第64話 指名依頼
「ん……んん……」
窓から差し込む朝日が顔にかかり、俺の意識は暖かな泥の中からゆっくりと浮き上がる。目を開くと安宿の薄暗い部屋に舞う埃が、差し込む一条の光に照らされキラキラと輝いていた。
「おはよ、アル」
「ん……起きてたのかアスカ」
俺は右隣りにぴったりと寄り添っているアスカに目を向ける。アスカは俺の腕にちょこんと頭を乗せ、微笑んでいた。窓の外からは新しい朝を祝福するかのような小鳥達の歌声が聞こえてくる。
「リアル朝チュンだぁ……」
「……うん?」
「んーん。ハタチまでに叶えたかった10個の夢のうち一つが、たった今かなったんだぁ」
「へえ。朝チュンってのが?」
「うん」
よくわからないけど夢が叶って良かったな、アスカ。それにしても10個も夢があるのか。
「他にはどんな夢があるんだ?」
「そうだねぇ……。あったかいお布団から出たくなくて丸まってゴロゴロしてるんだけど、だんだんお腹が空いて来て、起きようかなーどうしようかなーって思ってたら、大好きな人が朝食を持ってきてくれるの」
「うん……?」
「ほんとはまだゴロゴロしていたいんだけど、朝食のいい匂いに我慢できなくなってベッドから抜け出すの。ホットミルクと焼きたてのパンにジャムが理想かな。そんな夢」
「……了解。じゃあ、叶えてみせよう」
「んふふ……。ありがと、アル」
そう言うとアスカはひょいと頭を少しだけ持ち上げる。俺は痺れた右腕をアスカの頭の下から抜いて、部屋に一つだけ出していたベッドから起き上がった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「指名依頼?」
「ええ。アリンガム商会の会長より指名依頼が出ております。護衛任務との事ですが、詳細は商会の方でお話があるそうです。どうされますか?」
「ん……知らない相手じゃないし、行ってみますよ。受けるかどうかはわかりませんが」
「わかりました。では、アリンガム商会をお訪ね下さい。こちらが依頼書の写しです。城門を通る際に、門衛に提示して下さい」
テントも手に入れられないまま食料品の大半が無くなり、旅の準備が振り出しに戻ってしまった。しかもチェスターは物資が足りていないため、入手の目処も立たない。
チェスターにいてもしょうがないので、俺たちは入念な準備をするのを諦めて旅に出ることにした。王都クレイトンに行くのにいくつもの領地を通り抜けるし、町や農村もある。
俺もアスカも旅慣れていないため、出来るだけ準備は万全にしておきたかったが致し方ない。各地の農村や宿場町を辿りつつ、王都を目指そう。
そのための情報収集と、出来れば道中で手頃な討伐依頼でも受けられればと思い冒険者ギルドに顔を出すと、受付の男性から指名依頼の話をされたのだ。
本来ならようやく初心者から抜け出した程度のDランク冒険者に指名依頼などあるはずもないのだが、アリンガム商会令嬢であるクレアが一枚噛んでいるのだろう。
王都に向かうつもりなので依頼を受けられるかわからないが、話だけでも聞いておこう。そう思い、俺たちは貴族街にあるアリンガム商会に向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「アル兄さま!!」
アリンガム商会に店舗に着くと、クレアが駆け寄ってきた。その後ろには、昨日会った使用人のジオドリックが付き添っている。
「やあ、クレア。昨日ぶりだな」
「アル兄さま!! いったいぜんたいどういう事なんですか!? なんで紅の剣士が森番で、魔人族のアル兄さまなんですか!? 剣闘士の加護は、そちらの女性と冒険者っていったい何があったんです!!?」
「おいおいおい。ちょっと、落ち着けよ」
摑みかかる様な勢いで詰め寄って、意味不明な質問を一気に投げかけてくるクレア。こんな混乱した様子のクレアは初めて見るな。
「はい、深呼吸。吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー」
「スー、ハー、スー、ハー……」
「あはは。なんか昨日のイメージと違うんだけど。この子がクレアちゃんだよね?」
興奮したクレアにアスカは若干引き気味だ。そんなアスカをクレアがキッと睨みつける。
「あ、あ、アル兄さま! そちらの方とはどういうご関係なんですかっ!? 黒髪の聖女ってこの方ですの!?」
「だから落ち着けってば、クレア」
「アルフレッド様、クレア様。応接室でお話されてはいかがですか? 旦那様にもお声をかけて参ります」
「そ、そうね……。ごめんなさい、アル兄さま。取り乱してしまって……」
「いや、構わないよ、クレア。時間はあるから、ゆっくり話そう」
俺たちはジオドリックに案内されて応接室に通される。商会のロビーは所狭しと物資が積み重ねられ、倉庫の様な様相を呈していたが、応接室はさすがはチェスター最大手の商会といった感じの落ち着いた雰囲気の部屋だった。
美しい木目の分厚い一枚板のソファテーブルを中央に、3人掛けの黒い革張りソファ2台が向かい合って配置されている。床にはベージュのカーペットが敷き詰められていて、壁はソファテーブルと同じ色の重厚な質感のある板張りになっている。
ジオドリックに勧められるがままにソファに腰掛ける。硬すぎもせず、柔らかすぎもしない丁度いい弾力だ。
俺とアスカが並んで座り、向かいにクレアが腰掛けて、ジオドリックがクレアの後ろに立つ。すると、待ち構えていたかのようにメイド服に身を包んだ女性が紅茶を運んで来た。
メイドが紅茶を配っている間、クレアは俺とアスカにチラチラと目を向けていた。メイドが退室すると、クレアはコホンと咳払いをする。
「先ほどは失礼しました。私はバイロン・アリンガムの長女、クレア・アリンガムと申します。商会では主に農産物や工芸品の買い付けを担当しております。お見知りおき下さい」
「あ、はい。三谷アスカです。よろしくお願いします」
今度は正面からアスカをじっと見つめるクレア。アスカはクレアの目線に、かなり居心地が悪そうだ。
「それで……アスカ様はなぜアル兄さまと行動を共にされているのですか? 聞くところによると魔人族の襲撃の際も……」
そこまでクレアが言ったところでコンコンッとドアがノックされて、ドアが開けられる。部屋に入って来たのは、見るからに高級感のある衣服に身を包んだ恰幅のいい男性だった。
「いやぁ、待たせたねアルフレッド君。こうして話すのは久しぶりだな」
「はい。ご無沙汰しております、バイロン卿」
俺は立ち上がり頭を下げる。アスカも慌てて俺に続く。
「ああ、2人とも座ってくれ。それにしても見違えたなアルフレッド君。一流の冒険者といった風情がある。さすがはチェスターを救った紅の剣士だ。いや、今は紅の騎士、だったかな?」
「私が名乗ったわけではないのですが……そう呼ばれているようですね」
「ふふっ。聖騎士の加護を授かるに違い無いと言われた君の素質は本物だったわけだ。今日は来てくれてありがとう」
「いえ。指名依頼とのことでしたので……」
「ああ。積もる話もあるが、先ずはその話をしておこうか。君に一つ依頼をしたくてね」
「はい。どういったご依頼でしょうか?」
俺がそう尋ねるとバイロン様は、俺とアスカ、クレアと順番に見回してニヤリと笑った。
「紅の騎士と黒髪の聖女殿に、王都クレイトンまで娘の護衛を頼みたい」
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