第70話 馬車の旅
「あらためまして、アリンガム商会の副商会長を務めておりますクレア・アリンガムですわ。アル兄さま、アスカさん、この度は護衛の依頼をお引き受け下さってありがとうございます」
「こちらこそよろしくね。三谷アスカです」
「どういたしまして。こちらこそよろしく。俺達も二人で旅するよりはずっと安全に王都に行くことが出来る。ちょうどよかったよ」
アリンガム商会の馬車に乗り、俺たちはあらためて自己紹介をする。
「それにしても、この馬車ってすんごい豪華ね。こんな快適空間で旅が出来るなんて思ってなかったわ」
アスカが言うように、長旅用のアリンガム商会の馬車はかなり居心地が良かった。外見は少し立派な幌馬車といった程度なのだが、よく見ると高価な素材で作られていることがわかる。幌は防水性の高い蛙型の魔物の白い革が張られていて、馬車本体はアリンガム商会の応接室と同じ艶のある濃い赤茶色の木材で出来ている。
馬車の中は、広々としていて20平方メートル以上はありそうだ。側面前方に取り付けられた梯子で中に入ると、俺が寝転ぶことも出来そうなぐらいのゆったりとした3人掛けの黒い革張りソファが2台、向かい合って置かれている。後方はカーテンで仕切られていて、ベッドが設置されていた。クレアの寝室なのだそうだ。
「普段は父が王都に行く際に使っている馬車なのです。父は準男爵ではありますが商会長の立場が本分ですので、貴族が使用する箱型馬車ではなく荷馬車を改造したものを使用しているのですわ」
「たしかにぱっと見は大きな荷馬車って感じだけど、居心地が良くていい感じね」
「貴族が使う無駄な装飾ばかりの鈍重な箱馬車よりは、はるかに実用的だよな。でも、ベッドまで置いてある荷馬車なんて初めて見たよ」
「父は毎年のように王都とチェスターを行き来していますので、馬車の旅でもしっかりと休息が取れるようにと、いつもベッドを持ち込んでいるのだそうですわ」
直線距離でも片道1500キロを超える長旅だから、休息をしっかりと取ることはかなり大事になってくる。ウェイクリング領を代表する商会の会長だけあって、華美な装飾なんかよりも実用性を優先したのだろう。
「そうは言っても、いつもはソファまでは置いていません。普段この馬車には絹織物や革製の工芸品などの比較的高価な商品を積み込んでいるのです。今回はそれらの商品がありませんのでスペースに余裕があったのですわ」
アリンガム商会は、ウール生地やフェルト生地、革製の鞄や小物、そして富裕層向けには美しい絹織物なんかを王都に卸しているそうだ。
「そうなんだー。今回はなんで積んでないの?」
「隊商と取引して食料品と交換したため、王都に持ち込む商品が無くなってしまったのです。魔人族の襲撃でウェイクリング家の備蓄のほとんどが焼き尽くされてしまいましたから、備蓄の補給が急務だったのですわ」
「そうだったのか。アリンガム家も今回の襲撃で、大きな損害を受けることになってしまったな……。ウェイクリング家を離れた俺が言うのもなんだが、父上や母様を支えてくれて感謝するよ」
「アリンガム商会としても、ウェイクリング領の安定は優先して解決すべき課題ですので、お礼には及びませんわ」
ウェイクリング家とアリンガム家が連携して復興に臨めば、チェスターは早いうちに元の活気を取り戻すことが出来るだろう。ボロボロになった貴族街から旅立つのは後ろ髪を引かれる思いもあったが、父やバイロン商会長に任せておけばひとまずは安心だ。まあ、ただの冒険者である俺がチェスターに残ったところで、出来る事なんて何もないしな。
「でも、売る物も無いのにアリンガム商会はなんでわざわざ王都にまで行くんだ?」
「セントルイス王家への献上品をお持ちするためですわ。当初はおじ様と父が伺う予定だったのですがチェスターがあの有様でしたので、わたくしが父の名代として陛下に謁え、親書と献上品をお渡しすることとなったのです」
「そうか。父やバイロン卿の代わりに陛下と謁見することになったのか。……責任重大だな、クレア」
俺が茶化すように言うと、クレアは小さくため息をついた。
「……致し方ありませんわ。私は准男爵である父の長女というだけでなく、ギルバード様の婚約者でもありますので、ウェイクリング伯爵家の代役としても適任ですので……」
そう言ってクレアはジトっとした目で俺を見る。
「アル兄さまが、ウェイクリング伯爵家の名代として王陛下に会っていただければ、わたくしの肩の荷も少しは軽くなるのですけれど?」
「いやぁ、俺はずっと前にウェイクリング家から出た身だからな。そういうわけにはいかないさ」
「おじ様もウェイクリング家に戻って来るように仰っていたではありませんか」
そう言うとクレアは良いことを思いついたとでも言うように胸の前で両手をパンッと合わせた。
「そうだわ! アル兄さまがウェイクリング家に戻って下されば万事がうまくいきますわ! アル兄さまはウェイクリング家の名代として、私はアリンガム家の名代、そしてウェイクリング家嫡男の婚約者として王陛下にお会いすればいいんですもの!」
クレアは妙に『ウェイクリング家嫡男の婚約者』を強調して、アスカに向かってニコっと笑った。アスカは顔を引き攣らせながら愛想笑いを返しているが……目は全く笑っていない。
なんだ? 妙に緊迫感があるな、この二人……。
「だから、ウェイクリング家に戻るつもりは無いって。父上や母様にも、はっきり言っていたのをクレアも聞いてただろ?」
「えー? アル兄さまはわたくしが困っているのに、助けて下さらないのですか?」
俺の腕を取り、上目づかいで言うクレア。
「そういうわけには行かないもんねーアル? あたしたちはずっと一緒に旅してエウレカまで行かなきゃいけないんだもんね? クレアちゃんには悪いけど、王様に会ってる暇なんて無いもんねー?」
反対側から俺の腕をとって、俺を見るアスカ。
「あら、陛下に謁見できる機会なんてそうある事では無いのですよ? ああ、そうですわ! 魔人族討伐の貢献者として同席をお願いするのはいかがでしょう? 今回お持ちする親書には、魔人族のことにも触れているのです。きっと王陛下もアル兄さまから魔人族討伐のお話を聞きたがると思いますわ!」
「それなら、あたしも一緒に謁見した方がいいかなー? なんたってあたしはアルと一緒に魔人族と戦ったんだから!」
「ぐぬっ……。ですが、アスカさんまで同席するのは難しいかもしれませんわ。わたくしは便宜上貴族として扱われますが、アスカさんは……ねえ?」
「むむっ……それならアルも今は平民だし、王様に会うのは難しいんじゃないかなー?」
両サイドから俺の腕を引っ張りながら睨みあうアスカとクレア。
おいおい。なんでこんな険悪なんだ? 二人が話すのってほぼ初めてだよな?
長旅になるってのに……先行きが不安になってきた……。




