第480話 滅びし聖都の移住希望者
クレア視点です
オークヴィルの第二次再開発計画は順調に進んでいます。
チェスターに避難していた方のほとんどは戻って来てくれました。それに、再開発の噂を聞きつけた商人達が移り住んでくれたことで人口も増え、ジブラルタ王国軍の襲撃以前の賑わいを取り戻しつつあります。
町の南側に広がる草原では、ホーンシープやワイルドバイソンが牧草を食む長閑な光景も見られるようになりました。まだ放たれている数は少ないですが、チェスターの魔物使いギルドも協力してくれていますので、いずれオークヴィルの産業の一角を担ってくれるようになるでしょう。
コンコンッ
工事予算の申請書類に署名して処理済みの書類箱に放り込んだところで、執務室のドアが来訪者を告げました。執務室に入室してきたのは、栗色の猫耳が愛らしい、わたくしの専属秘書――セシリーです。
「クレア様、聖都ルクセリオからの移住希望者が到着しました。予定通り、中央広場にご案内しています」
「わかったわ。それで、その……?」
「いらっしゃいませんでした……。エルサ様が引率されたそうです」
「そう……」
残念ながら、待ち人来たらず、です。世界中の何処にでも転移が出来るという破格のスキルをお持ちなのですから、一度くらいお顔を見せにきてくださってもよろしいですのに……。
「では、行きましょうか」
せめて、エルサ様から、ご様子をうかがうといたしましょう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
官舎前の広場は大勢の移住希望者でごった返していました。
とはいえ事前に相談され、受け入れの準備は済ませてありましたので混乱はありません。山鳥亭の女将マーゴさんの炊き出しに、移住希望者が整然と列をなしています。
今日は歓迎の意を示すために、わたくし個人の財布からも金子を出し、オークヴィル名物の『羊肉のクリームシチュー』を提供してもらいました。なんでも、このシチューはアル兄さまとアスカさんの好物で、先代の山鳥亭店主から譲り受けたレシピを復刻させたものなのだとか。移住希望者の皆さんも、喜んでくれているようで嬉しい限りです。
「お久しぶりね、代官様」
「ご無沙汰しております、エルサ様。ご壮健そうでなによりです」
アリスさんとジェシカさん、ユーゴーとは2か月ほど前にお会いしましたが、エルサさんと直接お会いするのは『王都クレイトンの神滅戦』の前にチェスターにいらして以来になりますね。今は魔法都市エウレカの跡地で選帝侯家が秘匿していた魔導文献や希少な魔道具を掘り起こしていらっしゃるのだとか。
「相談していた通り、聖都ルクセリオから移住者二百余名を連れて来たわ」
「はい。既に受け入れの準備は出来ています。町の南側に長屋を用意しましたので、皆さんにはそちらにお住まいいただきます」
「ありがとう。彼らに仕事はあるのかしら?」
「ええ。ローレンス川の護岸工事、北側の新街区の敷設工事で人手を求めています。官舎の普請担当を伺わせますので、代表者を紹介していただけますか?」
「そうね……クレメンス司教にお願いしようかしら」
「司教様、ですか」
神龍ルクスが大国の首都を潰してまわった事実は、もはや世界中に伝わっています。聖ルクス教会は信徒と権威を失い、ほとんどの都市で解体されたそうです。
聖都ルクセリオも神龍ルクスによって滅ぼされたと聞いていたため、ルクセリオからの移住者達が聖ルクス教の使徒たる司教を代表者と仰ぐのは、少々違和感がありました。
「聖ルクス教国の司教は各地の荘園を管理する謂わば貴族のような存在だったのよ。信仰を失ったとはいえ、寄る辺のない民に頼られては見捨てるわけにもいかないでしょう? 彼自身は司教と呼ばれることを歓迎していないから……そうね、クレメンス殿とでも呼んで差し上げて」
「そうでしたか。有能な人材であれば雇い入れしたいところですね」
チェスターでも教会は取り潰しとなりました。守護龍に信仰を捧げる分派だけが存続を許され、貴族の寄付で日曜学校や孤児院の運営を続けています。
ここオークヴィルではジブラルタ王国の襲撃で焼け落ちたままで、再建も予定していませんでした。とはいえ学校や孤児院は必要ですので、お任せできる方を探していたのです。
「ルクセリオで生き残った人々をまとめ上げて、最低限の生活がおくれるよう差配していたようだから、それなりに有能でしょう。アルも信頼していたようだし、為人をみて検討してもいいのではないかしら」
そう言ってエルサ様は、大きく溜息をつかれました。顔色は悪くありませんが、どうやら大変にお疲れのご様子です。
わたくしの気遣う目線に気づかれたのでしょう。エルサ様は心配しないでというふうに苦い笑みを浮かべました。
「二百人も連れて転移するのはさすがに骨が折れたわ」
「石を使わずに転移陣を使用する魔道具があるとは聞いておりましたが……やはり扱いに難儀するものなのですね」
「そうね。それなりに魔力が高いという自負はあるのだけれど、それでも枯渇寸前になったわ。アスカの【アイテム】があれば、こんな苦労はしなくても済んだのだけれど」
それなりにどころか、おそらくエルサ様は世界最高峰の魔法使いです。そんな方であっても、かろうじて間に合う程度の魔力消費となると、おいそれと使える魔道具ではなさそうですね。
エルサ様は魔法袋の製法を神人族と魔人族に公開し、物流に大きな変革をもたらしました。転移の魔道具も普及させるおつもりがあるのではと期待しておりましたが、こちらは障壁が高そうです。
アスカさんの特有スキルついては私も存じておりますが、あれはまさしく反則技です。わたくしの【商人】のスキルとアスカさんの【アイテムボックス】で世界を股にかけた商売を……なんて夢も描いていましたが……。
「いずれにしても、受け入れてくれて助かったわ」
「いえ、こちらも人手不足に困っておりましたので、渡りに船でした。それにしても、なぜアル兄さまやエルサ様がルクセリオの方々の口利きをされているのですか?」
聞けばガリシア自治区でアリス様が再建中のランメルや、ユーゴーの御母堂がいらっしゃるレグラム王国にも、ルクセリオの難民を移住させているそうです。アル兄さまや旅の仲間の方々も、ルクセリオの方々との深い御縁はなかったと思いますが……。
「ルクセリオの跡地を利用する予定があるのよ。だから受け入れ先を用意して、難民全員に移住してもらったというわけ。皆、喜んで誘いに応じてくれたわ」
「ルクセリオの跡地を……?」
崩壊した都市の跡地を何に活用しようというのでしょうか。
こう言ってはなんですが、ルクセリオに再興の見込みはありません。世界の中心に位置するというだけで、地政学的にも繫栄する要素がない土地なのです。
あの都市の運営は世界中から集まる信徒の寄付金で賄われていました。聖ルクス教の権威が失墜し、富が集まることもなく、各国の支援もないとなれば、さほど価値がある土地とは思えません。
「ここだけの話だけれど……大規模な魔導実験をするつもりなの。『龍殺し』の皆でね」
冒険者パーティ『龍殺し』の英雄譚は、今や世界中の吟遊詩人に詠われています。
『天翔ける一角獣』
エース・ウェイクリング
『傀儡使い』
アリス・ガリシア
『大魔導』
エルサ・アストゥリア
『怒れる女狼』
ユーゴー・レグラム・マナ・シルヴィア
『聖女』
ロゼリア・ジブラルタ
『魔王を継ぐ者』
ジェシカ・プライド・エヴェロン
『万能』
アルフレッド・ウェイクリング
歴史の真実を伝える目的もあり、皆さまの活躍を称えた英雄譚は、各国の王家の後押しを受けて瞬く間に世界中に伝播しました。
アル兄さまがテレーゼ・セントルイス殿下の専属騎士であるとか、ユーゴーが亡国マナ・シルヴィアの最後の女王であるとか、何らかの意図がありそうな誤情報が混じっている詩もあるそうですが、神龍ルクスを討った英雄達の名は世界中の人々の知るところなっています。
その『龍殺し』が、滅んだ都市からわざわざ人払いをしてまで行う魔導実験……?
「いったい……何をされるつもりなのですか?」
以前、アル兄さまから六柱の守護龍の御力をもって、ルクセリオに神龍ルクスを封じた勇者の逸話を聞いたことがありました。同じように世界規模の魔法陣を構築して魔導実験をするということなのでしょうか。
「龍殺しの目的は一つしかないわ。アスカを取り戻す。それだけよ」
不安が表に出ていたのでしょう。エルサ様は児子を安心させるように柔らかに微笑まれました。




