第445話 プレイヤー
「ハァ……ハァ……ハァ……」
俺の腕の中で肩を上下させているアスカの髪をそっと撫でる。魔道具の薄明りを反射して天使の輪を形作る艶やかな髪はサラサラとした手触りで、いつまでだって撫で続けたくなる。陶器のようにつるっとした細い背中はしっとりと汗ばみ、這わせた手の平を吸い付くように離さない。
しかし……だいぶ無理をさせてしまったかな。久しぶりの逢瀬だったからなぁ。
アスカの体力はたった13しかないのだ。初めて会った時に比べると少しは上がってはいるものの、身体レベルは全く上がっていない。
対して俺の体力はもう少しで5千。丸一日以上、全力で走り続けられるぐらいの底なしの体力がある。もはや人外と言っていい。
そんな俺に何度も求められたら体力が持つはずがない。いや、できるだけ優しくしたつもりではあるんだけどね。体力と違って精力の方は無限では無いし。
アスカの額にそっと口づけを落とし、ふと考える。
今さらだがアスカはなんでレベルが上がらないんだろうな。瀕死にした魔物のトドメを刺したり、【アイテム】スキルで魔物を状態異常にしたりと、いろいろ試してはみたがレベルは全く上がらなかった。
普通は魔物に一度でも攻撃すれば魔素を得ることか出来る。
冒険者ギルドの初任者育成制度では、新人に遠くから石を投げつけさせてから先輩冒険者が魔物を倒すことで新人のレベル上げをする。貴族の場合だと、従者が魔物の四肢を切断するなり抑えつけるなりして身動きを取れないようにしてから、子息に一方的に攻撃させることが多い。
アスカにも俺達が安全確保したうえで『石投げ』をさせたり、毒草・痺れ茸・睡眠豆なんかを使った状態異常攻撃をさせたり、トドメを刺させたりなんてことを何度となく試してはみた。これらも立派な攻撃だから魔素は得ているはずだ。
与えたダメージが少ないと得られる魔素も少なくなるので、多くの魔素を得ることは難しい。だがゼロではない。なのにレベルは一切上がらなかったのだ。
【JK】って加護もそうだ。
アイテムボックスやジョブメニューという唯一無二のスキルを得られる特殊な加護。さらに、『大事な物』を得ることで、解体・採集・調剤なんていう特殊なスキルを得ることが出来る。それらのスキル、加護にもレベルが存在しなかった。
【転移陣の守護者】も俺だけが持っている特殊な加護ではあるけど、転移や接続のスキルにはレベルがあった。なのにアスカの加護とスキルにはレベルという概念が無い。
なんていうか……俺や仲間達を含めたこの世界の人々と、アスカは根本から異なっているのだ。身体レベルしかり、加護レベルしかり。まあ、アスカは異世界から来たわけだし、違っていて当たり前と言われればそれまでなんだけど。
「アルぅ……」
アスカが擦り寄って、鼻先で俺の胸をくすぐる。荒い息も落ち着いたみたいだ。
「無理させてごめんな」
「ん、大丈夫……気持ち良かったよ」
腕の中から上目遣いで俺を見上げるアスカ。むむ、あざとかわいい。
思わず髪を撫で、頭のてっぺんに口付けを落とす。
「あのさ、アル」
「ん?」
俺の身体に身をすり寄せ、胸に頭を埋めたアスカが呟く。俺の胸をアスカの暖かく湿った吐息がくすぐった。
「…………やっぱりなんでもない」
「なんだよ?」
なんとなく普段と違う雰囲気だ。普段なら事後の一時は、髪撫でや背中擦りを要求し、小動物みたいに甘えてくるのだが、今日はなんだかやけに落ち着いている。
「……ユーゴーのこと、どう思ってる?」
「ユーゴー?」
想定外の問いに、思わず聞き返す。なんでユーゴー? 今日、何かあったっけな?
いつも通り大槍を振り回して魔物達を殲滅し、最後の一戦では力を使い果たしてぶっ倒れ、さっきはすごい勢いで飯を食ってたよな。うん、いつも通りだ。
「頼りになる仲間、かな」
獣人族の種族限定加護【獣王】を修得した歴戦の戦士だ。既に力や速さでは、俺を大きく凌駕している。
近接戦闘では、おそらくこの世界で最強の戦士だろう。加護を励起させれば負けはしないが、複数の加護を持つ俺はある意味で反則だからな。
「そういう意味じゃなくてね……女の子として、どう思ってるってこと」
「女の子として……」
ユーゴーのことを、俺はどう思っているか。
『私の全ては、お前のものだ』と誓ったユーゴーの言葉が、脳裏に浮かぶ。真夜中に『惹かれている』『情けをくれ』と迫って来たユーゴーの姿が、まぶたに浮かぶ。
切れ長のゴールデンイエローの瞳。すっと通った鼻筋と形の良い唇。すらっとした長い脚と鍛え上げられた肉体、そして張りのある豊かな双丘。生命感に満ち溢れた美しき獣人女性。
そんな女性に言い寄られて、特別な感情を持つなという方が難しい。
「美人だし、けも耳かわいいし、スタイル良いし、魅力的だよね」
「……そうだな」
とはいえ思い浮かんだことを、そのまま口に出すほど阿呆ではない。アスカは基本的に嫉妬深い子なのだ。ユーゴーの容姿を褒めるのは悪手だろう。とはいえ、アスカの言ったことを否定するのも変な気がするので、とりあえず同意だけしておく。
しかし、なんでまた急にユーゴーの話を?
「ねえ、アル。ユーゴーのこと、受け入れてあげたら?」
「…………はぁ?」
自分の耳を疑った。受け入れてって……そういう意味で言ってるんだよな?
以前、ユーゴーは皆の前で『身体も心も俺に捧げる』なんてことを堂々と言ってのけた。アスカはユーゴーの俺に対する気持ちを十分にわかっているはずだ。
今さら戦士としての忠誠心を受け入れろって言ってるわけじゃないよな? ユーゴーの身も心も受け入れろって意味で言ってるんだよな?
アスカが認めるというのなら、俺はユーゴーを受け入れるのもやぶさかではない。稼ぎや立場のある者が複数の女性を娶ることは、むしろ推奨されていることでもある。
でも、一夫一婦制の世界の価値観を持つアスカにとっては受け入れがたいことだったはずだ。俺はアスカの価値観を尊重して、ユーゴーの『剣』だけを受け入れることにしたのだ。それなのにユーゴーを女性として受け入れたらどうかだって?
意図がわからず混乱していると、俺はあることに気づく。アスカが俺の胸に頭を埋めて僅かに震えていたのだ。
急速に頭が冷えていく。ああ、そうか。そういうことか……。
「……決めたんだな?」
「うん……あたしはルクスとの戦いが終わったら、地球に帰るよ」
心臓がぎりぎりと締めあげられているように痛む。急に息苦しくなり、視界と頭がぼやけ、耳鳴りがする。俺の身体と心が、これ以上、アスカの言葉を聞きたくないと訴えていた。
「ニホンでの記憶、思い出せたのか?」
アスカは家族や友人の顔も名前も思い出せないと言っていた。WOTのこと以外の記憶はぼんやりと霞がかっていて、目にしたはずの光景や体験したはずの出来事、誰かと交わしたはずの会話、その全てが自分の記憶のように思えないのだと。
「ううん。この世界のことはクリアなんだけどね。それ以外のことは、よく思い出せないまま。全部、あたしの妄想だって言われたら納得するぐらいだよ」
「それなら……」
この世界に残ればいいじゃないか。思い出せない家族より、俺や仲間達と暮らしていけばいいじゃないか。俺達はもう家族みたいなものじゃないか。
そう言おうとした俺の唇に、アスカが人差し指をそっと当てる。
「女神は願いを叶えるために、あたしをこの世界に召喚したの。人が種族の分け隔てなく暮らす、写し絵の世界の物語を取り戻すんだよ」
「女神の願い……」
「あたしはプレイヤーなの。プレイヤーは物語が終わったら離れるものなんだよ」
そう言ってアスカは寂し気に微笑んだ。




