第7話 加護
「ってわけでね、どうもあたしは異世界からこの世界に迷い込んじゃったみたいなの」
昼食をとりながらのアスカからの打ち明け話は、またしても理解に苦しむ話だった。
「えっと、もう一回最初から説明してもらっていいか? ブイアールだっけ?」
「VRRPGね。『ワールド・オブ・テラ』っていうゲームなんだけど、コンピュータが作った仮想現実空間で冒険を疑似体験できるの。すっごい人気があって、世界中で3億人以上のプレイヤーがいるって話だったよ」
「……カソウゲンジツ?」
「ええとー、そうねぇ。わかりやすく例えるなら……物語の世界に入れる技術ってところかな」
「す、すごい魔法だな」
神龍の創世記とか勇者の冒険譚とかを題材にした物語とかにも入れるのかな。そんな魔法があるのならぜひ体験してみたい。
「魔法じゃなくて科学なんだけど……まいっか。でね、そのWOTが、この世界にそっくりなのよ。と言っても、ここの転移陣とアルの小屋しか見てないんだけど、少なくともその二つはほとんど同じって言ってもいいね」
「へぇ。こことそっくりな世界かぁ」
「うん。最初はリアルな夢でも見てるのかと思ったよ」
そう言えば夢がどうとかって何度も言ってたな。そういう意味だったのか。
「でも、どんだけ待っても目は覚めないし……もしかしてWOTの世界から出られなくなったんじゃないかって思ってたけど、それもちょっと違うみたいなの。ここがWOTの中だとしたら、登場人物と会話ができるわけないし、触覚や嗅覚は無いはずだし」
「触覚と嗅覚が無い?」
「うん。WOTはVRマシンっていう機械を使って遊ぶんだけど、危険だから触覚と嗅覚の神経は接続されないようになってたの。あ、あと味覚も」
「ええと、物語の世界に入ると、味がわからないし、匂いもかげないってことか?」
「そういうこと。アルが作ってくれた料理はちゃんと良い香りがしたし、美味しい味も感じられたから、そっくりだけど違う世界なんだなって……」
「味が感じられない世界ってのはまた辛いものがあるな」
こんな人里離れたところでは楽しみなんて食事ぐらいしかない。限られた食材でいかに美味しい料理を作ることが、俺の唯一の娯楽なのだ。
「……そうだね。確かにゲームの中で美味しい料理が食べられたら最高だね。仮想現実なら高級料理だって気軽に食べられるし。ダイエットにもなりそう」
「物語の世界で高級料理か。それは夢のようだな」
もう何年も猟師飯しか食べていないのだ。贅を凝らした宮廷料理なんて、もう食べることはないだろうしな。
「んふふ、そうだね。あたしはアルに食べさせてもらうまで兎も鹿も食べたことなかったから、貴重な体験をさせてもらってるけどね」
あ、そう言えばアスカの住んでるところは兎を食べないって言ってたな。なるほど、別の世界から来たからってことだったのか。
「ま、そういうわけで、なぜかはわからないけどあたしはWOTにそっくりなこの世界に、転移して来ちゃったみたいなんだよね」
「アスカの世界には、この世界を描いた物語があって、アスカはなぜかその物語のもとになったこの世界に転移してきた……こういう理解でいいのか?」
「あ……そっか。この世界をもとに『ワールド・オブ・テラ』が作られたってのもありえる……か。って、こんな話を信じてくれるの?」
「信じるも何も最初からアスカは遠いところから来たって言ってなかったか?」
そう言うと、アスカはキョトンとした顔をして、その後に大口を開けて笑い出した。
「あははは。そっか、そっか。確かに遠い所だね。もともと魔法がある世界なら、物語に入り込む魔法があってもおかしくないし……。なーんだ、心配して損しちゃった」
「……なんかおかしかったか?」
「ううん。気にしないで。それでね、ここからが本題」
アスカは持っていたスプーンを置き、姿勢を正して俺の目を見据える。
「元の世界に戻る方法を探したいんだけど、それをアルに手伝ってほしいのよ」
「あ、ああ。俺ができることならかまわないけど……」
「世界中を旅してまわることになるんだけど、それでもいい?」
アスカが真剣な表情でそう言った。でも、それは……。
「世界中を……か。ごめん。力になりたいけど……それは難しい。俺は、この転移陣を管理するのが仕事だから、ここから離れることはできないんだ」
出来ることなら手伝ってあげたいけど、そればっかりは無理だ。それに、情けないけど戦う力の無い俺には、始まりの森を生きて出ることさえ出来ない。
「それはアルの加護が森番だからよね? もし、森番じゃなくなったとしたら?」
「森番じゃ無くなったら? そんな事が出来たらって……どれだけ考えただろうな」
「アルは騎士になりたかったんだよね? もし騎士になれるとしたら、どうする?」
「っ……なりたいさ! ずっと騎士になることを目標に生きてきたんだ。でも……」
俺は思わず声を荒げてしまう。でも、加護の事は気軽に触れてほしくない。俺がここにいる事情は話したじゃないか。なんだってアスカはそんな話をするんだ。もう俺は森番として生きていくしか無いっていうのに……。
すると、アスカは噛み締めるように、ゆっくりと言った。
「アル、よく聞いて。あたしがアルを騎士にしてあげる。その代わりに、あたしの旅に協力をしてもらいたいの。ダメ……かな?」
そんな事が出来るのか? いや、あり得ない……。一度、授かった加護は決して覆ることは無いんだ。
でも……。
「助けてくれる?」
俺は、アスカの顔を見て、ゆっくりとうなずいた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
俺はアスカに連れられて、転移陣に向かった。そこで俺に新たな加護を与えてくれるそうだ。
正直言って、アスカの話はほとんど信じていない。転移陣でそんな事が出来るなんて聞いたこともない。与えられた加護を変えることが出来るはずがないんだ。
それに騎士になったところでどうするんだという思いもある。今さらウェイクリング家に戻りたいとも思えない。
でも、幼いころから夢見て、ずっと努力をし続けてきた目標なんだ。もし、騎士になれるのなら……せめて剣闘士にでもなれるのなら。そう、願わずにはいられなかった。
悶々としているうちに俺たちは転移陣に到着する。アスカは転移陣の舞台から、少し離れた場所で立ち止まった。
「メインメニュー、オープン」
前に見た時と同じように、アスカの前に半透明の石板が現れる。アスカいわく、これはウィンドウと言うそうだ。
「ギミック、起動」
アスカがそう言うと、もう一つウィンドウが現れる。こちらは先ほどのウィンドウより少し小さめだ。
「『始まりの森の神殿』」
ウィンドウを眺めて何やら呟いていたアスカが俺をチラッと見て、ニヤリと笑う。
「目覚めよ! 始まりの森に眠りし古の英雄達よ! 悠久の扉を開き、その記憶を示せ!」
アスカは詠唱と共に開いた右手を空に突き上げる。ウィンドウが瞬くように鈍い光を放った直後、周囲に轟音が鳴り響く。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
轟音と共に舞台が隆起し、白い石造りの土台がせりあがっていく。大地が大きく揺れ、とても立っていられずに俺は膝をついた。
やがて揺れが収まると、目の前の光景は一変していた。俺は唖然として自分の目を疑う。転移陣の舞台を頂きにした巨石建造物が突如として現れたのだから。
「アル? 神殿に入るよ。ついて来て」
アスカが人ひとりがちょうど通れるぐらいの狭い入り口から、神殿に入っていく。かけられた声にようやく我を取り戻した俺は、慌ててアスカを追いかけた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
俺たちは天井が低く、しかも狭い通路を通り奥へと進む。中腰にならないと頭がぶつかってしまうぐらいの微妙な天井高なのでとても歩きにくい。少し屈めば通れるアスカがすたすたと歩いて行ってしまうため、俺は急ぎ後を追った。
狭い通路を抜けると、そこには長方形の空間が広がっていた。空間の四隅の天井には、白色の明かりが灯されている。あれは魔道具なのだろうか? だとしたらどこから魔力を補充してるんだろう。
転移陣の舞台と同じく、建造物全体が白い石を積みあげて作られているようで、全面の壁が真っ白だ。広さは森番小屋とほぼ同じぐらいだと思う。白壁が灯かりを反射してぼんやりと白光しているためか、広く感じられた。
空間の真ん中には、両手を胸の前で組んだ祈る女性の像があった。その前には棺のような形の大きな箱があり、両方ともつるりとした白い石材で出来ている。
白一色の空間と灯かり、女性の像と石棺。荘厳な美しさは、確かにここは神殿だと思わせる。
「ここは……いったい何なんだ? こんな場所があるなんて聞いたこともなかったよ」
「始まりの森の神殿、だよ」
「神殿? 神を祀っているのか? この女性の像が神なのか?」
「うーん。わかんない。こんなのあったっけなー?」
「やっぱり、ゲームの世界でも、ここと同じ空間があったのか?」
「ほとんど同じだね。ちゃんと『匣』もあるし。アルの加護を変えるのも、同じように出来ると思う」
そう言うと、アスカは再びウィンドウを開いた。
「ギミック、起動。『始まりの匣』」
アスカの声に呼応するように白い石の棺がガタガタっと震え、次の瞬間には棺の蓋が煙のように消失した。
「なっ……」
そして、蓋が無くなった棺の中から、ぼんやりと光を放つ武器が次々と浮かび上がった。ナイフ、片手剣、手甲、短杖、杖がくるくると宙を舞う。そのどれもが白い石のような素材で出来ている。
アスカは宙に浮かぶナイフに手を伸ばす。ナイフはアスカが触れると同時に、パキンッと音を立てて粉々に砕け散った。
アスカが同様にその他の武器にも手を伸ばし、次々と砕いていく。本来なら転移陣の管理をする者として、アスカを止めるべきだったのかもしれない。でも俺はアスカが武器を砕いていくのを、ただただ呆然と見つめていた。
転移陣の下に隠されていた遺跡。
白一面の静謐な空間。
美しい女性像と石棺。
中空に漂い輝きを放つ武器。
目の前の現実に俺の思考と理解が追い付かない。
「さてと、準備が出来たよ」
アスカは振り返って、俺の目を見る。
「アル。あなたに新しい加護をあげる。いい?」
俺は我に返り、アスカの瞳を見つめ返す。戸惑いは隠せないが、答えは決まっている。
森番の自分にも、この5年で慣れては来ていた。でも、他の可能性があるのなら。森に縛られない生き方があるのなら。幼いころから描いていた自分になれるのなら。
「ああ、頼む」
こくんと頷く、アスカ。
「ユニークアイテム、オープン。『始まりの短刀』」
アスカのつぶやきと共に、ウィンドウが一瞬明滅する。その直後、俺の身体の底から、立ち止まっていられないぐらいの熱情が湧き上がる。
「ハッ……ハァッ……!!」
全身に力がみなぎっていくのがわかる。身体が軽くなり、浮かび上がりそうな気すらする。
強大な魔力が身体中を循環している。すぐにでも走り出したいような気分だ。今ならどこまでも走り続けられる気がする。
「……すごい! これが! これが!」
幼いころから描いていた自分の姿。ウェイクリング伯爵領の当主たる条件。これが騎士の……力なのか!
「俺は……俺は、なることができたんだ!」
アスカがゆっくりと頷く。
「そう。アルはもう森番じゃない」
言葉を区切り、アスカは大きな瞳で俺の目を見据える。
「……アルの新しい加護は【盗賊】よ!!」
…………はぁ!?
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