第93話 月の魔法
あらためて扉の隙間から中の様子を窺う。盗賊どもの集会所は楕円形の広間になっていて、真ん中には部屋全体を照らす大きな灯りの魔道具が置いてあった。
盗賊たちは灯りの魔道具を中心に車座になって酒盛りをしている。部屋の隅には酒樽が置いてあり、盗賊どもが酒を柄杓でカップに注いでは飲み干していた。
部屋の中には真ん中にある魔道具以外に灯りは無さそうだ。あの灯りを【投擲】で上手いこと壊して、突然の暗闇に乗じて制圧……は最後の手段だな。
盗賊は20人もいるんだから、さすがに多勢に無勢だろう。無謀な特攻を仕掛けても返り討ちに遭うのは目に見えている。夜目が効く奴がいるかもしれないし。
敵地にたった一人で潜り込んでるんだ。アスカが乱暴されているかもしれないと思うと心が逸るが、失敗したら俺の命が失われるだけでなくアスカを助け出すチャンスが失われてしまう。ここは慎重に、慎重に臨まなければ……。
俺はポーチの中から小瓶を3本取り出す。痺れ薬は盗賊どもの居住エリアで既に使い果たした。残っているのは下級回復薬が3本、そして取り出したうたた寝の水薬だ。
うたた寝の水薬はこの小瓶1/3ほども飲めば、半日は眠りこけてしまうほどの強力な睡眠薬だ。なんとかしてあの酒樽に注げば、こいつらを深い眠りに落とすことができるだろう。
さてどうするか……。一番確実なのはここから【投擲】スキルで酒樽に投げ入れる事だが……うん、バレるに決まってるな。
なら手段は一つ。イチかバチかだが……やってみるか。アスカに何度も殴られながら練習して、少しずつ少しずつ上達した俺の得意技を使う。きっと大丈夫だ。
俺はうたた寝の水薬のコルク栓を開け、小瓶に手を当てて魔力を集中させる。使うのは世界中のほとんどの男が使えないであろう魔法だ。
……いくぞ!! 【月浄】!
俺は小瓶に入った水薬が水の玉になるようにイメージをして月の魔法を発動。瓶の中で水薬が一塊の水玉になったのを感覚的につかむ。
よし……この調子だ。そのまま水玉を浮かび上がらせるように魔力を操ると、うたた寝の水薬の水玉が瓶の口からふわっと浮かび上がった。
俺はそのまま魔力操作に集中し、水玉をふわふわと動かす。扉の隙間から水玉を部屋の中に動かして、天井に沿ってゆっくりと飛ばしていく。
くっ……生活魔法だってのにゴリゴリ魔力を削られていくな。それはそうか……本来は体内に発生させた水玉の位置を微調整するぐらいしかしない魔法なんだ。こんなに何メートルも水玉を飛ばすような魔法じゃないんだ。
俺は集中力をより高めて水玉を操作し、天井からぶら下がる鍾乳石の間を縫うように水玉を動かしていく。
水玉をゆっくりと酒樽の直上まで運んだところで、盗賊どもの動きに目を配る。盗賊どもは酒を飲み、騒ぐのに夢中で水玉や酒樽に注意を向けている者はいない。
この隙に……!
俺は水玉を下降させ、ゆっくりと酒樽の中に落とした。音も無く酒樽がうたた寝の水薬の水玉を飲み込んだのを見届けて、ザ・ムーンの生活魔法を解除する。これで、1本分の水薬を酒に混入させる事が出来た。
俺が使ったのはセシリーさんに身を呈して教えてもらった生活魔法。そしてアスカに対して何度も繰り返し使った生活魔法。本来なら男である俺が習得しているはずがない、いわゆる『女の子の日の魔法』だ。
この魔法は、女性の……まあ、その……大切な場所に魔力の玉を発生させる生活魔法だ。発生した玉が周囲にある血を吸収して零れ落ちるのを防ぐ……という効果がある。1週間ほど続く流血のピリオドを乗り切るための生活魔法なのだが、魔法を使えないアスカの代わりに習得したものだ。
その魔法をこの小瓶に使ったので、うたたねの水薬を吸い込んだ水玉が出来上がったというわけだ。まさか、こんなところで役に立つとは思わなかった。
その水玉を操作して酒樽に混入させたわけだが、これが想像以上に魔力を消費した。本来なら発生させた魔力の玉を女性の体の出口に……いや入り口か?……にピッタリはまる様に数センチ動かすだけの魔法なのだ。それを十数メートルも動かしたわけだから、それなりの魔力を消費してしまうのは当たり前かもしれない。
さて、1本目は上手くいった。残りはあと二本。俺は周囲に注意を払いつつも、新しい小瓶のコルク栓を開けた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
3本目の小瓶から飛ばしたうたた寝の水薬の水玉を、なんとか酒樽に混入させた。水薬をゆっくりと移動させている間も、盗賊どもは酒樽から酒を注ぎ続けていて、数人の男がすでに眠りに落ちている。いびきをかいて眠っている男たちは、一見すると酔い潰れているようにしか見えないけど……。
最後の水玉を降下させていた時には、酒樽に近づいた男に目撃されてしまうというハプニングもあった。咄嗟に【月浄】を解除して水玉が酒樽にボチャンッと落ちてしまったのだが、男は大して気にする様子も見せずに樽から酒を注いで車座に戻っていった。どうやら鍾乳石から水滴が滴り落ちたとでも思ったようだ。直径数センチの水の塊が、鍾乳石から落ちてくるわけは無いと思うのだが、男が間抜けだったから助かったみたいだ。
ちなみに、水玉に気づいた男もすでに深い眠りに落ちている。ますます、間抜けだ。
そうこうする間に、宴会をしている盗賊たちの半数以上が眠ってしまった。さすがに違和感を持ったのか、一人の男が周りを訝しげに見まわしている。
「なんだぁ? 今日はずいぶん潰れるやつが多いな?」
「あん? そう言えばそうだな……なんだってんだぁ?」
ちっ……さすがに気づくか……。残りはあと7人。相手は酒も入っているし、やってしまうか?
だが、もしも支える籠手の傭兵並みの手練れがこの中にいたら、かなりマズい……。俺は漆黒の短刀のグリップを握りしめ、殺気を殺しつつも臨戦態勢を整える。
「ははっ、どいつもこいつも飲みすぎたんだろ!? この酒、飲みやすくて旨いもんなぁ!!」
「だな! しっかし隊商の連中も良い酒を持ってたもんだな。これ、ジブラルタの酒だろ?」
「ああ、なんでもブドウじゃなくて米から作ったワインらしいぜ」
「へえ。そりゃ珍しいな。どれ、俺も飲んでみるかな」
「おっ俺も俺も!」
「ちょっと待てよ俺にもよこせ!」
残りの盗賊たちが酒樽に群がり始める。あれ……気づいたんじゃ……無かったのか?
「んっだよ! もうほとんど残ってねえじゃねえか」
「おい! 一人じめするんじゃねえよ! ちゃんと皆に分けろ!」
「はいはい、わかったよ。ほれコップをよこせ。」
柄杓を掴んだ男が、盗賊たち全員のコップに酒を注いでまわる。あれ、もしかしてこの展開だと…
「よっし、じゃあ俺たちの明るい未来を祝って乾杯するか!」
「おうっ! あの、なんとか商会のお嬢ちゃんを侯爵様に引き渡せば、晴れて頭は騎士の仲間入りだ!」
「俺らが侯爵騎士団の従士になれるんだぞ! 信じられねえ!」
「ああ! 旨い酒も飲めたし! 侯爵さまさまだぜ!!」
「よっし、みんな祝い酒はいきわたったか? よし、乾杯だ! 俺たちの明るい未来に!!」
「未来に!!」
男たちはコップをぶつけ合ってぐびぐびと酒を飲む。
「あれ……?」
「なんだかぁ……急にぃ……ねぇむけが……」
そして……全員がふらふらと倒れこみ、いびきをかき始めた。
「……どんだけ間抜けなんだ!?」
俺は【潜入】で気配を消していたというのに、つい声を出してしまった。マジか……女の子の日の魔法で盗賊20人を倒しちゃったよ!




