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63 メバエ その1



「うーん、彼の仕事どうするかなぁ。なにかネタでもあれば……」


「私達の演出を手伝ってもらうとかは?」


「シオンちゃん、私達はマスター以外の男なんてダメよ。」


「そうよ!シーズはマスターと私達だからイイのよ。」


「私もそうだけど、ネタが欲しいっていうからぁ!」


「じゃあ、害虫駆除とかは?あの映画の子みたいに平和的に!」


「虫笛で誘導でもするのか?巨大化したダンゴムシの大群が一斉に目が赤くなって襲いかかってきたらホラーだな。」


「「「きゃーー!変な想像させないで!」」」



2010年3月20日。魔王邸のリビングのソファーで寛ぎながら唸っているマスター。その上にシーズの3人が覆いかぶさっており

彼の悩みの相談に乗っている。

普段ならここにセツナが乗っかるが、今は○○○と遊んでいる。



自称魔王を拐ってから1週間程になるが、マスターはいまだに

彼の仕事を決めかねていた。


もちろん町おこしの方でならいくらでも仕事はある。

サクラの父が町長になり人手はいくらあってもいいレベルだ。


しかしナカ○○に向いている仕事となると話は別だ。

彼はどちらかというとマスターのように娯楽が入った方が輝ける。


だから社長は彼をマスターの影武者のように使おうとしたのだろう。ならばその方向の仕事じゃないと効果を発揮しない可能性が高い。


「このまま浮かばなければイベント企画の仕事でもさせてみるか。」


「テンチョー!これ、これ見て下さい!」


その時魔王邸に併設されている水星屋からダッシュしてきたキリコが、一枚の紙切れをもってマスターにそれを押し付けてくる。


「騒がしいなキリコ、マスターと呼んでくれ。」


「シマッター、ついうっかりクセが出マシター。ってそんな事より!この誓約書の方、亡くなられてますよ!」


「ええ!?この人1ヶ月前のあの人じゃないか。しかもあの夜に

死んだの?先の事だからってチェックが甘くなってたわ……」


キリコが見せてきた誓約書は、2月20日の夜に上機嫌で現れた

お客さんがツケの証明として書いたものだ。


この誓約書は破棄されるとその状況が簡単にだが表示される。

店を出てから1時間も経たずに事故死、からの身ぐるみ漁られて

ツケの写しを破棄されていた。


彼は大きい商談にゲンを担いだのか現金をもっておらず、水星屋ではカードの支払が出来ないためにツケにしておいたのだ。


大きい取引が成立して忙しくなるから3月末頃に取りに来てくれと言われ、さらに酒をごちそうしてくれる約束になっていた。


「それで、どうします?」


「約束とは言えこれで財産没収は可哀想だなぁ。明らかに事件だし。ちょっと温情かけて、遺族がその気なら手助けしてあげるか。」


「さっすがマスター。良かった、全部オレのものだーぐへへ。

とか言い出さなくて。」


「「「マスターはそんなんじゃないよ!」」」


「ナカ○○の仕事も浮かばないし、先にこっちを片付けるかな。」


覆いかぶさるシーズを優しく引き剥がすと、一瞬で身支度を整えて玄関に向かうマスター。


「それじゃちょっと行ってくるから、家のことはよろしくね。」


「「「行ってらっしゃいませ、マスター。」」」


「いってらっしゃーい。」


マスターは誓約書を手に、そこに書かれた住所を目指して地球に降り立つのであった。



…………



「ここ、どこだろう。お兄ちゃん、どこに居るの?」



3月20日。神奈川県の湯河原で1人の女の子が途方に暮れていた。彼女は小学を卒業し、春休みを利用して一家でこの地に遊びに来ていた。


一家は山側のホテルを予約してあり、昼間は海側を見て回ろうと4人で海浜公園へ向かっていた。お昼は海沿いのレストランを

利用する予定であり、とても楽しみにしていたのだ。


駅からタクシーに乗り目的地近くを散策していると、親子共々少し目を離したスキに見失ってしまう。


女の子、ミズハ・シズクは必死に家族を探した。

この場合あまり動かない方が良いのだろうが、生まれ続ける恐怖心から歩き回ってしまった。


両親より先に兄を探すあたり、兄妹仲は良好なのが見て取れる。


「ちょっと、やだよぉ。置いていかないでよぉ。」


いつの間にか公園に辿り着き、疲れたシズクはベンチに腰掛ける。そこは赤いタコのような滑り台のある公園だった。


「お兄ちゃん、どこに行ったの……」


子供なりにおめかしして今日の旅行に臨んだのに暗い気持ちになり、シズクは全身でどんよりしていた。


「お嬢ちゃん、そんなに辛そうな顔して迷子かい?」


「…………」


急に40歳くらいのおじさんに声を掛けられ、なんて答えて良いかわからないシズク。こういう時、本当のことを言ってはいけないと教えられていた。


「おじさん、怪しいもんじゃないよ。お父さんとお母さんはドコかな?」


「…………」


シズクは何も答えない。怪しい者じゃないと言うが、マスクとサングラスと帽子をかぶったおじさんが怪しくない訳がない。


「ここだと日差しが強いし、木陰に移動しようか。」


自称怪しくないおじさんは、そう言って手を掴んでくる。恐怖心が身体を支配し身動きが取れなくなるシズク。


彼女は気が弱い女の子で、いつも兄に励まされていた。6歳年上の兄はシズクを可愛がり、理不尽からいつも守ってくれた。


しかし今は1人きり。自分で何とかしなくてはならないが、体が強張って何も出来ない。しびれを切らしたのかおじさんが無理矢理引っぱって抱えて連れて行こうとする。


ビュォォオオオ!


「うぉっ、突風か。海も近いしな。ほーら嬢ちゃん、

あそこの物陰に行きましょうねぇ。 ぐわっ!!」


「妹に何をしている!手を離せ!!」


突然の攻撃に怪しくないおじさんは苦悶の声を上げて倒れ込む。股間を激しく蹴り飛ばされたのだから無理もないだろう。


「お兄ちゃん!」


そこにはシズクにとってのヒーローが参上していた。



…………



「こっちは居ない。そっちにシズクは居たか!?」


「こっちにも居ないわ!遠くへ行っちゃったのかしら!」


「オレも見当たらなかった。シズクは内気だしそんなに遠くには行ってないと思うんだけど……」


「こんなことなら携帯を持たせておけば良かった!」



シズクを見失ったシゲルと妻、そして長男のシラツグが手分けして周辺を探すが見当たらない。こういう時のために携帯を持たせれば良かったと後悔するシゲルだが、今言っても仕方がない。


「海に行く予定だったしそっちに行ってみるか?」

「あなた、交番に助けを求めては?」

「この周辺には無いからタクシーを捕まえなくてはならん。」


『お兄ちゃん、どこに行ったの……』


「シズクの声!?父さん、動かないでね。ちょっと行ってくる!」


心の中に響いた妹の声を追いかけ、シラツグは走り出した。彼は中学高校と陸上部で鍛えた身体で駆け抜ける。


途中、急に景色が変わった気がしたが気にしない。

心で感じる、不安そうな妹の方へ走り続けるシラツグ。


蔵町公園と書かれた石の看板を通り過ぎ、怪しい男が妹を連れ去ろうとしているのが見えた。頭がカッとなり男の股間を後ろから蹴り上げる。


「ぐわっ!!」


「妹に何をしている!手を離せ!!」


突然の攻撃に怪しい男は苦悶の声を上げて倒れ込む。股間を激しく蹴り飛ばされたのだから無理もないだろう。


「お兄ちゃん!」


「大丈夫かシズク。早く逃げるぞ。」


「ごめん、ちょっと立てないの。」


すぐさま妹に駆け寄り安否の確認をしつつ、逃げるのが無理と判ったら彼女を庇いながら男を警戒する。


「おのれ、ガキどもが。オレを誰だと……」


「知るか!旅行先の変質者なんて知らないよ!」


至極ごもっともなシラツグの意見に口を閉ざす男。そもそも名のある人物がこんな事をして、バレたらマズイのは本人の方だ。


チラリとシズクを見ると目を瞑ってうずくまっている。ここで弱気になってはいけない。


「許さん、人が来る前にお前達をぶっころす!」


「させるかよ!でああああああ!!」


拳銃を取り出し狙いをつけようとする男。それを見たシラツグは一気に距離を詰めようとする。


ここで動きを止めたら妹が怪我をしてしまう。止まるわけには行かないのだ。


男が引き金を引こうとすると同時にシラツグの拳が男の顔に突き刺さ……らなかった。


シュン!


忽然と姿を消した男。空を切る渾身パンチ。

態勢を崩したシラツグはすぐに周囲を確認するが、周りには誰も居ない。せいぜい騒ぎを聞きつけた通行人がチラっとこちらを見て、何もないのを確認すると去っていっただけだ。


「お兄ちゃん、大丈夫?怪我してない?」


「ああ、この通り元気だ。悪い奴は追い払ったから安心していいぞ。」


「すごい!お兄ちゃんって強いんだね。助けてくれてありがとう!」


「さぁお父さん達のところへ戻ろう。心配していたぞ。こんなことなら携帯持たせれば良かったって。」


「本当!?戻ったら頑張っておねだりしなくちゃ!」


「オレも手伝ってあげるよ。」


「やった!お兄ちゃん大好き!」


2人はお互い無事だったことを安堵し、シラツグのスマホで妹発見の連絡を取る。


色々と不思議な事があったが、兄は妹をおぶって両親の待つ方へ歩いていくのであった。



その頃湯河原駅から南西の交番では銃声が鳴り響いていた。


バァン!バァン!バァン!

ダァン!ダァン!ダァン!


「何だ!?何が起きている!!おいお前、何のつもりだ!!」


「何だここは!?公園じゃない、何で交番にいるんだよ!」


怪しい男は急に景色が変わって戸惑っている。

先程まで人気のない公園で獲物を撃とうとしていたのに、警官の前で発砲してしまった。


横には見知った顔。父親と交流の有ったアライ組の2人が居て、

彼らも銃を撃ってしまっていた。


どうやら彼らは自分を”見守る”業務の最中に、公園でやらかした自分を援護しようと銃を抜いた所を一緒に移動してしまったようだ。


幸い?誰にも着弾せずに済んだが、この後はどうにもならない。


「貴様ら銃を降ろせ!大人しくしろ!!」


「くそ、こんな訳のわかんねぇ事で捕まって堪るか!」


パァン!


「ギャァ!!」


抵抗して逃げようとするもさすがに本職には敵わず足を撃たれて抵抗を諦めることになる怪しい男。


アライ組の2人は職務上、彼を見捨てるわけにも行かず引きずって逃げようとするが結局取り押さえられてしまった。




怪しい男の名はジュンイチ。ヨシダ・ジュンジ議員の兄であった。対象の年齢問わず、如何わしい動画を撮って商売をしていた。


議員は今回の事で、言い訳の出来ないスキャンダルを抱える事

になるだろう。出来ることはせいぜい報道関係者への圧力と、兄を切り捨てる事くらいだろうか?


そんな未来を考えながら、事件の最初から最後まで誰にも認識されなかった男が去っていく。


「これで一件落着だね。」


マスターはたまたまシズクが怪しい男に言い寄られているのを

見ただけに過ぎない。時間を停止して両者の事情を読み取った。


怪しい男は有名人の兄であり、常習犯だとそこで気が付いた。


彼が物陰に隠した荷物に撮影用機材や怪しげなクスリを確認すると懲らしめようと決意をしたのだった。


あとは知っての通り、シラツグが大活躍するのを演出してジュンイチが墓穴を掘る形で幕を閉じた。


「良い事すると気分がいいね。さて、カトウさんの所へ急ぎますか。」


マスターは自分が直接手を下す事なく、誰にも気付かれる事も無く事件を解決に導いていたのであった。



…………



「また来てる。近所迷惑だっての。」


「それもあの人達のお仕事なんでしょう。」



乱暴に叩かれる玄関のドア。下品な大声で金をせびる傷有りの男。この安アパートでは近所に丸聞こえだが、世間体なんて気にしても仕方がない。


自分の部屋以外でも、朝外に出れば生物の死骸や異臭のするゴミ達とさわやかな朝の挨拶を交わすことなど日常茶飯事だ。


ここに引っ越してからずっとそれが続いている。


「連日来ても、なにもないのは判ってるはずなのにね。」


「なんで、こうなっちゃったのかなぁ。」


亡くなったカトウ・ダイチの妻、フウコ(43)と娘のミドリ(16)が諦めに近い声色でつぶやく。


先月まで順調だったはずの人生から一気に転げ落ちた一家は、とことん追い詰められていた。


「奥さん、聞いてるんでしょ?お仕事なら紹介してあげるから、まずは目を見て話をしましょうや!」


(仕事の紹介?どうせエッチなやつでしょ。私だけならともかく、ああ言う手合はきっと娘まで手を出すに決まってるわ。)


(絶対あいつらの好きになんてさせない。お金さえあれば……)


「こういうのは早いほうが良いんですよ。信用の面でも利子の面でも。ほら、居るのは判ってるんですから出てきてグピッ――」


「「??」」


急に変な声をあげたかと思うと静かになる借金取り。何を企んでいるのかわからないので不思議に思いながらも様子を見る。


ピンポーン。


しばらくするとチャイムが鳴る。怪しい。


あの借金取りは急に諦めて帰るようなやつではない。それを一瞬で大人しくさせて改めてこちらに用がある相手。

危険な香りを”嗅ぎ取り”、2人は静かに居留守を決め込む。


「はい、どちら様ですか?」


……つもりだった。


(なんで私は反応してるの!?)


ミドリは直ぐに返事を返してしまった。まるで何かに操られるかのように。


「すみませーん。わたくし、水星屋というラーメン屋の者ですがカトウさんのお宅でよろしいでしょうか。」


「はい、どんな用事でしょうか。」


返事した以上しかたなくドアへ移動して応対する。


「よかった、ここで合ってたんですね。お引っ越しされてたので驚きました。先月ダイチさんが私の店でツケてまして、忙しいからこの時期に取りに来てくれと言われまして。」


(お父さんがお金を持っていなかった?つまり商談のあの日、

死んじゃった日にラーメン屋に?)


ガチャッ。


「入って。私も話を聞きかせてほしい。」


そこにはどこにでも居そうなモブ顔の、25歳位の男が立っていた。



…………



「これ、つまらない物ですが。どうぞ。」


「これはこれはご丁寧に。すみません、もう大したお茶もご用意出来ない有様でして。」


「お気になさらず。この度は旦那さんが大変な事に……お悔やみ

申し上げます。」



1LDKの安アパートに水星屋を招き入れて挨拶を交わす。

ミドリの鼻には彼がマトモでない人物だと嗅ぎ取っていたが不思議とすんなり受け入れていた。


「それで、あの人はいくら借金をしていたのでしょう。」

「見ての通り、お金なんてないからボッタクられても――」


「300○ですね。こちら、その時の誓約書です。」


「「は!?」」


(ウソでしょ!?ここに来るまでの交通費とか手土産とか、

そっちの方が絶対高く付いちゃうじゃん!)


「不思議そうにされてますが、とても大事なことなんです。誓約書をよく見て下さい。」


「不履行時は全財産没収!?ちょっと待って、いくらなんでも!」


「ええ、あんまりな話です。ですがそれは必ず払ってね。という願掛けみたいなものでしてね。今回は突発的にお隠れになってしまったので、ご遺族の方にはチャンスをと思いまして。」


「つまりお支払いすれば丸く収めてくださるということですか?」


「その通りです。それとこの名刺をどうぞ。」


「水星屋の経営者兼、ハーン総合業務の従業員。○○○○・○○○!?」


「それって!!あなた、この文字が書けるってことは!!」


「見ての通り何でも屋をやってまして、私に依頼してくださればこの苦境もなんとかしてみせますよ。もちろん後の生活についても。」


「ただのネームサファルならこの名前は使えない。つまり貴方は現代の魔王本人ってこと?その顔で!?」


名前そのものを世界から消した以上、発音も筆記も印刷もされない。しかし本人だけはその気になれば出来る。


魔王邸のある異次元宇宙空間は地球ではないのだ。

その名刺は書斎のパソコンで造って印刷したものだった。


「お若いのによくご存知ですね。あと顔は余計です。」


「ちょっと考えれば判ることよ。魔王絡みで普通は出来ないことが出来る。それだけで決まりじゃない。」


マスターはミドリが度胸も頭もいい女だと感心していた。

しかし本人とその親はそれどころではない。


「あ、あの。貴方が現れたと言うことはわた、私達は……」


フウコは洒落にならない人物が目の前に居ると知って怯えている。ミドリもよく見るとプルプルしている。伝えるのが早すぎたようだ。


「おっと、私はあなた達に危害を加えに来たわけじゃないです。先程も言いましたがダイチさんとその遺族を気にかけての来訪です。」


「信じて、良いの?」


「ツケの300○さえ払って頂ければ、後悔はさせません。一応ここに来るまでに色々調べて、状況は把握しております。」


「では今すぐにお支払いを――」

「待って、その前に約束して!私達にやらしい事しないって!」


財布から300○を出して渡そうとするフウコをミドリが制する。


「ミ、ミドリ!魔王さんに失礼でしょ!」


「娘さんのご意見もモットモです。魔王事件を思えば当然でしょう。心配しなくても頼まれでもしない限り、そんな事にはなりませんよ。」


「こ、これをお納めください。」


フウコは怯えながらも300○をマスターに渡す。


「はい、毎度ありっ!でも魔王はやめて下さい。アレ言ってるのマスコミと政府だけでオレは名乗ってないんだよ。」


支払いが終わったことで1人称を戻し、口調も少し軽くする。


「じゃあ何であんな事したのよ。」


「詳しくは話せないけど、何でも屋のお仕事です。」


「つまり私達はそのチカラを借りるわけね。で、なんて呼べば?」


「マスターと呼んで下さい。一応、他言無用ですよ。」


人差し指を口に当てて、しーっとジェスチャーするマスター。


緊張した表情で頷く2人。しかし口止めされなくても漏らすつもりはなかった。最近、魔王絡みで物騒なウワサが立ち始めたのだ。それは後述するとして、フウコが質問を投げかける。


「あの、マスターさん。あの人はどういう最期だったのですか?」


「調べた所、オレの店を出て1時間もしない内に轢かれていた。

本当に残念だよ。」


「失礼を承知で言うわ。マスターが何かしたわけじゃないわよね?」


「あの時オレはただの料理人してたよ。轢いたのはアライ組の末端だ。カトウさんの会社を奪う気だったのだろう。形振り構わないこのやり口、彼はとても素晴らしい商品を開発したんだろうね。」


「畜生、アライ組の自作自演かよ!出来すぎてると思ったんだ!」


「なんてことなの!あなた、さぞ無念だったでしょう……」


「それでどうします?オレに依頼するならお金はかかるけど

必ずプラスにして見せる。後の生活の手助けも出来るよ。」


「「マスターさん、どうすればいいか教えて下さい!」」


怒りに震えるミドリと絶望するフウコ。

2人の心に良くないモノが芽生え始めた瞬間だった。



…………



「それで、借金はいかほど残っているのですか?」


「1000万○ほどです。会社も家も、財産は全て出しましたが

それだけ残ってしまいました。」


「それならオレへの報酬は1億って所ですかね。安心して下さい。簡単に稼げますから、そんな目でオレを見つめないで!まずはお金を何とかして借金も報酬も綺麗にしてしまいましょう。」



テーブルの上に小型のアタッシュケースをトンと奥と蓋を開ける。中には2000万○入っており、2人は目をむいて驚いた。


「マスターさん、このお金は!」


「まずはこれで借金を返しに行きます。どうせ利子がどうとかで1000万で終わらないでしょうし。それとこれから暫く、どちらかはオレと行動を共にしてもらいます。それで稼いだ分から報酬を引くので払い終わるまではお願いしますね。」


「では私が参ります。」


「母さんはダメ!私が行くわ!」


「どちらかが一緒にいれば良いからどちらでも良いよ。でもミドリさんの方が向いているかも。チカラ持ちでしょ?」


「バレてたか。うん、私は嗅覚を通して「判別」が出来るわ。あまり細かい設定は出来ないけど、抽象的な判断ができるの。」


良いか悪いか。高いか安いか。そういった概念の判別だ。よく解らない時はよく解らない匂いになる。正に今、目の前の男だ。


「マスターさん、お願いです。この子を危ない目に遭わせたく

ないんです!」


「母さん、私はみんな奪われて我慢できないの。家族もお金も学生という身分も、全部よ!?母さんは充分苦しんだ。私がやるわ!」


「オレの次元バリアは核兵器だろうが呪いだろうが防げる。娘さんも確実に守ってみせますよ。もちろん両方でもね。」


どっちがついて行くか決まらなくて面倒になってきたマスター。結局ミドリを連れてアライ金融の事務所に向かうことになった。


「さて、時間も押してるし空を飛んでいこう。ちょっと失礼。」


「うわあああああああ!!」


お姫様抱っこでミドリを抱えてアパートから飛び立つマスター。ミドリは叫びながらもその胸のアタッシュケースをしっかり押えていた。



ズドォォオオオン!!



「すみませーん、借金返しに来ましたー!」


「死ぬかと思った……」


「「「なんじゃいワレー!!」」」


「ヒッ!やっぱり死ぬかも……」


豪快な着地音と共に闇金の事務所に舞い降りた、モブ顔と元女子高生。何食わぬ顔で要件を伝えるマスターだったが、職員達は既にテンプレさんモードに入りつつあった。


ミドリは初めてのお姫様抱っこでの空中移動で心臓がバクバク

していた。


さらに強面のおじさん達に囲まれ凄まれてしまい、作曲家が新しいリズムを生み出したかのように胸が踊っていた。この場合は当然、ダメな方に。


音の割に玄関口は破壊されては居ない。ちょっと驚かせただけである。


「はいこれ、カトウ・ダイチさんの残した借金の残りです。ちゃんと領収書とお釣りは下さいね。」


「ちょ、ちょっと待ってろ!担当者を呼んでくるぜ。」


下っ端さんが奥に偉い人を呼びに行く。微妙に間があるのでマスターはタバコに火を着けて煙を吹き出す。ラッキーホームランという、そこそこパンチの効いた銘柄だ。


「ちょっとマスターさん、煙いから女の子の前では一言断ってから……あれ?臭くない?」


「「「げほっ、ゴホッ!何だ!?」」」


こっそり銃やクスリを用意しようとしていた男達は、肺の中に直接煙を注ぎ込まれてむせ返ってしまう。


耳フーならぬ肺フープレイを強面のオッサンとしてしまったが、あとで妻に慰めてもらおうと決めたマスター。その妻から心の中に連絡が入る。


『ゴホゴホッ、あなた!セツナが出来た時に禁煙してって言ったでしょ?お茶を噴き出しちゃったじゃない。』


『ごめんごめん、一応緊急だったんだ。何かあったか?』

『当主様にお茶が掛かっただけですんだから良いけど。』

『わかった、後で謝っておくよ。』


煙を吸った時の感覚が妻にも行ってしまい、むせたようだ。


感覚の共有はその気になれば視覚や触覚などの5感にも有効だ。

だが普段は精々テレパシー程度。でないと生活が大変になってしまう。


しかし、喫煙に関しては監視の意味も含めて感覚を共有されていた。心で妻と話していると、部屋の奥からちょっと偉そうな男が出てきた。


「あんたが代わりに払うって男か?なんつーモブ顔だ。」


「生まれついての物なので顔についてはなんとも。それよりこの額で足りますよね?」


「いいや、その女は親子共々買われてんだ。あんたの出る幕じゃない。」


「何よそれ、私は聞いてないわ!お金があればもう良いでしょ!?」


「そうも行かないんだ。偉い人との取り決めでね。親子丼の材料を置いてさっさと帰んな、モブ顔のヒーローさんよ。」


「つまり問答無用ですか。それはオレの得意とする分野です。」


『彼らはオレに任せて、得意の鼻で金目の物を判別して下さい。きちんと守るので、ミドリさんは安心して仕事をしてね。』


『え、テレパシー!?わかったわ、やってみる!くんくん。』


「いい度胸だ、オレ達とやりあおうってのか!」


一斉に色めきだって武器を手にする職員さん達。ここからはもういつものテンプレさんだ。


「ぐあ!」

「ギャーー!」

「オレの腕がー!」

「金ならいくらでも払う、命だけはギャー!」


マスターは銃を抜くまでもなく「時間干渉」でゴリ押しして

テンプレさん達の身体にブルースクリーン級のエラーを吐かせる。


手足どころか首まで変な方向に曲がった彼らは絶命していた。


「ひええええ、マスターちょっとグロすぎ!!」


「これは失礼、すぐに肉屋に持っていきますんで。」


マスターは空間に穴を開けてお偉いさん以外の死体達を放り込む。これで社長から指定されている保管所に届けられたはずだ。


「さーて、証文はっと。あら?そんなもん無いのか。つまり空手形だったのね。貸すほうが空手形とは新しいな。」


先程のちょっとお偉いさんの死体から情報を読み取ってみるが、見つからなかった。どうやらカトウ親子をここに釣る為の

フカシだったようだ。そうと判ればお偉いさんは社長に送る。


新しいも何もただのユスりタカりである。くだらない事を言ってるマスターに、何かを感じ取ったミドリが声をかける。


「マスター、あそこに隠し金庫!あっちにはヘソクリ。そこのケースには上納金が入ってるわ!」


「思ったより優秀だね、そのチカラ。泥棒に向いてるんじゃない?」

「やめてよね!元女子高生に向かって!」

「近所のだみ声のオバちゃんだって、元女子高生じゃない?」

「もう!マスターって意地悪なのね!」

「ごめんごめん、ちょっと悪い癖がでたな。」


マスターはちょっと悪戯心が出たことを反省する。

話しながらも淡々と金銭や証券を漁る。ミドリも文句を言わずに漁っているあたり、才能はありそうだ。


全てを袋詰にして社長の下へ送ると、トンデモ計算速度を活かして報酬が計算される。すぐさまアタッシュケースが送られてきた。


「ねぇねぇ。自販機みたいに報酬が落ちてきたけど、それでいくら?」


「1億ってところだ、意外とシケてたな。まぁ元金使わなくて

済んだから、これを折半して報酬はあと5000万○ってところか。」


「なにそれ、めちゃくちゃ借金増えてるじゃない!それに、手に入れたのはもっと多くなかった?」


「換金するのに手数料だってかかるからね。仕方無い事だよ。

なに、この規模の仕事をあと1回すれば終わりでしょ。」


「それはそうだけどさぁ、気分的にちょっと……いえ、贅沢言っちゃダメね。こいつらと縁が切れたのを考えれば。」


「多分まだ追ってくるけどね。それらを返り討ちにしていけば借金返済どころか豪遊できる金が手に入るさ。」


マスターは事務所を綺麗に”掃除”して新品同様にすると、ミドリを抱えて空間に穴を開けてアパートへ帰還する。


なんとなく釈然としないながらも、大人しく抱えられるミドリだった。



…………



「そういうわけで、アライさんのところの借金については気にしなくて良くなったよ。」


「でも5倍になったとミドリが……」


「焦らなくても取り戻せるチャンスは来ますよ。別にオレは利子なんて取らないし、身体を要求することもないし。」



アパートに戻ったマスター達はフウコに経緯を伝えた。

当面の危機は去ったとは言え、話が大きくなって実感が沸かないだけで危機自体は残っている。


「それで、次はどうするの?いつ襲ってくるかわからないでしょ?」


「今のうちに生活基盤を整えてしまおうと思う。あなた達は

全てを奪われたと言ってましたが、何もかも捨てて新しい生活を送る覚悟はありますか?」


「もう親戚も知り合いも離れてしまい、頼れるのは貴方だけです。」


「私も友達とか全員テノヒラ返しちゃって途切れたわ。まさに金の切れ目が縁の切れ目ってカンジ。」


「それでは知り合いが町長をやってる町があるので、そこで住む場所と仕事をご用意しましょう。」


「「いいの!?」」


「もちろんです。行き場を失った者達を集めている町ですので、仲良く暮らせると思いますよ。」


「ありがとう、ございます。うう、今日までもうこの身を売らねばと思っておりましたのに……ありがとうございます!」


「もう、母さん泣かないでよ。そんな事にはさせないから!マスター、もう少しお願いね!」


「とりあえず大事な物だけ持って移動しましょう。向こうには

連絡……しました。」


話している最中にテレパシーでサクラに連絡を入れておく。


その後は時間を止めて荷造りをして、サクラのいる町のアパートの空き部屋へひとっ飛びだ。


「ほぼ新築だから虫の心配もないし、スーパーはちょっと遠いけどコンビニが近くにあるよ。それとこれ、当面の資金にしてね。」


軽い感じで100万をぽんと渡してくる。


「ありがとうございます。もう、何から何まで……」


ピンポーン。


「はーい、いま出まーす。」


呼び出し音が聞こえてマスターが応対に出ると、やってきたのはサクラだった。


「マスター、新しい住人が来ると聞きましたが……」


「彼女達がそう。カトウ・フウコさんと娘のミドリさん。2人ともワケアリ。オレの正体も知ってる。仲良くしてやってくれ。」


端的に必要な情報だけ言うとサクラは2人にペコリと頭を下げて

自己紹介をする。


「初めまして、コジマ・サクラよ。探偵をやってるわ。よろしくね。」


「「よろしくおねがいします。」」


「彼女はオレと連絡も取れる。困ったことがあれば呼ぶと良い。今日は疲れただろうから、ソレを食べて休むと良いよ。」


カトウ親子がテーブルを見ると、いつの間にか天ぷら定食が2人前置かれていた。


「オレはこれから本業が有るから失礼するけど、ミドリは明日も借金返済の為に頑張ってもらうからね。」


「はい!わかりました!!なんでもやります!」


「今なんでもって――」


「マスター、こんな若い子に手を出したらダメですよ!?犯罪ですからね!捕まりますからね!ほら私だって居るし!」


「冗談だよ、ただのネットスラングじゃないか。それと今日は

サクラをかまってる時間はなさそうだよ。」


「ええー!私は魔王邸に入れないんだから、町に来た時は相手してくれても良いじゃないですか!」


「これから水星屋の営業があるから。」


「ぶー、そうやってキリコちゃんばかり構って!」


「ふふ、変なの!本当にマスターって現代の魔王なの?」


ミドリはサクラとマスターのやり取りを見て笑ってしまう。


世界から畏れられている現代の魔王。

しかしミドリからすればその実態はただのモブ男だ。いや、クレイジーであり悪戯好きであり意外とモテる変なモブ男だ。


懲役に換算したら100億年は貰いそうな彼が、今更ミドリに手を出したら捕まるとかいう話をしてるのもシュールだった。


「ミドリちゃん、気をつけて!彼はそうやって女を油断させるの。気がついたら産まされるから油断しちゃだめ!」


初期のキリコのようなことをミドリに吹き込むサクラ。心外だと言わんばかりにマスターが反論する。


「なんてこと言うんだ。オレは紳士的な愛妻家で通してるだろ。」


「紳士的な愛妻家が、愛人量産してセクハラし放題な訳あるかー!」


収集がつかなくなってきたこの場から逃げるように空間移動するマスター。サクラの意見は紛れもなく正論だった。



「大変な事になったけど、彼との仕事はちょっと楽しみかな。」


「ミドリ、マスターさんはかなり大変そうよ?」


「私は好きだけど、あの人は文字通り住んでる世界が違うの!

すぐセクハラするし、言ってる事もやってる事も滅茶苦茶だよ?彼だけはやめておいた方が良いわ、私は好きだけど!」


ミドリは思わず本音をつぶやいてしまい、母に心配されサクラには彼だけはやめとけと説得されるのであった。


今日仕事に少しだけ付き添っただけだが、言いようのないドキドキ感を味わったミドリ。


自分達が怯えていた強面達を文字通り一瞬で無力化した彼。思い立ったらすぐ行動し、新たな生活基盤をくれた彼。


父が残した、たった300○の借金からの出会い。

何かの運命の巡り合わせを感じ始めたミドリだった。


サクラがこれだけ心配するということは、ミドリの表情から何かの感情の”芽生え”が「事実として認識」されたのかもしれない。



…………



「お兄ちゃん、あとでお風呂一緒に入ろう!」

「浴場は男女別だろう。」

「家族風呂っていうのがあるんだって!」

「それにしたって、シズクはもう中学だろう?」

「まだギリギリ小学生だよ?背中洗ってあげるからぁ。」


山側のホテルにチェックインしたミズハ一家は部屋で寛いでいた。シズクは兄にべったり甘えていた。以前からお兄ちゃん子ではあったが、今日の迷子騒動でさらに加速してしまった。


「あれ、大丈夫なのか?」

「心配要らないわ。可愛いじゃないですか。」

「しかしだなぁ。あれ本気っぽくないか?」

「今の内だけですよ。親は心配しつつも見守るのが1番です。」


大黒柱のシゲルはハラハラしているが、妻は余裕をもってお茶を淹れている。


「お兄ちゃん、これ美味しいよ。はい、あーん!」

「顔におしつけるなって。もぐもぐ、美味いな。」

「へへー。」


お茶請けの和菓子をシラツグに押し込んで満足そうなシズク。

6歳離れた妹が可愛い仕草をしてるので、思わず頭を撫でてやる。


「なんか子供扱いされてるー。でも頭が温かい感じは好き。」

「実際まだ子供だろう。ほら、ここに来な。もっと撫でてやる。」


ポンポンと膝を叩いてシズクを誘導する。彼女はデレた猫みたいにごろにゃんして兄成分を満喫するのであった。


その空間は家族愛に溢れていた。

もしかしたらシズクには違う感情が芽生え始めたのかもしれないが、それは一時の事だろう。


そうでなければ可愛い娘に疎まれてしまう、世のお父さん達の苦悩なんて存在しないはずだ。



…………



「テンチョーから女子高生の匂いがする。やらしー。」


「するわけ無いだろ、きちんとシオ……使用人に洗ってもらったぞ。後マスターって呼ぶように!」



水星屋の営業を開始し、第一陣の注文を片付けて雑談する余裕が生まれていた。マスターが妖精さんの可愛さを満喫していると、キリコがジャンプして抱きつき首元をくんくんと嗅いで冒頭のセリフを放つ。


「おうマスター、今日もモテるな。」

「今、シオンちゃんに洗ってもらったって言いかけたか?」

「なんですって!マスターがシーズにまで手を!?」

「というかその前に女子高生?とやらに手を出したのか?」

「何か解らないけどイケナイ響きよね。」


「みなさーん、キリコの妄言はお気になさらず!若い子にも手を出してません!ウチは皆様に酒と飯を出す店でーす。」


「苦しい言い訳ね。」

「どういうつもりだ?仕事中はこういうのしないんだろ?」

「だって若い子抱き上げてたじゃない。私も明日デートしてくれたらやめてあげるー。」


「明日は明日でまだ仕事が、こら締めつけるな!」


「みんなー、デートの約束を取り付けたら私から1杯奢りよ!」


「マスター、男なら覚悟決めようぜ。」

「そういうとこで甲斐性ってモンがわかるんだぜ。」

「可愛いキリコちゃんと遊べるなんてありがたく思いなさい!」

「マスター、彼女が要らないならオレが――」

「テメエは黙ってろ。オレが幸せにするんだから。」

「キリコちゃんはみんなのアイドルよ。マスターはどうなの?」


「おまっ、お客さんを煽るとは卑怯なっ!」


「くっくっくー。さぁ、観念してデートしましょう。」


「明日もマジで仕事なんだからダメだって。くるしい……」


「そこまでよ!キリコちゃん、離しなさい!」


「奥さん!?どうして店に!!」


「旦那は本当に明日はダメそうよ。それと宙ぶらりんの貴女の吐息とおっぱいの感触を楽しんでいるわ!」


「くっ、しまった。バラされたか!!」


「テンチョーの変態!お仕事中はいやらしいのはダメでしょ!」


「「人の事言えないだろ(でしょ)!」」



水星屋店員サトウ・キリコ。今年で21歳になる彼女に、ちょっぴり若い子への嫉妬心が芽生えた春の日だった。


お読み頂き、ありがとうございます。

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