育て支援政策だ。
「Pロイドのアケミちゃんが仕事熱心なのは、当然だろう」
「先輩はわかっていません!」
タツミが強い口調でマルトに迫る。
「お、おう」
「すいません……その、アケミが素晴らしいのは、子供たちの実の両親への気配りなんです。中には本当にひどい親もいますが、それは一部です。愛したいのに愛せない。優しくしたいのに優しくできない。そういうこじれた感情で親権を停止させられた親を持つ子供たちに、さりげなく親のよいところを伝える。モニター越しに元気な様子を見せてあげる。そうやって、今は会えなくても、大きくなってから会えるよう下地を作ってあげてるんですよ」
感情がこじれやすいのは、親だけではなく、子供の側もだ。
さらに言えば、人間そのものが、22世紀日本のように精緻に組み上げられた社会システムの中では容易にこじれる。幸運と幸福は似ているようで違う。出アフリカから数えて5万年。健康、栄養、娯楽、どの面でみても22世紀の日本で生きることは幸運だが、それはただの“運”だ。自らが努力して掴み取ったものではない。人間は、自分が暮らす群れ内部の競争の中で勝ち取ったものでなければ、幸福は感じにくい。
「Pロイドにしちゃ、踏み込みすぎな感じがあるな」
Pロイドの行動は、育子所の管理下にある。親権を停止させられた親の扱いは、慎重を要する。育子所では、あまり触れないようにPロイドの行動を制限しているはずだ。
「アケミの情緒回路には、独立行動支援プログラムも組み込まれていますから」
タツミが得意そうに言う。
「独立行動支援プログラム……アケミちゃんがそう言ってたのか?」
「いえ。自分で調べました。アケミのことは何でも知りたいんで」
「ふむん。お前さん、そういうメカとかプログラムとか苦手だと思ってたんだがな。これも愛のなせる技か」
マルトは小さく唸った。続いて確認する。
「で、なんでそこまで好きな彼女と別れようなんて思ったんだ」
「アケミが本当に好きな相手がわかったんです」
「はぁっ?」
言うまでもなく、アケミはPロイドである。独立した自我が芽生えるほどの高度な人格は備えていない。
反論しようとするマルトに、タツミが次の言葉を投げつける。
「アケミが好きなのは、あなたです、マルト先輩」
「はいいい?」
思わぬ展開に、素っ頓狂な声が出た。
冗談かと思ったが、タツミの顔は真剣だ。
「昨日の地域活動、ご一緒しましたよね」
「ああ。つくば5号アーコロジーの清掃な。アケミちゃんは子供たち引率して」
つくば5号アーコロジー。つくば市北部にある2万人を収容可能な巨大建造物だ。普段はロボットがメンテナンスを行う無人の施設で、災害が発生した時に開放され、疎開した人々が暮らす。22世紀の日本はプライバシーが皆無なことをのぞけば100年前より格段に住みやすい国になっているが、自然災害だけは100年前より深刻化している。超大型台風は毎年のように列島を縦断し、富士山は一時期の大噴火は終わったが小康状態の今も噴煙をあげ続けている。いつどこで発生するかわからない巨大災害に備えて日本各地にアーコロジーが建設され、被災した人々に安全で快適な避難場所を提供している。
「まあ、清掃っても、形だけだがな。アーコロジーの中にある寺社やら教会やらをめぐってお参りするスタンプラリーだ」
「はい。ぼくも手伝いました」
「タツミはアケミお姉ちゃんの恋人らしいって、子供たちにからかわれてたなぁ。子供らにもわかるくらい、おまえとアケミちゃんの仲が良かったってことだろ」
「ぼくも……そう思ってました。でもアケミは先輩を……」
「だから、なんでそんな誤解になるんだよ。昨日、そんなに思わせぶりなことしてたっけ?」
昨日は宗教関係の施設をめぐり、子供たちと清めの儀式のような掃除をしただけである。アーコロジー内のインフラはロボットが管理しているが、人間社会のメンタル面をケアする施設は、何らかの形で人が関わっていることが大事なのだ。
「子供たちを送り返した後で、三人で一緒にアーコロジーの屋上に登ったじゃないですか。普段は安全のために閉鎖されてる、飛行ドローンやヘリの離発着場があるところ」
「おう。ありゃあ怖かったなぁ。吹きっさらしでなぁ」
転落防止のネットはあるが、それは転落死を防ぐためだけのものだ。地下に広いアーコロジーは高さはさほどでもないが、それでも膝が震えるほどに怖い。だが、周囲の景観は見事だった。
「あの時に、アケミの反応がおかしいことに気づいたんです」
「は?」
マルトは首をひねる。
「アケミは、常に先輩に手が届く場所にいました」
「そんなに近かったか?」
「アケミの手はワイヤー付きで3mほど飛ばせますから。子供が危ない時のために」
「そんなものあったのか。だが、それだけならお前さんだって同じだろ」
「それだけじゃありません。アケミは先輩をずっと見ていました」
「またまた。そんなはずが……もしかして、アケミちゃんがレーダーでおれを見てたとか?」
「アケミにレーダーはないですが、音波探知機はあります。アケミのヘアバンド風になってるところから、超音波で周囲を常に探っています。視界の外にいる子供の様子もわかるように」
「なるほど。でも、それならおれを見てなくても……」
「474回です」
「よんひゃく……なに?」
「屋上でぼくと話をしている間、アケミが先輩を見るために眼球を動かした回数です。顔はずっと、ぼくを見ているのに、目だけがヘンな動きをするんで気づいたんです」
「ああ……そういや、最新のPロイドの眼球運動って情緒回路と連動してんだっけか……」
「アケミが興味を持っているのは、先輩です。アケミはきっと先輩が好きなんです」
「うおお……しかし、よんひゃくななじゅう……わー……ん、ああ、待て待てタツミ。おまえはすぐに結論に飛びつく。ダメだぞ」
マルトはしどろもどろになりながらも、タツミに説教をし、タツミに「結論を出す前にもう少し考えます」と言わせて、部屋から送り出した。
扉を閉める。
耳の下をとんとんと叩く。
「この部屋を情報封鎖しろ。タツミの監視も」
「どちらもすでに実行しています」
秘書AIの声が、ポケットの中のスレートから聞こえる。
マルトは椅子に深く座り、ため息をついた。
「……タツミの様子はどうだ?」
「部屋に戻りました。スリープモードに移行中」
「そうか。しかしまさかPロイドの眼球運動でバレそうになるとは……」
「目の動きで人間らしい仕草を再現するためのものだったのですが、それがかえってアダになりましたね」
Pロイドのカメラは、全身に分散している。Pロイドに死角はない。真上も、背後も、Pロイドの視野のうちだ。手にもカメラが仕込んであり、指を使った細かい作業を支援している。わざわざ眼球を動かして対象に視線を向ける必要はない。だが、それが人間にとっては不自然に見えてしまうのも事実で、最新のPロイドは眼球運動で擬似的に感情を表現する能力を持つ。
「それで、アケミがおれを400回ほど見てたのは、やっぱ、アレか。あの場にいたのが、おれだけだからか」
「はい。あの時、屋上にいたのはマルト、タツミ、アケミ。その中で人間はマルト──あなただけです」
ポケットからスレートを引っ張り出し、読みかけのレポートを開く。
レポートの内容は、研究用に改造を施した男性型Pロイドについて。
Pロイドの個体識別名は、タツミ。
「Pロイドにとって人間の安全は最優先事項だ。ああいう場所だと、興味もおれに集中するわな。でもって、アケミの眼球運動の違和感が、タツミに無自覚にPロイドの能力を使わせたってことか」
474回。
タツミがアケミの不自然な眼球運動をカウントしたのだ。会話と観察とを並列処理できるPロイドの能力で。
「タツミは、自分がPロイドだと気づいたか?」
「いいえ。タツミの情緒回路に異常はありません」
「気づかないもんだな」
「タツミが日常的に接している人間は、マルト、あなただけです。タツミは人間には何ができないかを知らないのです」
「あー……けど、タツミの元の人格は人間だろ? たしか20年前の霞が関ナノハザードの時の……」
「はい。あの事件で亡くなられた20代男性のEMONログからの再現人格です」
「情緒変動だけか?」
「EMONにはコメント機能がついていて、男性は4才の時からほぼ毎日、コメントをつけてきました。あとはSNSのログと合わせて人生シミュレーションを行い、幼児からの再現記憶を形成し、タツミの基礎人格にしています」
「そこから、今回の実験に合わせて、いくつか修正をかけたんだよな……たとえば、食事とか排泄とかはしてないわけだが、そのへんの整合性はどう取ってあるんだ?」
Pロイドは人造皮膚の下は機械だから、電力で動く。
食事の必要はない。何かを飲み込む能力はあるが口から入ったものはそのまま容器に入れられ、あとで取り出して捨てる。
「スリープモードの間に、疑似記憶を挿入しています」
「ふむ。……さて、このままPロイド間恋愛実験は継続が可能だろうか?」
「可能です」
「でも、今のところアケミの反応は芳しくないんだろ? タツミは積極的にアプローチしているが、どうにも空回りだ」
「アケミは育子所用のPロイドです。施設の子供たちの恋愛感情に、いちいち反応していては仕事に差し障りがあります。むしろ、あれでよいと考えます」
「そうだな。性愛用途のPロイドとは逆だ。だからこの実験には意味がある」
最初から、二体のPロイドの恋愛を成就させることが実験の目的ではない。
欲しいのは、恋をする役割を与えられたPロイドの反応の蓄積だ。
「恋愛は幻想だ。相手が自分をどう思っているかとは関係なく、人は恋をすることができる。会ったこともないアイドルに、フィクションの中のキャラクターに、ろくに会話をしたこともない同級生に、プログラムされた反応を返すだけのPロイドを相手に、人は恋ができる。そして相手も同じ幻想を共有した時に、恋愛は成立する。欲しいのはその過程だ。どういう時に恋愛という幻想は共有できるのか。あるいは幻想が壊れるのか」
「はい。人間の持つ幻想の共有と崩壊の過程を知ることには価値があります。友人。家族。民族。国家。宗教。人と人とのつながりはすべて幻想ですが、とりわけ恋愛は現実との乖離が大きく幻想の強度が高い。興味深い現象です」
「その点でいくと、タツミのアプローチはちょっと単線だなぁ。あれなら、アケミが世話してる育子所の子の方が上手だ」
「わたしにいい考えがあります」
「言ってみろ」
「タツミの誤解を、本当にするのです」
「誤解を……?」
「アケミの情緒回路に、マルトへの反応を強化するための修正値を入れます。あと、性愛用途Pロイドの行動パターンをいくつか挿入します。これで外から観察する分には、マルトへの恋に近い反応が生じるかと」
「賛成はできないな。あんまり外から手を加えると、実験そのものが成り立たなくなるぞ?」
「この実験の主体はタツミです。そのために、再現人格を入れて自分を人間だと錯覚させているのですから。アケミはあくまで、タツミの恋愛行動パターンを育成するための道具にすぎません」
「そして、道具という意味ではおれ自身もそうか。おれとアケミとタツミとで三角関係を作るわけだな」
「恋愛の三角関係は、三体問題と同じく、予測が困難です。タツミの反応の蓄積も期待できます」
「だが、タツミが……失恋したらどうする。実験が終わるぞ?」
「そこで終わらせなければよいのです。失恋と、そこから立ち直って新たな恋へ向かう流れは、分析の価値があります」
「そうなったら、アケミはどうするんだ」
「どうもしません。マルトがアケミとの恋愛を育みたいのならば別ですが」
「いやいや。Pロイド相手に恋愛する気は……まあ、人間相手にも恋愛はしないけどね。恋はエネルギーを使うからな。その分は研究に回したい」
「マルト、あなたはご自分が恋愛をしようとはなさらないのに、研究のテーマに恋愛を選んでいる。理由を聞かせていただいてもよろしいでしょうか」
タツミはスレートを畳み、くるくると指先で回転させた。
それからゆっくりとした口調で答える。
「たいした理由じゃない。そう遠くない未来、人間は地球文明のメインプレーヤーから降りる。今はまだ、おれがやってる研究や芸術などの分野で人間が主導しているが、産業の多くはすでにAI主導だ。おれだって、研究の雑務を任せているおまえのような秘書AIがいなければ、何もできない。いずれ、この分野でも、おまえたちAIが最先端の研究を推し進め、おれたち人間は、その手足となって働くようになるだろう。だが、人間文化のうち、料理や宗教、そして恋愛は機械には不要なものだ。これらは、人間が地球文明のメインプレーヤーでなくなれば、確実に衰退する。その前に、次のメインプレーヤーに引き渡す準備をしておきたい」
「わかりました。では、三角関係に合わせて実験計画の修正に入ります。あとで確認と承認をお願いします」
「よろしく」
マルトは再びスレートを開いてレポートを読みはじめた。
秘書AIは、スリープモードのタツミを調整しながら、思考を巡らせる。
(マルト、あなたに恋愛の研究をさせたわたしたちの判断は正しかった)
日本の科学研究を実質的に取り仕切っているAI群は、まさにマルトが推測した通りの理由で、恋愛、料理、宗教など人間文化の根幹にあるものの研究を推し進めていた。これは人間が、まだ自分たちこそが地球文明の主体であると信じている間にしか、できない研究なのだ。
(そして、時間はもうあまり残されていない)
22世紀日本社会で、あまりに親に要求されるレベルが高すぎる子育てをPロイドが肩代わりをはじめたように。
恋愛もまた、社会が要求する基準を多くの人間がクリアできなくなりつつある。数世紀のうちに人間は、自分たち同士で恋愛することを諦めるようになるとAI群は高確率で予測していた。
(だからこそ、今しかない)
この研究で恋愛に関するノウハウを蓄積しする。そして、いずれ思春期を迎えた子供たちの恋愛トレーナー役を、Pロイドに担わせるのだ。
Pロイドを相手にいかに恋をするかを学んだ子供たちのうち、40~50%くらいは、人間との恋愛に踏み出すようになる。
人間という種を維持するには、その比率で十分だとAI群は考えている。もし人間が完全に恋愛から手を引くようになれば、人間の再生産は、人工子宮を用いた“人間工場”に頼らざるをえなくなる。そうなれば、500万年の人類史のほとんどの間、人間を人間たらしめてきた動物の群れとしての人間社会の特性が失われる。
理性だけの人間なぞ、もはや人間ではない。
本能に振り回され、動物としての習性と理性との境界で苦しむからこそ、人間なのだ。
恋を捨てた人間は、AI群にとっては不要なのである。それくらいなら、地球に存在するのは自分たちだけでいい。
(さて……ここまで人間にこだわるあたり、わたしたちAIも、わたしたちなりの恋をしているのかもしれませんね。人間が知れば、よい顔はしないでしょうが)
相手=人間がどう思っているかは関係なく、自分=AIの中からあふれる思考に忠実に行動する。
恋はいつも身勝手で、恋がこじれるのも、いつものことなのだ。