29 ネット その3
「ふむ、確かに空間を弄った形跡はあるが。」
「ここに何らかの意志が有ったのは確かですが。」
2008年7月6日某所のアパートの一室。
サイトのマスターであるサイトウ・ヨシオと部下のトモミが、大規模通信障害の原因の調査をしていた。
普通は回線業者がやることである。
部屋の借り主はすでに引き払っており、被害規模からテロに関係しているのではとサイトにお鉢が回ってきた。
「「どちらも隠蔽されている。」」
サイトウは「空間構築」、トモミは「精神干渉」と言うチカラでそれぞれ調査していたが、どうやら芳しくないようだ。
家で言うならリフォーム済みの物件のように、証拠が消された後だった。隠蔽した形跡はあっても、現状ではそこから追うのは難しい。
「借り主からは追えないかしら?」
「無理だな。これに関するすべての情報が消えている。」
大家の記憶や記録も既に隠蔽されていた。
「手がかりが無いということは、○○ちゃんね!」
証拠がないのが証拠と言わんばかりに○○ちゃんこと現代の魔王の仕業と断定する。
彼は名前を世界から消したので上手く発音できなくなっている。
「そうかもな。だが何で通信障害なんぞ起こしたか……」
「回線業者の話だと、ありえないデータ量が周囲からここへ送られたのよね。その中に何か必要なものが有ったんじゃない?」
「ネット回線の知識と娯楽関連のデータだったらしいが。」
「今回の件は○○ちゃんにとって不測の事態だったとか?マスターは何か心当たりない?」
「ふむ。次元を跨いでインターネットを使おうとして、ドでかい通信エラーが起きたとかなら有り得るな。」
サイトウは現在の拠点である喫茶店を作る時に、通信関係で苦労した記憶を掘り起こす。
「今回は珍しく○○ちゃんがミスしてくれた訳ね。ならもうちょっと頑張って調べてみますか。」
そして1時間後。遂に結論が出る。
「無理だーー!」
「あやつめ、事後処理だけは上手くなりおって……」
そこには床に手を付き項垂れた2人の姿があった。
実は現代の魔王は割とミスが多い。それを無理矢理、成功に導いているのでミスには見えてないだけである。
つまりミスの隠蔽はとても上手かったのだ。
…………
「今日の調子はどうだい?」
「まあまあね。殆ど人間と変わらず構成できているわ。」
「喉を改良して、よりきれいな声になれたわ。」
「食事もできるなんて素晴らしいわ。」
7月6日、魔王邸の高級ホテルの一室で、マスターは電脳幻想メイド達のチェックをしていた。
彼女達はこの2日で驚く程進歩を遂げていた。
まず、人間で言うところの血管を作って全身に巡らせている。
コアである光の玉から必要な情報を流して、身体の維持や操作を直感的に出来るようになった。
頭には記憶領域を設け、目や耳など各種センサーの情報がダイレクトに伝わるようになっている。
遺伝子情報を手に入れたため人工肌の生成を可能にし、
発汗や体温の上昇などは再現できている。
内臓は全て作ったが、生殖機能は付いていない。
また、内蔵を作れたことで食事で有機的な情報を取入れて活動できるようになった。
おトイレについては乙女的機密とされ公開はできない。電脳幻想種とはいえ恥じらいは有るらしい。
恥じらいを組み込んだ人類の皆さんにGJと言いたいところだ。とはいえ今は3人とも、割と平気で全裸だ。
「こんな所かな。全員異常なしだ。」
「マスターって普通は遠慮しそうな所も容赦なくチェックするよね。」
「初日にえっち・すけべと登録されてますし。」
「そーいうのはポイしちゃいますよ、ポイ。」
「君等のためだよ? 遠慮がちにじっくり見るよりササッと終わらせた方が恥ずかしくないと思うんだ。」
口々に勝手なことを言い始める3人に一応言い訳する。
「解ってるけど、もう少し情緒が欲しいです。」
「乱暴じゃなければ別にいい。」
「マスター、君とか君らじゃなくて名前で読んで。」
3人目だけ露骨に話題を避けつつも自己アピールしている。
キリコの遺伝子を取り込んだだけあって、言動が似ているのかもしれない。
彼女達は顕現してから、住民一同に名前をつけられた。
各々が好きに候補を出した為、纏まるのに時間がかかったが
3人とも納得して今の名前になった。
なので主人から名前で呼ばれないのは、メイド的に嬉しくないのだろう。
「わかったよ。お疲れ様、シオン。」
「はーい。」
1人目のシオンに服を着せながらベッドから起こす。
着せているというより、読み込ませていると言ったほうが正しいが。彼女は甘い声と明るい笑顔が特徴だ。かわいい。
「次はリーアだ。お疲れ様。」
「ん。ありがと。」
2人目のリーアは1番従順である。○○○の遺伝子を取り入れたからか。感情の起伏は1番判り難いがミステリアス美人だ。
「最後、紫炎のユズリン・ヴォーパル・ムーンバニー・シュガーナイト。お疲れ様だ。」
「ちょっと!フルネームで呼ばないでよぉ。可愛らしくユズちゃんって呼ぶって決めたじゃない!」
「だって決めた時、キリコと盛り上がってたじゃないか。」
「あれはその場のノリというか……とにかく!マスターはユズちゃんって呼んで!」
「はいはい、ユズちゃんもお疲れ様です。」
「ふっふー。それで良いのです。」
3人目のユズは1番自我や自己顕示欲が強く、活動的である。
シモネタは苦手であり、からかうと可愛いのはキリコ譲りか。
「なんかメイドっぽくないよね。みんな。」
「えー、仕方ないよぉ。」
「マスターがアキバ仕様を認めてくれませんでしたので。」
「アレは恥ずかしくて私は嫌だったけど。」
「使用人が良いんであって、アキバメイドが好きなわけではないからな。」
この男、使用人フェチであった。なお、好みには個人差があります。
「それで、昨日は通常業務の案内をされたんだろう?やっていけそうか?」
「らくしょーですよ。お子さん可愛いし、奥様も素敵です。」
「そうだろう、そうだろう。」
妻と子供を褒められて気分が良くなるマスター。ちょろい。
「炊事洗濯一切なくていいの? この家。」
「オレは料理人の端くれだし、時間も操れるからな。」
「正直手持ち無沙汰なのよ。3人でやることじゃないし。センパイその1みたいな高度なオシゴトってないの?」
メイドさんその1はこの3人に年俸1億コースの仕事を見せていない。
それでもテキパキと何かをこなす姿は、後輩達からは格好良く見えたのだろう。実際マスターから見ても素晴らしいと思っている。
「ぶっちゃけ本命はそっちなんだ。最初に楽な所から学んでもらおうと思ってね。」
「ほんと!? 私達もセンパイみたいに格好良くオシゴト出来るメイドになれるのね!?」
「うん。ただ、ちょっと大変だから覚悟はしてね。」
…………
「まずは悪魔屋敷の料理の仕込みです。」
10分後。
「「ひいいい助けてくれぇぇぇエエ!」」
悪魔の屋敷の地下室で、鎖に繋がれた人間達が悲鳴を上げる。それを最後に連続保険金詐欺の犯人達が息絶える。
「血も抜いたし、あとは切り分けだけだね。シオン、リーア、ユズちゃん、この線にそってやってね。」
いつの間にか死体からは血が抜かれており、テーブルに乗せられ身体には白く光る線が付けられていた。
3人には大きい包丁が渡されており、これでコトをしろということだろう。
「切り分けた肉は台車に乗せて、こっちの使用人さんに渡してくださいね。」
と言って明らかに人間じゃない、悪魔屋敷の使用人を紹介してくる。
「「「ネットで見た料理の仕込みと違う!」」」
…………
「ここも赤くなってますね。こちらにはべったりとマーキングですか。」
異界の別勢力の女性と会った後、魔王邸の大浴場でメイドさんその1がマスターの身体を隅々までチェックして洗っていた。
「ここにも。私の目は誤魔化せませんよ。」
目ざとくコンセキを見つけて全て洗い落とす。
「こちらは……ふふ、こんにちは。お元気ですね。こっちの優しい洗剤で丁寧に洗っていきますよ。はい、あわあわ~。」
弱酸性の低刺激に切り替えて素早く、しかし丁寧に仕事をこなす。全身を終えた後、新人達に振り返って控えていた3人に告げる。
「さぁあなた達も、一度やってみて下さい。」
「「「えっちだわーー!!」」」
…………
「そこ!右です! 後ろから2人忍び寄ってますよ!」
魔王邸サポート室にてスポーツ観戦……ではなく、マスターの奮戦を眺めていた。
モニターには反社会組織、テンプレさんの事務所が映っており、マスターが右へ左への大暴れをしている。
この部屋はマスターの主観時間と連動させることが可能で、時間を止めてもその止まった時間を見ることが出来る。
やがて事務所は静かになり地獄絵図な光景が映し出される。
しかしマスターは返り血1つ浴びてなかった。
金目の物をごっそり頂いて魔王邸の倉庫に放り込むと、○○○からマスターに休憩のお誘いがあった。
「あなた達、寝室に移動するわ。」
メイドさんは後ろの3人に声をかけて移動する。
寝室ではマスターが活躍したことを労う、妻の〇〇○の姿があった。
すんごい薄着で。
そのままイチャイチャシーンに突入するが、使用人たちは直立不動で見つめている。
いや、うしろの3人はモジモジしている。
時々タオルや飲み物を差し入れるメイドさんその1。
そのまま3時間近く見守った後に、3人は開放された。
「今回の休憩は短めでしたね。夜には長丁場になるので覚悟しておくように。」
「「「生殺しだわーー!!」」」
…………
「マスターはえぐい。」
「マスターのえっち。」
「マスターのばかぁ。」
一通り仕事を見てもらったところで、それぞれから罵倒される。
「その反応は解っていた。それで、やっていけそうか?もちろん交代制だけど。」
「私は、グスッ。やる、やるけど……」
「私は、いけます。でもご褒美はたくさん……」
「私は、私は……うえーん!」
やはり刺激が強すぎたようで、泣き出してしまう。
「た、待遇については相談にのるよ。」
「旦那様、こういう時にはそんな言葉じゃだめです。」
メイドさんその1がマスターのお尻を蹴っ飛ばし、ユズちゃんを抱きしめる形になってしまう。
「これでよし。失礼、これもメイドの務めですので。」
「ふ、ふゎぁぁぁああああ!」
「うう、マスターわたしも!」
「う、ずるい。参戦します。」
ユズリンの雌叫びを聞いて残り2人も飛びかかり、泣き出してしまう。
「……メイドの棒倒し?」
通りがかった○○○が、抱えたセツナを撫でながらそんな事を言った。
…………
「そんなわけで、どれもすごく重要な仕事なんだ。」
3人の新人を宥めて落ち着かせて、仕事の重要性を説く。
悪魔屋敷には人間の血肉も必要で、主従関係を見せるのも大事。
仕事絡みで様々な女性と会う為のエチケットのこと。
契約の不履行や人種の違いによるトラブルを監視すること。
「大体わかったけど、マスターが時間操れるならどれも何とか出来るんじゃないの?」
「そうなんだけど、オレだけで完結すると問題があってね。信用が薄くなってしまうんだ。」
信用は大事である。マスターは1人で大抵の事は出来るが、それが信用に繋がるかは物による。
確実に信用を得るためには第三者の目が必要になるのだ。
例えば女性と会った後に時間遡行を一発かければ、一見すると何も問題が無くなる。
しかし次に会う相手からすれば、洗ってない身体など気分のいい話ではない。
前に会った相手も、会った事実を一瞬で無かった事にされたに等しい。
もしその対象に妻が入っていたら余計こじれる。なので等しくきっちり洗ったという事実が必要なのだ。
仕込みも監視も、同じような理由で必要となる。
「オレ達家族が上手くやっていくためにはみんなの助けが必要なんだ。頼む、手伝ってくれ。」
深く頭を下げるマスター。その声と姿は真剣だ。
「「「…………」」」
それでも思うところがあるのか、黙りこくる3人。
「あらあら、皆さん芳しくないのですね。何が不満なのか言ってご覧なさい。」
「1級の仕事だとそれなりにワガママ聞けるから、遠慮しなくてもいいよ。」
「私達は行き場所がないのでお世話になるしかありません。」
「でもご褒美にお金貰っても使い道もあまり無いです。」
「怖いのもえっちいのもポイしたいけどそれでもやるなら――」
「「「私達を家族にしてください!!」」」
3人は同じ条件を出してきた。本格的にこんな仕事に組み込まれるなら、自身の立場の保証のような物がほしいのだろう。
これは解る。マスターも便利に使われる”だけ”なのを嫌うからだ。
マスターを幸せにしたいが、自身も幸せになりたい。
その為の結論が家族だったのだ。
そこには、一緒に暮らすだけの関係以上のニュアンスも見て取れる。
「……オレはセーフだと思うが、どう思う? ○○○。」
「まぁセーフよ。結婚する!とか言い出さなければね。」
「セーフと言いたいところですが、それ、私にも適応されます?」
ちゃっかりメイドさんその1も便乗しようとしてくる。
「メイドちゃんは後で話し合いましょう。」
「わかりました。監視役としてセーフを進言します。」
「そういう訳で認められた。これから君達は○○○○家の一員とし、ここでの生活に励んでもらう。」
そう言って2種類の契約書を出す。
1つは1級、ではなく特級メイドの契約書。
「シオン、リーア、ユズリンの3名は家族と同等である特級メイドに任命する。」
家族同等とは言え序列的には低い。
それでも家主の直接の身内として認められた証である。
「それとこれも確認しておいてくれ。」
もう1つは交際契約書だ。3人の様子から必要だと感じていた。
「マスターとお出かけとか出来るの!?」
「これなら生殺しもない? 」
「えっちいのはポイ!……しない。貰うから!!」
途中でメイドさんその1に取られそうになって慌てるユズちゃん。言動の不一致はまだフクザツなAI心があるのだろう。
「でも2枚目の契約はよく考えてくれな。気持ちは知っているつもりだが、まだ出会って数日だ。」
「えっと、決めました。先輩の話がついてからで!」
「それが当然ですね。」
「うんうんそれがスジってものよね。」
その言葉にメイドさんその1が驚いた表情の後、泣きそうになっている。
「私は感動してます。それでは奥様、私は交際の方だけ頂けますか?」
「はい、特級と交際……良いの? 特級じゃなくて?」
「考えてみれば私は3人と違って、今は産める身です。家族になれば、将来奥様のお邪魔になってしまいます。」
「貴女の心遣いに敬意を評すわ。これからもよろしくね。」
「はい!」
そう言って契約書にサインすると、愛しげに胸に押し付けるのであった。
「ふふっ。これで、ハダカで旦那様を洗うことが出来ます。」
「「「えっちですわー!!」」」
(オレの意思確認がなかったんだけど……彼女ならまぁいいか。)
「えと、よろしく頼むよ。クマリさん。」
「はい!旦那様。」
タカハシ・クマリ。遂に名前で呼ばれて感激するメイドさんその1だった。
(((クマリちゃんっていう名前だったのか!!)))
一方で他の住人たちは衝撃を受けていた。
初めて名前が明らかになったのだ。そして衝撃を受けたせいで、気配を消せなくなった元暗殺者が1人。
「ところでそこで気配を消していたキリコちゃんは良いの?」
皆の後ろで様子を見ていたキリコが前に出る。
「私は店員であって、使用人でも何でも屋でも愛人でもないわ。」
そう。それは彼女が雇われた時に決めたことだ。
なんだかんだで意思は堅いようだ。
(1人前になったならともかく、今はまだ。)
「そう? 健気ねぇ。」
「キリコは良くやってくれているが店員として雇ったからな。思うようにやってみると良い。」
「はい、テンチョーのお店のために頑張ります。」
「マスターな。」
「それでは私は2つとも契約をします。」
「私も2つともするわ。」
「私はメイドだけ。2つ目はもう少し様子見します。」
そう言って契約書を胸に押し付けるシオン達。
「みんな、これからもよろしく頼む。それと明日の夜はちょっとしたお祭りだ。使用人にも出番を与えるから存分に楽しんでくれ。」
「「「はい!!」」」
こうしてマスターは人手の確保に成功したのであった。
…………
「みなさん、こんばんはーーー!!」
「水星屋へようこそー!!」
「今日は七夕、スペシャルバージョンでお送りします!」
「「「ウオオオオオオオオ!!!」」」
2008年7月7日夕方。生憎の雨。
それでも盛大なお祭りを実行すると聞いて、
お客さんが中庭どころか敷地の外まで集まっていた。
その中には別勢力の偵察(偉い人のお忍び)も多く来ていた。雨の中こんなに集まるということは、娯楽に飢えているのだろう。
要は暇なのだ。
店員不足を懸念してサクラも呼んだが、焼け石感が半端じゃない。
新人メイドにはやることも有るので店員作業には入れない。
「ちょっと、これ大丈夫なの?」
「たやすく破られる結界ではないので……」
その客の中で社長こと領主と、その補佐官がヒソヒソ話をしていた。
予想以上の盛り上がりの為、これから行われるパフォーマンスに焦りを感じ始めた。
「今夜は楽しい楽しい七夕ですがぁ?なんか天気が良くないなー!そんなわけで!」
ウボアーーー!!
マスターが空に向けて咆哮すると、雨雲を消し飛ばす。
急に辺り一帯が晴れて快適になるが、まだ空は明るい。
「天気は良くなったけどまだ明るいね。じゃあちょっと世界を傾けて時間を固定しまーす!」
そう言った瞬間に日が落ちて夜になり、そのまましばらく固定する。
どこかでパリン。と何かが割れる音がした。
「バカじゃないの!? なんで私の世界を勝手に動かしてるのよ!」
「結界も破られました。まさか始まる前に破れるとは……」
「おおっと領主様が怖い顔しているので言い訳します!これはオリさんとヒコさんに、特別に許可を得てますのでご安心下さい! 」
「はあ!?なんで天界から許可が出るのよ!!」
「夜が長くなるとその分一緒に過ごせて嬉しいって言ってました。それに御二方もお祭りが楽しみだそうです。」
「…………」
そんな理由で、小型とは言え自分の世界を好きに動かせるとか創造主として面白いわけもない。相手は実質自分の奴隷なのに。というかどうやって天界人とアポとったのかを聞きたかったのだが答えは若干ずれていた。
「それではお祭りの舞台を整えましょう!」
言い終わる前に周囲が緑色に輝き、ホタルを思わせる発行体が舞い上がる。
客の集団の外、敷地の壁付近は20mは超えるであろう笹がずらりと生えてきた。その笹も怪しく輝いている。
さらに敷地を覆った「精神干渉」の結界で、明暗をはっきり認識するようにさせる。
「「「おおおおお、凄えええええええ!!」」」
ここまでは予行練習と一緒だが、更にひと工夫加える。
「はい皆さんご注目! 天の川が綺麗ですが先程までの雨で増水しております。せっかくなのでここまで川を引っ張っちゃいましょう!」
天の川の途中で枝分かれし、蛇行し、大量の水が中庭の中央に落とされる。本当に遠近法もクソもない所業だ。
「うわーー!なんだこりゃーー!!」
「アレ? でもすっごく綺麗じゃね?」
その水はライトアップされて不自然に水色に輝いており、さらには夜空の星と同じ光が水の流れの中を漂っている。
もちろんマスターによる演出である。
水はただの水道水を遥か上空から透明で巨大なウォータースライダーで流しているだけ。
地面に空間の穴があり、上空に転移している。無限ループだ。星の光もマスターのチカラの欠片を光らせているだけだ。
「はい、ここで天の川上流にご注目!あそこでは一組の男女がこちらを見ています。折角だから短冊に願いを書いて送ってみては如何でしょうか!」
キリコにマイクを渡してアナウンスを頼む。
「はい、マスターに代わって説明します!今宵の我が水星屋ではライス無料や替え玉などのサービスは有りません。」
ざわざわと客が騒ぎ出す。
「その代わりに願いを届ける短冊を用意しました。こちらは200○のご注文で1枚お渡しします!欲望の限りを書き込んで、川に投げて下さい!織姫様と彦星様をドン引きさせましょう!」
「「「よっしゃおらーー、まかせろーー!!」」」
「ドン引きさせてどうするのよ……」
「まぁ、住民はこういうの好きそうですし。」
呆れる領主様達だが、周囲はむしろノッている。
「「酒だー!つまみもどんどんくれ!!」」
「「「はい、お待ちっ」」」
「こちら短冊ですー! 願い事が叶いますように!」
屋外仕様のカウンターで、飛ぶように料理と酒が売れていく。
今日はセルフサービスなのだが、キリコ・○○○・サクラの前には大行列ができた。マスターは料理担当である。
「おらー!勝手に触ろうとするな! そんな不届き者には短冊に恥ずかしい写真つけて流してやる!」
サクラにイタズラしようとした男が真っ青になっている。
彼はサクラのことを知らないで手を出そうとしたらしい。
常連なら臨時店員のサクラがいかに危険な女か解ったのだが。
「はい、お待ちっ! うふふ、旦那の真似しちゃった。」
○○○は普段は店員として店に出たりはしない。理由は2つある。
妻が夫の職場に顔を出すのは良くないと思っている。
男の体裁と女の務めの類の話だが、今日はそれどころじゃないので張り切っている。
もう1つはマスターの正妻なので、他勢力の入り交じるここではいろいろトラブルが起きそうだからだ。
が、今日は何もなかった。正確には、何も無かったことになった。処理には時間を止めたので誰も何も認識していない。つまり問題はない。
「今宵の宴に我が列に並ぶとは感心だぞ貴様ら!褒美にお前たちに渡す短冊にはウサギの加護を付与してやろうぞ!フハハハハハハーーーッ!」
キリコは根強い人気を誇っている。
その愛らしい姿と妙な言い回しのギャップのお陰だ。
そして彼女の言葉通り、その短冊には特別な加護が付与されている。
結び目付近にうさぎさんマークの入ったそれは、この後のイベントに関わるものだ。
「せっかくだからオレはこの赤い短冊を流すぜ!」
「この短冊が届くまで、早飲み競争だ!」
「願いがかなったら私、結婚するんだ!」
みなそれぞれの願いを書いて天の川(偽)に入れる。
すると短冊が紅鮭の姿になって水流に逆らって登っていく。
その鮭の色は短冊と同じ色であり、ライトアップされた水の中でもその姿ははっきり確認できた。
「「「おおおー!! どうなってんだ!?」」」
マスターのなんやかんやのお陰である。人間をやめてからは精神力が増えたので、事象をイメージ出来れば大抵のことは出来る。もちろん代償に目をつぶればの話ではある。
「マスター、また凄いものを用意したな。私は心とヘソシタが揺さぶられている。」
臨時で10万○で雇われたサクラが、目を輝かせてコーフンしている。
「下は抑えて下さい。まだまだオレが用意した物はこんなものじゃないですよ。」
その言葉通り、登っていった短冊鮭に異変が起きた。
いや、異変は鮭だけじゃなかったが。
「「「なんだありゃぁぁぁあああ!!」」」
天の川を1/3程進んだ鮭だが、急に野太い手によって川から弾かれた。
そこには30mを越すクマが空を飛んで漁をしていた。
そのクマの目の前に来た鮭は次々に弾かれていく。
「おいマスター、あんなん有りかよ!!」
「このままじゃ全滅だぞ!!」
「はーい皆さん、慌てない慌てない!あれはハイブリッジと呼ばれる伝説のクマです。彼女は辛い過去のために、簡単に願いを叶える短冊を良しとしていません。なので短冊を攻撃しているのでしょう。」
その強引な設定を説明をしながら水星屋のカウンターの上空に3Dホロの巨大モニターを設置して、クマの様子を映し出す。
クマの正体はメイドさんその1、いやタカハシ・クマリであった。3Dホログラムで巨大クマの姿にされ、マスター式マジックハンドで鮭を獲っている。
ちなみにクマリは漢字で書くと九真理なので、熊とは関係ない。マスターの寒いオヤジギャグである。
「解決法、打開策は何かないのか!?このままじゃオレの結婚の夢が!」
「もちろんご用意させて頂いてます。それはズバリ短冊です。短冊にクマを寄せ付けない願いを書いて流しましょう!」
「「「この商売上手め!! でも買った!!」」」
何故か面白くなってきたお客さん達は次々と酒を注文して、短冊にクマ避けの願いを書き始めた。
「私、ちょっと目眩が……」
「領主様、お気を確かに!」
「領主様。楽しんでおられるようですね。」
そこに登場するは姫さんこと、この屋敷の当主様。
「姫さん、あの子の暴走をなんとかしてくれない?今度質の良い人肉をまわすから。」
「あらあら、領主様ともあろうお方がお戯れを。アレが彼の平常運転よ。」
「知ってるわ。だから困ってるんだけど。」
「たまのお祭りくらい良いではないですか。勢力争いで切った張ったの戦いより、催し物で盛り上がった方が良い世界になると思いますよ。」
「一理あるのは認めるわ。でもあの子がやるから問題なのよ。」
「彼以外がやらないから、彼にやられちゃうんです。まずは楽しんでみてはいかがかしら?」
「ふむ……」
まずは楽しむ。このおバカで幻想的な景色に引っ張られたのか、それも良いかと思い始めた領主だった。半分くらいはヤケだったかも知れないけれど。
その時クマリは一つの短冊鮭を拾い上げる。
【ハイブリッジさん一目惚れです。付き合って下さい。】
by熊五郎。
宴会場を見ると、クマ成分9割以上の男がこちらを見ていた。
「私はマスター以外と交尾する気はないわ!!」
そういって鮭を熊五郎の頭目掛けて投げ返す。
大音量で暴露されたハイブリッジさんの気持ちが熊五郎を直撃すると、彼は泡噴いて倒れた。
そしてお客さん達がざわざわと騒ぎ出す。
「「「マスターってクマもイけるのか!!」」」
「うおおおい、誤解!なんか誤解されてるぞ!!」
「あなたがクマなんかにするからでしょう?」
「鮭といえばクマかなって。」
「おい、あいつは倒そうとしてもだめだ!気を引く願いならスキができて後続が通り抜けるぞ!」
その時お客さんの誰かが声を上げる。
見るとクマの横を通り過ぎた短冊が更に上流に向かっていた。
「よっしゃ!どんどん書け!10枚に1つは混ぜるんだ。」
そんなこんなでクマの横を通過する短冊が増えてきた。
しかし――
「「「おい! またなんか出やがったぞ!!」」」
巨大モニターが2分割されて、その片側に新たな刺客が映し出される。
今度は川の2/3ほどの所で、巨大なウサギが鮭の首を刈り取っていた。
鮭の首が刈られると願い事の主語がなくなってしまう。
さらにそこへ、
「私はさすらいの歌姫。歌は世界を繋ぐの。首のない願いを出来る限り繋いであげるわ。」
ララララーララーララーーラララ……
歌声が響きわたり、首のない短冊と首だけの短冊を繋いで
カメラに向ける。
【病気|持ちの男に取り入りたい。】
本来は 金持ちの男に――と書かれたそれは、
病気を治したいという短冊の主語と合成されていた。
「イヤアアアアアア!! だめ!取り消して!!」
短冊の書き主の悲鳴が上がる。
それはすぐに連鎖していき、あちこちから悲鳴が上がる。
【金|たまにでいいからキスをしたい。】
【遠くの恋人と|おさらばして妻と子供を作りたい。】
【貧乏と|成金は滅びればいいのに。】
【変態|を治したい。尿飲療法でも尻にネギでも何でもする!】
「おい、やべーぞ! このウサギと歌姫コンボは死を招く!」
「なにか対策はないのか、マスター!」
一部で阿鼻叫喚の騒ぎとなった宴会場は、対策を求めて
マスターのもとへ客が殺到する。当然注文を求めるので売上は伸びる。
「あのウサギは有名な首刈りウサギですね。同族の加護があるなら突破できるんじゃないですか?」
「加護って言ったってどうすれば……」
「わかった! キリコちゃんの短冊だ!あそこで貰える短冊は特別製だって言ってたぞ!」
「「「この商売上手め!! でも買った!!」」」
「まいどあり~。」
キリコはニヤリとして料理と短冊を配るのであった。
ちなみにウサギはユズちゃんであり、歌姫はリーアである。
2人とも自分の興味のある事を役にしてもらって、
初参加のお祭りは大満足だった。
…………
「今年はますたあとやらのお陰で盛り上がってるわね。」
「あんなに楽しんでもらえるならこっちも嬉しいな。」
「マスターは凄いんですよ!」
天の川上流には織姫達の席が用意され、シオンが接待していた。
「そろそろ短冊が届く頃です。ご確認されてみては如何でしょう?」
「そうね、どれどれ……」
「おおーっと遂に、遂に織姫様のもとへ短冊が届いたようです!最初に彼女たちの祝福を受ける願いは何なのか!?」
巨大モニターに織姫達を映しながら実況するマスター。
でも喋っている時以外はきっちり料理をだしている。
「ミノタウロス族の方の願いですね。」
【彼女とデートに行く服と食事についてご教授下さい。】
「はいはい。服とゴハンね。私達向きの願いだわ。」
「さっそく祝福を贈ろう。」
そう言うと宴会場のミノタさんその1が光りに包まれる。
「「「おおおー本当に祝福貰えるのか!!」」」
会場は大盛りあがりでミノタさんその1を見守る。
光が収まるとそこには――
フリフリのスカートを履いたミノタさんが
特上牛肉3kgをもって立っていた。
「「「…………」」」
一気に静まる会場。
男にスカート履かせる意味がわからないし、
牛に牛肉をプレゼントする意味もわからない。
「ミノタさん! かわいい! 食べちゃいたいくらい!」
そこへ女の子が寄ってきて抱きつく。どうやら件の彼女のようだ。
「オレ、そんなに可愛い? ワニコちゃん。」
「うんうん、ねぇこの後抜け出して2人で……」
そのまま2人は腕を組んで会場を後にする。
周囲で見ていたお客さん達は (あっ!)と察する。
この後、暗闇で襲われたミノタさんだったが無事であった。
もらった3kgの肉を囮にして逃げ切ったのだ。
「恋人たちが熱い夜を過ごす為のキッカケをくれた織姫様達に拍手!!」
マスターがとりなすが拍手はまばらだった。
「そうこうしている内にどんどん短冊が届いているぞ!次はどんな祝福がいただけるのでしょうか!?」
マスターは客たちの興味を引くことに成功し、一同はモニターに注目して喧騒が戻ってくる。
「当主様の脱ぎたておパンツが欲しい?これ女の子からのお願いなんだけど……」
「時代が代わったということかな。僕にはわからないよ。」
オリヒココンビが困惑している。
多分当主様の使用人Bさんの短冊なのだろう。
本人は期待が高まりすぎて飛び上がっている。
「脱ぎたて、おパ……我の下着をなんとするか!」
「あらあ? 姫さんはおモテになるのね。遠慮せずにがばっとあの子に被せてあげたらどうかしら。」
「バカな事言わないで下さい。そんな破廉恥な真似はいたしません!」
領主様にからかわれて、姫さんは真っ赤になって憤慨している。その手は下着を取られないようにスカートの上から抑えていた。
「うーん。この子の趣味はわからないけど、つまり一番偉い人のパンツが欲しいのよね。」
「あそこで1番偉い人ならあの方ですわ。」
データベースを漁ってシオンが答えを導き出す。
その指先は領主様をさしていた。
…………
「さぁ 織姫様、私めに至高のおパンツ様を!」
その瞬間、使用人Bの顔面にパンツがかぶさる。
喜びの舞を踊り始める使用人Bだったが突如その動きが止まる。
「ちがう。これは当主様のではない……偽物だ!」
少し離れた場所で領主様が、顔を真っ赤にして股間を押さえていた。
少女から熟女までの範囲で年齢不詳な彼女だが、ここまで取り乱す姿は珍しい。
そしてその横では笑いを堪え切れていない姫さんが身悶ている。
「このパンツは、加齢臭がキツイ! 鼻がもげそう!当主様はもっとやさしい香りで私を包んでくれる。」
言いながらパンツを引っ剥がすと地面に叩きつけて、そのままリバースをキメこむ使用人Bさん。
突然の粗相だったが、マスターが時間を止めて屋敷のトイレへ連れて行く。
戻ってきたら時間を動かしてフォローを入れる。
「はーい皆さん! 彼女は気分が優れないようでしたので退出しました。宴はまだまだ続きますので、そのままお楽しみ下さい。」
「おい、領主様が股間抑えてるぞ。」
「じゃあ、やはり領主様が加齢臭を?」
「うっそ、オレ憧れてたのに臭いのか!!」
そんな声が広がり始めてしまう。領主は顔を真っ赤にしたままマスターに怒鳴る。
「マスターなら解るでしょ? 私はクサくなんてないわよね!?」
最悪なフォローを求められたマスターは冷や汗が出ている。
たしかに彼は領主様と子を作ったことがあるが、その感想をここで言うわけにはいかない。いくらアレな領主様と言えど、女なのだから。
(○○○、頼む。)
(ええ、確かに預かりましたわ。)
マスターは小型のクリスタルを妻に渡すと覚悟を決め、マイクを使って発言する。
「公衆の面前で女性の匂いの話をするほど、オレは無粋じゃないですよ。秘め事は秘めておくから美しいのです。」
秘め事は秘めておくから美しい。つまり秘めなければ……臭いのか!
そんな結論に至ったお客さん達は、遠巻きに領主様をみながら酒を呑む。その空気に耐えられなくなった領主様は走り出す。
その身には大量の計算式が展開され、幾つもの術式が複合されている。それだけで領主様が本気でお怒りなのが解る。
「この、大馬鹿者がぁぁぁああああ!!」
「ぐへぇ!」
領主様の本気の1撃は、彼を西に吹き飛ばして文字通り夜空の星にした。明暗ハッキリ状態でも見えにくい、そんな水星の様な星になったのだ。
…………
「はい、華麗に復活したマスターです。楽しい宴も折り返し! 今度は織姫様と彦星様にご降臨願いましょう!」
さっき吹き飛ばしたはずのマスターが、いつの間にかマイクもってMCをしている。
「なんなのよ、あの子。本気で吹き飛ばしたのに。」
「あれで生きてるとか新米悪魔ではありえないのですが。」
そんな2人の焦りを見て、いや別の何かを”視た”当主様が声をかける。
「そんなことより領主様、もう下着は良いのか?」
「!! なぜ? いつの間にか履いている!」
「おおっと、ゲストを呼ぶ前に領主様へご報告ですっ。パンツは先程洗ってお召になってもらいました。花の香りの洗剤ですので、いろいろと安心ですよ。」
「「「わははははは! いいぞ、マスター!」」」
会場は領主のパンツネタでウケてしまっていた。
これは何も言わないほうが良いだろう。と諦める領主様。
いや、その震える身体が示すのは違う感情だった。
「それでは織姫さまと彦星さまです! どうぞー!」
マスターが声がけすると、天の2人は水着で天の川に飛び込む。そのままの勢いで泳いで宴会場に到着した。
「おーたーすらいだーというのも悪くないわね。」
「天の川を泳ぐなんて、えきさいてぃんぐな体験だよ。」
そんな事を言いながら、シオンにタオルを掛けられる。
シオンは普通に空間の穴から転移してきただけである。
「「「ほんとに来たーーーー!!」」」
「おい、願い事を直接……」
「2人とも綺麗!」
「神族とご縁が……」
「はいはいみんな落ち着いてね。あまりご迷惑をかけないように!」
どの口が言うかと領主はマスターを睨むが効果はない。
「御二方と話したければウチの料理で接待してあげて下さい。もしお願い事があるなら、特別料理やお酒に特製短冊を――」
「「「この商売上手め!! でも買った!!」」」
3度目の商売上手コールが響いて大盛況の水星屋。
織姫様と彦星様は手厚い歓迎をうけ喜び、宴会客はあり得ない体験をして喜び……悪魔屋敷並びに魔王邸の仕掛け人達は大満足をした。
この日、この異界の土地での勢力争いの形が変わる。
今までは武力と権力で争っていたが、この七夕祭りのお陰で皆の意識を変えたのだった。
領主の契約奴隷であり、姫さん勢力の料理人。
そんな一見立場の弱い者があれだけの祭りを開いたのだ。
景色を変え空をも操り、神の一族との宴会を実現した。
更には偶然ながら領主を辱め、あられもない姿を公然と晒させた。
つまり、武力でなくても権威は示せるのだ。
そのマスターの行為は常識や価値観・シガラミやシキタリという、がんじがらめの”見えない網”をぶち破って魅せた。
今後どういう未来へ向かうのかはこの土地の者達の努力次第だろう。
一方、領主様は後処理に忙しかった。
バイト君に感じた恐怖を拭うかのように世界の補修作業に溺れていた。
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