第469話 騎士とJK
「あはは……どうしたの、みんな。あたしは女神に喚ばれてこの世界に来たんだよ? だったら帰れないわけないじゃん」
アスカは困った顔で微笑を浮かべ、そう答えた。
それだけでわかってしまう。ずっとそばにいたんだ。ずっとアスカを見ていたんだ。わからないわけがない。
「……本当に?」
「うん。ルクスはやっつけたわけだし……」
さっきからずっとアスカは俺から目を逸らしている。
いや、思い返せば、ニホンに帰ると決意を聞かされたあの夜も、この星では生きていけないのだと言っていた時も、アスカは一度として俺と目を合わせなかった。
以前からそうだった。
始まりの森で出会ったばかりの時。突然やってきた場所に困惑したアスカは、何日も口を利かずに塞ぎ込んだ。
王都クレイトンでもそうだ。婚姻についての価値観の違いから、俺やクレアに迷惑をかけていると、やはり何日も一人で思い悩んでいた。
シルヴィア大森林で記憶があいまいになっていることに気づいた時もそう。皆に気を遣って普段通りを装っていたが、見るからに悄然とした様子で一人苦悩していた。
アスカは悩みごとがあっても相談してくれない。目も顔も合わせず一人で悩み続ける。気づいて声をかけても答えてくれず、一人で悩み、一人で決めてしまう。
「アスカ、俺の目を見て言ってくれ。本当に、ニホンに帰れるのか?」
「それは……」
今回もそうだろう。アスカは一人で悩み抜いて、何らかの結論を既に出してしまっている。そして、その結論を俺達に隠している。
きっとそれは、俺達を想ってのことだろう。でも……
「なあ、アスカ。俺達は仲間だろう。隠し事はなしにしよう」
「…………」
「俺はアスカのためなら何だってできる。アスカの力になりたいんだ」
そう訴えると、アスカは顔を上げて俺と目線を合わせる。そして軽いため息を吐いて、寂しそうに微笑んだ。
「…………まいったなぁ。このまま、黙って消えちゃうつもりだったんだけどな」
「消え……ちゃう?」
アスカがこくりとうなずく。
「アイテムボックス」
「え? 何だって?」
唐突な呟きに、思わず聞き返す。
「魔法袋は普通じゃ入らないぐらいのたくさんの物が収納できるじゃない? 袋に魔法が付与されてるんだったよね?」
「……そうね。空間拡張や重量軽減の魔法が付与されていると言われているわ。神人族の秘術の一つで、一部の選帝侯家によってその製法は秘匿されている。おそらくその技は失われてしまったでしょうね」
エルサが答える。アストゥリア帝国の魔法都市エウレカは、ルクスの襲撃により滅んでしまった。【付与師】にかかわる秘術の多くも同様に失われてしまっただろう。
「うん。ようするに魔法袋はさ、見た目よりたくさんの物が収納できる袋なわけだよね。収納する物は、その中に入っている。この世界に存在しているわけだよね」
「存在、している……」
それはそうだな。袋の口から覗くと中に入れた物は歪んで小さく見えるけれど、確かに入れた物はそこに在る。俺達が預かっている『王家の魔法袋』は重量軽減の魔法も付与されているとかで、中に入れた物の総重量より明らかに軽く感じる。
だけど、物がそこに存在しているのは間違いない。アスカの【アイテムボックス】と違って。
「アイテムボックスに収納した物は……どこにあるの?」
エルサがアスカに問いかける。
「世界の外側。宇宙と宇宙の間。次元の狭間。時の無い世界。エントロピーがゼロの次元」
「え、なんだって?」
「あたしもよくわかんないんだけどね。とりあえず、異次元にあるの。あたしの【アイテムボックス】はそこに条件付きでパスを繋げて、物を出し入れできるスキルってわけ」
異次元。いまいち想像も出来ないが、アイテムボックスの中身は、他の世界にあるということか?
パスを繋ぐっていうのは、龍脈と同じような感じだろうか。俺の【転移】は龍脈を通して瞬時に移動することが出来る。そういう経路が、他の世界に繋がっているということか?
「あたしの加護のほとんどのリソースは、そのパスをつなげることに使われてるの。世界への影響が大きすぎるから、あたしの固有霊子情報で暗号化して、条件付きで繋げてるんだって」
「ごめんなさい。アスカが何を言っているのか理解できないわ……」
エルサが眉間にしわを寄せて、困惑した様子で唸る。俺も、というかここにいる誰もが似たような表情だ。
「ようするにね、ルクスの魔晶石は、異次元に放り込んだってわけ。その異次元には、あたししか干渉できない。今のところは」
「それは……」
『今のところは』と念を押すようにアスカは言った。つまり、この先はわからないということだ。
「いつかルクスはあたしのパスに干渉する」
「……アイテムボックスから出てくるかもしれないってことか?」
「そんな……! 時が止まった世界なんでしょう!? 魔晶石になったルクスに何が出来るっていうの!?」
エルサの悲痛な声に、アスカはただ静かに首を振る。
「ルクスは力そのものだから。龍の王っていう概念というか意思というか。だから時間とか肉体とか魂とか、そういうの関係ないの。それがいつになるかはわからないけど、もしかしたらすぐにでも、あたしに干渉しはじめると思う。大地に封印されながらも、多くの人を操って聖ルクス教なんてものを作っちゃったみたいにね」
「そんな……」
皆の顔色がさーっと青褪めていく。
「だからね、繋いだパスを消すんだ」
そう言ってアスカが微笑む。目尻から一筋の雫が溢れた。
「あたしが消えればパスも消える。この宇宙と、アイテムボックスの次元は二度とつながらない」
あたしがって……アスカが、消え……れば?
「アイテムボックスにルクスを放り込むのには、条件をクリアする必要があったの。肉体から無理やり切り離して、概念を物質化する必要がね。ありがとう、皆のおかげだよ」
何を……何を言っているんだ? アスカ?
「あたしの加護は【背信者殺し】。女神に背いたルクスを、この世界から追放するための加護」
【Judas Killing】……【JK】…… アスカの加護?
「このために、アイテムボックスがあったの。あたしのJKって加護があったの。あたしは……そのために創られたの」
「創られ……た?」
わからない、アスカが何を言っているのか理解できない。
「ごめん、もう、行かなくちゃ。出来るだけ早く、この世界とのつながりを消さなくちゃいけないから」
不意に、アスカの身体から碧い光の粒子が浮かび上がる。
「アスカっ!?」
「エルサ、闘技場で初めて見た時から、すごく綺麗で、かっこよくて、大好きだった。キャロルのこと……何もできなくてごめんね」
「アスカ……そんな、何を言うのよ」
漏れ出すように、染み出るように、碧い光の粒子が離散していく。
「アリス、あの時、迷宮で出会えてよかった。かわいくて、がんばり屋さんで、大好きだった。夢をかなえられて、本当に良かったね」
「ア、アスカぁ……」
碧い光の粒子が、俺達の周囲を包むように浮遊する。アリスは滂沱の涙を流し、言葉を続けることが出来ない。
「ローズ、一緒にいられて、楽しかった。ノリが合うっていうのかなぁ。大好きだよ」
「ワタシも! ワタシも大好きよ!」
アスカの存在感が段々と希薄になっていく。
「ジェシカ、短い付き合いだったけど、ありがとね。ダークエルフの皆も、幸せに生きられるといいね」
「……こちらこそ、ありがとう、なの」
少しずつ、アスカの身体が透けていく。
「ユーゴー、エース。アルのこと、お願いね」
「この身命にかけて」
「ヒヒーーーンッッ!!」
アスカが歩み寄り、俺を抱きしめる。
抱きしめ返すも、腕は通り抜け、もう触れることもできない。
「ありがとう、あたしの騎士」
「アスカ……」
アスカが背伸びして、唇を寄せ合う。
触れた感覚は無い。
「愛してる」
ほとんど同時に、同じ言葉を紡ぐ。
そしてアスカは、碧い光となった。
ご覧いただき、ありがとうございます。
これにて『終章 ワールド・オブ・テラ』は終了、次章『Afterwards』に続きます。
引き続き、よろしくお願いいたします。




