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68 トゲル その1

 


「今年もこの日を祝うことが出来て嬉しいわ。」


「○○○が側にいてくれたおかげさ。ありがとう。」



 2011年1月31日。月面から地球を見ながらマスターと○○○はワインを片手に見つめ合う。もはや定番となったマスターの新誕生日会である。


 今回も白いテーブルと椅子そしてワインを持ち込み、静かな会場で2人だけの世界を作っていた。


 日を跨いだら結婚記念日のパーティーを行うため、ゲスト達は離れた場所で月面旅行を楽しんでいる。


 今回は魔王邸の面々だけでなく、コジマ家を始めとした関係者達も参加していた。


「もう5年も経つのね。永いはずなのに、早く感じるわ。」

「それだけ充実した日々だった。」

「ええ、あなたには感謝してるわ。とても楽しい日々よ。」

「君の支えが在ってこそだよ。」


「ふふ。愛してるわあなた。」

「愛してるよ、○○○。」


 日を跨いで行われる、恒例のシンデレラキス。

 2人はたっぷりと時間を掛けて結婚記念日を迎え入れた。



「パパーーー!!私もーーー!!」



 2月1日0時。セツナがバヒュンと飛んできてマスターと○○○の間に潜り込んでくる。

 2人は少し驚いた顔をしたが、顔を見合わせて笑みを交わす。

 早く早くとせがむセツナを2人で支えて、両サイドから包むように頬にキスをするのであった。


「ひゅーひゅー!妬けちゃうねぇ、旦那様!」

「今回もまた良好なスタートをきれて何よりです。」

「マスター、5周年おめでとうございます!」


「マスター、料理のご用意はできてますよ。」

「冷めない内に頂きましょう。」

「ラビットダッシュよ、マスター!」


 カナ・クマリ・キリコに続いてシーズもパーティー会場へのお迎えに来る。マスターは妻と娘の温もりを感じながら、椅子とテーブルを片付けるのであった。


 今年は餅つきは控えめにして、軽食と飲み物の立食パーティーにしている。どうせみんな飛び跳ねるので重いものは胃に良くない。


 セツナを○○○に預けてゲストに挨拶しにいくマスター。

 セツナはいやいやしていたが、シーズが体操選手の如くくるくると飛び跳ねているのを見るとそちらへ興味を向けてくれた。



「マスターさん、ご無沙汰してます。この度は素晴らしい会にお呼びいただき感謝してます。」


「コジマ町長、お元気そうで何よりです。忙しい中よく来てくださいました。ぜひ楽しんでいって下さい。」


「そりゃあもう。月に来たってだけで孫に自慢が出来ますよ。妻も娘も童心に返っております。」


 見ればサクラの母と姉が年甲斐もなく飛び跳ねている。宇宙服もシャトルも要らない月面旅行となれば、無理もない。


「ところで私もだいぶトシでしてね。もう1人くらい孫の顔を見たいと思っておるのですが……」


 なんとなく精神のリンクを感じ取ったマスターは、リンク先を見ると目が合ったサクラがスっと目を反らした。それでもこちらをチラチラ見て様子を伺っている。


『あなた、別に良いわよ。でもこの日に?しばらくお灸は据え置きね。まったく、サクラさんも変わらないんだから。』


妻の審判が下され、町長に返答するマスター。


「サクラから頼まれました?心配しなくても良いですよ。おそらく今年中に人口も増えて、ほどなく市になれます。その頃には孫の顔で疲れも吹き飛ぶ形になりますよ。」


「おおお、それはそれは。ありがたいお話です。」


「でもよくオレの結婚記念日にその交渉が出来ましたね?」


「ぐふっ。そ、それは申し訳ない。娘に頼まれて断りきれんで。」


 離れたところでサクラはガッツポーズをしていたが、そのポーズのまま冷や汗ダラダラになっている。


「妻からも許可は出てるから今回は見逃しますよ。娘さんはちょっとオシオキが必要そうですけどね。」


「すみませんでしたーー!!」


 サクラは6倍ジャンピング土下座でマスターの下へ飛んできた。


(なにそれ、ちょっと面白いんだけど。)


「近い内にお邪魔しますので、覚悟していてくださいね。」


「あわわわわわわ……」


「もっちゃん、自分の欲望しか考えないからそうなるのよ……」


 あわあわしているサクラをキリコが連れて行く。どうやらキリコはキリコでサクラと話をしたいようだった。


「ところでマスター、迷惑ついでにお願いがあるのだが。」


「うん?伺いましょう。」


「資金が足りなくて、出来れば工面していただきたいのだ。」


「構いませんが、用途は?」


「小学校が近場に2つあるのはご存知か?」


「ああ。片方は中学にするつもりで、建てたら何故か小学校になったアレですね。それが何か?」


「ご存知でしたか。実は町議会で古い方を取り壊して新しく――」


「それは飲めません。必ず存続させてください。」


「り、理由をお聞きしても?」


 食い気味で否定してきたマスターに驚かされる町長。


「これから人口が増えると言ったでしょう?子供の受け入れ先が減るのは好ましくありません。少しずつ建て替えるならともかく廃校は認めるつもりはありませんよ。金は出しますから別の方策で対処してください。中学に関しても同様です。必ずですよ?」


「……承知した。資金は有効に使わせてもらう。無粋な話をして申し訳ない。私は景色を楽しむとするよ。」


 サクラの父はすごすごと家族のもとへ向かう。ここまで強く否定されると思わなかった彼は少々面食らったようだ。


(時代とはいえ、これ以上思い出を消されては寂しいもんな。ただでさえオレの過去は消えてしまったというのに。)


 先程サクラの父に言った理由はただの口実だった。


 実際はただのセンチな郷愁だ。金も出すしイザとなればマスター自ら補修工事を行うことすら辞さない考えだった。


「へぇ、あなたの――ね。今度一緒に見に行っても良い?」


 妻の言葉に間があるが、そこはテレパシーで『母校』と言われてる。


「ああ、構わないよ。思い出話くらいしか出来ないけど。」

「あら、それが良いんじゃない。」

「そんなに面白いものじゃないけどな。」


 ふと、セツナの姿が見えないことに気がつき見回す。


 するとシーズの3人に混ざってぴょんぴょん飛び跳ねている娘を見つけた。その表情は笑顔で楽しそうである。


「セツナは元気ね。パパとしては後を継いでもらえそうで嬉しい?」


「まぁね。本当はいろんな世界を見てから決めても良いのだけど。」


「あなたの背中を見て育ってるから、当然の結果かもしれないわ。」


「それは男の子的な発想に感じるけど。」


「それは偏見よ。女でも惹かれる時は惹かれるものよ。それであなた?まさか本気でセツナをお嫁さんに?」


「分かってて言ってないか?女の子は思春期になれば父親をゾンザイに扱う子も居るだろう?今のうちだけさ。」


「うーん、そうかしら。身体年齢はともかくセツナは主観的には結構な年数を生きてるわ。精神的にはとっくに思春期に入っててもおかしく無さそうよ?」


「まだ身体が成長してないから無いさ。このまま成長すれば本能がセツナに衝動を与えてくると思うよ。その時はその時だなぁ。」


 マスターはその日を想像して遠く、死んだ目になる。それを見た○○○はマスターにくっついて慰める。


「あなたには私が居るから安心して。寂しいなら出来るだけお側にいますから。可能な限り、子供も……ね?」


「ありがとう、元気が出たよ。まずは計画通りに、ね。」


「はい!」


 ラブラブモードなマスター夫婦。その後ろにはアオバが話しかけたそうにしていたが、とても声をかけれる雰囲気ではなかった。だがしかし――


「マスター、結婚記念日おめでとう。邪魔して悪いが聞きたいことがあってね。ほら、アオバもこっちに来ると良い。」


 アオバに助け舟を出すようにイタチが声をかける。


 ナカ○○は普段からイタチを名乗るようになった。出撃時には基本的には姿を見せない彼は、普段から名乗っても問題は無かった。

 なにより本人が気に入ったらしい。漢字だと釜中・衣太刀である。


「ああ、議員を落とす件かい?」


「うむ、まさにそれだ……だよね?」


「うん。もう弱ってるみたいだし、そろそろ良いと思うのだけど。」


「実は今月中に決めてしようと思ってるかな。」


「OK、マスター。いよいよ決戦だな。これが終わればアオバも――」


「うん。やっと立ち直れる気がするよ。でも凄いよね。1年で世界を股にかける企業を倒すだなんて。」


「魔王事件を考えればゆっくりしたものだけどね。実は怪盗イヌキのロードマップはオレ製では無いんだ。暗躍が得意な方に頼んでました。」


「「なんです(だ)って?」」


「オレはそこまで頭が良くないからね。ああ、心配しなくてもそこからバレる事はないよ。イタチさんも知ってる人だし。」


「あの爺さんじゃないよな、反対してたし。じゃあオレを煽ったあの金髪女か!?」


 イタチがバレンタイン事件に参加する前に、彼を煽った人物が居た。本人が彼をマスターの隠れ蓑にするつもりだったと自白している。


(となると魔王事件の黒幕はあの女?さしずめ大魔王って所か!?)


「多分ソレです。でもそれ本人には言わないほうが良いですよ。で、大事なのは来月に本当の正義の味方をやってもらうことです。」


「「!?」」


 大魔王などと呼んだら、機嫌が悪ければ空の彼方まで吹き飛ばされるだろう。黒幕なのは間違いでもないので余計にである。だがそんな事より2人は「本当の正義の味方」の方へ反応した。


「来月込み入ったことになるので、そこで活躍してもらいます。それが終わればアオバは怪盗を卒業って形になりますね。」


「よくわからないけど、最後に正義の味方でシメるのは気に入ったわ。義賊ってやつよね。」


「聞きたい事は多いが答えては……もらえないよな。やっぱり。ならオレは今まで通りにアオバを守るだけだ。」


 発言の途中でマスターが首を横に振ったので諦めて従うイタチ。マスターの言い方では、卒業はアオバだけではと気がついたのだ。他にもツッコミたいことはあるが今はここまでだ。


「応援は約束しますよ。ほら、カザミさんが心配してますから行ってあげたらどうです?」


 マスターが視線で示した方向にはフウコ改めカザミがハラハラしながらこちらを見ていた。


「ああ、邪魔したなマスター。これで失礼するよ。」


「マスター、また後でね! 母さん、私もうすぐ卒業だって!」


 カザミの下へ元気に跳ねていくアオバと、落ち着いて歩くイタチ。彼らはこの1年で家族らしさが滲み出るようになっていた。



「あの様子ならこの先も大丈夫そうよね。」


「出撃時によほど油断しなければね。」


「挨拶も終わったし、もう少し家族で楽しもう。」


「はい、あなた。」


 この後魔王邸の面々と楽しく遊び、シーズのミニライブも敢行された。全員が充分に月面旅行を楽しむと、各々が月の砂を瓶に入れ始める。


 参加者達はやり遂げた顔をして、お土産付きで地球に帰還したのであった。



 …………



「会長、こんな物が届きました。怪盗イヌキです。」


「くっ、ついに来たか……」



 2011年2月10日。東京都内にあるヨシダグループ本社ビル。

その会長室にちょっとおしゃれな封筒を持った部下が現れる。


 その便箋はこの1年近く世間を騒がせている怪盗イヌキからの不幸の手紙だった。つまりは犯行の予告状である。


 ジュンジ会長は便箋を取り出し内容を確認する。



 ―予告状―



 時は満ちた。ヨシダグループは己を省みる時が来たのだ。


 その償いをその身と全ての財を持って完遂して頂く。


 セイント・バレンタインデーまでに三途を越える準備をされたし。


 怪盗イヌキ より。



「ふざけたことを。私がこの様な脅しに屈すると思ったか!」


「しかし会長。かの怪盗においては相当な被害が出ております。」


「解っている。警察だけでは足りん、可能な限り警備を増やせ!」


「心得ております。既に会長の名で防衛省にも通達済みです。」


「わかった。今までは襲撃当日に出していた予告状を、4日も前に出すとは舐められたものだ。準備を怠るなよ、今度こそ捕まえろ!」


「かしこまりました。」


 部下は静かに素早く会長室を後にする。

 残った会長は怒りと歓喜に震えていた。4日もあれば人員も罠も準備し放題だ。自分の会社に泥を塗り続けた犯人をどう始末してやるか、ジュンジはすでに皮算用を始めていた。


 怪盗イヌキは自分を狙っている。それさえ分っていれば、何とでもやりようはあるのだ。特に今回は数日の猶予もある。


(結局今日まで怪盗の正体は解らなかったが、どこかで逆恨みでも買ったのだろう。)


 怨恨の線が分かっているなら辿り着けそうなものだが、そこまでは至らなかったようだ。悪い事のし過ぎである。



 …………



 バァン!バァン!バァン!……



「何だ!?花火だと!?」


「来たぞ、怪盗イヌキだ!周囲を警戒しろ、惑わされるな!」



 2011年2月14日の夜20時。ヨシダグループ本社ビル周辺に花火が上がる。虚空から様々な色のライトが当てられ紙吹雪やリボン、風船などが周囲に舞い踊る。その光景に警備に当たっている警官やサイトのメンバーは呆然としてしまう。



「職務に忠実な権力の犬たちよ、出迎えご苦労!怪盗イヌキ、予告通り悪行に溺れしヨシダの中枢を奪いに来たわ!」



 道路を挟んだ向かい側のビルの屋上にピンクのフリフリ衣装の女が現れ、チカラによって聞き取りやすくなった女の声が響く。



「これより正義を執行させて頂くわ!邪魔をするなら悪とみなす!」


「あそこだ!ビルの屋上に居る!14班は至急回り込め!」



 指揮を執る警部が指示を出すが、その時にはイヌキは飛び降り滑空して本社ビルの5階ほ窓を突き破っていた。


「くそっ、14班はそのまま痕跡捜査!内部の警官並びにサイト諸君、敵は5階だ!上下から立体的に包囲しろ!!」


 警部は無線で叫ぶと自らも本社ビルの中へ走り出した。


 本社ビルは20階建てである。下2階と上2階以外は各フロア毎に業務のジャンル別に、指示や情報収集を行っている。

 19・20階はそれらを統括する者達のフロアであり1階と2階は接客や取引、総務や食堂などのフロアとなっている。


 イヌキは5階、家具関係のフロアに飛び込んだ。ステルスを発動し天井付近に浮かぶ事で警官たちを回避する。


(早めに予告しただけあって、さすがに今夜の警備は厳重ね。)


(税金の無駄遣いだがな。しかし前情報通りならサイトも来てる。油断はできないぞ。)


(ええ、マスターの古巣ですものね。ナニがいるやら。)


 最初からステルスを発動し、窓ガラスの衝突からイヌキを守ったイタチは彼女のすぐそばで応答する。


 今夜はサイトへ協力要請を出しての厳重な警備体制だった。敵に超能力者がいると攻める側は当然リスクが高まる。ロシアでは手痛いダメージを負ったのを思い出し、気を引き締める。


「これは一体なにが起きているんだ!?誰も見当たらないが次々と物が消えて……部屋がスッキリしていってるぞ!?」


 ステルスを維持したまま書類やパソコンに触れて、空間の穴にそれらを放り込んでいく。外では未だに音と光を断続的に発っせられており、ちょっとした気配や物音はかき消されている。


 なので駆けつけた警官達は、誰も居ないのに物が次々と消えていくというホラー現象を体験していた。


「何を言っている!状況は明確に知らせ!怪盗は何処に居る!」


 警部からはお叱りの言葉が飛んできている。割と明確な状況報告ではあったのだが、普通に考えればふざけた報告としか取られない。


(上手くやっているようだね。今の所はトキタさん達は来てないみたいだし、その調子で頑張ってもらおう。)


 本社ビルの外ではマスターが3Dホロの演出をふんだんに使っていた。

 中には本物の花火や爆薬なども織り交ぜており、ビルの外側は完全にパニック状態になっているが、今の所は死人は出していない。


 ビル周辺がパニックなので、応援部隊が来たとしても彼らが邪魔になって中に辿り着くには時間がかかるだろう。


「くんくん、ここら辺の書類とパソコンが匂うわね。」


 イヌキは8階まで到達していた。マスターのチカラを使ってのステルスと浮遊でフロアを自由気ままに移動し、匂いで重要度を判別して空間の穴に放り込む。その先はNTグループの倉庫に繋がっていた。


「書類やパソコンは必ずジャンル毎に分けなさい!サンプル品や私物は向こうに纏めて!」


 トウカの雇った傭兵達が彼女の指示に従って必死に仕分けしている。彼らは過去の海外遠征に同行した者達で、企業の闇を知っている者達だ。


「正義とは程遠い活動と思うておったが、データを見れば紛れもなく正義と言えるであろうな。どこもかしこも不正だらけだ。これも時代というやつか。」


 実はゲンゾウも同席しており情報の仕分けを手伝っている。

 今回得た情報のいくつかを渡す条件で手を貸してもらっていた。かなり強引な取引の記録や不正なデータを感知して、彼は現代の大企業の闇深さを感じていた。



 本社ビル10階では警官たちが右往左往していた。完全にイヌキに翻弄されている。イヌキは盗み終わった場所やトイレなどに小型の爆弾を仕掛け、その音で警官たちを誘導していた。


「ここまではあっさり来られたけど、後半はどうかしらね。」


「時間が経てば経つほど敵が増えてくるからな。パニック商法もいつまで保つか。」


「くんくん。イタチ、ちょっとこの先ヤバそうなのが居る。」


「となるとサイトの連中か?どうする?」


「ちょっとお行儀悪いけど、このまま上に行くわ。」


「査定も落ちそうだがそれしかないか。」


 イヌキは次元バリアを展開すると天井に向かって飛ぶ。ガオン!と音を立てて天井を1フロア分貫いて着地する。着地した先は11階の天井だ。


「おい!天井に穴が開いたぞ、やつはそこにいる!」


「お前たちは上へ迎え、残りは撃て!!」


 パン!パン!パン! ダラララララ!!


 イヌキは速やかに射線から逃れて、虚空から何かを取り出す。


「まぁこうなるよね。じゃあ私から義理チョコのプレゼント。」


 穴の空いた床に一粒の光を垂らすと、階下に黒っぽい液体がばら撒かれた。温めた液状のチョコレートを保存した物を開放したのだ。

 その範囲はフロアの半分を覆う広さであり、階下に居た者達はさらに混乱する。



「「「ぎゃああああああ!あつ、熱いいいい!!」」」


「ごめんね。すぐに冷ましてあげる。」


 もう一粒の光を垂らすと、今度は雪山の吹雪が10階に広がった。


「「「うわあああああ!!」」」


「東京の人達はリアクションが大きいわね。」

「こら、油断しないでさっさと先を急ごう。」

「いけないいけない、ごめんなさい。」


 マスター同様、適当な発言をし始めるイヌキ。イタチは軽く

 諌めて先を促す。液チョコ爆弾と吹雪爆弾の効果を確認すると、ぺろっと舌を出して11階の探索に移行するイヌキであった。




「どうなったらこの状況になるんだ?」


 5分後、下の階から阿鼻叫喚の10階に辿り着いたフミトとカコ。そのフロアを見渡すと意味のわからない惨状に少し混乱する。


 彼らは怪盗イヌキの捕獲要因として、サイトから派遣された者だ。彼らは本来4人組であり、後の2人はもっと上の階で待機している。


 フミトとカコは周囲を警戒しながら痕跡を探す。凍ったチョコまみれで倒れる警官達を増援の警官に任せて、天井に開いた穴を見る。


「ふむ、ここに引力のバランスが崩れた痕跡があるな。ここを通ったので間違いないだろう。」


 フミトは引力を操作しつつの格闘戦が得意である。今回のように引力のバランスから不自然な場所を感じ取ることも可能だ。


 ソウイチの重力操作と似たようなものだが、物体毎に設定をいじる事が出来る分フミトの方が複雑な操作がしやすい。



「ふふ、これで追跡が可能になったわ。怪盗も今夜でオシマイね。」



 カコはイヌキが通った穴に向けて手を伸ばすと何かを掴む仕草をする。それは過去の因果を手繰る行為であり、追跡の第一段階だ。彼女は名前の通り、過去の因果を辿ってターゲットを追跡する。


「フミト君、お願いね。」

「任せな。」


 フミトはカコを抱えて足場とカコの引力を下げて跳躍する。11階に着地するとカコは、普通は目に見えない因果の糸を辿っていく。


「むむ、彼女は本当に空を飛べるみたいね。天井付近をウロウロしていた形跡が有るわ。」


「見えない上に飛べるなら警官たちじゃ見つけられないわけだ。」


「それに時々糸が不自然に濃密になったり細くなってる部分もある。何故こんな事が起き……!フミト君、最上階に連絡して!」


 何かに気がついたカコは、相棒に情報の共有を指示する。最上階というのはそこに居るもう2人の仲間、コウジとミカの事だ。


「怪盗イヌキは、なんらかの方法で時間を操っているかも!」


「なんだと!?わかった、カコは捜査を続けてくれ!」


 急いで端末を取り出すフミトを置いて、カコは追跡を続ける。


(時間辺りの活動の密度が不自然てことは魔王が来ている?でもイヌキって女の子なのよね?部屋がスッキリしていることから何処かへ転送しているの?そんな事を自由に出来そうな人なんて現代の魔王しか心当たりがないけど……まさか他にも居るの?)


 カコは緊張感が高まり心拍数が上がっていく。


 カコもトモミと同じく事件現場の検証を行ったことは有る。

 そこで同じような糸の形を見たのだった。途中で途切れて追跡は出来なかったが、特徴は覚えていた。


 実はカコ達4人は2005年当時、ケーイチ達のチームに稽古をつけてもらったことが有る。マスター自体の記憶は消えていたが、彼の物らしき因果を辿った記憶は朧気に残っていたりもする。


 それらの経験から重要度、あるいは危険度を察知していた。


「カコ、出来れば先回りして迎え撃てだとさ。”奴”はゆっくり上へ向かっている。急げばまだ間に合うだろう。」


「わかったわ。」


「本当に時間干渉が相手ならお前が頼りだ。前衛は任せてくれ。」


「ええ、私も頼りにしてるわ。」


 フミトはカコを抱えてチカラを発動させ、加速して階段で上を目指す。


 生憎と階段は爆破されて崩れていたが、居にも介さぬと言った感じで瓦礫と天井の隙間をすり抜けて進んでいくフミト&カコ。


「このフロアだわ!上の階で待ち伏せましょう。」


「了解だっ!」


 16階に到着するとカコの手繰っている糸が、かなり床と平行に近づいた。17階の階段近くの物陰に潜み待ち構える2人。


「糸が濃くなってきてる。もうすぐよ。」

「ああ、すぐに終わらせよう。」


「こんな日にオフィス・ラブ?それともこんな日だからかしら。」


「「!!」」


 後ろから女の声が聞こえて、振り返ったりせずに前へ飛び転がる2人。


「あら驚いた?ごめんなさい、怪盗やってるだけあって鼻が効くのよ。」


 フミト達の前にピンクのフリフリが現れそんな事を言う。不穏な緊張感を嗅ぎ取ったイヌキは時間を止めて後ろに回ったのだ。


 イタチの方はステルスで潜伏を決め込んでいる。彼は切り札なのでここぞという時にしか姿を晒すことはない。


 フミトとカコは横目で軽く視線を交わすとフミトが前へ踏む込み、カコはチカラの出力を上げる。


「あら怖い、でも足元がお留守ですよ~。」


 フミトは急にバランスを崩してすっ転ぶ。


「なんだって!?」


 足を確認するとフミトの靴紐が抜き取られた上でバナナの皮がそこに落ちていた。思わずカッとなりそうになるが、床一面にぬめりが有ることに気がつく。時間を止めて油をまかれたのだ。


「さっきオヤツを食べてポイ捨てしちゃったの。ごめんね~。」


 適当な事を言って煽るイヌキ。油の引力を思い切り引き上げて身体を安定させようとするフミト。


「フミト、そのまま伏せてて!」


 カコは手元の糸にチカラを込めたナイフを何本も刺していく。もちろんイヌキからは糸は見えてないので奇行にしか見えない。


「なにをやってるの?頭の病院に行ったほうが――」


(離れろ!)


「!!」


 不穏な風を察知したイタチが突風でイヌキを吹き飛ばす。一瞬遅れて彼女のいた場所にナイフが飛び出す。そしてそれは吹き飛んで避けたイヌキの方へ急速に近づいていく。


「わわっ!なにこれ誘導弾!?」


(オレの風の刃で!!)


 ヒュン! スカッ!


(空振った!実体が無いのか!?)


 追ってくるナイフ達にカマイタチで迫るが、イタチの風はすり抜ける。慌てて飛び退き転がるイヌキだがすぐに追いつかれてしまう。


(時間停止!)


 2秒ほど停止させて大きく飛び退くイヌキだったが……。


 ヒュンヒュンヒュン……!


「うそっ!しつこいわね!」


 すぐに向きを変えて彼女の方へナイフが飛んでくる。


「じ、次元バリア!」


 ブゥン! カカカカカカッ!!


「はぁはぁ、これなら防げるのね。」


 イヌキの周囲に球型の膜が張られてナイフがそこに突き刺さる。時間停止と次元バリアを使ったことで大きく消耗し、肩で息をするイヌキ。


「へぇ。私のホーミングを防ぐなんてやるじゃない。」


 カコは因果の糸に攻撃を加えることで、現在のターゲットへのホーミング攻撃が可能だった。因果の中に攻撃を忍ばせるので普通の手段では逃げ切れないし防げないという凶悪な攻撃だ。


 しかしそれを防ぐということは――


「そのバリア、現代の魔王のと同じよね?あなた、いつから女装に目覚めたの?それともタイ辺りで切り取っちゃった?」


「んな!!私は最初から正真正銘、女の子よ!」


(イヌキ、喋るな!情報を与えてはいけない!)


「ふーん。ならそのチカラ、どうやって手に入れたのかしら?」


「とんだお転婆嬢ちゃんだと思っていたが、これは良い手がかりになりそうだな。」


 起き上がったフミトとカコがじわじわと近づいてくる。


(やっちゃった!バレたらマズイのに!)


(幸いオレの方は気付かれてない。暗殺する。)


「はぁはぁ、知られた以上は仕方ないわね。はぁはぁ。あなた達の命、盗ませてもらうわ!」


「今度はさっきのようには行かねえよ!」


「ステルス!」


「見えないだけでは避けられないわよ!」


 ザクザクザクザクッ!


 再度因果の糸にナイフを突き刺しホーミングナイフを発射する。


 イヌキは姿を消してすり抜け後ろに回るつもりだったが、再度ナイフが迫り始めて位置がバレバレだ。


「そこだぁ!!」


「次元バリア!」


 ガイン!カカカカカッ!


 フミトが飛びかかっるがバリアの発動で弾かれついでにナイフもバリアに防がれる。しかし電池内の精神力が大幅に消耗していく。


「はぁはぁ……」


「たしか彼のチカラは持久力が無いのよね。どこまで防げるかしら?」


 ザクザクザクザクザクッ!


「じ、じげん……ぐっ、キャアアアアアア!!」


 ついにカコのナイフがイヌキの身体に突き刺さった!しかしその瞬間に色や風が止まる。


「まったく、貴女は怪盗であって暗殺者じゃないんだよ?足止めして逃げるのが正解だったね。」


「マスター、ちょっと離して!こんな時に変な所触らないで!」


「イヌキに変なところなんて無いぞ。可愛くはあるけど。」


 マスターは危険を察知して助けに来たのだった。

 先程の悲鳴は怪我による痛みや恐怖ではなく、マスターがベタベタと触り始めたから出た悲鳴であった。


 もちろんマスターも、意味もなく触っているわけではない。ナイフは彼のチカラで引き抜かれ、時間遡行で身体を修復する。彼女の体内の電池に精神力を補給して気力も回復させる。


「ありがとう、でもそういうのは雰囲気作ってからにして下さい!」


「それより面倒なことになってるね。彼女は上位のチカラ持ちだ。さっさと逃げたほうが良いだろう。」


「いくら逃げても追ってくるんだもん!」


「あの子は君の歴史そのものにナイフを突き立てている。だが無理矢理な方法のために、長い時間は誘導できない。なので長時間逃げるか、彼女の腕を使えなくすれば回避できる。」


「マスターが助太刀してくれれば早いんだけど?」


「これはオレの戦いじゃない。それに君には優秀な護衛がついている。でしょ?」


 マスターの姿が消えて止まっていた時間が流れ始める。


「な、ナイフが消えている!なんで!?」

「もう一度だ!オレが抑える!」


(なるほど、マスターが来てくれたのか。)


「怪盗の懐刀、とくと味わうが良いわ!!」


(心得た!)


 ミドリ色の小太刀を相手に向けて宣言するイヌキ。その意図を汲んだイタチの頼もしい声が返ってくる。


 ブォォオオオオオオオ!!


「「な、何!?」」


 突如暴風が吹き荒れたたらを踏むフミトとカコ。

 その風は四方八方から吹き荒れてバランスを取るのも難しい。彼らは姿勢を低くして腕で顔を隠し、床の引力を上げて耐えている。


「そこの女、面白い手品を使うじゃない。でも手を封じられたら何も出来ないんじゃない?」


「くっ、なんで幾つもチカラが使えるのよ!!あなた絶対魔王と繋がりがあるでしょ!!」


「教えるつもりはないわ。あなた達はここで眠りなさい!」


 この発言がイタチへの合図だったのだが、何秒待ってもトドメの一撃が発動されない。


(イタチ、どうしたの?)

(うむ、切り捨てる技が発動しない。契約違反だとでもいうのか。)

(ちょっと、どういうコト!?)


(この女達は知りすぎた。そして危険なチカラ持ちでもある。しかし外部の警備員扱いで、無駄な殺しはダメだということか。)


(えー、マスターとの繋がりがバレちゃわない?)

(仕方あるまい、口封じは諦めよう。だが勝利は我々が頂く。)


 風が収まっていき、2人の拘束が解かれていく。


「へ、どうした。ガス欠かい?ならこちらから――」


「フミト待って、コウジ達が向かって来てる。一旦下がって合流よ!」


「遅いぜ、喰らいな!」


 ドフッドフッ!


「「ウガッ!?」」


 懐刀イタチが一陣の風となり2人の腹に片腕ずつ拳をめり込ませる。

 同時にステルスを解除してその分のチカラを技につぎ込む。


「6つ延命流奥義、ムフウ波!!」


 周囲の風が完璧に止まり、代わりに2人の身体の中に波が注ぎ込まれる。


「うぉおおおおおおお!!」

「きゃあああああああ!!」


 6つ延命流とはコミック・アシュラの門限に登場する架空の格闘技で、対戦相手の寿命を6年伸ばすと言われている。しかし格闘技ではあるので相手へのダメージ自体はある。


 その中でも奥義・ムフウ波は、周囲の音や風などの波を相手に注ぎ込むマッサージ技だ。結果的に肩こりや筋肉痛・胃腸の調子などが良くなるが、代わりに気絶するほどの衝撃を受け続ける。


 この技を使うとその周囲の風も音も消えることから、そう名付けられた。


 そんな技をイタチはチカラで再現してフミトとカコに叩き込んだのだ。なんだかんだでマスターに毒されていたイタチであった。


「「ぐふぅ……」」


「延命流カルテに、患者に投げるサジは無い!」


 気絶した2人を床に転がすとイタチは満足げに決め台詞を吐いた。


「イタチ、ありがとう!ってなにその腕!」


 イタチの両腕はキズだらけになっておりブランと垂れ下がっている。過度なマッサージの代償として使った腕にダメージが入る。


 この辺も原作再現をしているあたり芸が細かいが、それ居るの?と思う人間のほうが多いだろう。


「気にするな、娘を守るのは父の仕事だ!」


「まだ親子じゃないわよ!その怪我大丈夫なの!?」


「今は離れるのが先だ。こいつらの仲間が来る。脳まで揺らしてやったから、あわよくば記憶も飛んでるかもな。」


「わかった、イタチは戻ってて!後は私がなんとかする。」


「オレたちは2人で怪盗イヌキだ。すぐ戻ってくるからそれまでは戦闘なんかしないでくれよ。」


「はーい!じゃあ第一目標の19階で合流しましょう。」


 イタチはマスターへ救援の合図を送り、イヌキはステルスで潜伏する。



「コウジ、あそこに倒れてるのって……いやあああ!」

「マジかよ!おい、大丈夫か!?……大丈夫そうだな?」


 コウジとミカが辿り着いた時には気持ちよさそうに気絶しているフミトとカコしかその場に居なかった。



 …………



「くんくん。やっぱりこの辺は匂いが濃いわね。」

「どうやら間に合ったようだな。」

「おかえりイタチ。腕は大丈夫そうね。」

「ああ、マスターの修復は完璧だ。」


 作戦開始から約1時間。19階に到達した怪盗達は探索を始めている。


 一方5階で連絡待ちの警部は苛つきを抑えられずにいた。


「1時間も経つのにまだ捕まらんのか。何をやっておるのだ!」


「そうはいっても階段が途中で爆破されてますし、エレベーターも無力化されています。警部は危ないですから外に避難して下さい。」


「ぐぬぬ、サイトの方はどうなった?」


「ミカ殿の報告では、交戦するも撃退された模様です。」


「超能力とは言っても、存外役に立たぬものだな。ヘリは?」


「あの花火と謎の力場のせいで近づけないと報告を受けてます。」


 外では地上からの増援は諦め、ヘリで上空からのビル侵入を試みた。マスターからの妨害で、墜落こそしてないが今は退避している。


 警部はサイトのメンバーを役たたずと評価したが、交戦しただけマシである。警官たちは一方的に煙に巻かれていた。


「これでは良いようにやられっぱなしではないか!」


「ともかく一度外へ退避しましょう。下からでは何も出来ません。」


「ぐぬぬ。」


 勢い勇んで自ら突入した警部だが、出来ることは何もなかった。そもそも指揮官なら外の本部で指示を出すべきだろう。



『マスター、19階は終わったよ。でも議員はここに居ないみたい。』



 野次馬に紛れて「演出」をしているマスターに連絡が入る。


 イヌキは「判別」によって上の階の様子も探っていた。

 19階は上層部の極秘データの宝庫であり全てを確保したが、上からは生きた極悪な匂いは感じなかった。


「だろうね。彼は狙われると解っていて、どっしり待つほど大物ではないと思ってた。19階のデータだって隠蔽する時間はあっただろうしダミーも多いかもな。」


『ではどうする?データはともかく議員は確保したい。』


「ま、この手の人達がよくやるのはアレだよね。」


『アレ?』


「まずはビルから離れよう。派手に行くぞ。」


『撤退ね、わかったわ!』


 19階を第一目標としたのは議員の存在を確認するためだった。イヌキの鼻なら上下1フロアくらいなら判別できるからだ。

 そこに目標の議員が居るなら良し、居ないなら撤収して追跡する予定だった。


 マスターなら確認など一瞬で終わるが、これは怪盗イヌキの戦いである。彼女自身が仕事をしなければならない。


 なので最初からビルごと全て盗む!とか、いきなり最上階で大乱闘!等の強引な方法はとらずにいたのだ。



 ブワアアアアアアアア!!



 本社ビルの外側全てに3Dホロでピンクの装飾をつけるマスター。大きいリボンや花などでラッピングされたビルはシュールだった。


「「「目、目があああああ!!」」」


 更に今までよりも強い光を広範囲に撒き散らしてこの場の人間の目をくらましていく。ついでにパレードマーチが大音量で流され耳を妨害、更には強力な甘いチョコの香りを辺りにバラ撒いておく。


「「「ぐおおおおおおおお!!」」」


 警官や野次馬が悶ていると、ビルの最上階付近から女が飛び出す。その魔法少女は空中に浮いてくるくる回ると決めポーズを取る。


「政府の忠犬と群がる民衆よ!悪の組織、ヨシダグループの全ては頂いた!私の活躍を見守ってくれた君達には、この日にちなんだ贈り物を進呈しよう!」


 ビル周辺の上空に空間の穴が開き、ラッピングされたチョコの箱が大量に降り注いだ。といってもまともに落下させたら大惨事確定してしまうので、ゆっくりと落下傘で落ちてくる。



「「「わあああああああ!!」」」



「それでは私は失礼する。受け取った諸君、お返しは期待しないで待っているぞ!」


 別れの挨拶をしてさっさと空を飛んで逃げる怪盗イヌキ。警官たちはすぐに後を追おうとするが……。


「怪盗がチョコを配るだと!?」

「オレ、初めて女の子からチョコもらった!」

「見に来てよかった!イヌキちゃんありがとう!」

「絶対お返しするからなー!」


「お前達、静かに!静まれ!!」

「暴れるな!道を開けろ!」

「公務執行妨害だぞ!」


 集まった野次馬達に邪魔されて追跡は失敗した。

 それでなくともマスターの空間移動を使ってるので追うことは敵わなかったのだが。


「おい、本社ビルは何処行った?」


 誰かがつぶやいた声にビルの方を見ると、ヨシダグループの本社ビルが綺麗サッパリ消えていた。


「結局ビルごと盗むなら、さっきまでの騒ぎは何だったんだ?」


 間一髪外に退避していた警部は屈辱感と徒労感に襲われていた。


「いや、呆けている場合じゃない!ガス漏れ水道漏れに注意!みんな離れろ!!配管チェック急げ!!」


 警部は気を取り直すと事後処理に追われるのであった。


 なぜここで強引な手段を使ったかと言うと、怪盗イヌキが撤収した時点でマスターへの納品扱いになり、彼が時間を止めて人を排除し空間ごと移動させたのだった。


 首謀者側からすればルールに則った行動だったが、傍から見れば不可解極まる事件だった。


 ちなみに中に居た者達は警官もサイトも全て外に転がされていた。ケガ人は大勢居るが、死人は0である。



 後日、ネット上では怪盗イヌキのチョコの話題で盛り上がっていた。ばら撒かれたチョコは実際に彼女が手作りしたチョコであり、可愛らしい直筆サイン入りカードも同梱されている。

 それらをラッピングした物をマスターの空間コピペで複製したのだ。


 チョコの開封動画でミリオン再生、オークションでもミリオンの高値がつくなどしてSNSや巨大掲示板でも話題になった。


 ただし味は相当マズかったらしく、怪盗イヌキちゃんメシマズ説がネット上で横行する。それを見たアオバは涙目になり、母からの料理指南を受けるのであった。



 …………



「全く小娘め。好きに勝手にやってくれるじゃないか。」



 2月14日、21時頃。

 現与党御用達の個室に”入院”しているヨシダ・ジュンジ議員はノートパソコンで本社ビルのライブ中継を見ていた。


 彼はマスターの言った通り、現場には出ずに引き籠っていたのだ。だがそれも無理のない話である。今までの経緯を見るに襲われた場所は綺麗サッパリ無くなっている事が多かった。

 物どころか人間もである。ならば自分だけでも安全な場所に避難をしようと思っても不思議ではない。


 ただ完全に行方をくらますと、党のお偉いさんからどんな処置を受けるかわからないため、入院という中途半端な形になった。


 だがこの病院にも警備はつけている。テレビで話題の特殊部隊だ。彼らは武装した超能力者集団で、対テロ、対魔王の専門家である。彼らならきっと怪盗娘から自分を守ってくれるだろう。


(オレのビルが荒らされてるのは気に食わないが、オレが生きていればなんとでもなる。あとは怪盗の動き次第だな。)


 パッパララッパー パッパラパラララ……


「うおっ、何だ!?音量が?」


 急に大音量で音楽が流れてドキリとする議員。慌ててボリュームを下げるが、画面の中には大パニックが映されていた。


 が、映っていない方が問題だった。


「お、オレのビルが丸ごと消えた!?一体どうやればそうなるのだ!」


「あなたがそれを知る必要は無いわ。」


「!?」


 女の声が聞こえたと同時に部屋が暗闇になる。ノートPCの光を頼りに見回すも、何処にも誰も居ないし見えない。


(おかしい、ビルから何キロ離れていると思ってるんだ?ここに居るはずはない。というか特殊部隊はどうした!?)


 ジュンジ議員は焦って思考が纏まらない。暗い個室で得体のしれない現象に嫌な想像をしてしまい、恐怖に囚われそうになる。まるで和風ホラーの定番演出である。


「何処だ!出てこい小娘!相手になってやる!」


「こんなところに隠れてて、相手になるとは片腹痛いわね。」


「誰か!警備はどうした!!」


「彼らはキチンと仕事をしているわ。あなたと違ってね。」


「貴様は何を言っている!結局お前は何者なのだ!!」


「この1年、気が付かなかったの?自分で恨まれるような事をしておいて……よほど頭がお花畑なのね。」


「どうせつまらぬ逆恨みだろう?オレはお前なんて知らん、顔を見せんか!」


「お断りよ。あなた、思っていたよりつまらない男だったわ。復讐のためにここまで来たけど、興が削がれたわね。」


 ヒュン、ザシュッ!!


「ぐあっ!腕がぁっ!血、血がぁッ!!」


 見えない何かに手首をがっつり切られて出血する議員。


「私からはこれくらいにしておくわ。いい夜を。」


 ヒュン、ザシュッ!!


「痛っ、また切られたッ!警備員!特殊部隊は何処にいるのだ!?」


(オレもこの辺にしておくぜ。)


 イタチはステルスのまま風の刃で議員を切る。イヌキとは反対側の手首だ。痛みと恐怖に囚われ病室から出ようとするジュンジ議員。

 しかし出入り口は開かない。窓から外を見るとそこは都内のビル群ではなく、宇宙空間だった。


「なっ!?ななななんだこれは!!おい、誰か居ないのか!」


 ジュンジ議員は室内を彷徨うがもう誰も返事を返さない。

 手首にシーツを巻いて止血しつつ色々と試してみる。


「ケータイもダメ、ナースコールもダメ……そうだパソコンがあるじゃないか。」


 取り落したノートPCを拾い上げ、血だらけになった手で操作するがネットワークエラーで誰とも連絡がつかない。


「まさか本当に宇宙に居るわけじゃないよな!?看護師でも特殊部隊でも怪盗でもいい、誰か返事をしてくれええ!」


 いくら叫んでも誰の返事もない。


「くう、もう意識が……これが終わりなのか?」


 やがて出血のせいか意識が遠のき、ベッドの上で眠りにつく。


 そのまま議員は目覚めることなく残りの生涯を盗まれた。



 …………



「ジュンジセンセイ、こちらは何も異常ありません。何か必要な物はありますか?」



 2月14日22時。ケーイチが見回りでジュンジ議員の個室に声をかける。しかし返事はなく寝てしまったのかと思った矢先、かすかに腐臭と血の匂いが漂ってきた。


 慌てて室内に入ると、血まみれの議員がベッドから発見された。だがその死体は死後数日経っており、血も黒く乾いていた。


お読み頂き、ありがとうございます。

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