55 トキタ その3
(サイトウさんには上書きが効いてないとはね。彼も異界持ちだし考えてみれば当然か。オレももう少し慎重にならないとダメだな。)
2010年1月6日。
ケーイチがアケミと契約を結んだ時、その場にはもう1人の男が居た。全身黒ずくめで黒いローブを纏った現代の魔王である。
ケーイチに仕掛けた精神干渉がはじけたので様子を見に来たのだった。アレはアケミと上手くいくなら解除されるようになっていた。
当然ステルスモードであり、誰にも気付かれてない。今はトモミも離脱しており、意志を気取られる心配もない。
「それでアイツは家族を――」
「国連に報告書が――」
「オカルト雑誌に事実の1部が――」
「アイツはもう死んでて――」
あの日の情報をどんどん報告していくケーイチ。彼は気がついていない。すぐそこに悪魔がいる。報告をすればするほど自分の首を絞めていく。
(何も解ってないな。これは少々オシオキが必要――)
「その辺にしておけ。キョウコもアケミも、今聞いたことは忘れるんだ。」
魔王がそろそろ仕掛けようかと言う時に、サイトウが制止する。アケミはその威圧感の含まれる声色に驚いておろおろしている。
「マスター!?どういうことだ?」
「そうですよ、現代の魔王の手がかりなんですよ?」
止められたケーイチとキョウコが抗議する。
「お主は本当に脳筋だな。前も言ったが死人を追ってはならない。今のを正式な報告にすればどうなる。」
「そりゃもう、ヤツやヤツの家族を国家を上げて捜索し――」
「それで、生き残るのは何人だ?」
「うっ……。そうか、そうだった……」
「何も諦めろとは言わん。追うならこの特殊部隊とサイトでやろう。だがそれ以上は無駄に死人を増やすだけだと知れ。」
「お言葉ですが、情報があるのに行動しないのは如何なものかと。それに目標の家族を追跡するのは、良い手ではないのですか?」
「いや、キョウコさん。マスターの言うとおりだ。アイツはナイトに家族を殺されている。だが原因の1部はオレを含むサイトにもあるんだ。」
「なんですって?」
「あれ以降、アヤツは人質など卑怯な作戦に過敏に反応しよるでな。また今回もアヤツの家族を狙うとなると、それこそ人類の終焉を招くぞ。」
その言葉に真っ青になるキョウコ。彼女に代わってアケミが疑問を口にする。
「その責任というのはどういう事ですか?」
「アイツの家族が人質に取られた事がある。オレ達はアイツをナイトに取られたら終わりだった。だから人質をを無視して……全員殺された。」
バチンッ!!
「好感度マイナス20ポイントです!話はここまでです。報告書は破棄、今後は”私達”でちゃんと対策を練りましょう!」
「「「……わかった(わ)。」」」
素直にうなずく一同。アケミの思わぬ一撃を貰って頬が赤くなるケーイチ。さらに彼に指を突きつけて宣言するアケミ。
「言っておきますけど!私は貴方と生きていく決心はしましたが、ケーイチさんの身勝手で殺されるつもりはありませんからね!」
「……ああ、肝に銘じておくよ。」
身勝手で殺される。トモミの事を思い出したケーイチは深く反省する。
(トキタさん、今回は仲間のおかげで命拾いしたようだね。しかし彼女、トキタさんには勿体ない女だったな。)
『あなたには私が居るじゃない!』
『もちろんだ。パフェの持ち帰りが出来ないか聞いてみるよ。』
『ありがとう、あなた!是非、そうしてくださいね?』
妻へのご機嫌取りが上手くいきそうでホッとする現代の魔王。こっそりと出していた精神干渉の黒モヤをしまう。
しかしこれからアケミのご機嫌取りが大変そうなケーイチ。彼は深く反省し、アケミと相談してから決める事を覚えた。
報告書には魔王の家族の事は書かず、人間を辞めた事だけ書かれていた。
それは執筆者達の自衛の結果ではあるが、結局安全を優先して4人にロックを掛けておいた魔王の細工の効果とも言える。
世の中、安全第一なのだ。
…………
「おい豚野郎、1人で先に行くんじゃないわよ。」
「お前が先行して案内しろって言ったんだろ?」
1月10日、池袋駅からサンシャインに向けて歩く男女が居た。突然の罵倒に周囲の通行人はチラチラとこちらを見ている。
先行する男はTシャツにジャケットを羽織ってGパンを履いた、真冬にしては少々寒そうな格好のソウイチだ。
悪態を付きながらついていく女はややゴシック調の服に厚めのカーディガンを羽織ったミサキだ。
2人とも服装に合わせたバッグを肩から掛け、必需品を忍ばせてある。
「お前な、オレに強く当たるのは判るが場所はわきまえろよ。変な目立ち方してんじゃねーか。」
やや遅れているミサキへ駆け戻って小声で注意する。さすがにミサキも気まずくなって、本音を伝えることにする。
「手、繋ぎなさい。」
スラッとした美しい手をソウイチに向けて差し出すと、目に見えて動揺するソウイチくん15歳。ちなみに今年、誕生日を迎えれば16歳だ。コレはミサキも同様である。
「おまっ、どういうつもりで……」
「あら、判らないの?休日に男女で遊びに来ておいて女に手を繋げと言われているの。この場合、男はどうすればいいのかしら?」
「そんな色気のある話じゃ、アイタッ!!」
「そんな事わかってるわよ。私は田舎育ちで人ゴミが苦手なの!同行者に恥をかかせたくなければさっさと繋ぎなさい。でないと吐くわ。」
「わ、わかったから!すまん。オレが気が回らなかった。」
ガッシリとした手で彼女の手を掴むと2人はゆっくりと歩き出す。周囲は口元に笑みを浮かべながら若いカップルを見守っていた。
こういう場合あまり本音を言ったりしないものだが、ミサキは相手に言うようにしている。彼の察知能力は戦闘関係以外はあまり優れてはいない。それでも意図を伝える為に根気よく2段階で説明するのだから、彼女の面倒見は良いのかもしれない。
いよいよ店舗が入っているビルに辿り着くと該当のフロアに移動する。
「この先のカドの店なんだが……ほれ、着いたぞ。」
「思っていた以上にかわいらしい店ね。へぇ、これはこれは……」
そこには様々なぬいぐるみやそれらの服が並べられたファンシー空間が広がっていた。
店内に入るとミサキは目の色が変わり品物を物色していく。
「いらっしゃいませ、何かお決まりでしたらご案内しますが。」
「店員さん、こいつ今は聞こえてないんで結構です。」
「さようでございますか。あら、あなたはこの前の?」
「あはは、あの時は半日も居座ってすみません。」
去年のクリスマスプレゼントを一緒に造ってくれた店員さんだった。
「いえいえ良いのよ。もしかして彼女にプレゼントしたの?」
「ええ。気に入ってもらえたみたいで、今日は案内するはこびとなりまして。」
「うふふ、それは良かったわ。お客さんの仲も進展したようですし。」
「えっと俺達はその……」
「隠さないで良いわよ。気に入ったものがあったら声を掛けてね。」
そのまま離れていく店員さん。彼女は初々しいお客さん達が、あーでもないこーでもないと試行錯誤するのを見守り続けていた。
ぬいぐるみが完成し、遅めのお昼を摂った後。午後は水族館を見て回った。
少々高いだけ有って幻想的な空間を作り出している。日曜だけあって家族連れや恋人たちが多い。
もちろんソウイチ達も周りからはそう見えているし、光の水槽の間を歩くミサキにソウイチが見惚れたのも事実だった。
「山の中というのも幻想的ではあるけれど、人工でここまで作れるのは都会も中々やるわね。」
「そのセリフには同意するが、お前心の中でエイムしてるだろ。」
「職業柄仕方のないことだわ。ソウイチならあれはどう倒す?」
「初手は光だろうな。その後一斉射で……って言わせんな。」
「随分染まってるわね。ソウイチも私も。」
「それで、急に水族館に来た理由は?」
いくらデート臭がするとはいえ、理由なくそうするミサキではないとソウイチは思っている。察しが悪い彼ではあるが、不自然さに気付くくらいはできるのだ。
例えば監視されていない今でしか出来ない話をするとか。
「あなたに共犯のお誘いを掛けようかと思ってね。」
「聞かなきゃ良かった。」
「まだ言っていわ。でもそうね、表舞台で目立つ夢でもあるなら聞かないほうが良いでしょうね。」
「そんなハッキリしたものは無いな。強く生きるっていう漠然としたものだけだ。」
「なら遠慮なく逃さないわよ。」
「その気はない癖によく言うぜ。」
「今すぐの話ではないのだけれど、特殊部隊を抜けようと思うの。」
「おう、ぶっこんできたな。どうしてだ?」
「このままでは使い潰されて死ぬわ。」
「それはまぁ、判る。だが魔王さえ倒せば……」
「”高評価の”教官でさえアレだったのに?私はごめんよ。」
これには2つの意味があった。
1つは魔王に太刀打ち出来なかった事。もう1つは彼の苦しい日常だ。
「教官は1人だったんだろ?オレ達全員なら。」
「ええそうね。多分”勝てる”わ。だからこそ、チカラを見せたくないのよ。」
ソウイチは前者で取った。だから後者の事も補足で入れておく。
「あー、強すぎるチカラを持つと苦労するってことか。」
「ソウイチにしては察しが良いわね。」
「死んだ親父がちょっとな。」
ソウイチの父はボクサーで現代の魔王に殺されている。理由は解らない。
「その話は後で聞かせて。で、私と双子はチカラを隠している。」
「オレもそれに加われと?言っておくが隠すほどオレは強くないぞ。」
「知ってるわ。だから隠さなくても良い。でも協力してほしいの。」
ソウイチのチカラは物理的には強力だ。だが歴史あるナカジョウの秘術や双子のある種、次元を超えるチカラに比べれば常識的である。
それにソウイチの競争心からして、ユウヤと切磋琢磨してこそ成長が見込めるのだ。隠すのは難しいだろう。
しかし同じチームである以上、彼のサポートがあるなら心強い。
「相棒の頼みなら聞くさ。でもお前ら、本当にそんな強いのか?」
「本気を出せば教官にも1人で勝てるわ。アイカとエイカもね。」
その言葉にソウイチは戦慄する。それは現代の魔王に通づる強さだ。彼女は隠し事はするが嘘はつかない。ならばそういう事なのだろう。
つまり彼女達の本当のチカラがバレた場合は、教官以上に苦労させられるという事だ。そんな日々は確かにごめんだろう。
その後も水族館を彷徨いて楽しみつつ、今後の予定を話し合う2人。
ついでだからと山手線で秋葉原にまで足を伸ばしていろんな店を見て回る。帰りはだいぶ遅くなったが楽しい時間を過ごせた。
「今日は思ったより楽しかったわ、合格よ。」
「へいへい、そいつは良かったよ。」
「だから”また”、面白い所を案内しなさい。」
「お、おう。”また”な」
ミサキは男のように手早く次回の約束を取り付け、ソウイチの参考にさせるのであった。
…………
「新しく補充された医務員はいまいち好きになれないなぁ。」
「アケミさんのキャラが強すぎるのよ。」
「それも有るかもしれないけど、事務的というか目が笑ってない。」
「完全に釣られた魚を見る目をしてるよね。」
1月16日の夜。今日もヨクミの部屋にユウヤチームは集まっていた。年明が開けて散々飲み食いした後の訓練は、子供達にはキツイ物だった。
アケミ不在時の職員は軒並み事務的であり、アケミのように
笑顔を振りまくような人達ではなかった。
ユウヤ達は彼女がいかに癒やしになっていたか思い知らされていた。サワダが来た場合は色々話もするが、彼は彼で得体のしれない所がある。
「そうそう、ミサキから内々で話があるから今度予定開けとけって。」
「うぇ、アイツから話ってだけで身構えちまうぜ。」
「ソウイチ以外には優しいけど、僕らはよく彼を見てるからね。」
メグミから伝えられると露骨に心で身構えるユウヤとモリト。そこにヨクミから変化球が放られる。
「フユミちゃんから聞いたけど、あの2人デートしたみたいね。ソウイチはセンノーが完了しちゃったのかしら。」
風精霊のウワサは巡りが早いだけでなくアンテナ高度も高い。この施設で彼女から逃れられるコイバナは無い。
「あの2人がねぇ。ある意味お似合いではあるけれど。」
「どちらかと言うと戦友・相棒って感じだよね。」
「ミ、ミサキも可愛い所あるのよ?最近はぬいぐるみも持ってるし。」
「服がゴシック調だから似合うかもね。大抵制服だけどさ。」
「ていうかアンタ達、休日前なのにココに来てていいの?」
「この集まりは生活の一部になってるからな。」
「きちんと2人きりの時間はとるもの。」
「お熱いね。教官達もそうだけど、みんなパートナーを見つけてる。」
「教官なぁ。アケミさん大勝利、でいいんだよな?」
「そうね。幸せそうで良かったわ。医学はもう教えてもらえなくなっちゃったけど。あの笑顔をみたら邪魔できないし。」
「でもアケミさんの技はもうほとんど使えるんでしょ?」
「うん。精度は甘いけど大抵はね。」
「この先犯人の胃袋を治療する日々が始まるのね。」
「さすがにあの在庫処理は真似できないわ。」
「オレもあれを真似されるのは困る。」
彼氏として失敗料理を投げつける彼女というのはイヤだろう。
「でもメグミも凄いよね。どんどん出来ることが増えていって。」
「モリトは羨ましがる前に魔法の1つも使えるようになってほしいわ。」
「やっぱり難しいのか?」
「面目ない。実技だけが何故か上手く行かないんだよなぁ。」
「理由を見つけるためにもこれからお風呂場で訓練よ。ユウヤ、メグミ。悪いけど2人は勝手にイチャイチャしてなさい。」
「え、ちょっとこんな時に!?」
そのまま隣の風呂場へ引きずられるモリト。
「あの2人もあれで付き合ってないってんだからおかしな話だ。」
「異種族交際って難しいのかもね。」
「アレはそんな崇高なもんじゃなさそうだけどな。」
2人は邪魔しないように部屋を出て、別の場所でいちゃつき始めるのであった。
…………
「うぇへへー。」
「もうずっと一緒なんだから、気持ち悪い笑い方しなくても。」
「失礼しちゃうわね!私はケーイチさんと過ごせて嬉しいの!」
1月30日。ケーイチはアケミに腕を取られてかっぱ橋を散策する。アケミは様々な道具を見て将来を妄想して楽しんでいる。
今日は土曜日であり政府公認のデート日である。
あの後ミキモト教授やサイトウ、キョウコも交えて会議が開かれた。今後の対策が主であったが、ケーイチとアケミの待遇改善の話もあった。
通常業務はアケミが週に2回、研究所に顔を出す以外は大した変更はない。せいぜい増員されて残業が少し減ったくらいだ。
しかし両者ともに土曜は精神・心理の安定調整の為にデートをするように”命令”されてケーイチは戸惑いアケミは歓喜した。
「これが業務?可愛い女と遊んで金が貰えるなら苦労は……あるか。」
「もう!私が面倒みたいな言い方ですね。素直に悦んで良いんですよー。」
「だけどな、この状態で一歩進む度にオレの良心が痛むんだよ。」
腕にあたる柔らかい感触と鼻をくすぐる香りに、ケーイチは苦悩していた。
「ケーイチさん!元奥さんはここには居ませんし見てもいません。だから代わりに私をしっかり見て下さい。」
「言うのは簡単だが……いや、そうだな。アケミの事をもっと知るべきだ。」
「そうですとも!存分に見てくださいね。そうでないと魔王に勝てません。」
所々無茶な理論で攻めてくるアケミだが、その自信の溢れる笑顔には引き込まれつつあるケーイチ。
あの日からまだ1ヶ月なのにこの状況、トモミには見せられないなと心の中でため息をつきつつ一緒に歩いていく。
それでもアイツ、現代の魔王を追う為には仕方のないことだった。
…………
「ここがケーイチさんの部屋!初めて来たのにそんな気がしないのはきっとこれが運命だからですね!」
夕飯も外で終えてケーイチのマンションの部屋にお呼ばれするアケミ。
今日一日でケーイチが積極的になったワケではなく、上から近々同棲を強要されているのでお宅拝見と相成ったのだ。
運命を感じて万感の思いで部屋を見て回るアケミはケーイチから見ても可愛く見える。しかしツッコミを1つ入れねばならなかった。
「初めてじゃないんだけどな。トモミの看病で来てるぞ。」
「全然覚えてないんですよねー。あ、そうだ!触っちゃいけない物とかあったら言ってくださいね。奥さんとの思い出の品ですとか。」
「そんなものはねぇな。あの日を境に全部消えちまったよ。」
「す、すみません!そんなに魔王のチカラは強力なんですね……」
「アケミが謝る事じゃないさ。アイツが好き勝手やらかしただけだ。」
コーヒーを出しながらリビングの椅子に座る。
「きょ、今日はどうでしたか。私、グイグイ行き過ぎてませんか。」
「どっちにしろオレの心の整理が付くのはもっと先だろう。アケミはそのままで居てくれたほうがこっちも助かる。」
「それなら良かったです。でもトモミさんの事、無理に忘れなくても良いですよ。私は私で見て頂ければ……」
「フォルダ分けってことか?確かに男はそういう傾向も有るようだが。」
「そういう思い出もあってこそ、今のケーイチさんの魅力だと思うのです。」
「その言い方はグッと来るな。せいぜい、嫌われないように務めるよ。」
「それで今日は泊まっていって良いんですか!?」
「……それはいいけど、夜の不法侵入はなしだぜ。」
「そそそそそこまで爛れてませんよぉ。」
怪しいものである。その動揺ぶりに思わず笑うケーイチ。
「それより、アケミのチカラは何だったんだ?」
「研究所でチェックしましたが、まだ結果待ちです。自分の中では生命力の活性化、元気にする能力だと思ってますが。」
「アケミらしいな。」
「あー!馬鹿にしてます?」
「そうじゃない、似合ってるさ。オレのよりよっぽど生産的だ。オレは今まで壊す事しかしてこなかったからな。」
「分解も良いじゃないですか、格好いいですよ?お皿洗いで頑固な油汚れと対決したり、ヒゲ剃りが楽そうですし!」
「その発想は無かったな。でもヒゲ剃りってお前……くくく。」
「あら、これは予想外。そんなにウケました?」
思わず素で笑ってしまうケーイチに不思議そうなアケミ。
ケーイチは解体屋だった。そして戦士となり死神と呼ばれた。壊し、砕き、分解する。仕事ではそれだけの存在だった。
かと言ってプライベートで料理が上手いわけではない。たいした趣味もなければそれを見つけることも出来ない。
解り会える女と結婚はしたが子供もつくれなかった。しまいには結婚した事実も無くなった。
自分は生み出す者ではなく完全にキリングマシーンだった。
だが目の前の女は違う。チカラで活力を生み出すだけでは終わらない。その笑顔で、周囲に……自分にも笑顔を分けてくれる。
その事に気がついたケーイチは、少し気持ちが傾くのを自覚した。
…………
「よう兄弟、いよいよ今夜だが月に兎は現れたか?」
「焦るなよ、まだ慌てる時間じゃあない。だがきっと現れるはずさ。」
1月31日の夜。日本のとある天文台で月面を覗く男が居た。
彼は昨年のこの日、月面をくるくると飛び跳ねるウサギを見た。
いやウサギと断定できるほどの確認は取れていないが2体の何かを見た。いくら天文台の望遠鏡が優れているとは言え普通は見えないものだ。
しかし彼は「望遠観測」のチカラ持ちであり、視界の1部でズーム映像を出すことで動く何かを観測したのであった。
その後も食い入るように月面の神秘を追い求めたのだがこの1年、何も成果はなかった。
「だけど今夜、同じ日になら現れるはずだ。何故なら知的生命体は男女の記念日を大切にするからだ!」
「言ってる意味がわからんが俺達は面白いから許す!存分に撮影してくれ。ただし、何かあったら一枚噛ませてくれよ。」
「撮影は難しいが……何だあれは!?」
彼の目には昨年と同じく2体の生命体を捉えていた。
しばらく寄り添ってあれは……まるでワインでも飲んでいるかのようだ。
「きょ、兄弟!ウサギがキスをしている!これは凄いぞ!」
「エイリアンの秘め事を覗くなんてとんだ変態だな、おい。」
そろそろ本気で病院を紹介しようか考え出すブラザー。無理もない。
「なんとでも言いやがれ。な、なんだと!?ウサギが増えた!しかも餅つきを始めやがったぞ!くそっ、録画できないのがこのチカラの欠点だ……」
悔しがりながらも興奮して観測する男。
後日、彼の報告は上司に一蹴されるが破棄はされなかった。ひっそりと、より専門的な部署に回されて秘密裏に研究される。
表向き相手にされなかった彼はSNSで月の兎はベリーキュートと書き込みをして物議を醸すことになるが9割は信じて貰えなかった。
そして2年後、月面探査チームが組まれ極秘プロジェクトとしてラビットエイリアンの探索が行われた。
そのチームの中には最初に観測した彼の姿もあった。
…………
「やっと仕事が落ち着いたし、みんなで餅つき大会をしよう。」
「月でコスプレしてやったら面白いんじゃないかしら!」
2010年1月31日から2月1日にかけての深夜。
魔王邸のメンバーはこの日、月面で餅つき大会が行われた。
孤児院のスタッフや子供も参加しており、子供達は圧倒されているがこちらはスタッフの方が大はしゃぎである。
「あれがまお……オーナーの奥さん!?めっちゃ美人なんだけど!」
「ちょっと、やめてよね。デブリにされちゃうわよ。」
「子供の頃、宇宙飛行士になって兎と餅を食うのが夢だったんだ。」
「良かったじゃん。夢がかなって。兎は私達だったけどさ。」
「しかも宇宙服もいらないときた。どういう原理なんだ?」
「トウカ会長の申し出を受けてよかったわ。すごい景色!」
「みなさん、難しい事はいいからおモチを食べましょう。」
「「「はーい!」」」
味付け用に醤油やポン酢、海苔にきなこや大根おろしなども用意していて孤児院組にも大好評だった。
「もぐもぐ、今年の結婚記念日はとってもファンタジーね!」
「パパー!かわいいウサギさんいっぱい!」
「セツナも可愛いぞ。世界一のウサギっ娘だ!」
マスターは妻のバニーコスや娘のウサミミ姿に喜びをあらわにしている。今夜はこの衣装で――などと妻にテレパシーを送っている。
「マスター!世界一とはこういうものよ!」
「世界一のウサギ娘の座はユズらないわ!」
皆ボルテージは高まっていたが特にキリコとユズリンが張り切っており、月面宙返りをしながらモチをついていた。
マスターの黒モヤ索敵能力は集中しても1km程なので、地球上から観測されているとは思いも寄らない。
射程に関してはイロミシステムや空間を捻じ曲げる技を使えば、限定的には何処までも伸びるが普段はそんなものである。
相変わらず人騒がせな大騒ぎが大好きなマスターであった。
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