第63話 聖女
夕食を堪能した後に俺たちはジェシーの家で自家製のハーブティを楽しみながらくつろいでいた。ジェシーは共同井戸の近くで食器や調理器具を洗うという事で一人出かけている。俺たちも手伝うと言ったのだが、せめてこれぐらいはやらせてくれと言われたので、任せることにした。
「お母さんも治ったし、一日に肉を二回も食べれるなんて! なんて日だ!!」
「ひだー!」
「本当にありがとうございます。ごちそうさまでした」
「いえいえー! どういたしましてー! お粗末さまでしたー!」
「アスカは何もしてないだろうが……」
結局アスカは調理をほとんど手伝ってくれなかった。やったのは玉ねぎとニンニクの皮を剥いてくれて、調理器具や皿を取り出したぐらいだ。
「まったく。マーゴさんがせっかく丁寧に教えてくれたってのに……」
「アルは教えてもらって、レシピ覚えたんでしょー? あとでアルから教わればいいじゃーん?」
「……プロから教えてもらうチャンスなんてめったに無いとか言ってなかったっけ……?」
「まあまあ、アルフレッドさん。これからお二人で料理をする機会なんてたくさんあるのでしょう?」
まあ、それはそうか。食事当番を交代でやれば嫌でも覚えるだろ。必要に迫られないと人は好きでもないことに対して努力は出来ないよな。俺だって森番になるまでは料理なんてしたこともなかったんだし。
「ただいま……」
そこにジェシーが洗い終わった食器類を持って、困り顔で帰ってきた。
「どうしたのよ、ジェシー? 何かあったの?」
「うん……アスカ。アスカにどうしても会わせろって人達がいて……付いてきちゃったんだ。」
「あたしに?」
俺はジェシーから食器類を受け取りつつ、ジェシーとアスカの間に立つ。入口に数人の男達の気配を感じたからだ。マズいな……入口の男達だけじゃない。いつの間にかこの小屋を取り囲まれてる……十数人はいるぞ……?
小屋の入口から強面の男達が入って来た。俺はアスカを後ろに下がらせて、男達の前に立ちふさがる。
「あんたが噂の紅の剣士アルフレッドか。で、そっちが黒髪の聖女か」
「……だったら、どうする?」
強面の男の一人が一歩前に進み出て、そう言った。俺よりも一回りぐらい大きくゴツゴツした身体に彫りの深い顔、スキンヘッドと濃い眉毛に無精ひげを生やしたその風貌は、とても堅気には見えない。このスラムの顔ってところか? 俺は背中に手を回してダガーの柄を握りしめ、いつでも抜き放てるように身構える。
男は家の中の人たちを順々に目を向けた。アスカと俺、そしてリタとアランを抱きしめるマーゴを見て、ニヤリと顔をゆがめた。
「そうか……間違いねえみたいだな……」
そう言うと男は後ろの男達に目配せをする。すると、男たちは一斉に動き出し………跪いて手を床に着いた。
「おー。ジャパニーズ、ドゲザ……」
アスカがボソッと呟く。
「黒髪の聖女様! お願いだ!! スラムを救ってくれ!!!」
さっきはスルーしてたけど、黒髪の聖女って……アスカの事だよな……?
ええと……どういうこと?
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「はい、じゃー次の人どうぞー」
「先生! おいらの娘っこが、こないだの騒ぎの時に転んで、足を怪我したんだ!」
「はーい。ちょっと見せてねー。あ、ただの捻挫ですねー。アスカ君、【治癒】」
「はーい、先生! 痛かったわねー。痛いの痛いの飛んでけー!【薬草】!」
「すごーい!痛くない!!」
「良かったわねー。じゃあ、お大事にー」
「あ、ありがとうございます!!!」
「はーい、どうもー。じゃー次の人どうぞー」
「イテテテッ!! せ、先生! レッドキャップにやられた腕が腫れて……」
ちなみに先生と呼ばれたのは、俺。アスカの白いローブを着せられ怪我の具合を見ている。ちなみにアスカは白のワンピース姿で、頭に白いリボンを付けている。
雰囲気を出すためには形から入らなきゃという事だ。お癒者さんごっことかなんとか言っていたが、いまいちピンと来ない。
スラムの元締めであるスキンヘッドの強面の男、コルレオーネに跪いてまでお願いされたのは重傷を負ったスラムの住民の治療だったのだ。
教会や癒者が経営する癒療院に行けば回復魔法を使ってもらえるし、薬屋に行けば回復薬や解毒薬を手に入れることは出来る。
ただ先日の魔人族の襲撃の騒ぎのおかげで教会も癒療院もかなり混み合っていた上に、当然ながら相応のお布施や治療費が必要だ。薬屋は貴族達による買い占めや商人たちの出し渋りで価格が高騰し、オークヴィルからの支援物資が届いたとはいえ、まだ値は落ち着いていない。
スラムの住民たちにはとても支払える金額ではなく、マーゴさんのように重傷を負った人たちは死を待つばかりといった状況だった。
そんな中、コルレオーネはある噂を耳にする。魔人族の襲撃の際に、街を救った二人の英雄の話だった。一人は紅い盾と燃える剣を振り回し、次々と魔物を殲滅した剣士。もう一人は、純白のローブに身を包んだ黒髪の癒者。
黒髪の癒者は剣士とともに戦場となった街を駆け巡り、瀕死の重傷を負い逃げられなくなった者を、対価を求めずに次々に癒していったという。平民街から避難した人達で埋め尽くされた街の入り口付近では、彼らの話で持ちきりだった。
少女の回復魔法に癒された者の数はかなり多く、それほどの回数の回復魔法を難なく唱えることが出来るなんて、よほど高位の【導士】なのではないだろうかと。もしかしたら、【癒者】や【導士】よりも上位の加護である、【聖者】なのかもしれない。いや、そうにちがいない。きっと、紅の剣士と黒髪の聖女が、チェスターを救ってくれると。
その聖女がスラム街に現れ、レッドキャップに重傷を負わされて死を待つばかりだった3人の子供をもつ女性を無料で救ったというのだ。スラムの住民を逃がすために戦い、重傷を負ったコルレオーネの部下や住民達がまだ何人も病床に伏している。聖女と噂される者ならば、助けてくれるかもしれない。
一縷の望みにかけて街中を探し回ったところ、なんと共同井戸の側で洗い物をしていた少女の家で、件の聖女達が食事をご馳走してくれたと言うではないか。スラムの住民たちを救った部下や住民達をみすみす死なせるわけには行かない。コルレオーネは母を救ってもらったと言う少女に頼み込み、家へと案内させた。
……そして、今はジェシーに初めて会った空地で青空癒療院まがいの事をやっている。依頼を快諾したアスカは、重傷の患者達が待つコルレオーネのアジトに向かい見事に癒してみせた。コルレオーネに滂沱の涙で見送られアジトを出た俺たちを迎えたのは、噂を聞きつけて集まったスラム中の軽傷を負った者たちだった。『聖女様、お救いを!』『我が子に慈悲を!』という祈りにも似た声が殺到する。
幸いにも、テントを探してオークヴィルとチェスターを無駄に行き来した際に、薬草はある程度採取し補充している。『乗り掛かった舟よ! 薬草や回復薬が無くなるまで付き合ってやろうじゃないの!』と、聖女様と呼ばれて舞い上がったアスカに付き合い、青空癒療院をすることとなった。もう夜だから、青空というか夜空か。
「串焼きが出来上がりましたっ! 食ってくだせえっ!」
「はーい。ありがと! じゃあ、そこにある肉と麦、持ってっていーよー!!」
「ありがとうごぜえやす、聖女様! スラム中の人間が集まって、聖女様に感謝の祈りをささげてやすぜ!」
「やだ、もう! 聖女だなんて! ほら、これも持って行って!」
「これはワイルドスタッグですか!? ありがとうございます! 聖女様!!」
失敗だったのは、小腹が空いたのでコルレオーネの部下たちに、食料品を少し渡して食事を作らせたことだった。聖女と煽てられたアスカは、コルレオーネの部下達にも振舞いだしたのだ。
部下たちが作る食事の匂いに集まってきたスラムの住民達の、聖女コールにさらに調子に乗ったアスカはオークヴィルで買い付けた大量の食料品を大盤振る舞いしだした。そして、貯めに貯めた薬草や回復薬と食料品が一夜にして、煙のように消えてなくなっていった。
まさかアスカがここまでチョロい子だとは思わなかったよ……。




