第96話 奴隷
「商品? 奴隷ってことか?」
「その通りだ。知っての通り私は奴隷商をやっていてね。盗賊が捕らえた旅人や行商人を奴隷として売りさばいていたんだよ」
「なんてことを……なんの罪も無い人を奴隷に落とすなんて……」
貧困に喘ぐ人が口減らしも兼ねて子供を売ったり、借金を返済できずに奴隷に落とされてしまうことはままある。罪を犯した者や敗戦国の捕虜が奴隷になったりということもある。
だが誘拐した人を奴隷にすることは、当然許されることじゃない。もし、国家や領主に奴隷の取り扱いを許された正規の奴隷商がそんな出自の奴隷を扱ったとしたら、即座に免許を取り消されたうえ厳罰に処される。
「やはり闇奴隷商か……」
「内戦続きの北方の小国家郡では戦争奴隷や従軍性奴隷が高く売れるのだよ。足の付かない良い調達先だったのだがね。盗賊達を君たちに潰されてしまったのは残念だよ」
「この、ゲスが」
「ふふ、それは誉め言葉だよ。生き馬の目を抜くこの世界では、どんな手段でも躊躇なく行えるものが成功者となるのだ」
闇奴隷商はニヤリと笑う。
「この娘も貴族では無いようだが、これだけ器量が良ければそれなりの値がつくだろう。きっと人気の娼婦になれるさ。それに君もそこそこ腕が立つようだし、戦奴として売りに出してあげようじゃないか」
「……そんなことを、させると思うか?」
俺は漆黒の短刀のグリップを強く握りしめる。
「ふふ……私の護衛は優秀でね。元々はかの高名な傭兵団『鋼の鎧』で隊長を務めていた者なんだ。君がいくら腕が立つと言っても彼女には及ばない。我を忘れて私に襲い掛かったとしても、その刃が私に届くことは無いよ」
俺は獣人族の女に目を向ける。犬……いや狼の獣人だろうか。灰色がかった長い銀髪。女性としては長身で俺よりやや低いぐらい。装備はいわゆるビキニアーマーと言われるような鉄の胸当てと腰巻に革靴だけ。露出度の高い装備から覗く肉体は鋼のように鍛えられていて、身体中についた刀創が歴戦の戦士の風格をうかがわせる。
気になるのは伏せた耳、だらりと下がった尻尾、そして怪しく黒光りする腕輪だ。切れ長の瞳とすっと通った鼻筋、形の良い唇は美しいと言っても差し支えないが、その瞳は死んだ魚のように濁っていて表情からは感情が抜け落ちている。
「奴隷……か」
「そう。敗戦捕虜となっていたところを格安で仕入れることが出来たんだ。ところで、売買契約を伴わず、罪も犯していない人族を、その者の意思に反して奴隷にするにはどうすればいいと思う?」
「……その腕輪か」
「半分正解だ」
奴隷商がニタリと不快感を煽る醜悪な笑みを浮かべた。
「それは隷属の腕輪と言ってね。腕輪の所有者が、それを着けた者を隷属させることが出来る。希少な魔道具なんだが、残念なことに身に着けさせるだけでは隷属させることは出来ないのだよ」
「…………」
無理やりに身に着けさせるだけで奴隷に落としてしまうわけではないのか。恐ろしい効果だが、寝てる間に奴隷にされる……といったことが出来ないだけまだマシかも知れない。
「この腕輪の効果を発揮させるには条件があってね。一つは死の間際に至るほどに痛めつけて抵抗する気力すら奪うこと。もう一つは絶望の淵に追いやり完膚なきまで心を折ること。条件のどちらかを満たす必要がある。その状況下で隷属の腕輪を着ければ、あとは所有者の思うがままに動く人形の出来上がりというわけだ」
前言撤回。なんて醜悪な魔法道具なんだ。この獣人族の女性の目が淀んでいるのは、そういった経緯で奴隷にされたからなのか……。
「私は他に隷属の腕輪と首輪を一つずつ持っている。それを君とこの娘にプレゼントしようじゃないか。そうだな……この娘には首輪の方を進呈しよう。この洗いたての陶器のように白く美しい首筋には、この首輪がよく似合うだろう」
「ふざけるなっ! そんなことをさせるわけがないだろう!」
「動くなっ!!」
激情にかられ斬りかかろうとした俺に奴隷商が怒鳴る。奴隷商はアスカの髪を乱暴に引っ張って顎を上げさせ、首筋にダガーを這わせている。アスカがヒッと短く呻いた。
「さて、私の護衛に君を痛めつけてもらうとしようか。なに、心配するな。君は戦争奴隷として売りさばく大事な商品だ。死の際までは追い込むが、五体満足で生かすことだけは約束しようじゃないか。そして……この娘はまず私が楽しませてもらった後に、私の部下たちと遊んでもらうとしよう。お嬢さん、君も楽しみにしていたまえ。大勢の部下がいてね。中には特殊な趣味を持つ者もいる。いったい何人まで心が持つかな?」
頭の中が真っ赤に染まる。今すぐにでも、この男を切り裂き、バラバラに刻んでやりたい。
だが、アスカの首筋に押し当てられたダガーから滴り落ちる血が、俺を踏みとどまらせる。
「外道が……」
くそっ……。どうしたらいい。支える籠手の連中が追って来ることにはなっているが、来たとしてもアスカを人質に取られている以上はどうすることも出来ない。
「ふっ。またしても誉め言葉だな。さて……追手が来るんだったな。そろそろ私は失礼させてもらおう。ユーゴー、その男を殺さない程度に痛めつけてやりなさい」
そう言って奴隷商はダガーを突き付けながらアスカを引きずるようにして歩き出した。
「まっ、待て!」
追いすがろうとした俺の前に、ユーゴーと呼ばれた獣人族の奴隷が立ちふさがる。
「そうそう、君も出来るだけ抵抗すると良い。抵抗し、無力に敗れたその敗北感が、隷属の腕輪の支配力を強めることになる。この娘が壊れていく様も特等席で見せてやるから楽しみにしていたまえ」
奴隷商がそう言い放つと同時に、ユーゴーが横薙ぎに剣を払う。俺は咄嗟に背後へ飛び退き、凄まじい速さで振るわれた剣を躱す。
「くそっ! 邪魔をするな!」
着地と同時に突進し、漆黒の短刀を斬り上げる。渾身の斬撃だったが、ユーゴーは引き戻した剣で難なく受け止めてみせた。
数瞬の鍔迫り合いの後、押し負けた俺は後方に体勢を崩された。その隙を逃さず上段から振り下ろされた剣を、俺はなんとか身を捩って避ける。
さらに追撃で振るわれた横薙ぎの剣を横に飛んで躱し、いったん距離をとる。力比べではとても敵わない。これが獣人族の戦士か。
火喰いの円盾を置いてきたことが悔やまれる。盾が無ければ、俺が得意とする【鉄壁】や【盾撃】を駆使した戦い方が出来ない。
使い慣れた紅の騎士剣が無いことも問題だ。盗賊を暗殺するのには、闇に紛れる漆黒の短刀の方が使い勝手が良かったため置いて来たが、失敗だったな……。
かと言って盗賊のアジトに潜入するのに、目立つ紅の騎士剣をぶら下げて歩くわけにもいかなかったし……。くそっ、こんなところでギルバードを上回るような戦士との戦いになるとは思わなかった。
どう攻める……? 鉄壁と盾撃のコンボは使えない。盾さえあれば……って、くそっ、思考が堂々巡りしている。
「すまない……」
唐突にかけられた声に、俺はハッとしてユーゴーの顔を見る。ユーゴーはギリギリと音が聞こえてきそうなほどに歯を食いしばっていて、唇の端からは血がにじんでいた。
「そう……か。お前も本意じゃあないんだよな……」
ユーゴーの声が、冷水でも浴びせかけたかのように俺の心を冷やしていく。渦巻いていた焦燥や奴隷商に対する敵意をいったん心の隅に追いやってくれた。
冷静にならなくては、この凄腕の戦士に勝つことは出来ない。騎士のスキルがほとんど使えない? だからどうしたと言うんだ。俺にはまだ俺にしかできない戦い方が出来るじゃないか。
俺は、漆黒の短刀のグリップを握る力をゆっくりと緩めた。




