第451話 暗雲
真っ黒い雲が南の空を覆い、日の光を遮られた大地が惣闇色に染まっていく。雲の下は闇に覆われ、まるで夜に侵食されているかのように見える。
ゴロゴロゴロ…………
紫電を帯びた分厚い雲は見る間に膨れ上がり、近づいてくる。遠雷の音が断続的に王都に響いた。
「まさに暗雲立ち込める王都……ね」
そう言って、エルサは黒い雲を睨みつける。
あれは自然に発生した雲ではない。南西から飛来する水竜の群れが、乱雲を引き連れて来たのだろう。
「今さらだな」
アザゼルがルクスを封印から解放した時から、人族は危急存亡のときを迎えていたのだ。既に王都どころか世界中が暗雲に覆われていると言っていい。
「すぐそこまで来ている」
北側の城壁の向こうに立ち上る土煙を見やり、ユーゴーが呟いた。
地竜の群れが大地を踏み鳴らし、轟く足音が地響きとなって王都を揺らしている。戦いの始まりは、もう目と鼻の先まで近づいていた。
「大丈夫だよね、クラーラ。ダミーにメルヒも……」
「ああ。あいつらは強くなった。地竜なんかにやられはしないさ」
大丈夫。きっと、大丈夫だ。
ヘンリーさんにルトガー。魔物使いギルドのリンジーも。オークヴィルから死地に駆けつけてくれたデールにダーシャにエマも。きっと、この危機を乗り越えてくれる……。
「もどかしいわね。ここで見ていることしかできないなんて」
「俺達の役目はルクスを倒すこと。王都を護るのは彼らの仕事だ」
貴族街の北と北西を受け持つのは、冒険者と決闘士の混成部隊だ。地竜の群れが迫る北側には剣士や槍使いの加護を持つ者を多く編成した部隊が陣を構え、風竜の群れが飛来する北西は魔法使いや弓士達が迎え撃つ。
西と南西で火竜と水竜の群れを引き受けるのは王家騎士団だ。皆、迫る竜の群れを目前に、恐怖を飼い慣らし、神経を研ぎ澄ませていることだろう。
そんな中、俺達は竜の群れとの戦闘には加わらず、四方を見渡せる王城のテラスで待機している。ルクスが姿を現してからが、俺達の出番だからだ。
現時点では『龍の守り』が王都上空に展開されている。だが、いつ火龍の魔晶石の魔力が尽きて、魔法障壁が消失してしまうかわからない。
魔法障壁が消えたら、ルクスは容赦なく大規模魔法を降らせてくるだろう。ヤツが現れた瞬間にその場へ駆けつけて抑止しないと、王都は問答無用で焼き尽くされてしまう。
いつルクスが現れても駆け付けられるよう、待ち構えていなければならない。そして、その時までは体力と魔力を温存しておかなければならないのだ。
グラアァァッ!!
竜の雄たけびが響き渡り、平民街にいくつもの火柱が立つ。
「っ! 来たっ!!」
ついに、竜の群れが、王都に辿り着いてしまった。
最初に城壁内に姿を現したのは火竜の群れ。紅い被膜翼を大きく広げて龍を拒否する魔法障壁を潜り抜け、平民街への侵入を果たした。
「頼んだ、アリス、ジェシカ!」
「行くのです! 海竜達!」
「キュアァァァァッ!!」
王城の上空に待機していた竜達に、アリスが号令を下す。二対四枚のヒレのような羽を持つ巨大な海蛇達が、火竜の群れの方へと飛んでいく。
こちらの先駆けは、アリスの【人形召喚】とジェシカの【口寄せ】で召喚した魔物達だ。それも海底迷宮の60~85階層を周回して搔き集めた魔石で召喚した、Aランク以上の選りすぐり。
翼を持つ竜種は王城の上空に待機させ、それ以外は貴族街の城壁の周りにずらりと並ばせている。数では遠く及ばないが、一体一体の力量はこちらの方が上だ。
「北西! 風竜が来たよ!」
「征くがいいの! 古代竜!」
「グラアァァァッ!!」
属性の相性としては地竜種を向かわせたいところだが、空を自由に飛び回る風竜種が相手では分が悪い。よってジェシカは、全ての属性に強い耐性を持ち、翼を持つ古代竜を風竜の群れに差し向ける。
「キュララアァァッ!!」
海竜達が氷のブレスを吐き出し、水属性攻撃に弱い火竜種を次々と撃ち落としていく。古代竜は飛び回る風竜に噛みつき、爪をたて、引き千切っていく。落下した竜の死骸が平民街の家屋を押しつぶし、あちこちで衝撃音が鳴り響いた。
ドガァァンッ!!
ひときわ大きな衝撃音が轟く。北側に目を向けると外周の城壁が破壊され、地竜の群れが平民街に侵入していた。
「金竜! 迎え討つのです!」
「グギャアァァァッ!」
アリスの命を受け、緋緋色の金竜が家屋をなぎ倒しながら駆けていく。
先頭を駆けていた金竜は勢いそのままに地竜に体当たりし、押し倒しては喉笛に噛みつく。敵は地竜が中心で上位種の数は少ない。その個体能力差から、金竜達は地竜を次々と屠っていく。
「キュルアァァァッ!!」
今度は南側の上空。水竜の群れが魔法障壁を通過し、外周の城壁を悠々と飛び越えて平民街上空へとなだれ込んだ。
「翡翠竜! 紅玉竜! 水竜を止めるの!」
「アギャァッ!」
「グラアァァッ!」
前肢と一体化した翼を持つ翡翠色の竜達と、四本足に蝙蝠のような被膜翼を持つ紅の竜達が、水竜の群れへと突っ込んで行く。
水竜種は飛行能力を持つが、その速さは大したことがない。ヒレのような羽は飾りで、魔力によって飛翔しているからだろう。機敏に飛び回る風竜種の方が空中戦に秀でているし、火竜種は水竜種の弱点属性を突ける。
「グラァッ!!」
紅玉竜が巨大な炎塊を放ち、出合頭に数頭の水竜を撃ち落とす。翡翠竜はその高い飛行能力を生かして、動きのとろい水竜を翻弄している。
「よっし、いけぇっ!」
アスカが両腕を振り回して召喚した竜達に掛け声を送る。
ほとんどがBランクの竜種が占める敵方に対し、こちらはAランクとSSランクの上級竜種だ。序盤は優位に進んでいた……
「あぁっ!!」
だが、アスカの願いむなしく何体かの竜が力尽きて黒い粒子となって溶けていく。
「やはり、多勢に無勢ね……」
エルサが眉をひそめて、呻くように呟く。
2千体もの竜種に対し、こちらは百数十体程度しかいない。倒しても倒しても押し寄せる竜に群がられては、いくら上級竜でも歯が立たない。SSランクの古代竜だけは未だ奮戦を続けているものの、それも時間の問題だろう。
「くそっ、このままじゃ……」
敵の2~3割は減らしたようには見える。それでも敵方の竜達はひるむことなく続々と平民街に侵入してくる。
通常の魔物の群れなら、数匹も倒せば恐れをなして逃げ出す個体も出てくる。だが竜種はルクスの眷族だ。龍王の絶対命令に逆らい、引き下がることなどないだろう。
ドォン、ドォン、ドォォーンッ!!
平民街の一角から、ドラムを打ち鳴らす音が聞こえる。同時に数か所から音に呼応するように狼煙が上がる。
「くっ、時間切れか!」
狼煙はアリスとジェシカに対する王家騎士団からの合図だ。
「人形達、下がるのです……」
「金龍は壁のそばまで、それ以外は王城上空に退避するの」
アリスとジェシカが悔しさに耐えるように唇を噛みながら、召喚した魔物達に指示を出した。
二人のスキルは詳細な命令をすることはできないものの、おおざっぱな命令ならば遠く離れていても出すことができる。召喚した竜達は二人の命令に従い、敵前から逃亡して、こちらにむかって飛んできた。
こちらの竜達は敵方よりも能力が高い。後を追う敵方の竜をあっという間に引き離して、貴族街の城壁を飛び越えた。
当然、阻む者がいなくなった敵方の竜達は平民街に続々と侵入してくる。北側からは地竜が家屋を蹴散らしつつ迫り、西と南から風竜・火竜・水竜が空を埋め尽くすように押し寄せてくる。
絶体絶命。
この光景を見たら、誰もがそう思うだろう。
「すまない……」
俺は歯を食いしばり、狼煙が上る平民街を睨む。
せめて……目をそらさず、戦士達を見送ろう。
祈りを捧げたその刹那、平民街の数か所から真っ白な魔力光が迸り、轟音とともに強烈な衝撃波が王都を揺るがした。




