第466話 騎士の本懐
紅の魔力盾が龍王の咆哮を抑え込む。
二重詠唱スキル【光の大盾・大鉄壁】ではなく、単独のスキル発動で。しかも低レベルの剣士であっても習得している基本スキルでだ。
励起も発動していない。本来なら、龍王の咆哮を防ぐため防御に秀でた【騎士】と【導師】の二つの加護を重ねているところだろう。だが、今は加護を意識すらしていない。
「す、すごい、のです」
アリスが絞り出すように呟いた。
驚くのも無理はない。騎士と導師の加護を励起し、二重詠唱スキルを全力行使。さらにローズの【二重・光の大盾】を重ねても押し返せなかった龍王の咆哮を、俺一人で抑え込んでいるのだから。
魔力。魔素。神授鉱の欠片。女神の断片。
この際、呼び名は何でもいい。重要なのは神授鉱が想いを写す鉱物であり、その想いが強ければ強いほどに、力を与える性質があるということ。
それは一つの真実ではある。だが、それだけでは不十分だったのだ。
加護やスキルにはレベルが存在する。『敵』を倒し、『敵』から身を守るために使い続けることによって、加護とスキルのレベルが上がる。より強大な敵を相手取れば、より早く加護とスキルは強化されていく。
人が生存を希求する想いは虚飾が無く、純粋だからだろう。
敵に殺されたくない。傷つけられたくない。敵に抗いたい。倒したい。そういった想いに嘘や偽りが入り込む余地は無い。至極純粋だ。
女神は、人の虚飾の無い、純粋な想いに応えてくれる。それが加護であり、スキルであり、魔法だ。
だが、女神は龍に抗うための力が欲しいという俺の想いには応えてくれなかった。
では、俺の想いに嘘や偽りがあったか?
世界を、人族の未来を守りたい。その想い自体に嘘はない。そうでなければ、人族を含む全てを滅ぼそうと目論む、超越的な存在である災厄に、自身や仲間の命を賭してまで挑んだりはしない。
決死の覚悟で王都を守ろうと戦った兵士や決闘士達の想い。魔人族の生存のためだけに世界を危機に陥れ、それでも最後は人族を救わんと命を捨てた魔王と魔人達の想い。
その想いに応えたい。
山間の町の気の良い冒険者と商人ギルドの受付嬢。土人族の孤児達。仲間達の家族。世界を旅する中で関わり、縁を結んだたくさんの人達。
彼らを守りたい。
間違いなく、俺の想いではある。嘘も偽りも無い。
だが、純粋ではなかったのだ。
背中に触れるアスカの手が恐怖に震え、俺はようやく思い出した。
不遇の加護【森番】を授かった俺は、たった一人で森の奥深くに暮らすことを余儀なくされた。騎士になるという夢を失い、孤独感に苛まれ、絶望と諦観の中でただ漫然と日々をすごしていた。
そんな俺を、アスカが救ってくれた。騎士になるという夢をかなえてくれた。森の奥深くから抜け出させてくれた。アスカに振り回されながら世界を旅する俺の物語が始まった。
事ここに至って、ようやく思い出したのだ。あの時の純粋な想いを。
『俺は、ウェイクリング家の騎士になりたいんじゃない。アスカの騎士になりたいんだ』
アスカの騎士になる。それが、俺の願いだったじゃないか。
『俺が目指しているのは【騎士】の加護を得ることじゃない。何かを護る者としての騎士だ』
俺が心の底から希求する願い。それは、アスカを守ること。
『アスカ、俺の剣を君に捧げる。アスカがニホンに帰るその日まで、絶対に君を護り抜くと誓うよ』
世界のためでも、人族のためでもない。ただ、俺自身の願いのために。
俺は騎士。アスカを守る者。
「なに、これ……加護が、ぜんぶ、励起してる!?」
加護も、祝福も、全てを意識の外に追いやる。同時に、アスカが与えてくれた全てを、この盾に注ぐ。
「綺麗……なのです……」
碧の咆哮と紅の盾がぶつかり、碧と紅の火花が地の底を舞う。俺の鉄壁はルクスのブレスを完全に抑え込んだ。
「アリス、アスカ、出し切るぞ!」
「う、うんっ!」
「援護するのです!」
だが、俺の魔力とアスカの回復薬には限りがあり、ルクスの龍の力にはそれが無い。今は凌げたとしても次は無い。全てを出し切る前に、攻勢に転じなければならないのだ。
「これが、最後!『魔力回復薬』!」
魔力が底をつく寸前にアスカが最後の回復薬を使用する。青緑色の魔力光に包まれ、僅かに魔力が回復する。
さあ、正真正銘の最後の賭けだ!
「おおぉぉっ!!【盾撃】!」
混沌の盾をつけた左腕に渾身の力と最後の魔力を込めて、押し返す。
鉄壁の魔力盾が反転し、ルクスの咆哮を飲み込む。真紅の魔力盾とともに碧い魔力の奔流が弾け、大空洞の底が混然一体となった魔力光で埋め尽くされた。
「っ……!」
龍王の咆哮は凌げた。だが、魔力体力ともに、ほぼ空っぽだ。俺は自身の身体すら支えきれず、前のめりに膝をついた。
やがて魔力光が収まり、視界が開けた。弾き返したブレスの一部が届いたのだろう。ルクスの身体の一部が火傷のように爛れ、咢からは白い煙が漏れ出ていた。
「グルルゥッ……」
ルクスがゆっくりと身体を起こす。その両腕両脚は傷だらけで、碧い魔力光が漏れ続けている。六対十二枚の翼は全て根元から断たれ、焼け焦げている。首元は大きく抉れ、通常の生物ならすでに息絶えているほどの重症を負っている。
龍殺しの剣に斬り裂かれた首と両手脚、翼は癒えることはない。ルクスもまた満身創痍だ。
だが、白煙を吐き出すその咢は、嘲笑うかのように歪んでいた。
それもそうだ。俺はもう打ち止めだが、ルクスは暫くすれば再び魔素を集めてブレスを吐ける。ルクスも追い詰められはしたが、すぐに復帰できるのだ。対して、俺には打つ手が残っていない。
「…………」
もはや指先を動かすことも出来ないほどに、ほぼ全てを出し切ってしまった。俺はもう動けない。
「【神具解放】!!」
アリスが武具強化スキルを発動。地面に突き立てていた龍殺しの剣が金色の輝きに包まれる。
「飲み込め――――龍殺しの剣」
もう龍の力は十分に吸収できている。俺が発動句を唱えると龍殺しの剣が纏っていた碧い魔力光が反転し、剣身が真紅に染まった。
「今だっ!」
アリスが龍殺しの剣の柄を両手で掴む。勢いよく地面から抜き放って、大きく振りかぶった。
恐怖からか、縦に割れたルクスの瞳孔が大きく開く。
「どおっりゃぁぁーーっ!!!」
アリスが鞭のように両腕を振り下ろし、龍殺しの剣を投擲。剣は紅の魔力光の軌跡を描き、ルクスの首元めがけて飛翔する。
「グルゥッ!!」
しかし、ルクスは斜め前に倒れ込み、飛来する龍殺しの剣を紙一重で躱した。
時が異様なほどにゆっくりと流れる。倒れながらルクスの咢が再び歪んでいく。万策尽きたな、そう嘲笑っているかのようだ。
その刹那、ルクスの首元を通り過ぎた龍殺しの剣の、さらに奥の空間がぐにゃりと歪んだ。【隠遁】で姿を隠していたジェシカと一人の男が突如姿を現したのだ。
ルクスの瞳孔が再び大きく開く。
「いけぇっ!!」
「任せてくれ、兄さん!!」
飛来した龍殺しの剣を、飛び上がった男が右手で掴む。連携に加わらなかったローズが癒し、ジェシカが姿を隠していた鬼札が龍殺しの剣を振りかぶった。
「【接続】……」
これで残された魔力は完全に枯渇する。俺はもう何もできない。
後は頼んだ、弟よ!
「ギルバード!!」
「おおぉぉっ!!【漆黒の剣】!!」
俺の加護補正を受け取ったギルバードが、真紅に染まった龍殺しの剣を振るう。黒焔を纏った斬撃が、龍王ルクスの首を断ち斬った。




