第44話 襲来
執拗にエールのお替りを勧めてくる店主と居合わせた客たちの甘い誘惑を断腸の思いで断り、俺たちは宿に戻った。マッドボアの煮物やらワイルドスタッグのローストやらを用意された上に『今夜は飲み放題だ!』なんて言われたんだ。エールのたった一杯で留めた俺の鉄の意志を褒めてほしい。もしかしたらゴブリンの大群と魔人族が襲ってくるかもしれないのだから当然ではあるけれど。
「襲ってくるとしたら、何時ごろなんだろうな」
「わかんない……。WOTだと、チェスターの宿に泊まると、夜に物音で目覚めて、町が襲われているのに気づくって感じでイベントがスタートしたの。たぶん深夜だと思うんだけど……」
「そっか……だとしたら、この部屋で身体を休めながら【索敵】を使って町の様子を窺うしかないか……」
「うん。ここなら町の入り口に近いからゴブリンが襲ってきたらすぐにわかるしね」
「ああ」
「それで、本当にギルバードを助けに行くつもりなの?」
「……そうだな。仲が良いとは言えないけど、弟だからな。殺されるかもしれないっていうのに、黙って見過ごすわけにはいかないだろ」
そう言うとアスカが険しい顔をする。
「WOTだと魔人族は、勝てないことが決まっている相手だったの。それでも戦う?」
「勝てないことが決まっている?」
「うん。この町での魔人族戦は負けイベントなの。負けてもゲームオーバーにはならないけど、ギルバードが死んじゃう。でも、決まった時間を魔人族の攻撃に耐えることが出来れば、ギルバードを助けることが出来たんだよね」
「攻撃に耐えていれば、相手が引いてくれるってことか?」
「うん、そういうこと。時間が経つと町の兵士たちが救援に来てくれて、相手が逃げ出すって展開だったの」
「なるほど……。なら、何時間でも耐えて見せるさ」
勝つことじゃなく、自分の身を守るだけなら何とかなりそうだ。今の俺は【剣闘士】で、体力も防御力も高い。なんとか耐えきれるんじゃないだろうか。
「魔人族は魔力が高い種族なんだよ?」
「あっ……」
そうだ。俺の能力値が高いのはあくまでも防御力。魔法攻撃への耐性が高くなる精神力は、むしろ低いのだ。
「……だから戦いを避けた方がいいって言ってるのに」
アスカは大きくため息をついて、やれやれと言わんばかりに首を振った。
「あたしだって出来ることならギルバードを助けたいよ。でも、この世界はWOTじゃなくて、現実なんだもん。もしかしたら、死んじゃうかもしれないんだよ……?」
「それは……そうだけど」
それでも、やっぱり見過ごすことは出来ない。たった一人の弟が死ぬとわかっていて、自分の安全のために戦いを避けるっていうのは……騎士のすることじゃない。騎士じゃないけど。
「……だったら、死なないように身を守ることだね。今回現れる魔人族は火属性魔法を使ってくるヤツなの。アルが持ってる火喰いの円盾は火属性の攻撃に対する耐性が上がるでしょ? 攻撃を捨てて身を守ることに専念すればなんとか凌げるはず。あたしも回復薬をじゃんじゃん使って援護するし」
「そうか。防具との相性がいいのか。ちょうどよく手に入れられて運が良かったな……ってもしかして?」
「うん。火喰い狼との戦いにこだわった一番の理由は、火耐性の防具を手に入れたかったからだよ。最初は【癒者】になって精神力を上げようと思ったんだけどね。思いがけず火喰い狼と戦うチャンスがあったから、防御力の高い【剣闘士】と火耐性の高い火喰いの円盾の組み合わせの方が相性が良いと思ったの」
「……そんなに前から、対策を立ててたのか?」
「アルのことだから、どうせ戦うって言うだろうと思ってね」
「ありがとう、アスカ! さすがだな!! 助かったよ!!!」
俺は思わずアスカをぎゅっと抱きしめて、そのまま身体を持ち上げて振り回した。
「わぁぁぁっ!!! ちょっ、下ろして! きゃぁぁっ!!」
おっと、怖がってる。やりすぎたか。俺は顔を真っ赤にしたアスカを床に下ろす。
「よしっ。魔人族とゴブリンか。やってやろう、アスカ!」
「うん!!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
俺たちはいったん仮眠をとり、夜の戦いに備えることにした。一杯だけだったけどエールを飲んだおかげか、緊張していたはずなのにあっさりと眠ることができた。
2時間も眠ってはいないが身体はかなり軽くなった。目を覚ましたのは深夜というにはまだ早い時間だ。日付もまだ変わっていない。
「……このまま何事もなく夜が明けてくれればいいんだけどな」
「そうだね。何もかもWOTと同じってわけじゃないから、イベントは起こらないってこともあると思うんだけど……」
そうなってくれるといいんだけどな。町も襲われず、ギルバードも危機に陥ることが無いってのが一番だ。
そう思いながら、俺はベッドに横になって辺りの気配を窺う。町の入り口に近い場所にあるこの宿なら、ゴブリンたちが襲って来てもを早い段階で気づく事が出来るだろう。
俺の索敵なら、町の外まで魔物の気配を探る事が出来る。ゴブリンたちの気配に気づいたら、すぐに宿を飛び出て大声で辺りに注意を促そう。
本当は事前に注意を促して町の防衛に備え、戦えない人たちには避難してもらいたいところだが、俺の言うことなんて誰も信じてくれないだろうしな……。
「ん……?」
そんな事を考えながらしばらく時間が経ったところで、辺りに嫌な空気が漂い始めたのに気づいた。これは……始まりの森やシエラ樹海に漂う魔素に似てる……?
「どうしたの、アル? 魔物の気配があったの?」
「いや……そうじゃない。何か嫌な雰囲気なんだ」
魔素は深い森や遺跡、洞窟などに漂うことはあっても、こんな町の中で色濃く感じられるものじゃない。
「やっぱりイベントは起こっちゃうのかな……」
「でも、町の外からは魔物の気配は感じられない。……いや、違う!! しまった! 貴族街の方だ!! 魔物はすでに町の中心にいる!!!」
なぜだ!? 魔物の気配は一切感じなかった。いつの間に町の中に入り込まれたんだ!?
「アスカ! 行くぞ!!」
「うん!!」
俺たちは跳ねるようにベッドから起き上がり、宿から飛び出した。貴族街の方を見ると、何軒もの家屋が激しく燃え上がっていた。
「くそっ! まさか海の方からやってくるなんて!」
「そんな……!」
俺たちは町の中心に向かって走り出す。職人街の中ほどにさしかかったところで、人々の悲鳴が聞こえてきた。貴族街は海に面していて、立地としては職人街の方が高い位置にある。
数百メートルほど先で、緩やかな坂道を女性や子供が何かから逃れるように、慌てた顔で駆け上っていた。後に続く男たちは手に槌や棍棒のような武器を持ち、互いに何か叫んでいる。
駆け上ってくる人たちの流れに逆らって坂道を走り下りていくと、少し先に男性と女性の二人の姿が見えた。そこに子供ほどの体格の何かが、奇声をあげて走りこんでいく。
「グギャアァ!!」
皺だらけの顔をした、やや小柄な老人のような生き物。尖った耳に大きな鷲鼻を持ち、ボロボロの布切れを羽織っている。その化け物が、鋭い鉤爪のついた拳で女性の頭部を殴打した。
「きゃぁっ!!」
女性を殴り倒し、化け物は続けて傍にいた男性に襲いかかる。
「うぐぅぁ!!」
その男性はとっさに手に持っていたメイスのような物で化け物の爪を受け止めるも、勢いに押され倒れこんだ。
その化け物は倒れた際に男性が手を放してしまったメイスを拾い上げる。真っ赤な目を闇夜に輝かせ、大きく裂けた口をニヤリとゆがませた。
まずい!!!
化け物が、倒れこんだ男性を見下ろしメイスを振り上げた。俺はとっさに盾に仕込んでいた火喰いの投げナイフを化け物に向かって投げつける。
頼む! 当たってくれ!!
「うおぉぉぉ!!!」
俺が上げた声に、化け物は醜悪な顔を俺に向ける。その瞬間、火喰いの投げナイフは化け物の左肩に吸い込まれた。
ボッッ!
化け物の左肩から炎が噴き出す。
すごい! このナイフにはこんな効果があったのか!!
「グギャァァ!!」
だが、化け物がゴロゴロと転がると、左肩の炎が消えてしまう。刺さったナイフが抜け落ちてしまったみたいだ。
「いったい何が起こってるんだ? あのバケモンはなんなんだよ?」
燃えるような赤い目に、くすんだ赤色の髪。尖った耳と鼻、大きく裂けた口と牙。老人のような皺だらけの顔、鋭い鉤爪。形だけは似ているけど……こいつは断じてゴブリンなんかじゃない。
「なんでなの……。こいつは、レッドキャップ! ゴブリンの上位種だよ! こんなところにいるはずないのに!!!」
アスカの叫び声が、火の手の上がった町に響き渡った。
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