第450話 嵐の前
紅の魔法障壁のさらに上空から王都を見下ろす。王都をぐるっと囲む城壁とその内側の平民街には人影どころか野良猫一匹すら姿が見えない。平民街、中心街は放棄され、王都に残った人達は貴族街に集められているのだ。
中心街と貴族街を隔てる『英雄王エドワウ凱旋門』の前には、数十体の白銀人形と金剛人形が鎮座している。海底迷宮で乱獲し、アリスが召喚した魔物だ。
城壁の内側には王都に残った冒険者や決闘士、王家騎士団の騎士達が立ち並び、城壁の上には多数の大型弩砲や投石器が据えられている。
「ブルルゥッ!」
「ああ。さすがは竜種だな……すごい速さで近づいて来ている」
「ブルゥッ!」
「ははっ、大丈夫さ。怖気づいてなんかいない。竜種なんて、どれだけいても俺達の敵じゃないさ」
北の地平線上で、土煙がもうもうと立ち上っている。ガリシア自治区からナバーラ山脈を越え、五百体もの地竜が押し寄せているのだ。まだ数十キロは離れているというのに、地竜が大地を踏み鳴らす足音が聞こえた気がした。
視線を左にずらし北西の方角。王都から離れるにつれ、まばらに生えていた樹木が密度を増していき、広大な麦畑は鬱蒼と茂る森林へと変わっていく。その森林の上空に濃緑色の影が浮かんでいた。遠く離れたここからでは羽虫のようにしか見えないが、その輪郭はこちらに向かって来るにつれて次第に大きくなっていく。
「風竜、そして翡翠竜の群れを肉眼で確認、と」
俺は弓術士のスキル【鷹の目】を発動して風竜の群れを確認する。地竜と同じく五百体ってところかな……。
そして西側。広がる麦畑の先は、北西とは違い赤茶けた荒野へと変わっていく。その上空には赤黒い影が浮かぶ。火竜や紅玉竜で間違いないだろう。先日の戦いで数を減らしたからか、風竜の群れよりは数が少ない。おおよそ二百から三百と言ったところか。
さらに南西。三柱の守護龍の魔晶石を使用した極大魔法【魔素崩壊】によって大地に直径15キロほどの大穴が穿たれている。王都上空から見てわかったが、その大きさは10万人が暮らす巨大都市である王都クレイトンより一回りも二回りも大きい。アザゼルが文字通り決死の思いで放った一撃は、やはり尋常な威力では無かったのだ。
その大穴の向こうには、深い海を思わせる蒼い影が浮かぶ。水竜と海竜の群れだろう。数は地竜や風竜と同じく五百体ほど。
「ざっと二千体の竜か」
対して王都側の戦力は、多く見積もっても5千人程度だ。通常なら竜種1体を討伐するのに中隊規模の軍が必要とされるから、単純計算だと竜2,30体程度の戦力しかない。彼我戦力は圧倒的に分が悪い。
とはいえ王都の決闘士や王家騎士団は優秀だ。小隊、いや分隊単位でも竜と伍せるかもしれない。
それに、切り札としてアリスの【人形召喚】がある。海底迷宮50階層以上のエクストラフロアを周回したおかげで、それなりの数のA,Sランクの魔石を用意している。竜種の最高位である『竜王』の魔石だってある。たとえ二千体もの竜の群れとだって互角以上に戦えるはずだ。
「敵情視察はもういい。戻るぞ、エース」
「ヒヒンッ!」
エースが短く嘶き、半透明の翼をはためかせて王城へと降りていく。
まだ数十キロは離れているとはいえ、空を駆ける竜なら1時間もすれば王都にやって来るだろう。人族の存亡を賭けた戦いが、もうすぐ始まる。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「おーい、兄弟!」
王城の庭に降り立つと、でっぷりと腹が突き出た中年の男が手を振りながら駆け寄ってきた。相変わらず、人の好さそうな丸い顔と体型に、鋭い目つきと豪奢な毛皮の外套が致命的に合っていない。
「バルジーニさん、お久しぶりです」
「ああ、久しぶりだ、兄弟。えらいことになっちまったな」
話しかけてきたのは王都スラムのマフィア、バルジーニ・ファミリーの元締めドン・バルジーニ。以前、エース誘拐の件で敵対した間柄だ。チェスターのスラムの元締めを助けていた縁もあり、決定的な衝突になる前に関係は改善、エース誘拐はアザゼルが仕組んだことだったことだと発覚したこともあり、王都滞在時は何かと世話になった人だ。
「ブルルゥッ!!」
「わ、おいっ、いてぇっ!?」
「エース、やめてやれ。この人も悪気があったわけじゃないんだ。いや、悪気はあったけど、謝罪は受けたから」
エースがバルジーニの太腿を甘噛みし、軽く威圧したので慌てて止める。エースが本気で噛みついたら太腿は千切れていただろうから、ちょっとした挨拶だろうけど。すぐに解放されたとはいえ、一度は闇魔術をかけられてバルジーニの屋敷に拉致されたのだから、ちょっとした腹いせのつもりなんだろう。
「いや、お前さんにも迷惑をかけたんだったな。今度、良質な飼料を進呈するから勘弁してくれ」
「ブルゥッ」
ならば良しとばかりに鳴くエース。二人?の間で話はまとまったようだ。
「それより、どうしてこんなところに?」
「ああ、拳聖と話をな。俺達は王都の裏冒険者ギルドみたいなものだからな。それなりの戦力を抱えている。これから竜どもと総力戦なのだろう? 王都の危機、スラムの住民達の生き死にがかかっているとあっては隠れているわけにはいかない」
「ああ、なるほど」
バルジーニファミリーの屋敷の庭で戦ったバルジーニの子分達は、Bランクの決闘士とそん色ないぐらいの実力があった。彼らが参戦するのであれば、心強い戦力となってくれるだろう。
「スラムの住人達も、出来ることをやりたいって言うんで手伝わせてる。大半は戦闘の加護を持っていないから、後方支援にまわってもらった。お前さん達が連れて来た土人の王といっしょに、矢玉の準備をしているぞ」
「そうでしたか」
ジオット族長とイレーネは今朝ここに連れて来た。さっそくヘンリーさんに引き合わせ、冒険者や決闘士達の武具の強化やら、矢玉の増産などに着手してもらっている。王家と冒険者ギルドが特殊魔物素材を大量に無償供与し、俺達もため込んでいた素材を放出したので、冒険者や決闘士達の戦力は大いに増強したことだろう。
こんな事態でもなければ、土人族の中でも最高の技巧を持つ鍛冶師に武具を強化してもらえる機会なんてない。家宝に出来るほどの品質の武具が無償で手に入るのだから、この場にいられてある意味幸運だったかもしれないな。生き残ることができれば、だが。
「かくいう俺も戦えない。商人ギルドのシンシア女史と娘のセシリー嬢なんかと一緒に、スラムの連中の指揮にまわる。後方支援は任せておけ」
「へ? 今、なんて言いました?」
「うん? 後方支援は任せておけと」
「いや、その前」
「商人ギルドマスターのシンシア女史と娘のセシリーじょ」
「セシリーがここに来てるのか!?」
「うぉっ。なんだ知り合いか? ああ、拳聖の娘だからな。数日前に腕利きの冒険者を連れて両親の手伝いに来たらしいぞ。なんて言ったかな、何とか狼とかいうウェイクリング領じゃ有名な冒険者パーティらしいな」
マジかよ。デール達もここに来てるってのか。
いや、戦力が増える分にはありがたいことなのだが……。戦えないセシリーさんまで王都に来ているとはな。親御さんたちが避難しないと聞いて助けに来たのだろうか。
今の王都には大切な人達がたくさんいる。これはいよいよ負けられなくなったな……。俺は思わず『龍殺しの剣』の柄を握り締めた。




