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知らずの町  作者: 湯納
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最果ての異界


殺伐とした夜だった。


夜空を見上げていた私は、薄雲に覆われた月が辺りを淡く照らしているのをぼーっと眺めていた。夏を思わせる暑さの残る夜だったが、時折風がすーっと吹いては辺りの熱気を凪いでいった。

足元を見れば、無機質な黒々としたアスファルトが広がっており、ポツポツと立ち並ぶ街灯と月明かりに浮かぶ薄らとした白線などから、そこが駐車場であるように思えた。実際に、車も疎らではあるが数台停まっている。


ふと我に返り、私はぼんやりときた頭で考える。おかしい。何か変だ。

どう考えても、この場所も知らなければ、直前の記憶もないのだ。私が私であること、幼少期から今日26歳までの記憶は確かにある。だが、現状が理解できない。

あぁ、何だか誰かと待ち合わせをしていたような気がするが。

少なくとも、こんな場所を、私は知らない。


私は茫然と立ち尽くしていた。

目前の街灯が、明滅を繰り返している。


辺りを見渡すと、駐車場の傍には古ぼけた立て札があり、公園の名が記されていた。立て札の奥には深い緑が鬱蒼と生い茂る一角があり、濃い夜の闇に包まれ不気味な雰囲気を漂わせている。見れば駐車場に続く舗装された道がどこかへと伸びている他、辺りは公園の一部だろうか、駐車場を囲むようにして森となっている。耳を澄ますと静けさの中に、得体の知れないカチカチという音が無数に森の中から聞こえ、虫の鳴き声にしては聞き慣れず耳障りに思えた。


薄ぼんやりと見えていた月や周りの風景を見るに、どうやら少し霧がかっているようだ。


現在時刻も分からない私は、ひとまずどこかへ向かわねばならないと思った。このような不気味な場所で一夜を過ごしたくはない。

そう思って数歩と歩き出した私の目は、遠くに灯るひときわ大きな光を捉えた。明らかに人工的な光であり、恐らくは建物から漏れているものだろう。公園の中に位置するそれが何なのか気になった私は、その光を目指す事にした。


歩き出して5分と掛からず建物に辿り着いた。

一階建ての平屋で、公衆トイレにも見えるが扉もない大きな入り口から色褪せた頼りない薄暗い光が漏れている。造りとしては車のガレージ車庫に似ているが、それにしてはやや奥行といい大きいように思う。

トイレにせよガレージにせよ、或いはもっと他の施設にせよ、私の好奇心はこれを覗かずにはいられなかった。

近づくと中からは物音が聞こえ、私は入り口横に回りチラリと頭をのぞかせ内部の様子を見てみる事にした。ただ、この時私はその可能性に気付くべきだったのだ。

見知らぬ場所に気が付いたら立っていたという理解の及ばない異常な状況下で、せめて何かを知ろうと求めてやってきた場所が正常でないという可能性に。

衝撃的な光景を目にする前に。そう、私は初めから覗くべきではなかったのだ。


私の視界に映る多くの情報が、一瞬で波のように押し寄せた。


壁や床はうす緑色のタイルが白い樹脂性の繋ぎ目によって敷き詰められた広い空間だった。タイルはカビや汚れで茶色や黒に所々変色し小汚い印象を受ける。

そしてこちらもうす汚れた白い浴槽が手前から奥へと左側の壁寄りに3つ程等間隔で並べられ、数人の白衣にマスク姿の解剖医らしき姿が見受けられた。

彼らは浴槽の中に向かって手を伸ばしたり、観察してはメモを取ったりと黙々と作業を行っていた。


廃屋で行われる秘密裏の実験。そんなイメージが浮かんだ。

この時点で私は薄々、常識からかけ離れた世界にいるような感覚をひしひしと感じていた。


私は訳も分からないまま、ただ気味の悪さに圧倒され、正常に機能していない脳はきっと、異常を遂に来たした。

私はふらりふらりと、吸い寄せられるように中へと歩き出した。好奇心の赴くがままに。


一番手前の浴槽の横を通る私に、白衣の2人組は気付いていないようでずに作業を続けている。

見ていると、彼らは息を合わせて浴槽から茶褐色の何かを持ち上げ床へと下し始めた。軽々と持ち上げられた何かを人だと理解できたのは、頭部や四肢にあたる部位が見受けられたからだが、けれど枯れ木のように細く干からび、また腐敗の進んだその姿はあまりにも健全な人間からかけ離れており、当然私はすぐに理解できなかった。

白衣の二人組は続けて浴槽に霧吹きで何かを掛け、ホースを以って水洗を始めた。浴槽の下から流れる出る液体は黒ずんだ茶色の固形物や濁った草色の液体が混じり、ゴポと音を立てて床を辿り近くの排水口へ吸い込まれていく。

ここで何が行われたのかも、どのような真実がそこにあるのかも、私はもはや恐ろしくなり努めて考えないようにし、その奥の浴槽へと視線を向けた。


真ん中2番目の浴槽の周りには誰もおらず、何もないように見えた。

事実、近づいても浴槽の中には何も無かった。


ただ、浴槽の周辺には夥しい量の赤い液体が飛散していた。

あの量はバケツの1杯や2杯でも足りないだろう。それは端から黒っぽくタイルにこびりつき、僅かな床の傾斜によってか排水口の穴へと流れた形跡があった。

液体の中にはよく見ると白い虫が無数にうねっており、虫の類が苦手な私はそれを見た瞬間に吐きそうになってしまった。あまりつぶさに観察をしなかったが、その虫は小ぶりの魚ほどの大きさで、私の指よりも大きなウジのように見えた。それらが恐らくは血の海の中で、踊るように這いずりビチビチとのたうっているのだ。


私は迂回するように極力距離を取り、壁際を通って奥へと歩を進めた。

さっさと背中を向け立ち去るべきだったというのに、奥まで見てみなくてはと何故か思っていたのだ。私はまともな判断力もなく、きっと気が触れてしまったのだと思う。


けれども、そんな私でも数歩のところで足が止まった。


3つ目の、つまりは一番奥の浴槽には傍らに白衣姿の男が一人、膝をつき観察するように中を覗き込んでいた。遠巻きに見えたのは、黄ばんだ流木のような物体が浴槽に横たわっている様子だった。

到底そうは見えなかったが、こちらもまた、人なのだろうと私は直感した、


そして何より私が警戒し足を止めたのは、目の前に見たこともない化け物がいたからだ。

この空間の隅にそいつはいた。


それはよく見れば。おそらくは虫の類であった。しかしながら私はその存在を知らない。少なくとも、そんな虫は存在していないはずだ。

特大のムカデ。それが初めに受けた印象だった。ゲジゲジ同様の多足類で子犬の足程ありそうな太く鋭い無数の足が蠢き、頭部と尾部からそれぞれ2本ずつの1mほどありそうな蝕肢が絶えず動いていた。アリやカブトムシ等のような黒光りする甲殻に覆われており、ちょっとやそっとでは傷つく事もなさそうであった。

恐ろしいことに大型犬ほどの体格を持つ大きさのそれは、口元からガチガチと音を鳴らしこちらを見つめていた。

見れば成人男性の拳2つを合わせたような巨大な厚みのある鋏でもって、捕食の時を待ちわびるように打ち鳴らしてるのだった。


私は腰が引けそうになりながらも、逃走を試みるべく強く地面を押しけって走り出した。

右手側に見えるいくつかの浴槽が過ぎ去り、一心不乱に走った私が出口に近づいた時だった。


この建物の入り口に、少年が立っていた。

彼は茫然としながらも目元をゴシゴシと擦っては、ふらふらとこちらの方へと歩いてくる。きっと私のように、光につられて外からやって来たのだ。


私は彼を止めなければならないと思った。内部など見ても良い事は何一つなく、奥には見るからに危険な生物がいる。幸い、追いかけてくる様子はないが、それでは早く去った方がよいと伝えようとも思った。

けれども、それより先に黒い影が彼の足元に忍び寄っていた。

先ほど見た黒い巨大なムカデが、目にもとまらぬ速さで建物の入り口付近の木陰から這い出し少年を襲い始めたのだ。

がぶりと足首を齧りつかれた少年は、あまりの出来事に声も出ない様子だった。

骨が砕かれるバキンという音と共に、プシュと鮮やかな血が迸り辺りに飛んだ。


見る間にムカデは巨大な鋏の口でもって少年の足を粉砕していった。

それは裁断機のようで、ゴリゴリと音を立てて少年の右足が先端の方から足の付け根の方へと砕かれ喰われていった。

固まってしまった私の足元を縫うように、背後にいたはずのもう一匹のムカデが這って少年に向かっていく。血の匂いに釣られたのか、ガサガサと走っていき激痛に悶え倒れこんだ少年の肩口に噛みつく様子を、私は呆気に取られて数秒間見ていた。


少年の悲痛の叫びが氷のように身体の芯に触れ、全身を身震いさせた私は、再び走り始めた。

本当はこのまま、虫を迂回して逃げ出したくて仕方がなかった。あんな恐ろしいものの相手など、自分にはどうにも出来ない。何も見なかった事にして、危険を回避したかった。

けれど、自分よりも遥かに非力な少年が目の前で殺されかけている。それを見過ごす事など、私の良心が許さなかった。見るからに堅そうな甲殻をもつ虫に、私は薄々何もできないと悟りながらも、勢いよく走り出した。上から踏みつぶすように、勢いよく飛び蹴りをしようとしたのだ。


私が辿り着く、僅か数秒の間に、少年の声は聞こえなくなった。

絶えず聞こえていた骨を砕き肉を割き血が溢れる音も、聞こえなくなっていた。

ニチャニチャと、2匹の発する咀嚼音だけが響いていた。


目の前には飛び散った肉片と、布の切れ端と、そして血の海だけが残った。

私は頭がおかしくなりそうで頭を抱え、ブチブチと千切れていく痛みにも気付かぬほど髪を強く強く握り、

恐らくは絶叫しながらしゃがみ込んだ。もはや思考する余地は脳から消えた。

何も聞こえなくなった世界は、だんだんと暗くなっていく。


意識が遠のいていく中で、2匹のムカデがこちらへ向かってくる様子と、誰かが私の背中を何度か叩いていたのを、私は最後に覚えている。


続きますが、先に円神書きます。

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