第65話 想い
「王都まで、ですか?」
「ああ。ジブラルタ王国から隊商が来ているのは知っているだろう? アリンガム商会は毎年彼らとともに王都クレイトンに行っているんだよ。今年はクレアを代表として派遣する予定だったんだが、護衛の人選が難航していてね。そんな時に、アルフレッド君達が王都クレイトンに向かうと言うじゃないか。ちょうどいいから、アリンガム商会の護衛として同行してもらおうと思ってね」
……これは渡りに船だな。隊商と一緒なら二人で旅するよりもはるかに安全に旅をする事が出来そうだ。護衛対象もアリンガム商会ということなら、知らない相手ではないからやり易い。
「詳しいお話を伺えますか?」
「いいとも。アルフレッド君達にお願いしたいのは隊商の護衛ではなく、アリンガム商会関係者の護衛だ。隊商全体の護衛任務は傭兵団が担当するから、他の荷馬車の護衛をする必要はない。傭兵団と最低限の連携を取る必要はあるがね」
オークヴィルからチェスターまで隊商を先導したが、十数人の傭兵が数十人の商人たちの荷馬車を護衛していた。その傭兵団とは別に、アリンガム商会専属の護衛として同行するわけか。
「王都クレイトンまではおよそ二か月ほどの行程になるだろう。道中では魔物だけではなく盗賊に襲われる可能性もあるし、山越えでは山賊のたぐいと遭遇することもあるだろう。その辺りは傭兵団に任せておけばある程度は安心なのだが、いくつかの街にも立ち寄ることになるから胡乱な輩に狙われる事も考えられる。アリンガム商会はそれなりに名が知られているからね」
「なるほど。道中の安全確保はもちろんですが、クレアお嬢様個人の護衛というわけですか」
「そういうことだ。日当は銀貨2枚。道中の食事や宿泊費、必要な消耗品はすべてこちらで負担する。どうかな?」
期間は2か月ほどだから報酬は金貨1枚と大銀貨2枚で、12万リヒトか。さほど高い報酬というわけでもないが、道中の費用が一切かからないというのはかなりありがたい。例え少々の遠回りになっても、町と町の間を行き来する行商人の護衛依頼でも受けながら移動しようと思っていたので、一路王都を目指す隊商に同行して比較的安全に移動できるというのも都合がいい。アスカの意見はどうだろうかと目線を向けると、コクンとうなずいた。
「わかりました。依頼をお受けします」
「そうか、助かるよ」
「よろしくお願いします、アル兄さま」
バイロン様はほっとした顔で微笑み、クレアは丁寧に頭を下げた。
「……さて、挨拶もせずに話を進めてしまって、すまなかったね。黒髪の聖女殿。私はバイロン・アリンガム。アリンガム商会の商会長をさせてもらっている」
「あ、はじめまして。三谷アスカといいます。よろしくお願いします」
「ミタニ・アスカ……殿か。珍しい名だね。この国では聞かない家名だが……どちらのご出身なのかな?」
「えっと……」
アスカがどう答えようかと迷ったのか、助けを求めるように俺に目を向けた。そう言えば、昨日のウェイクリング伯爵家での謁見の際は、俺の加護や除籍の撤回などに注目が集まり、アスカのことを話すことは無かった。依頼を受けるならある程度の情報は伝えておかないと、バイロン様も安心できないよな。
「バイロン卿、アスカはアストゥリア帝国の魔法都市エウレカの方から来た旅の薬師です」
俺は予め決めてあった設定を口にする。
「アストゥリア帝国!? それは……随分と遠方から来られたのだな」
「は、はい……。薬師として、修行の一環で旅をしてるんです」
「ん……? だが……アスカ殿は【薬師】の加護をお持ちなのか? 回復魔法を駆使して街の住民を救った、【導士】か【聖者】と噂されていたが……」
バイロン様が不思議そうな顔でアスカを見た。
「……バイロン卿、その辺りでご遠慮いただけませんか?」
「あ、ああ、そうだな。不躾だった。失礼した、アスカ殿」
「いえ、そんなこと、無いです……」
今回の依頼は俺個人への指名依頼だから、情報開示と言ってもこのぐらいで十分だろう。冒険者は自分の手の内をできるだけ晒さないようにするのが普通だから、無用な詮索はしないのが暗黙の了解だ。
普通は戦闘のスタイルや装備などから何の加護を持っているのかぐらいは知られてしまうが、中には徹底して自分の情報を秘匿する者もいる。特殊な加護やスキル、武器などを待つ者は、特にそういう傾向が強い。
アスカの事は異国の出身ということにしたので、バイロン卿はこの国ではあまり知られていない加護とでも考えてくれたのだろう。まあ、アスカの【JK】という加護は、聞いたこともない特殊なものであるから間違ってはいない。
ちなみにアスカの出身地を魔法都市エウレカとしたのは、アスカは初めて会った時に『エウレカにいたはずなのに、いつの間にか始まりの森にいた』と言っていたからだ。物語の中での話らしいが、二ホンという誰も知らない国の出身と言うよりはまだ信ぴょう性があるだろう。
「……それで、アル兄さまとはどんな関係なんですの?」
すると、これまで口数の少なかったクレアが、アスカに詰問口調で問いかけた。
「俺とアスカの関係?」
「ええ。そもそも、なぜアル兄さまとアスカさんはご一緒に行動されているのですか?」
なぜ行動をともにしているか……か。アスカが俺の人生を変えてくれた人で、その恩を返すため旅に付き合う事にしたってのがきっかけだけど……。
ウェイクリング家の人や街の有力者達には、俺がなぜ【剣闘士】の加護を得られたのかはわからないと言ってある。馬鹿正直にアスカに加護を与えられたからと説明するわけにもいかない。
あらためて聞かれてみると、俺とアスカが一緒に旅をする理由って説明しずらいな……。聖域を出たばかりの頃に聞かれたら、答えられずに困ったかもしれないな。
「それは、アスカが俺の大事な人だからだよ」
「……!!!」
クレアは息を飲み、まるで凍ってしまったかのように表情を固まらせた。アスカは顔を紅潮させて照れ臭そうにしている。
「それは……驚いたな……。ではアルフレッド君はアスカ殿の修行の旅に同行するつもりなのかい?」
「ええ。まずは王都に向かうつもりですが、アスカの出身地までは一緒に行くつもりです」
「ふむ……。では、アスカ殿をエウレカに送り届けた後は、そちらに移り住むつもりなのかい?」
「それは……」
言われてみて初めて気づいた。俺はアスカをニホンに送り届けた後のことを全く考えていなかったのだ。
アスカからはニホンに帰るために世界中の転移陣を巡って旅をすると聞いている。逆に言えば、世界中の転移陣を巡った後には、アスカはニホンに帰ってしまうという事だ。
最初はピンと来てなかったけど、一月以上もアスカと一緒にいて、いろんな話を聞いていればさすがにわかる。アスカはこの世界とは別の、どこか遠い世界の住人なのだ。それこそアスカがニホンに帰ってしまえば、二度と会うことが出来ないぐらい遠い世界なのだと思う。
「……どうした、アルフレッド君?」
「いえ……。なんと言いますか……長い旅になりますので、その先の事は何も考えていませんでした」
「ははっ。まさに、恋は盲目、という事か」
「……恋」
相変わらず顔を真っ赤にしたアスカが呟く。
恋……。そうか、これが恋か。
考えてみれば、俺は特定の女性にこれ程までに強い感情を抱いたのは初めてかもしれない。比べるのは失礼かもしれないが、元婚約者だったクレアは幼い頃からお互いを知っていたこともあって、幼馴染と妹のちょうど間くらいの感情だったように思う。後継者となったギルバードがクレアと婚約したと聞いた時には寂しくも感じたが、ウェイクリング家とアリンガム家の関係を考えればそれも当たり前の事かと、どこか他人事のように受け止めていた気がする。
……これが恋か。
たった一人で森にこもっていた俺にしてみれば、物語の中で描かれているものであって、自分には縁が無いと思っていた感情。特定の誰かを大切に想い、一緒にいたいと感じ、護ってあげたいと思う感情。それと同時に、離れたくない、失いたくないと感じ、別れを恐れる感情。
俺はアスカに対して抱いていた想いを理解し、それと同時にその想いには終わりがあることを理解した。アスカと旅をして彼女の願いを叶えることは、彼女との別れを意味することに、俺はようやく気が付いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
隊商がチェスターを出発するのは3日後だそうだ。隊商のリーダーや傭兵団との顔合わせをするので、明後日の正午にあらためて来るようにと言われ、俺たちはアリンガム商会を辞した。
明後日の正午までには、旅の準備を整えておかないといけない。とは言っても旅の間の食糧や消耗品はアリンガム商会の方で用意してくれるという事だから、装備品さえきちんと用意しておけばいいだろう。
スラムの住人達に振舞ってしまったため食料品の大半は無くなってしまったが、当座の食糧ぐらいなら備蓄はある。装備品は一通り揃っているし、きちんと手入れもしている。
あとはスラムの住民の治療のためにほとんど使い果たしてしまった下級回復薬や薬草類さえ補充しておけばいいだろう。薬草の採集をすれば、食糧の足しになりそうな魔物を同時に狩ることも出来るだろう。俺たちは今日と明日を旅の準備に費やすことにして、街を出て始まりの森に向かった。




