第95話 追走
「ちっ、ついさっきまでいたはずなのに。いったいどこに……」
乱入した盗賊の頭の部屋はもぬけの殻だった。高価そうな酒瓶と遊戯用のカードがのった丸テーブルに数脚の椅子。テーブルの上にあるガラス製のグラスには琥珀色の液体が注がれていた。
壁際には盗品と思われる木箱がたくさん積み重ねられている。部屋の奥は衝立で仕切られていて、間仕切りの奥には盗賊頭のものであろうベッドや箪笥があった。
ついさっきまでこの部屋には数人の気配があった。酒盛りをしていた集会所には出てきていないので、この部屋に隠し部屋か通路でもあるに違いない。
手始めにベッドを押してずらしてみると、ベッド下には地下へと続く穴と梯子があった。一発目で正解だ。アスカや盗賊頭はこの奥にいるはずだ。
俺は急いで梯子を下りて盗賊達の後を追う。穴の下に下りると明らかに人の手で岩盤を掘って作られたのであろうトンネルが続いていて、少し先に進むと地下河川の流れる天然の洞窟に繋がった。
風の流れがある……この道は外に続いている……? 俺は思わず舌打ちする。
アスカは行商人を装っていた男に連れていかれたらしく、先ほどの牢屋にいなかった。まずアスカを見つけ出してから、攫われた隊商の人達と一緒に脱走をしかけ、騒ぎに乗じてアスカだけでも助け出そうと思っていた。
だがアスカだけが個別に拘束されているとなると、他の連中よりも厳重にガードされていることが予想される。忍び込んでアスカを救出することは難しいと思われた。
そのため傭兵や冒険者たちの協力を得て盗賊達のアジトを制圧し、逃げ場を失くしてから盗賊頭にアスカを開放するよう脅すつもりだったのだが……。騒ぎを起こして支える籠手が救出に来たかのように演出したのが裏目に出てしまった。
まだ逃げられてから、それほど時間は経っていない。俺は全速力で走り、盗賊達を追う。
幸いにもここはアジトと違って通路が整地されていないため、ゴツゴツとした岩肌はかなり走り難い。相手はアスカや行商人を装っていた男を連れて逃げる盗賊達だ。山の中で何年も狩りをして暮らしていた俺の方が足は速いはず。きっと追いつける。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「アスカ!!」
「んん!!! んむーーー!!!!」
「なにっ!? くそっ、もう追いつかれたか!」
ほどなく携帯用の灯りの魔道具を持って移動する一団を発見した。背後からかけられた俺の怒声に、一団は弾かれたように振り返った。
一団の中に両手を後ろ手に縛られ、猿ぐつわを噛まされたアスカがいた。見たところ大きなケガは無く、着衣が乱れてもいない。
やっと……見つけた! 俺はほっと息を吐きだし、あらためて盗賊の一団を見回す。
身なりの良い中年の男と背の高い獣人族の女。そして3人の盗賊と思わしき男達。
粗野な風貌の男達は薄汚れた服を着こみ、3人のうち2人は上から革鎧を装備している。値が張りそうな板金の胸当てと籠手を身に着けているヤツが、おそらく盗賊頭なのだろう。男たちはすでに剣を抜き放っていた。
「諦めろ。アジトはすでに制圧済みだ。すぐに俺の仲間が追いかけてくる。もう逃げられないぞ」
俺は漆黒の短刀を抜き、静かに声をかける。
「ふん……、1人か。おい! 追手が来る前にコイツをやっちまうぞ!」
盗賊たちは言うや否や剣を振り上げた。連携の取れた動きで、左右と正面から襲い掛かって来る。
だが地面は所々に石筍が立ち並ぶゴツゴツとした岩肌で、地下川沿いの狭い悪路だ。段差や障害のある場所で同時攻撃などかけられるはずも無い。全くの同時でもない限り、速度に勝る【盗賊】Lv.★の俺からしてみれば1体1の繰り返しに過ぎない。
俺は左から襲い掛かって来た男の首筋に向けて漆黒の短刀を振るう。狙いたがわず喉笛を切り裂いたその勢いのまま半回転し、正面から向かって来た盗賊頭に回し蹴りを見舞う。
【烈攻】の乗った俺の蹴りは、おそらくは【喧嘩屋】の蹴りを優に超える威力があるだろう。盗賊頭はまるでワイルドバイソンに跳ね飛ばされたかのように吹き飛び、右側から襲い掛かって来た男を巻き込んで轟々と流れる川に転落した。
「ふっ!!」
次いで懐から取り出した火喰いの投げナイフを投擲する。紅く輝きを放つナイフは一直線に中年の男に向かっていったが、獣人族の女に叩き落された。
「ふむ……なかなかの腕前だな」
身なりの良い中年の男はナイフを投げつけられたと言うのに余裕の態度で、品定めするかのような目を俺に向けた。まるで陳列棚に並ぶ商品でも眺めているかのような目つきだ。
「それにしても盗賊どもは不甲斐ない……こんなにあっさりと倒されてしまうとは。所詮はならず者、この娘を攫って来れただけ良しとするか」
余裕の態度の理由はこの獣人族の女がいるからか……。投擲したナイフを大剣で叩き落すなんて離れ業をいとも簡単にやってしまう凄腕がついているのだ。一人や二人の追手など相手にならないと思っているのだろう。
「あんたが噂の侯爵子飼いの奴隷商か……」
「ふん、盗賊たちか……余計なことを喋りおって。ここで始末が出来て良かったかもしれんな」
「……彼女を解放しろ。彼女さえ置いて行けば、この場は見逃してやってもいい」
クレアの護衛をアリンガム商会から依頼されている身としては、侯爵とやらと繋がっているという背景の怪しい輩は拘束したいところだ。だが、俺が優先すべきはアスカの安全だ。
「それは出来んな。わざわざ低能な盗賊どもを使ってまでアリンガム家の令嬢を捕らえたのだ。ここで渡すわけにはいかんよ」
……そうだ。こいつらはアスカをクレア・アリンガムだと勘違いして連れ去ったんだった。
「あー、その、なんだ。その子はアリンガム商会の令嬢じゃないぞ?」
「うん? 何を……言っている?」
「いや、だから、その子はアリンガム商会の令嬢、クレア・アリンガムじゃない。その子は俺の連れだ」
「なん……だと? いや、そんな……まさか……」
「むぐっ!!」
顔を引き攣らせる奴隷商。慌てた様子で隣にいるアスカの髪を乱暴に掴んで自分の方を向かせた。
「おいっ!!」
奴隷商に詰め寄ろうとするが、間に獣人族の女が立ちふさがる。奴隷商も手にダガーを持っているため、アスカに何をされるかわからない。俺は奥歯を噛みしめて踏みとどまった。
「そんなわけは……アリンガム家の娘は10代後半の美しい少女という話だ。それに、この服……他に貴族の娘が隊商に同行しているはずは……」
見るからに焦りを浮かべた顔つきでブツブツと独り言を呟く奴隷商。その手は未だにアスカの髪を掴んでいる。
「その手を放せ! 信じられないならその子に聞いてみればいいだろう!!」
「くっ……いったい何だと言うのだ! くそっ!」
奴隷商はアスカの口をふさいでいた猿轡を乱暴に外す。急に轡を外されアスカがゲホゲホと咽込んだ。
「貴様っ! アスカに乱暴な真似をするなっ!!」
「黙れ!!!」
ダガーをアスカの首元に突き付けて、奴隷商が怒声を張り上げる。
「答えろ……貴様はアリンガム家の娘、クレア・アリンガム。そうだな?」
「……違う。あたしはアスカ。クレアじゃない」
アスカがキッと睨みつけて答える。
「なん……だと……。クレア・アリンガムと名乗っていたではないか……それにその服は……」
「クレアちゃんのフリをしてただけよ。それに、この服はクレアちゃんの。かわいい服だったから、着させてもらっただけ。絹製は貴族しか着ちゃいけないって話だったから、旅の間だけ着させてもらってたの。見事に騙されてくれたね」
紡績の町エスタガーダで平民が絹の服を着ることが出来ない事を知ったアスカは、町や村を離れた時だけという条件でクレアの服を借りて着ていたのだ。そのおかげでクレアの名を名乗った時に疑われなかったのだろう。
「そんな……まさか……」
「髪色を見て気付かなかったのか? バイロン・アリンガム卿もクレアもプラチナブロンドだ。この辺りじゃ珍しい漆黒の髪色だなんて、聞いたことがあったか?」
「くそ……なんて失態だ」
奴隷商がわなわなと震える。企みが完全に失敗していることにようやく気付いたのだ。
「もう一度言う。盗賊のアジトは制圧した。じきに仲間もここにやってくる。無駄な抵抗はやめてアスカを解放しろ」
「ふ、ふふふ……はーはっはっはっは!!!」
突然、笑い声をあげだす奴隷商。
「……随分とコケにされたものだ。この私が盗賊ともども騙されたというわけか」
奴隷商が急に手を振り上げ、アスカの頬を叩いた。乾いた音が洞窟に響く。
「きゃっ!」
「貴様っ!!」
頭に血が上るっていうのはこういう感覚のことを言うのか……。今すぐにでも切り捨ててやりたいが、奴隷商の持つダガーは変わらずアスカの首元に向けられていて迂闊に動けない。
「アリンガムの娘の誘拐は失敗か……。だが、ここまで手をかけたというのに何も成果が無いと言うのもつまらん。この娘と君には私の商品になってもらおうか」
奴隷商は静かにそう言った。




