第467話 不滅の龍
ズゥン……
ゆっくりと横倒しに崩れるルクスの巨体。その前にはギルバードに切断された首が転がり、頭部を失った首元からは碧い魔力光が溢れ出ている。
「やった、のか……?」
それは言っちゃダメなやつだ、ギルバード。生存ふらぐってヤツなんだぞ。
とも思ったが、ルクスの巨体はピクリとも動かない。瞳は光を失い、瞳孔は完全に開いている。その巨体に宿る魔力も、どんどん失われつつあった。
「倒せた、のかな?」
「そう、みたいなのです」
全く動けない俺をアスカとアリスが両脇から支えて立たせてくれた。3人並んで目の前の光景を注意深く眺める。
「あ、あそこ!!」
ジェシカが大声を上げて指し示したのは、横たわるルクスの巨体の少し上。首元や身体中の無数の斬り傷から溢れ出た碧い光が集まって魔力塊を形成していた。
「なっ!? いや、これは……」
龍形態の続きがあるのか!? と一瞬、背筋が凍ったが、どうやら違うようだ。
この光景は何度も見たことがある。
海底迷宮の偽物の魔物は倒すと魔力の粒子となり、それが集まって魔石や魔物素材へと姿を変える。碧い魔力光の塊もまた、同じように結晶化し始めているようだ。
「これは……魔晶石なの?」
ユーゴーに肩を貸しながら、エルサがこちらに歩いてきた。その後ろに続くエースは、だんだんと大きくなっていく結晶を油断なく睨みつけている。
宙に浮かぶ碧い結晶は、四方八方に枝分かれして伸びていく。そして、一本一本の枝はまるで氷柱のように太くなっていった。無数に枝分かれした六角水晶の塊、守護龍の魔晶石にそっくりだ。
火龍の紅、地龍の金、天龍の白、風竜の翠、水龍の青、冥龍の黒に続き……龍王の魔晶石は碧。
色も違うが、大きさも桁違いだ。守護龍の魔晶石は俺の背丈より少し大きいくらいだったが、これは優に二倍はある。宿す魔力も圧倒的に多い。
「これは……?」
「おそらく龍王ルクスの魔力が結晶化したものだ。守護龍の魔晶石に似ている」
「守護龍の……魔晶石……。そんなものが……」
ギルバードが呆然と六角水晶の塊を見上げる。そういえば守護龍の魔晶石の存在は、一般的には知られていなかったか。俺達の旅が如何に非常識なものだったかわかるな。
「これで、終わったのか? 俺はもう、この手で、人族を襲わずに済むのか……?」
「……お前、記憶があるのか?」
「ああ……。神人を焼き払い、獣人を斬り裂き、土人を埋め、海人を沈めた。全て、見ていた。俺は見ていることしか、出来なかった……」
「そうか……」
どうやらギルバードはルクスの恐るべき所業を内側から見続けていたようだ。世界中の都市を襲い、人々を虐殺する光景を延々と見せられるなんて、どれほどの悪夢だろうか。
「大丈夫だ。もう、あんな悲劇は起こらない」
「そう、か……」
ギルバードがルクスの遺骸の上に浮かぶ六角水晶の塊を見上げ、肩を震わせる。
「お前のおかげだギルバード。よくやってくれた」
ブレス攻撃後の隙を突き、龍殺しの剣で見事にとどめを刺してくれた。そういえば、鉱山都市レリダでルクスに襲われたときもそうだ。ギルバードがルクスを一時的に抑えてくれなければ、俺も皆もあの時に死んでいただろう。こうしてルクスに抗うことも出来なかった。
そう感謝を述べようとした、その時だった。
――――然り
頭の中に声が響く。魔素を通して声を届かせる……龍の言の葉だ。
「ルクスッ!?」
やはり、あの六角水晶の塊はルクスか。
守護龍も魔晶石の状態で語りかけてきたのだ。あれがルクスの魔晶石なら、同じことが出来ても不思議ではない。
――――矮小なる人の身でよくぞ龍の王たる我を倒した
だが、これは……。
竜王の肉体を奪った時と全く同じなのだ。重く厳かな声で雄弁に語っている。守護龍の啓示は断片的なイメージや言葉を伝えてくる程度だったと言うのに……龍の王ともなると、こうも流暢に語れるというのか。
「ああ、俺達の勝ちだ、ルクス。その石は破壊させてもらう」
……嫌な予感がする。早く取り掛かった方がいい。
碧い魔晶石は、まるで神授鉱の塊のようにも見える。そう簡単には壊せそうにないが、同じ神授鉱の龍殺しの剣ならば可能だろう。今はまともに動けないから、ギルバードに頼って壊してもらうか。
――――そうはいかんな
――――貴様らにはここで消えてもらう
そう声が響いた直後、大空洞の底に幾つもの碧い魔力光の線が走った。線は幾つもの円や六芒星を模り、巨大な魔方陣が描かれていく。ルクスの魔晶石はゆっくりと遺骸の上から移動し、その中心に降下した。
「こ、これは!?」
エルサが真っ青な顔で、魔方陣に目を走らせる。そして、声を震わせ、絞り出すように呟いた。
「魔素崩壊……」
それは魔石の魔力を暴走させる魔法陣。小鬼クラスの魔石であっても、熟達した魔法使いの【爆炎】のような破壊をもたらす。三柱の守護龍の魔晶石を用い、直径十数キロの大空洞を大地に穿った魔王アザゼルの奥の手。
「そん、な……」
龍王ルクスの魔晶石で魔素崩壊を発動したとしたら、どれほどの威力となるだろう。どう考えても、俺達に耐えられるとは思えない。暴走はこの大穴にとどまらず、王都一帯を破壊しつくしてしまうかもしれない。
「俺達を……道連れにするつもりか」
魔法陣の碧い線が放つ光が強くなっていく。
すぐに離脱しなければ。【転移】を発動する魔力は回復していない。だが、アスカが持つ龍脈の腕輪を使えば……
――――消えるのは貴様らだけだ
――――我は何度でも蘇る
「なん、だって?」
そういえば、さっきルクスはそんなことを言っていた。誓いを守る限り龍の魂は不滅、だったか。
「蘇る……?」
エルサが口元を戦慄かせ、震える声でルクスに問いかける。その唇も、顔色も、真っ青だ。
――――我は力そのもの
――――決して滅ぶことはない
なんてことだ。この決死の戦いが無駄だったとでも言うのか。世界中の人々が虐殺された悲劇が繰り返されるというのか。
自分の不甲斐なさに怒りがこみ上げると同時に、激しい徒労感に襲われる。アスカを守れたと思ったのに。世界を守れたと思ったのに。結局、何も出来なかったのか。
――――我を下したことを誇るがいい女神の眷族よ
――――だが次はない
魔法陣の碧い魔力光が明滅する。もはや魔素の暴走は秒読みだ。
不滅というのが事実なら、今さら魔晶石を破壊しても意味が無い。もう俺達には……どうすることも出来ない。
「皆、逃げるぞ! って、おいっ!?」
アスカが唐突に俺の脇から離れ、魔法陣の中心に向かって歩いていく。
「アスカ! 龍脈の腕輪で離脱する! 戻れ!」
だが、アスカは俺の言葉を無視して進み、魔晶石に手を伸ばす。
「【収納】」
――――アッ……
巨大な魔晶石が不意に消失する。それとともに魔法陣も掻き消える。
「えっ?」
しんとした静寂が辺りを包む。俺達はただ呆然と口を開き、アスカの背を眺めることしか出来ない。
そんな中、アスカはくるっと振り返り、不敵な笑みを浮かべた。
「ゲームクリア!」
朗らかな声が、大空洞の底に響き渡った。




