第493話 エピローグ③
世界樹から枝分けされたというマツの大木が堂々と佇む庭園を抜けると、離れ座敷の前で義母のユールが俺達を出迎えてくれていた。
「ばばさまっ」
喜色を浮かべて駆けだした愛娘が、飛び込むようにユールに抱き着く。相好を崩した義母は、ユーゴーによく似た灰色の髪を優しく撫でた。
「あらあら。いらっしゃい、ルールー」
「ただいま、帰りました」
「お帰りなさい、ユーゴー。アルフレッドさん、アスカさんも、ようこそ」
「こんにちはー」
「世話になります、ユールさん」
今日はユーゴーと愛娘のルールーとともにレグラム王家の屋敷を訪れた。セントルイス王陛下から預かった誕生祝を届けるついでに、二人を連れて来たのだ。
「おいおい、俺には挨拶も無しかよ。一応、この国の王だぞ」
「あ、これカーティス陛下からの贈り物の目録」
「おお、すまんな……ってオイ」
一緒に出迎えていたゼノに誕生祝の目録が書かれた巻物を放り投げる。慌てて受け取ったゼノが睨みつけてくるが気にしない。色々と貸しがあるし、ルールーを嫁に寄越せとか戯れ言を抜かす阿呆だからな。このぐらいの態度でちょうどいいのだ。
「あ、ゼノ。頼まれてた結界柱も、旅団の詰め所に納品しといたから」
「おお、助かる! さすが仕事が早いな、アスカ」
「オイコラ。人の妻を呼び捨てとは、どういう了見だ」
「あんだとコラ? てめえこそ王様に対してなんだその態度は」
「はいはい、そこまで。皆さん中にどうぞ。ちょうど新茶が届いたところなのよ。用意するわね」
睨み合う俺達の間に、苦笑いを浮かべた義母が割り入ってきた。仕方ない、義母に免じていったん矛を収めてやろう。
「ほら、お前は詰め所に行けよ。結界柱、急ぎなんだろ?」
「ぐっ……。私はこれで失礼します、ユール様」
「ええ。ご苦労さまです、ゼノ陛下」
踵を翻し、ゼノが去っていく。ふっ、正義は勝った。
「相変わらず仲良いねぇ」
「仲良きことは美しきかな、ですね。ね、ルールー」
「うん!」
うんうん。ルーは世界一可愛い。この世の真理だ。それとゼノとは仲良くないから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ユールさんはレグラム王家の屋敷の庭園の一角にある来客用の小さな離れ座敷で暮らしている。ヴォルフ前王と再婚したものの、ゼノの母親である前王妃に遠慮して本邸には立ち入らないようにしているのだとか。
かと言って、ユールさんが粗雑に扱われているわけではない。前王やゼノとの関係も悪くはなさそうだし。
いちおう、ユールさんには始まりの森で一緒に暮らさないかとは伝えている。ユーゴーやルールーも喜ぶだろうしね。
「まだ……寝ない、んだからぁ……ばばさまに……ご本よんでもら……」
ユールさんに抱かれ、背中をぽんぽんと優しくたたかれていたルールーが陥落した。うん、涎をたらす寝顔も可愛い。
「寝かせてくる」
「お願いね、ユーゴー」
ルールーを抱きかかえて居間から出て行ったユーゴーの背中を見つめ、ユールさんがほっとため息をついた。
「アルフレッドさん、本当にありがとう。あの子があんな風に優しく笑える日が来るなんて……。貴方がユーゴーを見つけてくれて、良かったわ」
「……ええ。本当に」
この『見つけてくれて』は、かつて奴隷に身を堕としてしまったユーゴーを助け出したことだけを指しているのではない。
ユーゴーは、あの裏神滅戦の後に姿をくらましてしまったのだ。『探さないでくれ』とだけ書き置きを残して。
アスカが身を賭してルクスを封じようとしていたことを、ユーゴーは仲間内で唯一人だけ事前にアスカから聞いていた。そして、ユーゴーはアスカ一人の命と星の未来を天秤に掛け、アスカを見殺しにすることを選んだ。
だが、アスカは帰って来た。諦めの悪い騎士がアスカを蘇らせたのだ。
アスカを見殺しにした自分が、俺達と一緒にいるべきではない。ユーゴーがそう考えたであろうことは容易に想像がついた。
「……なんだ?」
ルールーを寝かしつけて戻って来たユーゴーに視線が集まり、訝しげに眉を寄せた。
「ユーゴーがいなくなっちゃった時のことを話してたんだよー」
「……あの時は、すまなかった」
「んふふ。苦労させられたもんねぇ」
結論から言えば、ユーゴーは半年ほどで見つかった。
俺達は世界中の町という町、村という村を飛び回って、ギルドに人相書きをばらまき、ジェシカに協力してもらって強者の気配を探し続けた。
ユーゴーはたとえ名を隠していても、美人過ぎる戦士として目立ってしまう。逆に、俺達の方は『龍殺し』であることを名乗れば誰もが捜索に協力してくれる。
それに、【転移】持ちの俺と【索敵】させたら右に出る者がいないジェシカがいるのだ。いつまでも隠れ続けることなんて出来るわけがない。およそ半年ほど経ったころ、傭兵団に加わって隊商の護衛をしているユーゴーを捕まえたのだ。
「『ユーゴー!お前は俺のものだ!』」
アスカが俺の声真似をすると、ユーゴーが頬を赤く染めて俯いた。
「やめろって……」
うん、勢い余って、隊商のど真ん中で求愛してしまったのだ。いや、ほら、前に誓ってくれてたからね。『私の全ては、お前のものだ』って。
「やめませんー。本妻の目の前で堂々とプロポーズとかないですぅー。一生、言い続けますぅー」
「悪かったって」
「クレアの時も、一言も相談してくれなかったしー」
「はい。すみません」
いやだって、『代官を辞めてきました。もう家には帰れません』って飛び込んで来たら追い返すわけにもいかないじゃないか。確かに、相談なく求婚したのは俺だけど……。
「セシリーの時も相談もしてくれなかったな」
「ちょっ、ユーゴーまで!? あれはアスカが」
「へぇー。あたしのせいでしょうがなく結婚したってこと? うわー。セシリーかわいそー」
「いや、そういうわけじゃ」
「あらあら。また側室を迎えたの?」
「え、あ、実は、そのご報告を……」
しまった。余計な言い訳してしまった。うーん……今夜は長くなりそうだ……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ユールさんのところに一泊して翌朝、森番屋敷で俺達を出迎えたのは意外な顔だった。
「ただいまー」
「ごきげんようなの」
「お邪魔しているのです!」
「あーっ!ジェシカちゃん!アリスちゃんもー!」
「おー、来てたのか。いらっしゃい」
ランメルの町に住むアリスとジェシカが、クレア、セシリーと一緒にリビングでくつろいでいた。何千キロも離れているが、全員が『龍脈の腕輪』を持つ龍殺しメンバーにとって距離は関係ない。
「む、アスカがお化粧してるの」
「レグラム王家の皆さんに挨拶してきたからね。大人っぽいでしょ?」
「……しなくてもアスカはかわいいのです!」
「ちょっとどういう意味よソレ」
3人とも5年前とほとんど容姿が変わってない。変わったのは髪型くらいか?
アリスもジェシカも、少女のような容姿のままだ。ジェシカは20歳は超えたはずだが、長命な種族のため成長が遅いらしい。アリスの方は土人族だから、このまま見た目は変わらないだろう。
アスカは少し大人っぽく……なってないな。5年経って、ちょっとほっそりした気がするけど。
「ねーねー、ジェシカちゃん、今日おとまり? とまる?」
「ええ。お邪魔させていただくの」
「ほんとー? じゃあさ、じゃあさ、なにしてあそぶー?」
ルーはジェシカが大のお気に入りだ。さっそく手を引いて、子供部屋に引っ張っていく。ジェシカの方も、自分以外に子供のいない環境で育ったせいか子供を構うのが大好きだ。ウチに来ると、ずっとルーと遊んでくれる。
「それで、急にどうしたんだ? 定期納品は済んだばかりだろ?」
飛鳥急便では鉱山町ランメルとサローナ大陸へ、定期的に食料を届けている。
ランメルの方には多数の隊商が訪れるようになったが、急速に町の規模が大きくなったせいで穀物類が不足しがちなのだ。隊商の儲けを損なわないように、備蓄分しか届けないけどね。
サローナの方はまだまだ食糧生産体制が整っていないため、今のところ食料は飛鳥急便だよりだ。だが広大な土地で大規模な酪農や穀物生産が出来る見込みは立っている。何十年後かには世界の食糧庫なんて言われるようになるかもしれない。
「今日はアルさんにお願いに来たのです」
「……とりあえず聞こうか」
まあ、お願いの予想はつく。アスカもピンと来たのか、苦笑いを浮かべた。
「セシリーとの成婚、おめでとうなのです。心から祝福するのです」
「……ありがとう」
「というわけでアリスとも結婚して欲しいのです!」
「断る」
「ひどいのです!」
アリスからのプロポーズは、かれこれ何度目だろうな。気持ちは嬉しいんだけど……。
「もう4人も夫がいるだろ」
「ア、アリスはアルさんが一番好きなのです!」
「それ、夫達の前で絶対言うなよ……」
なんとアリスはもう3児の母なのだ。
裏神滅戦のあとにランメルに帰ったアリスを待っていたのは、怒涛の縁談だった。ガリシア氏族の血を絶やすわけにいかないってのと、土人族はもともと女性が少ないこと、【錬金術師】の加護持ちであること、結婚適齢期だったこと……などもろもろの理由で求婚の嵐だったらしい。
そして、土人族は母系相続・一妻多夫の種族だからね。勢いに押されたアリスは、瞬く間にハレムを築いたのだ。
「俺も4人の妻を娶った身だ。婿入りなんて出来るわけないだろ」
「ア、アルさんは特別にハレムに入らなくてもいいのです。子作りだけしてくれれば!」
「先に新夫の子供を産んでやれよ……」
俺も詳しくは知らなかったが、土人族は生理周期と妊娠期間が央人に比べると短く、多産な種族らしい。御多分に洩れず、アリスも新しい夫を迎えては子供を儲けている。確か、4人目の夫の子供はまだだったはずだ。
「その次ならいいのです!?」
「いや、そういう意味じゃなくてだな」
うーん。価値観の差って、やっぱり埋めがたいものがあるな。そう考えると、一夫一婦制の価値観を持っていたアスカが、よくもまあ俺の重婚を認めたもんだ。
「もう、種だけでもあげればいいじゃん」
「アスカ!? いいのです!?」
「いや、俺の意思は!?」
アスカ、ちょっと振り切り過ぎじゃない? セシリーが絶句してるじゃんか……。
【登場人物】
ユール・レグラム・マナ・シルヴィア:シルヴィア王家唯一の生存者で最後の『純血の灰狼族』。ユーゴーの母親。ユーゴーをレグラム王家の養女とするために、レグラム前王ヴォルフと再婚。ヴォルフ前王との関係は悪くないが、前王妃に遠慮して『白い結婚』を貫いている。
ゼノ・レグラム:前王ヴォルフの後を継いだ現レグラム国王。傭兵団荒野の旅団は国軍に吸収合併された。息子が子供を儲けたため、30代後半にして早くもお爺ちゃんに。




