23 ケツイ
「じゃーん! メロンでーっす!」
2008年4月22日の夜。
特別訓練学校のキッチンで、アケミはメグミにメロンを魅せつけていた。
なぜ”魅せ”なのか。彼女自身のもそれなりに揺れていたからだ。
アケミは特段巨乳というわけではないが、成長途中のメグミからみたら羨ましい大きさであった。
単純にトシの差である。
訓練が終わった後、各員の診察と治療をメグミが手伝う。
そして今度は師弟が逆転し、アケミが料理の特訓をしていた。
特訓と言っても大半は意識改革である。
大根にメス……いや包丁を入れる前に麻酔を撃とうとしたり、少ししなびた人参に点滴しようとしたりするからだ。魚を捌くのだけは普通にできたが、一尾ずつ解剖記録をとっていた。
なぜそんな事をするのかメグミが聞いた所、以前は普通にやって大失敗したので色々試している最中だとか。
メグミのお説教を混じえながら煮物を作った後、休憩することになって冒頭のセリフと相成った。
「今日ケーイチさんに、フルーツ盛り合わせを頂いちゃったのよー!」
にっこにこでメロンの舞を踊りながら話すアケミ。
「せっかくなので一緒に食べましょう?」
「へー、いい色してますね。ぜひご一緒させてください!」
話は決まってメロンを切り分けていくアケミと、お皿を用意するメグミ。
「も~~、ケーイチさんってイイオトコよね~。これ、日頃お世話になっているお礼ですって!しかも紅茶まで差し入れてくれたのよ!事後の紅茶っていう特別限定品よ!?ねぇねぇ、これって誘われてるのかな?結構いけちゃうパターンだったりするぅ?」
嬉しさのあまり欲望と願望が漏れ始めたアケミに、メグミは若干引きながら答えをひねり出す。
「え……っと。教官は奥さんがいらっしゃるんじゃ。」
「それはそうなんだけどねー。」
1回り近く年下のメグミにモットモな指摘を受けるが、アケミの明るさは翳らない。
「でもこの前相談に乗ってくれた人がいてね。初対面なのによくしてくれて……変にトラブル起こす気はないけど、もっと明るい考えで行こう!って思って。」
でもやっぱり奥さん羨ましいー! と悶ながらもアケミは笑っている。
そうこうしている内にメロンを分けたので、2人は椅子に座り「いただきます。」と食べ始める。
「アケミさん、くれぐれも穏便にお願いします。でも初対面で恋バナするってよほどいい人だったんですか?」
「水星屋って屋台で食べたときなんだけどね。そこの店員さんが可愛いし、マスターさんが色々頑張ってる人でね~。」
「水星屋!? それホントなんですか!?」
ガタッっと立ち上がり店名に食いつくメグミ。
思わずアケミは背筋が後ろに下がる。
「そうよ。もしかして有名なの?お客さん少なかったし、あまりそうは見えなかったけど。」
「水星屋っていったら、ネットで都市伝説認定の店ですよ!?あそこで気に入られたら幸せになれて、逆に嫌われたら行方不明になるという伝説があるんです。」
実はこの学校の寮は、インターネット完備である。
ただし、セキュリティの観点から閲覧はできても書き込みはかなり制限されている。
SNSや匿名掲示板はもちろん、通販なんて以ての外だ。
なので個人的に何か欲しい場合は街で買うか、上に申請した上で審査を経て届けられている。
先日アケミが”超絶妖艶勝負下着”と書いた申請書を出した。当然事務のキョウコに見つかり、大目玉を食らっている。
「へぇー、そんな凄いお店だったのね。今日は良いことも有ったし、ご利益あったのかなぁ。」
「羨ましいです。都市伝説の店とかロマンがあります。詳しくお聞きしてもいいですか?」
「私としては、ユウヤ君とはどうなのかが気になるんだけど。」
訓練中もべったりだとか 特大パフェデートした等の噂は聞こえてくるし、弟子入り申し込みの時も付添いで彼が居た。
この前は避妊具をあげたら突き返されたから、そこまではイッてないのだろうが。
「水星屋の話でお願いします!」
顔を赤くして即座に話題を拒否するメグミ。
「えー!自分だけ話さないなんてずーるーいー!」
そう言いながらも楽しそうな表情で、メロン休憩の時間は過ぎていった。
(めちゃくちゃな理論で説得された気はするけど、おかげで今は毎日が楽しい。)
水星屋の事を思い出しながらアケミがニコリと笑う。
(だからもう少し頑張ってみるね。ありがとう。マスター、キリコちゃん。)
改めて自身の心に決意を刻み込むアケミだった。
地味にいい仕事したはずのサクラの事は、あの日は酔い過ぎて綺麗に記憶から消えていた。
…………
「うう、今日は普通にこなせた。けれど身体中が痛い。テンチョーには反省と従業員への労いのマッサージを要求するぅ!」
悪魔屋敷での水星屋の仕事を終え、魔王邸の廊下でキリコがそんな事を言い出す。
昨晩は途中でマスターが抜けて大忙しだったのだ。
今日はマスターがいるので問題はなかったが、キリコの身体は筋肉痛でバキバキになっていた。
「筋肉痛がすぐでるって 若いよな……。わかったわかった、風呂入ったらマッサージ台で集合な。」
その言葉が終わるとスっとメイドが現れキリコを連行する。
マッサージ台のある露天風呂へ向かったのだろう。
マスターは妻の○○○と入る予定なのでそのまま部屋に向かう。
「お疲れ様です、あなた。」
「○○○もな、お疲れ様。」
○○○はYESオンリーの枕を幾つもベッドに積んでいた。その中でセツナがキャッキャと枕の山にじゃれついていた。
「可愛いけど酷い絵面だな。」
「3年目って危ないらしいから、猛アピールが必要かなって!」
心を読むと、メイドさんその1が歌ったデュエット曲に原因がありそうだ。
魔王邸には 女医サウンドの最新機種を導入してあるのだ。
ディスプレイに女医さんが現れ、歌声から身体に不調がないか診断してくれる機能付きだ。
「心配しなくてもオレたちはずっと一緒だよ。」
「そうだけどぉ。あの事件の子供達はそろそろ生まれてる頃でしょう? あの社長とかも……」
どうやら、他の女の世話を焼きに行かないか心配のようだった。
マスターはそっと妻を抱き寄せて、頭をなでつつ顔も近づける。
「君が1番だ。それはこの先何も変わらない。オレが宇宙一のいい女を手放すわけ無いだろう?」
「えへへー それじゃあこのまま、まずはお風呂で――」
「そういえばキリコが風呂の後にマッサージを要求すると言ってたが、いいかい?」
「キリコちゃん、ついに牙をむいたのね!」
○○○はそのまま考え込む仕草をすると、「やっぱりアピール作戦は必要か。」とブツブツ言い出す。
そんな姿もかわいい。
「筋肉痛を治してほしいってことだと思うけど。」
「そういうことね。じゃあ後引かないように全力で治してあげてね。」
「うん? わかった。そうしておくよ。じゃぁオレたちも風呂へ行こう。」
2人はお互いを一枚ずつ脱がしていき、気分を高揚させていく。
脱がすものが無くなったら、ぴっとりと身を寄せ合う。
お互いの鼓動と体温と感触を感じながらベッドのセツナを抱える。
そのまま仲睦まじく大浴場に入っていく3人だった。
…………
「あのーメイドちゃん? せめて下着くらいはつけるべきだと思うの。」
キリコはメイドさんその1に風呂場で丸洗いされ、全身のムダ毛を綺麗に処理されたあとに湯船に漬けこまれた。
長い黒髪はポニーテールにしてまとめ、バスタオル1枚装備の状態でマッサージ台に腰掛けている。
血行の良くなった身体は、その1部でスースーする隙間風に敏感になっている。
そのせいか先程から、太もも同士をこすり合わせてモジモジしていた。
「問題ありません。施術はうつ伏せで行いますし、下手に下着をつけていると施術の邪魔になります。」
容赦なく訴えを却下するメイドさんその1。
「それにキリコさんは旦那様の事を憎からず思っているご様子。”そういう”つもりだったのではないのですか?」
言われてハッとなるキリコ。彼女は自分の不調を治してもらい、その労力をもってお互いの信頼関係を強めようとしただけである。
「いや、わた 私は店員だしィ? ちょっとテンチョーにも私の苦労の結果を見てもらおうと。」
「いずれにせよ、旦那様はもう奥様に話を通しているでしょう。ここは素直に受けておいた方が、後腐れがございません。」
「うぐっ、奥さんか……絶対誤解されてる気がする。」
ならばここで中止にしても意味はないと判断する。
なに、たかがマッサージである。別に美味しく頂いたり頂かれちゃうわけではないのだ。
そう考えながらも太もものすり合わせが多くなる。
「お、もう準備はできているのか。 お待たせー。」
「じゅ、じゅんびなんてしてないし!」
思わず股のあたりでタオルをギュッと握り込む。
「旦那様、キリコさんは少し混乱されておりますが準備は整っております。」
「そうなのか? そんじゃ上から順番にしていくから、そのまま腰掛けておいてくれ。」
「お手柔らかにお願いします……」
「なんか妻に話したら全力で癒やせと言われてさ。終わる頃には元気になってるから、安心してくれていいよ。」
(元気になる? ドコが!?)
全然安心できてないキリコが、小刻みに振動し始める。
「私はこのまま監視役を務めますので、よろしくおねがいします。」
監視役。それはマスターの行いがセーフかアウトかの判定役である。
詳しくは別の機会に回すが、要約するとヤりすぎ注意。ってことになる。
キリコの後ろに回ったマスターが、緊張をほぐすために頭や肩にスキンシップをする。
「髪、似合ってますねー。それにとてもサラサラです。」
「てんちょぉ、はずかしい~。」
更に血行が良くなる店員。心の中ではいつものセリフを連発している。
「マスターです。まずは頭からいきますよ。」
そう言うと頭のツボを押し始める。痛まないように軽く優しく、丁寧に。その圧迫感と振動で徐々にキリコの心の防壁が崩れていく。
(私は店員私は店員、髪を褒められた! わたしはテンイン。あ、優しい刺激…… わたわたわた。)
ひと通り終わると次は耳をそっと包むように撫で上げる。
「少し熱をもってますね。冷ましたほうが良いかな? 」
ふー。と右耳に息が吹きかかる。軽く身体が浮き上がりかける。
(ひゅ!わたしは、たわしはたわし。この程度では動揺しない。)
ふー。と次は左だ。今度こそビクンと跳ね上がる。
「左の方がイイんですね。 オレと同じだ。」
妙なカミングアウトを聞いてしまったが、いつか使えるかもとキリコは心の奥にその情報を切り込む。洒落ではない。
そのまま耳をマッサージされつつ、左右交互に息を吹きかけられる。
いい加減 脳がとろけた頃合いで、今度は首筋を両手で優しく撫でられる。
(ひゅあ! 暗殺者的にここはやばいです! たわしはかめのこ!)
日常的に飛んだり飛ばしたりする場所だったので、精神的に敏感なのだ。
「あーそっか。キリコは首は色々マズイか。」
そういって肩に移行すると今度は普通に優しく揉んでいく。
「それではここにうつ伏せになって下さい。」
言われたとおりにマッサージ台に横になり、枕に顎を乗せる。
タオルは付けっぱなしだったが、不意に横から手が伸びてスルン!っと防護壁が取り除かれる。
「キリコさんアウトです。 タオルは取りましょう。」
「私の防護壁がー! てか監視はマスター相手じゃないの!?」
「いけません。店員の務めですよ?」
「一体どこが!?」
「あまり動くと色々アレだから大人しくな。」
「う、はい……」
マスターの一言で素直に横たわるキリコ。
マスターは小さな背中にオイルを垂らすと、手のひらで大きく円を描くように広げていく。
(ひゅわーー!! わたたたたたしししし)
その後は片腕ずつオイルをつけつつ揉みほぐしていく。
「さすがは前職がアレなだけあって、洗練された身体つきだ。とてもキレイな肉の付き方をしている。」
(ほめ、ほめら? でも私はまだテンイン)
背中を重点的にマッサージし、脇や横腹も優しく触られる。
「コースの1つだからするが、嫌だったらはっきり言うんだぞ。」
(はうあうあう、今む、むねに!?)
下から包み込むように温かい手が! メイドちゃんこれは!!
「セーフですよキリコさん。奥様なんて毎日こんなものではありません。」
(そうかもしれないけど、テンイン的にどうなの!?あぁ、でも すごくあたたかくて ヤサシイ……)
そのまま何も言わずに身を任せているのを確認すると、マスターは念入りにマッサージを続けていく。
身体を案じるような触り方で、感触を楽しむような触り方はしてこない。
嫌悪感など微塵もわかずに、されるがままのキリコ。
場所が場所だっただけに思わず反応してしまったが、マスターは最初から優しく気遣うように触れてくれている。
(これは、やばいでふ。)
もう完全にふにゃふにゃな思考回路になり、よだれが枕の上のタオルにダダ漏れる。
次は腰に移行しそこからお尻に至ると、キリコは本能的に別の期待が湧き上がるのを感じていた。
お尻全体を丁寧にほぐしているとちょっとだけ足が広がる。強烈に誘ってくる空間が展開されるが、マスターは極力気にしない。
ついに?足の付根に手を差し込まれるが、期待とは違ってそのまま両手で太ももを揉んでいく。
(うう、そうだよね。わらしはてんびん、べつにきたいなんてしてないし。)
そのまま両足とも足の裏までマッサージを施す。
その後また背中を中心にひと通り揉みほぐし、一旦手を洗うマスター。
最初にした頭と耳に再度、撫でるような優しい刺激を与えながらマスターの顔が近づいてきた。
「足りないところはありますか?」
「まにゃしぇふぇみゃいおこ、ありゅうにゃもあー」
もうキリコは日本語が不自由になっていた。
だが心を読んでみると、聞き取れなかったことにしようと決心する。
「旦那様、まだ一箇所してないところがあるとおっしゃっております。」
「翻訳ありがとう。こっちでもわかってるけど、それはダメだろう。」
流石にソコはアウトだろう。どう言い訳しても場所が場所だ。
「ガチのセクハラ、パワハラはどうかと思うんだが。」
「この場合、破かなきゃセーフです。」
しれっとメイドさんその1が言ってくるが、マスターは別の方法を考える。
「いや、マッサージはここで終わりだ。全身ベトベトだからオレが洗ってくるよ。」
そう言ってキリコをお姫様抱っこで抱えると、露天風呂の方へ歩いていく。
「なるほど。それなら何も問題ないです、旦那様。」
その背中を追ってメイドさんが小走りで追っていく。
「ますたぁ、もう終わりなのー?」
「キリコ、オイルでベタベタだから洗ってやるが、構わないか?」
「おねがいひまっふ」
その後、全身隈無く洗われたキリコは、大変満足して眠ってしまった。
数時間後に自室で目覚めると筋肉の疲労が全て取れており、快適な目覚めを実感する。
「身体が軽い。これならきっちり働ける!」
数秒後に色々思い出して火をともしたボイラーのようになるが嬉しい気持ちで一杯だった。
「凄く優しかった。触れてもらうだけでここまでなんて。」
数分後にマスターの奥さんが現れて、あれこれ話し合って現実で胸が一杯になる。
奥さんが部屋から出ていってキリコは一つの結論を出す。
「私は店員よ。でも、夢を持った店員よ!」
この日の決意は、キリコの人生から結婚という可能性を消し去った。
…………
「なぁサクラ、お前最近オトコでも出来たのか?」
埼玉県にあるサクラの自宅で、珍しく家族がそろって夕食を食べていた。
サクラの父は社長であり、7つ上の姉は既に嫁いだ身だ。
母はこの家を守ってくれているが、自分はオカルト記者として飛び回っている。
そんな中での久々の団欒で、爆弾が投下された。
「うっそ、アンタ相手は誰よ!? どんな物好きか見てみたいわ!」
「大丈夫なの!? 詐欺とか宗教とか気をつけないと駄目よ!?」
姉と母がすごい勢いで食いつく。斜め下に。
「いやあの。 別に彼氏ってわけじゃぁ……」
「ふむ?いやちょっと気になることが有ってな。」
「え、お父さん何かあったの?」
「お前の部署な。取材費が横領を疑うレベルの頻度で使われてる。なにか心当たりでも有るんじゃないかと思ってな。」
つまりはオトコができたから、経費で旅行してると思われたようだ。
「横領なんてしてないわよ! 本当に、マジ物の取材よ!」
「いや潔白ならいいんだ。結果は出ているしな。となるとだ。毎回どんな”根拠”で飛び回ってるのかと気になるな。」
そう、サクラは多大な結果を出していた。
他社の追随を許さない記事の話題性、そこから生まれる売上。
一時は季刊誌だったのが月刊になり、今では週刊誌にまでなった。
だが情報源は身内にも明かされておらず、取材場所もバラバラである。
そんな訳で父も気になっていたのだろう。
「あんたー会社の金で旅行とかいい身分じゃない?」
「違うってー! 去年からチカラの制御が出来るようになったから、取材でもアタリを付けられるようになったの!」
「「「何だって!?」」」
3人は驚きの声を上げる。サクラといえば不完全なチカラで、コミュ障とひねくれ者を足したような存在だった。
それが今や花形となったオカルト雑誌部門で大活躍なのだ。
チカラを制御できていたなら納得も行く。
でも実際はまだ抜けているところもあるようだ。
なにせ家族にもチカラの制御について話さなかったのだから。
「ちょっと、”頼れる人”に会ってね。色々してくれたんだ。」
照れくさそうに言うサクラに家族が驚愕する。これは完全にアレだ。
「やっぱオトコじゃないの!」
「だから違うって……あ、電話だ。ちょっと外すね。」
慌てて携帯端末をもってリビングを出ていくサクラに、家族達は何かを察した。
恐らくは電話の相手が、例の頼れる人なのだろう。
この日コジマ家では、緊急家族会議が開催された。
…………
「こんばんは、ちょっと今時間あるかな?」
「うわっ!マスター、飛び出てますよ!?」
階段を速攻で駆け上がって自室に籠もると、通話を開始する。
するとサクラの目の前にマスターの上半身が映し出された。
「お、実験は成功だね。実はチカラの新しい使い方を覚えたんだ。」
「これは、3Dホログラムですか。空間情報を精神力で再現?相変わらずですね。」
「サクラは話が早いね。もうバレてしまったよ。それで本題なんだけど、GWは空いてます?」
「取材が数件ありますが、別になんとでもなりますよ。」
「それならウチに来ませんか? 色々お見せ出来ると思います。」
「もちろん行きます! あ、雑誌も持っていきますね!」
…………
「マスターよ。そこに転がってるのは我への供物か?」
5月2日の夜。水星屋に身長2m以上あろうかという悪魔が来店した。
黒い翼を持ち、鋭い目と牙を持つその姿は迫力たっぷりだ。
現在水星屋は30人を越えるお客さんで賑わっているが、その店内の片隅に一人の女が横たわっていた。
桃色の髪にスーツを着ている女だった。
「これはこれは当主様。水星屋にようこそ!そちらの女性はオレの協力者です。少々気分が優れないようなので休ませてます。」
「うむ。人間には刺激が強いであろうからな。」
「当主様、こちらのお席へどうぞー!」
話しながらも空間を弄って席を作ったマスター。そこへ”いつもの”メニューを用意したキリコが声をかける。
他のテーブルからも注文が殺到し、キリコはそちらの対応へ向かう。
「相変わらず素早いな。では頂くとしよう。」
悪魔はどっしりとカウンター席に座ると、ワインを口に――はせずに胸に持っていった。
続いて悪魔用の特製ハンバーグに特製ソースを付けて、
やはり胸に持っていく。それでいて口で食べているような動きをしている。
「当主様、シュールです。」
「わかっておる。話を聞いた時はいけると思ったのだが、よもやこのような弱点があろうとは。」
この2mを越える悪魔は実は映像、3Dホログラムで作られたものだった。
当主様と呼ばれている通り、水星屋と専属契約をした悪魔本人である。
中身は威厳というより正義を感じる姿なので、マスターが試しに映像をかぶせたのだ。
ちなみに超上げ底にしており、膝辺りに本体の足首がある。
それでも口が胸あたりにあるので、周りから見ればこの上なくシュールだ。
「まぁそれはいい。マスターよ、人手不足は解決しそうか?もしアテがなければウチから数名持っていっても構わんぞ。」
「使用人は相変わらずですね。人間には特殊な環境ですので、誰も寄り付きません。」
「それなら明日にでも何人かそちらに――うん?」
その時悪魔はマスターを、マスターの奥深くの何かを見る。
「さっきの話は無しだ。その内解決するだろうから今は励むといい。」
「当主様がそうおっしゃるなら。でも何が視えたんです?」
「キリコと同じで、すでに導かれつつある。近頃、赤い糸くずのようなものを見なかったか?」
「糸、糸くずですか。ちょっと心当たりは無いですが。ていうかキリコも、オレがやらかしたのですか?」
メイドさんその1が髪についた糸を取ろうとした話は、彼の頭からは忘れられていた。
キリコに至っては何も気が付かないまま事態が進んでいた。
「なら無意識での発現か。 もう少し精進が必要だな。」
「はい、これからも励ませていただきます。」
それで話を終えてパクパクと胸で食べる悪魔さん。
「うーん、なんか百鬼夜行の夢を見たような。」
サクラが目覚め、即座にマスターが水とおしぼりを持ってやってくる。
「サクラ、大丈夫ですか?」
「ああ、マスターありがとう。どうやら悪い夢を見ていたようだ。」
「目が覚めたようだな、人間。マスターの協力者ならもう少し度胸を鍛えねばならんぞ。」
「きゅ~~。」
軽く挨拶をしにきた当主様のビジュアルに、2度寝を決め込むサクラ。
事実を認識するチカラを使えば中身が可愛らしい正義の存在だと気がつけたのだが、確認する前に気絶してしまった。
「我は、そんなにアレな姿なのか……」
当主のプライドと女のプライドの狭間で苦悩し始める悪魔さん。
「もうウチの部屋に寝かせておくか。」
二度寝するサクラを客室に放り込んで、営業を再開するマスターであった。
…………
「それで、また気絶しちゃったのね。」
魔王邸の高級ホテルの一室で、パジャマ姿の○○○が言った。
パジャマなのは魔王の妻だけでなく、サクラとキリコもだ。
3人共ロクに学校も出てなく、修学旅行やお泊り会なども経験がなかったのでこれを機にパジャマパーティーをすることになったのだ。
そんな訳で女3人、同じベッドの上でぺたぺたとじゃれついていた。
ちなみにマスターは自室でセツナと幸せな親子空間を作り、それをメイドさんその1が眺めてほっこりしている。
「あの見た目はズルいですよ。目が覚めて目の前に2mの筋肉男が居たら怖いです。」
「当主様は女の子よ。きっとショックを受けたでしょうね。」
「私よりも小さい子に、もっちゃん大人げないわね。」
「ええー!? そ、そう言われても!あぁ、そっか3Dホロかー!! 」
「うふふ、度胸も女も今の所はキリコちゃんの方が先に行ってるわね。」
「元暗殺者の度胸にはかなわ……女もってどういうこと!?」
ガバっと体ごとキリコに振り返ると、ドヤ顔で説明し始める。
「ふっふっふ。我が高度な策略により、主の心を魅了した我は――」
「労いのマッサージをお願いしたら、全身開発されてイかされちゃったのよね。」
「奥さん! 本当のことだけど、それはちょっと語弊があるわ!」
「いいいいいつのまに!? え、もしかして経験ないの私だけ!?」
「もっちゃん、安心して。私はまだ新品、キスすらまだよ。」
「それで前も少し話したけど、どうするかは決めたの?」
「私は店員のまま側にいるつもりです。でもマスターに1人前と認められたら、その時はマスターを貸してくれると嬉しいです。」
そう言ってキリコは、○○○に深く頭を下げる。
「そう。キリコちゃんがそう決めたならいいわ。でもここのルール上、火遊びはいいけど育児は外よ?」
マスター夫妻は円満な家庭を作る上で、ルールを定めている。
現状のルールでは、他の女が子供を作った場合は外で育てなければならない。
この家は○○○の子供しか育ててはいけないのだ。
マスターの多忙を考えれば、実質母子家庭になるので厳しいだろう。
「覚悟の上です。でもまずはマスターに認められるよう頑張ります。」
「旦那も罪な男ねぇ。生前はモテた試しがなかったらしいけど。」
やっぱり3年目は……と呟いているが、その辺は○○○を始めとする人間?関係の改善の賜物だろう。
「なんだかもう、次元の違う話に聞こえる……」
「サクラさんもそれなりに旦那に食い込んでるとは思うわ。この家に呼ばれるってだけで、普通はあり得ない事なのよ。」
「そうなんでしょうけど、私は情報を扱うだけの女です。」
そういって雑誌を数冊渡す。顔色はよくない。キリコとの差に打ちのめされているのだろう。
「その情報っていうのがとても重要なのだけどね。」
ぺらぺらとオカルト雑誌スカースカをめくる○○○。魔王事件関連のページを開いては、次の雑誌をめくり始める。
【怪異!魔王は2006年に死んでいる?】
権力者の陰謀と巨大犯罪の謎!
【激白!魔王の子を宿した女性に聞く!】
報道の嘘と奇なる真実!
【驚愕!10億殺しは無差別ではない!?】
魔王直々に国連に提出された報告書!
「どれもこれも攻めてる見出しね。それでいて記事の方は、ギリギリのラインで嘘くささも入れてあるわ。」
「魔王事件は世論のような、シンプルな復讐劇じゃない。その事を伝えることが出来ればなと思いまして。」
「これ、1歩間違うと捕まっちゃう。私はもっちゃんとお別れはイヤだよぉ。」
キリコはサクラの腕に抱きついていく。その頭を撫でながらサクラは応える。
「イザって時はマスターが守ってくれるそうなので、記者としての覚悟をキメてみたんだ。」
「まぁ! サクラさんも頑張ってるじゃないの!」
「事実を掴んだ記者として当然のことだと思ってます。」
○○○はマスターから守る宣言を勝ち取った事を言っている。
しかしその手のことは不得手なサクラは、記者の覚悟を褒められたと思ってキリッとキメ台詞を言った。
「もっちゃんのチカラは凄いんだから、少し見方を変えるとマスターを借りるとこまで行けると思うんだ。」
そんな指摘をするキリコだが、サクラはよく意味がわからない。
「うふふ、そんなに焦らなくてもいいわ。これなら何かしらのカタチで結果が出ると思うもの。」
その後1時間ほどはしゃいでキリコとサクラが眠る。
2人にフトンを掛けてあげると○○○は急いで寝室に戻る。
セツナはどちらかといえば旦那の方に懐いているので、これ以上 世話をサボるわけには行かない。
旦那にも娘にも、今以上のアピールを決意した○○○であった。
お読み頂きありがとうございます。
あくまでただのマッサージです。