05 キリコ その2
「まずい、寝坊した……」
大事な任務の日に仲間との合流時間に目覚めるという失態に、何から手を付けるべきか混乱する頭で考える。
「こういう時こそ冷静にならなくちゃ。」
毎朝の朝礼での、ボスの言葉を思い出す。 常に冷静であれ、だ。
「仕事はホウレンソウが大事。ちょー大事。 今すぐ○イゼ行ってソテーを、違う。ボスに謝りに行こう。」
廊下で誰かに会うと気まずいので、窓から外の壁を伝ってボスの執務室に向かうことにする。
キリコの部屋は3階にあるが、彼女にしてみれば何も問題はない。フル装備なので速度は遅いが、それでも物音一つ立てずに移動できるのだ。
ボスの部屋の窓までたどり着いた時、室内でボスが誰かと話をしているのが聞こえてきた。
「それで、あいつの部屋はどうだった?」
「ボス、部屋はもぬけの殻だ。寝具に体温どころか使った痕跡も残ってねぇ。窓は鍵が空いてて、昨日渡した装備も持ち出されている。これは決まりじゃないか?」
なんだか嫌な予感がする。
自分が隠し部屋で寝坊しフル装備で壁の外を移動した事が、とんでもなく裏目に出たのではないか?
という確信めいた予感があった。
「合流地点に現れないと連絡が来て、携帯にも繋がらない。部屋は夜逃げの状況証拠満載か。あまり考えたくねぇな。」
(携帯の電源、切ったままだった。)
慌てて端末を取出すと、電源をONにする。隠し部屋で鳴ると
位置がバレるので、あそこを使う時は電源を切っているのだ。
起きた時に携帯でボスに連絡すればよかったんじゃと思うが、あの時彼女は混乱していたのだ。
「最後にもう一度掛けてみますね。」
次の瞬間キリコの携帯端末から、ロシア製のアサルトライフルの発砲音が鳴り響く。
お手軽に緊張感を得る為にこの音を設定したのだが、この場面で適切だったか?と街頭アンケートを行った場合、100人に聞いたら8割程度はNOと答えるだろう。
残り2割は、漫才とかが好きな層だと思う。
「そこかーーーッ!!」
報告を行っていた部下の方が、腕に仕込んである暗器を取り出して投合する。
殺気を感じて慌てて地上に降りていくキリコ。
降りながら上を確認すると、先程まで自分の頭が有った場所に五寸釘のようなものが突き出ていた。
それを見たキリコはスイッチが入り、スモークグレネードを取り出すと執務室に向かって投げ入れる。
今度は結果を確認すること無く、拠点の建物から走り去る。
もうここには用は無い。
「ちっ 外したか。 ボス、伏せて!!」
窓から飛び込んできた何かからボスを庇い、すぐに煙に巻かれて無力化される報告者さん。
「くそっ! キリコの奴め、任務に自信がないからってボスをトりに来やがった。」
その言葉を聞いたボスは昨日の会話を思い出す。
ボスの怠慢。飛び降り自殺。こんな組織潰れてしまえ。
あの悪態の数々は本気で言ってたのか……。
込み上げてくる気持ち。
寂しさを押し殺しながら駆けつけた部下達に告げる。
「キリコが裏切った! 探し出して殺せ!!」
裏切り者には死を。それがこの組織の掟だ。
こうして運命の悪戯としか思えない、悪く言えば推敲されてないコントのような理由でキリコは追われる身となった。
…………
キリコはトラックの荷台に揺れていた。
拠点は工業団地の直ぐ側なので、物資の輸送に来たトラックに忍び込んだのだ。
公共の移動手段は既に網が張られているだろうし、タクシーなども足がつきやすい。なのでこれがベターな方法だと自分の心に言い聞かせる。
「なんでこうなった……。」
理由はもちろん解っているが、不自然で理不尽な経緯であったために受け入れられないのだ。
車内は真っ暗なので極小のライトで荷台を見渡す。
携帯はもう危ないので使えない。
ふと、右肩に赤い糸がくっついてるのが見えて左手で払う。
静電気でも発生してるのか、すぐにまた腕にくっつく。
面倒になったキリコは糸くずを無視することに決め、極小のライトを片手に商品を物色しはじめる。
食べ物だったら失敬しよう、などとは思っていない。
不自然な痕跡を残すわけには行かないからだ。
「埼玉 東京 神奈川、か。目的地方面ではないかぁ。
埼玉で降りて乗り換えるしかないか。」
確認していたのは届け先だった。
もし目的地に近いところまで行ければ好都合だったのだが、そう上手くは行かない。
この場合の目的地とは、任務地の空間のねじれである。
土地勘はないが仕事用の地図を持たされているし、まさか任務の地へは逃げないだろうという盲点をつく算段だ。
あまり考えないようにしていたが、無意識では気づいていた。
本当は行き場所なんて無かったのだ。
読み書きこそ先輩たちから学んだが、表社会で未成年の女が身ひとつで生き抜く方法は少ない。
そして裏社会の組織からすら追われるのであれば、それはもう未知の領域へ足を踏み入れるしか無いのだ。
押し寄せる不安の波を 心のサーフボードで受け流しつつ、乗り換え時間が来るまでおとなしくしているキリコだった。
…………
「どうやら待ち人がこっちに向かっているらしい。」
その言葉に他の3人が蕎麦を食べていた手を止めて注目する。
現在 夜7時。キリコの粛清指令は組織中に行き渡っている。
「やっと? 重役出勤どころじゃないな。」
「もしもの事を考えて、こっちで待機してよかったな。」
「それじゃ、早い所ねじれに行って歓迎の準備をしようぜ。」
全員驚きの吸引力で残りの蕎麦をペロリと頂くと席を立つ。
結局キリコの行き先は、シュガーの組織力によってバレてしまっていたようだ。
…………
「あらあら、結構いい出来じゃない?」
「社長、そろそろここに来た目的を教えてくれませんか。」
ハーン総合業務の女社長とアルバイト君が並んで歩いていた。
場所は浅間山の東側、空間のねじれを通った先にある土地だ。
元の森と同程度の密度の森が広がっていて、その中央を舗装されていない農道のような道が続いている。
そこを進むと開けた場所があり、意味ありげに鎮座する建物とその外壁が見えてくる。
もう夜なので辺りは真っ暗だが、この二人には空は暗くとも昼間同様に周囲が見えていた。
「もう、せっかちなのは嫌われるわよ。」
クスクスと笑いながらその場でくるりと回転し、ワンピースと綺麗な金髪をなびかせる。
その姿と表情は幼い少女のようで妙齢のようでもあり、大人の女性のようであり年齢を特定させない妖しさがあった。
「一応、身重なんですからあんまりはしゃがないで下さい。心臓に悪いです。」
「まったく、魔王と言われる男が。神経細いわね。」
「それ本当に勘弁して下さい。ていうか最近の社長変ですよ。 変じゃなかった事が有った試しもないですが。」
「あら、貴方も随分失礼よ。」
「怪しい男の夢枕に立つから演出を手伝えとか、意味深な空間を作るからって設計図渡して後はよろしくとか。」
この空間、作ったのはアルバイト君なのである。
渡された設計図を元に現実から空間のコピペを繰り返して設置。
1キロに渡る道は途中に罠が幾つも仕掛けられており、無限ループにすることもできる。
それを超えた先の建物は、実はただのハリボテ、ダミーである。そして挙動の怪しい男の夢枕に立ってこの場所を教えたのだ。
「チカラの使い方の勉強になったんだし、良かったじゃない。」
「それはそうですけどね。自宅にも応用できますし。」
「なら良しってことで! あ、今度温泉作ってよ、露天風呂。美容にいいやつね。ほら、そんな顔しないの! 私の計算だともう少しだから、もうちょっと付き合いなさい。」
アルバイト君は微妙な顔をしていた。
一般人からしたら現代の魔王は非常識人ではあるが、社長はさらに意味がわからない。
意味不明な行動や指示を出し、気がついたら何か起きて気がついたら解決している。
最近は途方も無い計算の上での言動だと薄々気がついているが、それに付き合っている最中は意味がわからないのだ。
諦めて空を見上げると 何かが空を舞っているのが見えた。
よく見るとこちらに傷だらけの女の子が落ちてきていた。
「お、親方! 空から――「誰が親方よ!」
ペシン!と後頭部を叩かれ、見た目以上の威力のそれはアルバイト君を地べたに突っ伏させる。
「ぐべぇっ!?」
その背中に先程の女の子が突っ込んできた。
「社長、ツッコミきついです。 後、飛行少女ちゃん、 映画と違って重いんだね。」
主に加速度的な意味でっと呟きながら、口から血を吐くアルバイト君だった。
…………
「ようやく主役のご登場だな。」
軽井沢の端にある茶屋から西に、浅間山の道なき道を進んだ先。
キリコの目に空間のねじれが見え、あと数メートルという所まで歩いたところで声をかけられる。
振り向けば臨戦態勢の4人に囲まれていた。
自分をサポートする予定だった連中だった。
「ふっ……お勤めご苦労様。」
その言葉が終わると同時に4人が行動を開始する。
ワイヤーをつかって動きを制限しようとする者、サイレンサー付きの銃で狙い撃ちする者。
(これくらいならなんとでも!)
バックステップでジグザグに避けると、もう二人が毒ガスの入ったボトルを投げてくる。
(空間制圧はムリ!こうなれば賭けね!)
これは簡単には躱せないので躊躇すること無く空間のねじれに身を投げる。
若干の浮遊感の後、先程と似たような森に立っていた。
違うのは誘導するように舗装されていない道があるという所か。
「……あの4人は追ってこない?」
今のうち、とばかりに道を走る。
この先の事はわからないが、距離を取るのは悪くないだろう。
1kmほど進んだ時に、自分の前にさっきの4人組が現れ驚愕する。
「あれー?キリコちゃん逃げなかったの?」
「俺らを待っててくれるなんて嬉しいねぇ。」
ちょっと悩んだ末に遅れて入ってきたであろう4人組に囲まれる。よく見ると景色が1キロ前と同じだ。
「無限ループって怖くね?」
その一言で現実逃避を済ませると、キリコは短剣を構えて戦闘を開始した。
…………
「なるほど……それでボコボコにされた上に、強力な吹き飛ばしのチカラで空を飛んできたと。」
アルバイト君が気絶している女、キリコの頭に黒いモヤが付いた手を置きながら納得する。記憶を読み取ったのだ。
先程は彼の背骨と内臓がイってしまっていたが、身体の時間を戻して治療している。
「ループ結界の高さ設定、再考する必要がありそうね。」
そんな呑気な事を社長が言いながら視線を送ると、件の4人組が大ジャンプして結界を越えてきた。
「配管工に転職したほうが良いんじゃない?亀から桃を奪うのとか似合いそうだよ。」
とっさにアルバイト君が、浦島太郎が激怒しそうなセリフを投げかける。
「あんたが現代の魔王か。思ったよりフツーなんだな。」
「それでそこの金髪さんは誰なんだい?」
本人は渾身の皮肉のつもりだったが、あっさりスルーされて面白くない顔の現代の魔王。
「ねぇ社長、どうする?」
「いつもなら殲滅して終わりだけど、ちょっとやらなきゃいけないことがあるの。一人でいいから捕まえなさい。」
「了解ですっと。」
その言葉が終わる前に、自分と社長とキリコを包むように球体のバリアを展開。
それと同時に4人それぞれの武器がバリアに受け止められる。
ガインッ! パシュン! キィン! ズドン!
そのバリアは向こう側が見えるくらい透明感があるが、
4人がどんな攻撃をしても破れない強固さが有った。
自分達を囲んでいる4人の外側に、さらに大きい球体のバリアを生成するアルバイト君。
これで追跡者の4人は1枚目と2枚目のバリアの間に閉じ込められる形になった。もう押すも引くも出来ない。
「な、なんだこれは!」
驚き慌てふためく4人にバリアから発生した、白い霧のようなものが吹き付けられていく。
現代の魔王の精神力を極小の粒状に固め、それを霧の様に噴出しているのだ。
4人が完全に霧に囲まれると 彼らの身体がどんどん加齢していく。外側だけでなく肺なども弱体化し、4人は倒れて動かなくなる。
「そこまででいいわ。 術を止めて。」
「某マンガの技を再現してみたけど、結構使えるな!」
【悲報】 現代の魔王はオタクであった。
「貴方、前に言っていた技、出来てる?」
「イロミシステムですか? まだ試行錯誤段階です。単発の機能でなら使えますけど、加減ができないし、いろいろなオプションを付けるとどうも複雑で……」
「それでいいわ。 丁度いいからあの連中を実験台にしましょう。私も術式の展開は手伝うから。」
「うわー社長、えっぐいですね。」
そのシステムを考えた貴方には負けるわ。と言いながら目で催促してくる社長。
「ではシステム起動!」
両手を突き出し、対象者を白い光と黒いモヤが包み込む。
その周りを補強するように社長の術式が浮かび上がる。
相手の心を時間でサーチ……つまり歴史をたどり、関係の深い者を検索する。
「効果範囲はどうします?」
「同じ組織の人間でいいわ。」
更に条件検索して対象を絞る。その対象に霊的な糸を付け、更に検索をかける。これを高速で繰り返して、組織内の全てのメンバーに霊的な糸を括り付ける。
そこにキリコは入っていない。あとは効果内容だけだ。
「消滅でいいわ。確実にね。」
次の質問が解っていたのだろう。社長から指示が飛ぶ。
確実に……と念を押すということは、ただ肉体が消えるだけでは駄目だということだ。
「一族郎党皆殺システム、発動!」
強い光がその空間を満たした時、術を受けた本人もそれ以外の3人も消えていた。
荒事請負組織シュガーはこの瞬間、魂まで消滅した。
「うへぇ。やっぱこれ、エグすぎですね。」
「成功ね。 でもしばらく使わないほうが良いわ。具体的には10年くらい必要かしらね。でないとまた閻魔様に目をつけられちゃうわ。」
「それは困るなぁ。ただでさえ閻魔様には武器を没収されて丸腰だってのに。どっちにしろ今のオレじゃ、このシステムは使いこなせませんけどね。」
社長が10年と言ったのだから、まともに使えるまではそれくらいかかるのだろう。
不完全なものを使おうものなら、世界の何らかのルールに抵触して自分が痛い目を見るはずだ。
そう考えながらキリコを見る。
彼女が無事ということは条件設定もうまく行ったのだろう。
「この子はオレが預かっても?」
「えぇ 今回の報酬の半分はそれよ。存分に活用なさい。もう半分は現金を後で届けるわ。」
許可を得たのでキリコを左肩に担ぎ上げる。
「んで 今回やりたかったことっていうのは?」
「さっきのシュガーって組織、私達のことを嗅ぎ回ってて邪魔だったのよね。」
「……なるほど。」
商売敵との付き合いは難しいもんなぁと適当に納得して右手を突き出して空間に穴をあける。
納得できる所で納得しておくのが長生きのコツだ。今更だけど。
「今日はこれで終わりだけど、この場所は残しておいてね。私の計算だと、また後で使うから。 お疲れ様。」
「わかりました、お疲れ様です。」
挨拶してお互いに目の前に開けた空間の穴に飛び込み帰宅する。その時にはもう、マスターの心は決まっていた。
まずはこの子を治療しよう。 立派な店員にするために!
お読み頂きありがとうございます。