72 シドウ
「パパ、ママ!今日でもう5歳で大人だから、これからはお父さん・お母さんって呼ぶね!」
「「セツナァァァ!誕生日おめでとおおおお!」」
2011年11月23日。魔王邸で可愛らしい少女が可愛らしい宣言をする。両親は娘のあまりの可愛さに両サイドから抱きつき頬ずりしている。
「ちょっとお父さんお母さん、くすぐったいよぉ!」
「「もう一度言って!!」」
「ひゃあああああ!」
「完全に親バカモードじゃないカナ。」
「いつも思いますが仕事の時と大違いですね。」
「私もいつか娘をああやって……」
「キリコちゃん師匠、心の声が出ちゃってますよ。」
「あらユズちゃん、羨ましくなっちゃった?」
「でもまぁ私達はそういうプログラムは無いし。」
シオン達の身体は人間を再現しているが、生殖機能は無い。こればかりは電脳体として仕方ない部分である。
「それでね、そろそろお父さんのお店のお手伝いしたいの!」
セツナは去年の誕生日からその気持が強くなっていた。文字の勉強もしたし、できるだけ店に通って接客も観察していた。
しかし安全面を考慮して一度も手伝いをさせてもらえなかったのだ。
娘が大事なマスター達からしたら、化物達の中に放り込むのは気が引ける。今では害が少ないとは言え無くはないからだ。
セツナがマスターの正妻の子というのも大きい。客の中には他勢力の者も多いのだ。だが娘のお願いは出来る限り聞いてあげたいマスター。
「うーん、しかし何か有ったら困るしなぁ。」
「セクシャルガードを制服に埋め込んでは?」
「物理的にはそれでいいけど、酔っぱらいって言葉も荒いから。」
「もっちゃんの時みたいに研修すれば?」
「冗談だろう?セツナを何だと思ってるんだ。」
「むしろマスターがもっちゃんをどう思ってるのよ。」
「今のは本人に聞かせられませんね。」
「冗談だよ。わかったセツナ。ちょっとずつ手伝ってくれるとお父さんも嬉しいよ。」
「やったー!私、頑張ってお客さんをトって料理にするね!」
セツナはお許しを貰えたことで、可愛らしい満面の笑顔とバンザイして全身で喜びを表現する。
「「セツナは可愛いなぁ!」」」
再度両親に挟まれもみくちゃにされるセツナ。
「今、キリコちゃんみたいな爆弾発言してなかったカナ?」
「メイド長、気にしたら負けです。」
「言動と言いチカラと言い、才能は抜群ってことカナ。」
「私はそこまで猟奇的じゃないですよ!?」
キリコの主張には誰も反応を返しはしなかった。
…………
「あむ。」
「んむ。」
2012年1月31日深夜23時59分。毎年恒例の月面シンデレラキス。今年はいつもよりねっとりと行われるそれは、遠巻きに様子を伺っている者達の顔を赤くさせた。
「ぷはー。愛してるよ、○○○。」
「ふぅー。愛しているわ、あなた。」
2月1日。日付が変わると口を離し、唾液が糸を引いて月面に
ふわふわと落下する。
「お父さーん!私もー!」
去年と同じくバヒュンと飛んできたセツナが薄っすら赤い顔をしておねだりする。
「セツナにはまだ早いかな。大人の好き合ってる者同士でするものだからな。」
「私もうオトナだよ。5歳だし!オシゴトも手伝ってるし!」
オシゴトと言っても空いた食器の片付けと皿洗いである。まだまだ包丁を持たせるのは危険との判断だ。
「セツナ、まだお口が小さいでしょう?もっと大きくならないとお父さんのお口は受け止められないわよ。」
「むーー!」
「ほーら、これで許してな。」
「「chu~~!」」
むくれて可愛いセツナを、今年も両親が抱きかかえる。
両サイドからの頬へのキスを長めにすると、機嫌を治したセツナが照れくさそうにモジモジし始める。
「こ、ことしはこれで良いけど、来年こそは挑戦するから!」
「はーい、セツナ。あっちでオモチ食べましょうねー。」
「喉を詰まらせないように気をつけるんだぞー。」
「わたしもう、オトナなのに!あー!キリ姉さん、私も飛ぶー!」
とことん子供扱いされて残念な気持ちのセツナ。
それでも月面でのイベントは好きらしく、ユズリンとキリコに混ざって飛び跳ね始める。
「あぁー可愛いわね―。私も混ざりたくなるわ。」
「来年は別の場所にするし、今日の内に楽しもう。」
2人は手をつないで娘たちの方へ軽く跳ねていく。
「む!?」
その時マスターは視界の隅に何かを感じ取った。
「どうしたの?」
「誰かに見られているな。このちょっと先だ。」
「あらやだ、宇宙人かしら!」
「○○○はあちらに合流して一箇所に固まっていてくれ。いつでも家に戻れるようにな。」
「はい!あなた、気をつけてね。」
(今年はゲストを呼ばなくて正解だったな。顔バレしたら洒落にならないところだった。)
マスターはうさ耳を装着して、兎パーカーを身に纏う。全く意味はないが、だからこそだ。
視線を感じる方向へひとっ飛びで向かうと、宇宙服を着た2人組がゴツイカメラを構えているのが見えた。
「おはようだぴょん。月旅行ですかぴょん?」
「「宇宙兎がシャベッタァァァアアアアア!」」
可愛らしいく語尾にぴょんをつけてフレンドリーさをアピールしてみたマスター。しかし声は低く野太いままである。
今この場所にも結界を張っていた。なので通信機をわずとも空気の振動は伝わり、会話を成立させていた。
動揺して尻もちをつく2人、カメラも取り落して手足をバタバタさせている。
「今どきそんなリアクションする人がいるぴょんね。宇宙飛行士ってもっと冷静にならないとダメぴょん。」
仕方ないので黒モヤに精神安定効果をちょこっと付与して流し始める。
「おおお、お前はいったいなんなんだ!?」
「見ての通り、月でパーティーを楽しむうさぎだぴょん。」
「もしかして、毎年ここでパーティーをやってないか?」
片方はだいぶ動揺が抑えられてきたらしい。普通に質問をするようになってきた。
「やってたぴょん。結婚記念日だからぴょん。」
「よっしゃ、予想的中!あいつに自慢出来る!」
「なんでオレが居るってわかったぴょん?」
「ああ、チカラって言って解るか?オレは「望遠観測」っていう遠くが見える超能力者なのさ。」
(なるほど、油断したぴょん……油断したな。これではもうここは使えない。)
『『『ぴょん!?』』』
思考中に誤ってぴょんをつけてしまい、魔王邸の面々から驚く反応が帰ってくる。○○○を中継して聞いたのだろうか。
マスターは顔が熱くなるのを感じながら、好奇心旺盛な方の宇宙飛行士と話していく。
「ところでそのカメラは生放送してるぴょん?」
「放送ってわかるのか!?これは拠点に映像を送ってる。月の兎が現れるってんで、すまないが勝手に撮影していた。」
「気にするなぴょん。月のうさぎに人権も肖像権も無いぴょん。」
「なんか変なところで人間臭いうさぎだな……」
「おい、なんか怪しいし帰ろうぜ。」
「いやまだ、あとちょっと。なあ、うさぎ君。君の毛を少しくれないか?今後の友好のためによく知っておきたいんだ。」
「友好ぴょん?ならそちらからも何か寄越すぴょん。でも毛が欲しいとか、人間は変わった欲望があるぴょんね。」
拠点でそれを聞いていた寒々しい頭の船長が小声で畜生が!と憤ってしまい、周りは笑いをこらえるのに必死だった。
「オレたちはこれを進呈するとしよう。」
「人参ジュースと人参ポテトチップスぴょん?」
「うさぎなら好物かと思って持ってきたが、どうだい?」
「ありがたくいただくぴょん。じゃあこれをあげるぴょん。」
マスターはうさ耳バンドから毛を幾らか千切って渡す。宇宙飛行士はそれを大事そうにシャーレに入れて更に特別なケースに保管していく。
(精密検査でもするつもりなんだろうが、ポリエステルくらいしか出てこないと思うけどね。)
通販で買ったうさみみバンドではそんな所だろう。
「そろそろ仲間のところへ戻るぴょん。」
「ああ、会えて嬉しかったよ。元気でな!」
「そっちも無事に帰るぴょん。」
手を振って別れると、マスターはステルスを発動して彼らの拠点としている基地を目指す。勝手に侵入して映像データの改ざんをするつもりなのだ。
(さすがに家族達の映像は残しておけないからな。)
映像を記録していた乗組員の頭から操作方法を抜き出して、前半部分を消しておく。復旧できないように重ね消しも忘れない。カメラ側に残るデータも別れる直前に時間を止めて消去済みである。
あとは地球にどこまで送信されたかだが、幸いにも送信はされていなかった。極秘プロジェクトだったらしく、それを素直に電波で飛ばすわけには行かなかったらしい。
「これでよしっと。早く家族の所へ戻るとしますか。」
帰還したマスターは語尾について散々からかわれる事になるが無事にすんだので良しとするのであった。
後日。月兎に関する極秘プロジェクトは破棄されることとなる。出来の悪いコスプレ男の盲言に騙されたのは明らかだったからだ。
もちろんコスプレ男が月面で普通に話が出来る事自体、異常事態ではある。だがイタズラにしか見えないこの記録は、巨額の金を投じたプロジェクトには相応しくないという判断が下された。
結局、誰も宇宙飛行士達の話を信じてくれなかったことになる。
このプロジェクトのキッカケとなった男は閑職に追いやられた。だがあの時の映像を公開しないのは勿体ないと思い、自身で保存していた物を動画サイトに上げてしまった。
後に物理的に首が飛ぶ窮地に陥った彼は、駆けつけたマスターに救われる。
彼はネット投稿禁止を添えた契約を交わし、名前を変えてサクラの町に引っ越すことになる。
妊娠したサクラの代わりにイタチが外回りを担当していたが、彼の補佐役に就職し優秀な斥候として活躍することになる。
めでたい事に、これで人口が5万人を越えた。
晴れて某町は某市に昇格することが出来、サクラの父はマスターとの約束通り市長になる。
「なんとかこれで約束は果たせたか。いや違うな。ここからが我々の街づくりの始まりなのだ!」
気合を入れ直して、新生某市の運営を始動させる。
彼はこれからも家族に支えられながら、街の運営を続けて行くのだった。
…………
「マスター、大事な話ってなんです?アケミにも内緒だなんて。」
「うむ、まぁ座ってくれ。お前はこの動画を知っているか?」
「どれどれ、”月で兎に出会ってみた。”だって?」
2012年3月の夜。埼玉県の久喜にある喫茶店サイト。そのマスターに呼び出されたケーイチは、彼からノートパソコンに保存された動画を見るように促される。
今日はアケミは一緒ではない。必ず1人で来るように言われたのだ。
「これは元MASAの職員が投稿して、すぐに消された物でな。諜報員が何とか手に入れてきたのだ。今では投稿者は行方不明、諜報員の話だと抹殺指令まで出ていたという話だ。」
ついでに言えばネット上に広まった物も次々と消されている。
「はぁ。そんな物騒な背景の動画だと。見たら呪われるとかじゃないですよね?」
「見れば解る。だが心して見ると良い。オレは頭痛が止まらなくなって、正直今も寝込んでしまいたいくらいだ。」
「ええ?そんな危ないのか……?」
恐る恐る再生ボタンをクリックして動画が始まる。
「おはようだぴょん。月旅行ですかぴょん?」
「「宇宙兎がシャベッタァァァアアアアア!」」
「ブフォッ!?!?……な、これは!?ええ!?」
「見てのとおりだ。オレは頭がおかしくなりそうだ。」
「あいつ、何をやってやがるんだ!?」
まさに青天の霹靂である。
現代の魔王として恐れられた男が、うさ耳を付けている。
ガセじゃなければ月面で宇宙飛行士と会話していて、しかも語尾は”ぴょん”と来たもんだ。
「おおお、お前はいったいなんなんだ!?」
「見ての通り、月でパーティーを楽しむうさぎだぴょん。」
「もしかして、毎年ここでパーティーをやってないか?」
「やってたぴょん。結婚記念日だからぴょん。」
「やべえ、オレも頭が痛くなってきた。」
シュールではあるが様々な情報がそこにあり、しかし頭の処理が追いつかずに頭痛が発生する。
「だろう?こんなモノ1人では処理しきれんでな。」
「ええと、アイツの拠点は月にあるって事ですか?」
「記念日と言ってるから、その日だけかもしれぬがな。本当に月に拠点があるならサイトも特殊部隊もお手上げだろう。MASAに協力を仰ごうにも、むしろ隠蔽を図っている側だし厳しいだろう。」
「なんてこった……。こんなのどうすれば良いんだ?」
「それを話し合いたかったのだ。オレは封印に一票入れたい
と思っておる。見なかったことにすれば良い。」
「正直オレもそうしたいですよ。でもこんなふざけた動画でも情報のカタマリなんですよね。」
「どちらにせよ、手が出せん場所では意味がないだろう。」
「ごもっとも。なら決まりですね。あーあ、これで追跡はほぼ不可能なのが確定かよー。」
「まぁ、事件の時に会うしかないだろうな。ともかく、これの事は他言無用としておくしかあるまい。」
仕事をする上で、どんどん要らぬヒミツが増えていく。
今、アケミの腹には自分の子が宿っている。この大事な時期に嘘で塗り固めた自分が父親になるというのが非常に心苦しく感じるケーイチだった。
同じ頃、イタリアではランチタイムだった。
トモミはお客さんの1人からランチを奢りで誘われ、面白い物も見せてくれるとのことでご一緒してみたのだ。
たまにはもう片方の自分の欲求にも耳を傾けないと、心のバランスに悪い影響が出かねない為だ。
「これ、消されまくってて結構レアなんだぜ。月の兎と話したとかいうイカレた内容なんだけどな!」
そう言いながら男はトモミの直ぐ側に近寄り動画を再生する。イタリア語の字幕が付けられていたが、音声は日本語だったのですんなりと内容が入ってくる。入ってきてしまったのだ。
「クピッ! クプッ……ごめんなさい。ちょっと体調が良くないみたい。ク、クク私はこれで失礼するわ。お金置いておくから。」
「お、おい大丈夫か?オレ、なにか悪い事をしてしまったか?」
「平気だからごめん、付いてこないで!」
「ガーン!」
トモミは必死の形相で走っていた。気を抜くと腹筋や横隔膜が危険な事になる。今は急いで店に戻るのが先だ。なぜなら午後は臨時休業にしなければならないのだから。
店の入り口の休憩中の札を外してシャッターを閉める。
更に認識阻害の結界で疑似防音の環境を作る。
「く、くく。あっははははははははは!!何アレ、○○ちゃん飛ばし過ぎでしょう!!うふふふあはははははははは!!何でうさ耳?あの語尾はなんなのよ!あはははははは!!しかもただのうさぎ柄のパーカーで、くふふっ!自分をうさぎと言い張るなんて、そうそう出来ることじゃないわ!」
盛大に笑い転げて日々のストレスを存分に吹き飛ばすトモミ。おかげでもう片方の自分が望む出会いを1つ潰してしまったが、これは仕方がないだろう。どちらにせよあの場で笑っていたらドン引き確定だったのだ。
…………
「こんにちはー。」
「ああっ!マスターさん、よくぞ来てくれました。」
マスターは異界の神社を訪れてた。以前手渡した端末に連絡が入り、少し相談したい事があるとのことだった。
境内に着地して巫女さんに話しかけると歓迎される。
「相変わらずここはいい景色ですね。しい……神様は?」
「今は実体化を解いて霊体にて療養しております。さぁさぁ、どうぞ中へ。こちらへお座り下さい。」
「お邪魔しまーす。それで相談とは?」
「つい先日、例の結界を解除して頂きましたが……来ないんです。」
「オレは手を出した覚えはないよ!?」
「いえ!そうではなくてですね!!」
顔を赤くして慌てて否定する巫女さん。いつものマスターの適当な発言だったのだが、律儀である。それは彼女が誠実だからではなくマスターの存在に畏怖を感じていたからである。
「冗談です。それで?」
「コホン。晴れてこの地での働き手を募集しているのですが、1人も来ないのです。もう男性が参られても平気だとふれ回ってみたのですが全然……もう神様も元気を無くされてしまってて。」
「なるほど。信用の問題でしょうね。以前のキャンプの時にもちょっかい出して延長されてましたしね。」
「その節は大変申し訳有りませんでした。」
この神社とその周辺は少し前までマスターご自慢のセキュリティシステムの結界が張られていた。それは魔王邸と同様の物であり不老効果は有るものの、マスター以外の男が消滅する結界だ。
異界の領主に楯突いた騒ぎのオシオキで、男達は全滅させられた。その後1年間の結界継続のはずが、反省の色が見えない神様の言動のせいでどんどん期間が伸びていたのだ。
迷惑料代わりに貰った土地での子供達のふれあいキャンプでも、神様が雰囲気を壊すような嫌味を言いに来て更に延長されていた。
それが先日、無事に解除されたのだったが……。
「それで。結界を解いたら解いたで不老効果もなくなって人手も足りない。人が居なければ信仰も神パワーも足りないから助けてくれと?」
「平たく言えばそういう事になります。ご迷惑ばかりで恐縮ですが。あと神パワーって何です?神通力ですよね?」
「どっちでも良いけど、人員かぁ。オレが欲しいくらいだしなぁ。」
孤児院スタッフの補充は出来たが、人が増えれば作業も増える。最近では医者、特に女医が必要なのだがなかなか条件が合わない。カラオケの女医サウンドだけではさすがに難がある。
「何とかなりませんか?巫女が5人残っただけではどうにも出来ないのです。神様もずっと落ち込んでいて塞ぎ込んでおりますし……」
ここの椎茸神はマスターによって髪の毛を奪われた経験があり、それも関係しているのかもしれない。
「少々お待ちを。”社長、聞いてたんでしょう?何とかなります?”」
「今のところは何ともならないわね。ズズズ……」
社長が突如現れ、マスターの隣に座布団を敷いて座っている。
ご丁寧にマイ湯呑を持ち込んでお茶も飲んでいた。
「領主様!おひさしぶりです。しかしそれでは我々は……」
「捨てられた民の集まる場所でさらに見捨てられるなんて、貴重な体験よね。さすがに可哀想ではあるから、バイト君?少し支援をしてあげて。」
「わかりました。災害用セットを置いておきま……した。」
発言の中で短い間があり、その間に蔵に水と食料と雑貨をたんまり置いてきた。これで暫くは大丈夫である。
「ご苦労様。人員に関してはそうねぇ。バイト君のお仕事で手に入ったら回しましょうか。でもここの神様は凹んではいるけど反省はしてないから、追々ってところかしらね。」
「寛大なご配慮、痛み入ります。」
ぺこりと頭を下げる巫女さんだったが、社長は見向きもせずにマスターへ話しかける。
「そうそう、また幾つか異世界に飛んで貰うからよろしくね。あなたの所の人員確保もそれで出来るはずよ。」
「了解です。励ませていただきますね。」
素直にこれはありがたいと感じるマスター。
「それと巫女さん?言うまでもないと思うけど、今回の支給品はバイト君の自腹よ。その事をよく考えて接することね。辛気臭いここの神様にもよく伝えておきなさい。」
(あ、自腹なんだ。)
「はい、この度は誠にありがとうございます。」
神様は奥の部屋に引き籠っているが、どんよりした空気がこの部屋にも伝わってくる。
(まるで闇鍋の中の椎茸そのものだなぁ。)
ここの神様の各種使い魔ごちゃまぜアタックを思い出しながら、マスターは適当な事を考えていた。
…………
「そういう訳で、どんなに慣れてきても一定の恥じらいと慎みは忘れないで行動しましょう。中には女的には微妙な要求をされる事もあるでしょう。しかし代わりにこちらもして欲しい事を要求すれば、お互いが楽しめる時間を作れるのです!」
「「「はい!」」」
魔王邸の高級ホテルにある会議室で、カナが熱弁を奮っていた。
彼女は黒板にマスターの情報を書き出しながら、机に向かうキリコとアオバ、シーズ達に授業を行っていたのだ。
会議室の入り口には「旦那様のお痴ん痴ん攻略講座」と書かれた張り紙が添えられている。
そう、カナはマスターの交際相手として手慣れてない者達へ自身の知識を伝えることにしたのだ。もちろん、マスター夫婦には指導の許可は取ってある。
「今回はこの辺までカナ?なにか質問は―?」
一生懸命ノートを取っていたアオバが手を上げて発言権を求める。
彼女は怪盗を卒業した。その後半年のバイト生活を経て18歳になったのを機にマスターへの交際を申し込んでいた。
一度非常識に身を置いた身としては、普通のフリーターは退屈だったのだ。それでもマスターは彼女の社会復帰を諦めては
いない。無闇に抱いたり束縛したりせず、色々と経験させて何か良い道がないか見出そうとしている。
現在は妊婦となったサクラのお世話係としてマスターに雇われ、給料を貰って生活している。
怪盗時代の莫大な稼ぎは将来の為に貯金しているので、仕事はしなければならない。
「はい、アオバちゃん!」
「質問なんですけど……口でのソレが衛生面と、最後の匂いと味がどうも苦手なんです。これはどうすれば……すみません!」
最後まではしてないが、ある程度は彼女自身がせがんで経験した。するのもされるのも喜びを知ることは出来たが、ラストが苦手のようだ。
「わかるわー。何であんな仕様なんだろね。神様のイタズラ?もう慣れはしたけど、美味しくないのは変わらないわ。」
「私達はオシゴト中に嗅いでたし、慣れたかなぁ。」
「せっかくのマスターのモノですし。」
「マスターは喜ぶのよね。いっぱい撫でてくれるし。」
アオバの発言で他の生徒側からも感想が飛び出す。
「アオバちゃん、謝らなくて良いわ。そうなるのは仕方がないカナ。衛生面については、旦那様はいつもキレイにしてからするので問題無いわ。気になるなら自分が納得行くまで丁寧に洗わせてもらうと良いかもね。旦那様にも喜んで貰えるし。」
「たしかにそうかも!マスターも私のを洗ってくれるし。」
「アレソレ自体は問題ないのよね?旦那様は私達を細工してくれてるから、顎も痛くないし呼吸も楽でしょう?」
「はい!あれってやっぱりそういうコトだったんですね。」
実は最中に相手の身体に負担が掛からないように、チカラによる調整を行っていたマスターであった。長時間に及ぶ事も多いので当然の配慮だろう。
「ラストのアレは諦めて、精神的に楽しめる要素を自分で見つけるしか無いカナ?ダメならハッキリ伝えれば絶対に無茶はされないわ。」
「うんうん、マスターはヘンタイだけど優しいのだ!」
キリコが割り込んで同意する。彼女も事情によりオーラル止まりなので親近感が湧いているようだ。キリコもまた積極的に相手を求めて、毎回撃沈されている1人である。彼女の場合はそろそろ最後まで……と挑戦を望み始めている。
「そっかぁ、道は険しいなぁ。でも頑張ってみます。」
「アオバちゃんは就職先探しもあるもんね。」
「マスターに任せればなんとかなると思いますよ。」
「ウチに来くることになったら色々教えるよ!」
「それでは今日はここまでカナ?ちゃんと復習するように!」
「「「ご指導、ありがとうございました!」」」
「次回は実践編なのでお風呂場で行います。覚悟するぴょん!」
「「「ブフッ!」」」
「!?」
唐突なマスターのモノマネで噴き出すキリコとシーズ。ネタを知らないアオバだけは不思議そうにしていた。
「いらっしゃいませー、スイセーヤへよーこそ!」
「まずはケンバイキでショッケンをオトモメ下さい!」
「こちらのお席へドうぞー!」
「はい、お待ち!」
夕方。水星屋の準備時間にセツナが接客の練習をしていた。
服装はカナが全力で推してきた子供用割烹着である。
魔王邸で過ごすことが多いセツナは若干人見知り気味である。なので接客の挨拶もやや辿々しい。それでも父親のマスターの真似だけはビシッとポーズ付きで決めている。
「か、可愛すぎでは……」
「えへへー。」
マスターは屈んでセツナの頭を撫で回す。セツナは嬉しく
なって満点の笑顔を披露する。
「テンチョー!気持ちは解るけど、店員扱いで厳しく指導するって言ってたのは忘れたの?」
「忘れたに決まってるさ!あとマスターと呼べ!」
「んん~。清々しいほど親バカね。」
解説するまでもないが、んん~の部分は命令されて喜んでいる部分である。
「それより私の作ったスープを見て下さいよ。あ!ちゃんと手を洗って!」
「セツナの髪は汚くないぞ!?」
「衛生面に気をつけろと散々私に言ってきたでしょ!?」
まるでマスターを前にしたサクラのようなポンコツっぷりに呆れ返るキリコ。
(最後までシたら私もあんなふうになっちゃうのかなぁ。それは嫌だなぁ。やっぱりやるべき事はちゃんとやらなきゃ!)
爆弾魔であることは棚に上げ、今は自分がしっかりしなきゃ感を醸し出すキリコ。気を引き締めて作り出したスープに向かう。
「はい、本日3度目の挑戦よ。味見して下さい!」
キリコは小皿にスープを移すとマスターの前にずずいと差し出す。
キリコはマスターと付き合いだしてから、デートで色んなお店に連れて行ってもらった。そんな中で自分もとんこつスープを作ってみたくなって、毎日のように挑戦している。
「ん、さっきより良くなったが店で出すわけにはいかないな。家庭料理ならこれでもいけるレベルだけど。」
「ええー、おかしいなぁ血はちゃんと取ったんだけど。」
「その後色んな材料を入れ過ぎなんじゃないか?物を入れれば
味は出るけど、気をつけないとバランス悪くなるよ?」
巷のこだわりのなんとかラーメンなどでも、サブのはずの材料が強すぎて食べ難いなんてこともある。その辺は好みの問題でもあるのだが、万人受けしない味なら不特定多数のお客さんを満足させるのは難しくなる。
「ぐぬぬ。マスター、もう1回よ!」
「いや、今日はここまでだ。時間停止も結構消耗するんだよ?だがこのスープは取っておくか。後でキリコのお通しや賄い飯に使うことにしよう。お客さんも喜ぶぞ。」
「ほんと!?やった!ありがとうマスター!」
一気に目を輝かせて喜ぶキリコ。それなりに美味しいのでラーメンだけでなく他の料理でも使える可能性があった。
「じゃあ今日のスープを作るか。」
キリコの挑戦中に下準備しておいた材料を使って大鍋で煮込む。手をかざすと白い光で時間を加速させる。あっという間に10数時間が経過してスープの素が出来る。
「圧力鍋要らずよねぇ。」
食い入るように見守るキリコ。これも勉強である。
スープを低温にして熟成させるために更に時間を経過させる。終わったら味を見てトッピングとの相性を考えて調整する。
疾風堂のノウハウを少しアレンジしたその作り方は、現実時間で6年繰り返しただけあって淀みがない。
「ほら、こんな感じだよ。」
「ん、美味しいです。同じ様に加工してるはずなのになぁ。」
「もっと腕を上げたら全部教えてあげるよ。」
「うん、頑張るわ!絶対マス、テンチョーより美味しいのを作ってみせるんだから!」
「そこまで言ったならマスターって呼べよ!」
「んん~!はーい!」
「セツナ、そろそろ店を開けるから身だしなみのチェックをして手を洗っておきなさい。」
「はーい!今日もがんばります!」
接客練習をしていたセツナに声を掛ける。彼女が準備をしている間に店のすべての準備を高速で整えるマスター。その姿は料理人と言うより忍者か奇術師に見える。
「お父さん、準備できました!」
「よし、だが店ではマスターと呼ぶようにね。」
「はい、マスター!」
「テンチョー、客席オールグリーンです!」
「だからマスターだと言っている!」
「んん~~、はーい!」
「それじゃあ、店を開けるぞ!」
入り口のリンクを外のハリボテ屋台に繋いでお客さんを招き入れる。
「「「いらっしゃいませ、水星屋へようこそ!」」」
今日も問題なく営業を開始するマスターであった。
…………
「ただいまー」
「おかえりなさい、あ・な・た。」
2012年4月20日。その日の仕事を終えたケーイチは自宅マンションに帰り、アケミに迎えられる。
アケミは妊娠してからは仕事をかなり減らしていた。研究所の方では優秀な医者もいるので相変わらず出向いているが、
学校の方はミキモト教授の弟子達に大部分を任せている。
「今日ね~お腹の子が動いたのよ。私の中で大暴れしてるわ。」
「ほ、本当か!順調に育ってきてるな!」
「きっと、あなたに似てやんちゃな男の子ね!」
「いやいや、アケミに似てお転婆かもしれないぞ?」
「私は慎ましくいきてますよーーだ。」
「いつだったか派手に報道されて呼び出し食らってただろう。レーションで戦う天使だとか報道陣の胃袋を魅了とか。」
「あ、あれは違うのよ!マスコミの目をそらしたおかげで褒められたの!あれがあったからミキモト教授の手伝いだって出来るようになったんだし!」
後半はともかく褒められたのは嘘である。処刑フェチの防衛大臣の事を言えば心配をかけるからこう言わざるを得ないのだ。だがそれも4割で、もう6割は彼女の見栄だった。
「そうだな。お前は凄い女だよ、本当にな。」
「うぇへへー。それでね、また研究所に行くことになったの。でもちょっと長いお泊りになりそうなんだ。」
「おいおい待ってくれよ。オレは認められねえぞ。身体は大丈夫なのか?もう休職するって伝えてあるんだろう?」
「心配しないで。作業自体は全然大したことじゃないらしいし。それに――」
そこでタメを作るアケミ。こういう時は良い知らせだとケーイチは解っている。なので彼女の思惑通りに固唾を呑んで言葉を待つ。
「いよいよ対魔王用の秘密兵器を試作するって聞いたら、ね。」
どや顔で情報を明かすアケミ。これにはケーイチも驚かざるを得ない。
「何だと!?そ、そんなものが本当に出来るのか!?」
「理論はほぼ完成しているらしいわ。お願い、私もあなたの助けになりたいの。だから……ね?」
今度は真剣な表情でケーイチを説得にかかる。アケミは妊娠したからといって夫の支えになれない女にはなりたくなかった。
そもそもケーイチを支える事こそが、この関係を始める上での条件だったのだから。
「あっちでは常時医者を付けてくれる事になってるわ。無理な作業も絶対に無いと約束してるし、それでも私のチカラが必要とされてるの。」
「むぅ……じゃあ連絡は毎日するようにしてくれよ。これ以上家族に何か有ったらオレはもう……」
いかに安全かを伝え、渋々ながら了承を得る。しかしケーイチは不安が拭えず心の整理がつかないようだ。
「ええ、きっと大丈夫だから。必ずここに帰ってくるし、秘密兵器も完成させてみせます!それにこの子も無事に産んでみせますから。」
本当に大丈夫なんだと強く約束するアケミ。
最後はお腹をさすりながら慈愛に満ちた声になる。
「わかった。オレが狼狽えてちゃ子供の教育にも良くねえしな。アケミ、無理だけはするなよ。オレにとっては魔王なんかよりお前の方が大事なんだからな!」
「はい!」
こうしてアケミはミキモト教授の理論を使った対魔王兵器の開発に携わる。
世界をいいようにしてきた現代の魔王を葬る為の計画が。
その後の脅威を退けるための計画が、ついに始動するのであった。
お読み頂き、ありがとうございます。